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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


追憶の古時計
 それは一見して、この店にはそぐうようにはとても思えない品物だった。
 古びた大きな壁掛け時計。アンティーク、といえないこともないのだろうが、周囲に置かれた他の品々と比べるとそれは、明らかに平凡すぎる外見で、おまけにずいぶんと和風な雰囲気を持ち合わせていた。
「気に入ったのかい?」
 いつの間に回りこんでいたのか、人の気配などなかったはずの背後から女の声が聞こえた。
「欲しいなら譲ってやってもかまわないよ。ただし条件がひとつあるけどね…」
「じょーけん……?」
 女は壁から時計をはずすと文字盤のガラスを音も立てず開けた。
「簡単なことさ。あんたが一番よくいる部屋に、この子を置いてやってくれればいい。寂しがりやな時計だからね、主人と長く離れていると悲しくて壊れてしまうのさ」
「……………」
 女の言っていることは半ば以上理解不能だった。寂しがり屋の時計だなんて今まで見たこともきいたこともない。
「使い方は………言うまでもないね。一日一回この真ん中の螺子を回すだけ。大切にしてさえやればそのうちきっと、時計があんたの大切な記憶を取り戻してきてくれるはずさ」
「たいしぇちゅな、きおく…?」
「そう、今はもうなくしてしまった大切な記憶」
 そういって女はガラスの蓋を元通りに閉めた。今度はかすかにカチンという金具の音が聞こえた。
「どうだい、買っていくかい?」





 夢の中、子供の泣いている声が聞こえる。
『ごめんなさい………ごめんなさい………』
 まだ幼い、かすれた鼻声で謝罪の言葉を繰り返す子供。
『ごめんなさい………ごめんなさい………』
 その言葉は深い哀しみと悔恨の念に染められていた。
―――なぜ、泣いている?
『なにも……なんにも…知らなかったの………』
 それは問いかけの答えというより、特定の誰かに対する懺悔の様だった。
『ごめんなさい………ごめんなさい………』
 子供はただ、ひたすら謝り泣き続けている。
―――もうそれ以上泣くのはやめろ。私まで哀しい気持ちになる。
 零れる涙は海へと変わり、世界はゆっくり闇の中へと沈んでいく。
『ごめんなさい………ごめんなさい………』
 その言葉だけが、水底を流れる潮の音のようにいつまでも、いつまでも繰り返し響き続けていた。
『ごめんなさい………ごめんなさい………』



 長い金の髪がゆらりとうねってシーツの上を移動していった。細く華奢な手足、愛らしい寝顔、何も知らない者には彼が幼く弱い少年のように見えることだろう。
「……っ………」
 幾度となく大きな寝返りを繰り返した後、諦めた様にまぶたが開かれる。その瞳は澄んだ紅玉の色、ようやく目覚めたこの部屋の主クラウレス・フィアートの心理状態は、今、最悪の状態であった。
「またあのゆめでちか…」
 寝覚めに見る奇妙な夢が、ここ数日間彼の心をさいなみ続けていた。
『ごめんなさい………ごめんなさい………』
 夢の中、謝り続ける子供の姿は決して彼の瞳には見えない。ただ遠く、あいまいに浮かぶ黒い影だけが、遠い記憶のかけらを刺激し、彼の心を揺り動かしていた。
「やみいよの、こども………」
 浮かび上がってきたその言葉の意味を、クラウレスはいまだ思い出せずにいた。
 『闇色の子供』。それがきっとこの不可思議な夢の正体なのだろう。その子が誰なのかを思い出せれば自然と夢も見なくなるはず。
「やみいよの………こども」
 もう一度、クラウレスはその言葉をつぶやいた。ざわざわと、心の片隅が小さく波立つ。その答えを、確かに自分は知っているのだと彼の心は訴えてかけいた。
 まぶたを閉じ、記憶の中をゆっくりと探る。
「こども……こども……」
 現在の姿になってからこっち、やたらと子供に懐かれているため、『子供』の記憶は枚挙に暇がない。赤い髪の子、黒い髪の子、淡い瞳の子に瞳を失くした子、白人、黒人、黄色人…。今まで会った子供達の顔を順番に思い返してみるが、どの子も『闇色』という言葉からは程遠い印象しか浮かんでこない。
「やみいよの………こども、ねぇ…」
 その言葉が一番似合うのは、他ならぬ自分自身ではないかとクラウレスは自嘲気味に微笑った。
 闇の力の呪いを受けて老いることのない身体を持つ子供。魔を狩る者として生きていながらも、聖職者達からはその存在さえも否定されている。
「だかやって、こーかいなんてちないでちゅけどね…」
 過去を振り返って後悔するのは、弱い人間のやることである。自分を強く信じてさえいれば、どんな現実もすべてありのまま受け止められるはず。
 クラウレスは、そうやって時を生きてきたのだ。

―――ボーン……ボーン……

 耳元で響く時計の音にクラウレスはドキリと胸を鳴らした。
「あ………ちょーいえばこえもきちんとちてあげなきゃ、でちゅね…」
 ベッドサイドの小さなテーブルをほとんど占領している時計を、クラウレスは両手で抱えて持ち上げた。
「はぁ…こどもってほんちょふべんでち…」
 縦幅だけでも五・六十センチはあるその時計は、小さなクラウレスの身体の半分を覆い隠すくらい大きなもので、正直彼がそれを運ぶことはかなり危険な行為であった。
「ん……っちょ………っとぉ……はぁ…はぁ………ふぅ…」
 なんとか時計を壁の中央、柱の上へと固定させると、クラウレスは大きく息を吐き出しにじみ出た汗を袖でぬぐった。
「はぁ……はぁ…やっと……ちゃんとちたばちょへかざってやえたでち…」
 買ってきて以来ずっとテーブルに置かれたままだった時計をようやく、本来あるべき場所に収めると、心なしか気分も軽くなってきて、寝覚めの夢の不快感さえ薄れるような気持ちになってきた。
「ま、おもいだちぇないことをいちゅまでも、かんがえてもちかたないでちから…」
 気持ちを切り替え伸びをひとつすると、クラウレスは台所へと向かった。


 その晩、眠りについてからどれほどたった頃であろうか。すぐそばになにかの気配を感じ、クラウレスはゆっくりと身を起こした。
 月のない、漆黒の夜の深く暗い闇。かけらほどの明かりもないその場所に、闇色のなにかが立っているのを彼はその赤い両の目で見た。
 いや、見たというのは正確ではない。そこには漆黒の夜があるだけで、『それ』と周囲とを隔てる境界はどこにも存在していないのだから。だが確かに、彼はそこに『なにか』がいるということをはっきりと肌で感じ取っていた。
「……………」
 ほとんど聞き取れない程小さいその声は、あの夢と同じかすれた鼻声。
「ごめんなさい………」
 夢の中と同じ言葉を口にして、『それ』は姿を薄れさせ始めた。
「あんなこと………するつもりだったわけじゃないのに………」
 そのまま消えていこうとする『それ』を、クラウレスは右手でつかみ引き止めた。
「……って」
 驚いてこちらを見返す『それ』に、彼は少しかすれた声で言った。
「きえゆまえに、ちゃんとじぇんぶをはなちていくでちゅよ。あなちゃはなにをあやまってゆんでち?」
「……………」
「あなちゃはだえ?わたちになにをちたってゆーんでちゅ?」
 強く問うと、『それ』は小さく肩を震わせてようやく口を開く気配をみせた。
「わたしは……」

―――ボーン……ボーン……

 壁に掛けた時計が大きな音で時を告げる。その音に、まるで姿ごとかき消さたように、『それ』は不意に部屋のどこからもその気配を感じ取られなくなった。
「………っ!!」
 『それ』をつかんでいた指は空をかすめ、自分の手に触れてその動きを止める。
「じかんぎえって……こと、でちかね」
 少し悔しそうにそうつぶやくと、彼は闇に沈む部屋の一角に問いかけるようなまなざしを向けた。


 その翌朝、クラウレスはひどいけだるさを感じ、うたた寝と覚醒を繰り返して、いつもの倍近い時間をベッドの中で過ごした。
 ようやく起き出して時計を見上げると、時刻はすでに昼の二時過ぎ。特別予定のない日だとはいえ、さすがにこれは眠り過ぎである。
「ちゅかえがたまってゆとはおもえないでちが……」
 知らぬ間に、疲労をためていたのだろうかと首をかしげながら朝食を摂る。
 今からでは、街頭に奇術を見せに行くには少し時間が遅すぎるだろうかとカーテンを開けて窓を覗くと、外の景色は立ち込めた厚い雲のせいでどんよりと暗く翳っていた。
「このてんきじゃ、でかけてもちかたなちゃちょーでちね」
 諦めてカーテンに手をかけると、タイミングを見計らったかのように大粒の雨が一粒、二粒とガラス窓を叩き始めた。
「かみないも、くゆでちかな?」
 子供の身体になった影響か、クラウレスは雷が苦手だった。普通の人間だった頃には怖いと思うことはなかったのだが、この大きさになってからはずっと、あの激しい音を聞くたび心臓が、ビクリと跳ね上がるのは直らない。
「こわいとおもうわけじゃないでちゅのに…」
 うるさいと思うことはあっても決して恐怖の対象ではない。なのになぜ、その音に反応して胸が鳴るのか、クラウレス自身、不思議に思っていることである。
―――ドーン…バリバリバリ………
 遠い落雷の音を耳にしてクラウレスはやはり、とため息をつく。
「ま、いいでちゅよ。もうなえまちた」
 次第に近づく雷音と共に、雨足もどんどん強くなっていく。クラウレスは窓の鍵を確かめ再び布団の中にもぐりこんだ。
「こーゆーときはねちゃうにかぎゆでち!!」
もう十分過ぎるほど寝ていたが、どうにか眠れないこともないだろう。まぶたを閉じて羊を数え、クラウレスは闇へと沈んでいった。



―――ザー……ザー……
 降り出した雨は森中を包み、薄着だった彼の下着まで濡らした。革の靴は水を吸って重くなり、剣は濡れぬ様鞘に収められる。
―――ドドドーン………
 近くで雷の音が聞こえる。どこかの木が、燃えているらしいかすかな煙。
「参ったな。帰るに帰れないではないか」
 天気に文句をつけてもどうしようもない。仕方なく雨宿りの場を求めて森の中をふらふら歩いていると、木陰に小さな人影が見えた。
「………?」
 その影は、どうやら震えているようだった。
「おい、どうした?」
 声をかけると、その影はビクリと肩を震わせ、それからゆっくりこちらを振り向いた。
『………だれ?』
 その声は、高くもなく低くもなく、耳というよりも頭の中に直接聞こえてくるかのような不思議な響きの音だった。
『聞こえるの?この声が。見えているの?この姿が』
 そういわれてよく見つめてみると、『それ』は人にしてはずいぶんあいまいな輪郭をしていた。
「人間、ではないようだな。なにをそんなに怯えているんだ?」
 そう尋ねる声に重なるように、すぐそばにまた、大きな一撃が轟き落ちてきた。



―――ドドドーン…バリバリバリバリ………
 ひときわ大きな雷鳴が響き、クラウレスは大きく身を震わせた。一瞬で、意識が現実に引き戻ってくる。
「ちょっか。あの………」
 もうどれくらい前のことかもかもわからないくらいに遠い昔、まだクラウレスが人として普通に暮らしていた頃に会った人型の小さな闇色の生き物。まだ生まれて間もなかったのだろうか。その身の色とは対照的に、その性質は清らかで静寂、大きな音や獣におびえるおとなしやかな子供であった。
 人間と違いはっきりとした性別は見た目でうかがい知ることはできなかったが、出会って以来、剣の修練に励む彼の元を毎晩のように訪れるようになったその子に、子供嫌いのクラウレスもいつか軽い親しみを覚えるようになってきていた。
「でも、どーちてあやまゆんでちゅかね?」
 顔を見せても何をするでもなく、ただずっとクラウレスの後をついて回っていただけの子供に、謝られる理由など浮かんでこない。首をひねったクラウレスの髪が、不意にふわりと宙を舞った。
「………!?」
 振り向くと、そこには再び『闇色の子供』の姿があった。
「ごめんなさい………」
 いつも通り、『子供』はその言葉を最初に言った。
「どーちて、あやまゆんでちか?」
「……………」
「あなちゃのことちゃんとおもいだちたでちよ。あやまやなきゃいけないこちょなんて、なんにもちてはいないじゃないでちか」
「……………」
「どーちて?なにをあやまっていゆんでちゅ?」
「………その、身体…」
 少しだけ顔を上に向かせて、『子供』はぽつりとそうつぶやいた。
「わたしのせいだから……」
「えっ…?」
「わたしが余計なことをしなかったら、あなたは人のままでいられたのに…」
「あなちゃ、もちかちて………」
「ごめんなさい………」
 そう言って、『子供』は彼の身体の中へと戻っていった。そう、『戻って』いったのだ。
「『やみの………こども』」
 クラウレスに呪いと力を与えた強大な闇の力の塊。それがあの『子供』の正体だったとは…。
「だかやあんなにあやまってたんでちね…」
 夢の中で、何度も何度も謝っていた『子供』。きっと自分の力の影響を知らずにしたことだったのだろう。
「あやまゆことなんてないんでちゅよ」
 今はもう自分と同化しきっている『子供』に向かって彼はささやく。
「すべてをえやんだのはわたちなんでちゅ。あなちゃのこと、うらんだりなんかしていないでちよ…」
 その声と思いが届いたのだろうか。彼の長い髪が一瞬ゆらりと、浮き上がり背中をパタリと叩いた。
『ありがとう………』
そんな声が、どこかから聞こえたような気がした。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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★ 4984/クラウレス・フィアート/男/102歳/【生業】奇術師【本業】暗黒騎士


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■         ライター通信          ■
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このたびはご参加ありがとうございます。はじめまして、の香取まゆです。
クラウレスの子供口調が楽しくて、調子にのって長くしすぎました。
まだまだ未熟者ではありますが、この作品が気に入っていただけたら幸いです。