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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


黄金の玄関


 北海道では、ようやく桜が咲き始めたらしい。
 世間の話題は、大型連休の予定ばかりだ。
 住宅街はいつにもまして静かで、通りを行き交う車の量も減っている。せっかくの大型連休であるから、みな都会ではないどこかへ足を伸ばし、羽を伸ばしているのだ。
 藤井雄一郎のフラワーショップも、ほとんど開店休業状態だったが、彼は日課を欠かさなかった。植物との対話とかれらの世話だ。春の陽射しを浴びる緑たちに霧吹きでマイナスイオン水をあたえ、すこし具合悪そうにしている鉢などには、やさしい声までかけていた。その様子を目撃しておびえる通行人の姿もない。
 そろそろ『母の日』も訪れる頃であるから、通りに面した軒先には、赤やピンクのカーネーションがあふれていた。彼女たちがもらわれ始めるのは、連休も終わりに近づいてからのことだろう。いまは静かだ。毎年の5月第二週の忙しさを思い起こしながらも、雄一郎はのんびりと緑たちに水をあたえていった。
 静けさの中で、フラワーショップはいつもと同じように時間を無色へ塗りつぶしていく。ゆっくり、ゆっくりと――そのひとときを愛でながら。

「ただいまー、なの!」

 何の前触れもなく、フラワーショップの戸は開き、そんな明るい春の声が、透明な店内に響き渡った。
 蘭だ。血肉を分け与えたわけではないが、雄一郎にとっては息子も同然の少年だ。
「おお、蘭!」
 小さな若い声に、雄一郎の野太い声が応えた。彼は霧吹きを放り投げ、やってきたオリヅルランの化身に駆け寄った。投げとばされた霧吹きは、店の片隅の10号鉢パキラに激突した。
(わーっ!!)
「「あーッ!!」」
 パキラの声にならない悲鳴を、雄一郎と蘭はしっかり聞き取っていた。ふたりは霧吹きを食らったパキラに駆け寄り、ばさばさと揺さぶった。
「大丈夫か! すまんかった! 本当にすまんかった!」
「ケガした? パキラさんケガした? ケガしたんなら、ぼく、なおしてあげるなの!」
(ゆするな! ゆするな! 枝が折れるー!)
「……あなたー、どうしたの? 大きな声出して……」
 他の鉢植えや苗たちもざめき、大騒ぎになった店内に、雄一郎の妻せりなも顔を出した。雄一郎の声は平時でも大きいし、蘭の大声は周囲の植物たちを驚かせる。せりなが騒動を聞き逃すはずもないのだ。
 せりなの落ちついた声に、雄一郎と蘭ははっと我に返った。はらはらと葉が落ちる10号鉢パキラを手にして、ふたりはせりなを見上げた。
「……」
「……」
「……あんまり大騒ぎしちゃだめよ。近所迷惑でしょう。――って、あら、蘭じゃない! どうしたの!」
「えへー、ママさん、ただいまなの!」
 パキラはひとまず雄一郎にまかせ、蘭はせりなに抱きついた。せりなはいつもと変わらず、母親の匂いがしていた。


 蘭の訪れはまったく突然だった。いつもは事前に連絡を入れてくるのだが(連絡をしてくるのは、蘭に居候されている、藤井夫妻の次女の役目だ)。蘭愛用のクマリュックはぱんぱんに膨れている。着替えや日記帳やその他諸々が詰めこまれているのだ――これぞ準備万端、というもの。衝動的に訪れたというわけではないことが、雄一郎にもわかった。
「一体どうしたんだ? あいつとケンカでもしたのか」
「ううんー。ぼく、みんなとおはなししにきたなの! はるだから、みんなげんきなの!」
 蘭の答えに、店内の緑たちが歓喜した。雄一郎が抱えているパキラも機嫌を直した。
(おかえり)
(おかえり、蘭)
(大きくなったね)
(春だもの、あたしたちだって大きくなれる春だもの……)
(蘭くんだって大きくなれるわ)
(どんどん大きくなってね)
(わたしたちを見守っていてくれ)
「そうなの? ぼく、おっきくなったなの?」
 さわさわと変わっていく空気や気配と、蘭の笑顔に、せりなが顔をほころばせる。彼女には雄一郎や蘭が持っているようなみどりの力はなかったが、植物たちが何を思っているのか、いまは手に取るようにわかる気がしていた。
「みんな喜んでるのね。蘭はほんとうに人気者だわ」
「えへー」
「久し振りに来たんだ、ゆっくり話していけ。春だから新顔も多いしな」
「はいなの!」
 蘭はそれから、緑たちと一緒におしゃべりを始めた。雄一郎が普段やっていることと同じ行動なのだが、蘭がやるとはた目から見てもとても微笑ましい。通行人が偶然見かけてもおびえることはない、ほのぼのとした幸せな光景だ。
 そんな蘭を店に残し、雄一郎は妻を自宅のほうへ引っ張っていった。
「せりなせりなせりな」
「なあになあになあに、つっつかないでったら」
「昼飯の用意はしてるのか」
「ああ、いまちょうどごはん……いっけない、お米水にひたしたままだった!」
「せりな! 待てッ!」
「なんなの、お米が水吸いすぎちゃうじゃない!」
「その米に一合足してくれ。それでな、……」
 こそこそと耳打ちされた提案に、せりなはしかめっ面をやわらげた。
「いいわね、せっかくだし。早炊きにするわ。ちょっと遅いお昼になりそうだけど」
「あいつはきっと――いや、絶対喜ぶ。よし、いま腹がふくれないように、栄養剤を取り上げてくる!」
 蘭はクマのリュックに鉢植え用の栄養剤を入れているのが常だ。雄一郎は大股で店に戻った。
 蘭はその頃、優雅に咲き誇るカーネーションたちとおしゃべりをしていた。――こちらも、ひそひそと相談していたのだ。
 そこに――
「おい、蘭!」
「んひっ!」
 大声の雄一郎がやってきたものだから、蘭は軽く飛び上がった。
「な、な、なに? パパさん」
「そのカーネーション、きれいだろう! そいつらには毎年手を焼かせられてな!」
「あ、えっと、うん、そうなの! 5がつのしゅやくなの! えいようざい、おすそわけするなのー」
「おっと、そうだ。その持ってきた栄養剤を見せい!」
「あ!」
 クマリュックを粗雑に取り上げられ、蘭は思わず顔色を変えた。
「だめなの! みちゃだめー!」
「へぶ!」
 蘭の叫び声にオーガスタが呼応し、その分厚い大きな葉で、雄一郎に平手打ちを見舞った。雄一郎がひるんだ隙に(というより、リュックを手放して吹っ飛んでいた)リュックを奪い返し、蘭ははあはあと二酸化炭素を吸って酸素を吐いた。
「ぷ、ぷらいばしーのしんがいなの!」
「おまえ……いつどこでそんな難しい言葉を覚えた……?」
「もちぬしさんがよくつかってるなの! れーぞーこみられたときとか、パソコンつかわれたときによくいってるなの!」
 純粋な彼は包み隠さず正直にそう言った。湿った床に倒れていた雄一郎は、ガバと起き上がる。そして、鬼のような形相で蘭に詰め寄った。がし、と無骨な手で蘭の肩を掴む。
「だ、誰にれーぞーこやらパソコンやらを見られてるんだ?!」
「ぱ、パパさん――」
 息を呑む蘭を、雄一郎は容赦なく、漢の力でガクガク揺さぶった。
「誰だ! だーれーだー!!」
「あうあうあうあうあう!」
「男か! 女か! 誰に俺の娘はれーぞーことフォルダの中を見せてるんだーッ!!」
「あがあがあがあがあが!」
「ちょっとあなた、何してるの!」
 パーン!!
「のぇあー!!」
 またしても駆けつけてきたせりなは、ボール紙製のハリセンで夫をぶっとばし、すでに目を回していた蘭に駆け寄った。
「ったくもう、ほんっとにバカでバカ力なんだから。……大丈夫?」
「ぇうー、めのまえぐらぐらするなの……」
「バカはほっといて、家に上がりなさい。――お昼は、もう少し待ってね」
「はぁい、なの……」
「あっ! いっけない、玉子焼きが途中だった。あーもう、忙しいったら!」
 せりなは駆け足でキッチンに引き返す。蘭は揺さぶられた視界でせりなの背を見た。エプロンで手を拭きながら、忙しそうに駆け回るせりなが見える。
 ――ママさん、そんなにはしりまわって、めのまえ、ぐらぐらしないなの? いつもいつも、たいへんそうなの……。ママさんに……ママさんに、ありがとうって、いわなくちゃ……。
 キッチンに消えたせりなには、感謝の言葉をかけられない。
 いつ言おうか。
 何と言おうか。
 ぐるぐると揺らぐ視界と思考は、次第に落ち着きを取り戻す。――だが、蘭がようやく落ち着きはじめたとき、同時に雄一郎の意識も回復していたのだった。
「蘭……おしえ、ろ……」
「ひっ!!」
 当たり所でも悪かったのか、雄一郎は額からだくだくと血を流していた。その形相の彼が呻き声を上げながら床を這っているのだからお子様には刺激が強すぎる。
「キャーッ!! イヤーッ!! ギャアーッッ!! キィーッ!!」
 ……玉子焼きを作り終えたせりなが、またしてもとんできたのはいうまでもない。


 ハリセンでボコボコにされ、瀕死の重傷を負った雄一郎と目を泣き腫らした蘭が見たのは、たくさんのおにぎりと、美味しそうな弁当だった。
「わぁ! おべんとうなのー!」
「おぉ、こんな短時間でこんな完璧な弁当を作るとは、さすが俺のせりな!」
 少年漫画のごとく1コマでよみがえった雄一郎の素直な感嘆にも、せりなは冷めた視線を送った。
「どっかの誰かがバカなことしなかったらもっと早く出来たんだけどね。……さ、出かけましょうか」
「ピクニックなの?!」
「そうよ、どっかのバカが考えたとは思えない提案でしょ。どこでもいいわ。蘭はどこで食べたいの?」
「えっ、えっと、えっとね、みどりがたくさんあるところ!」
「おう、それならいいところがあるぞ!」
 雄一郎は笑って、蘭の肩に手をかけた。
「車を出すからな。せりな、飲み物買っていくか?」
「……最近は水筒持っていくより、ペットボトル持っていくほうがお徳かもね。途中でスーパーに寄ってくれる?」
「コンビニでいいだろ?」
「だめ! 2リットルのペットボトルはスーパーなら198円! コンビニだったら326円! 比べるまでもないわ!」
「……」
「しゅふはえらいなの! もちぬしさんもさいきん、コンビニでおべんとうとのみものかわなくなったなの」
「なに、それはつまり俺の娘が主婦になったということか!! 相手は誰だ!! 誰と籍を入れたーッ!!」
「あうあうあうあうあう!」
 エンドレス。


 時速40キロでのんびりと、藤井家のワゴン車は道を行く。
 景色はゆっくりと流れていく。緑の景色は、時間とともに、ゆったり、ゆっくりと。
 腕時計を確かめながら歩くサラリーマンは、この際見えないことにしよう。
 陽射しがゆく、ドライバーの視界をいち早く照らし出し、何よりも早く車の後をついてくる。わずか30分の道のりが、遠い異国までの旅路のようで、両親の目が届くせまいせまい世界の中に確かに収まりきっているのだ。
 やがて辿りつく先は、蘭が知らない河川敷。
「わあ!」
 蘭がそうして、歓声を上げた。
 歩いて渡れそうなほど浅い川の両岸は、花々に満ちていた。蝶と蜂が飛び交い、さらさらと音楽もついている。どこか勝ち誇ったように、雄一郎が腕を組んだ。
「ここの町内会は花好きでな。毎年大人総動員で春先に苗を植えるんだ。俺の店も苗を提供したぞ」
「頼まれてもいないのに植えるの手伝ったりしたわよね」
「緑を増やすのは悪か! だめなのか!」
「そうは言ってないじゃないの」
「わーい、なの! パパさん、ママさん、おべんとーたべよーなの!」
 花々の間を駆け回って歓声を上げる蘭を前にしては、言い争いも途絶えてしまう。せりなと雄一郎は思わず笑って、花壇のそばにレジャーシートを敷いた。
 絶好のピクニックスポットであるはずだが、河川敷という、毎日目にする場所というのが盲点と化したか。藤井家のほかに、陽気と花、お弁当と談笑を楽しんでいる者の姿はない。
 早炊きのご飯で作ったおにぎりも、少し焦げてしまった玉子焼きも、昨日の残りものでごまかしたおかずも、何もかもが太陽のスパイスによって変貌を遂げる。世界三大珍味であろうが、マツタケだろうが国産和牛であろうが、この弁当の味にはかなわない! ペットボトルのお茶でさえ、この場では玉露以上に深みのある味だ。

(蘭)
(蘭ちゃん)
(いまがチャンスよ)
(逃さないで)

 ささやきを、雄一郎と蘭は聞いた。雄一郎には、何のことかわからない。しかし蘭は、空気に頷き、クマのリュックの中に手を突っ込んだ。
「ママさん、ママさん」
「なあに?」
「いつもありがとうなの! ごくろーさまなの!」
 それは、ちょっと早めの感謝の贈り物。
 クレヨンで描かれたせりなの似顔絵と、カーネーションの押し花でできたしおりだ。似顔絵の中で、青の瞳は笑っている。
「ああ、」
 せりなは一瞬言葉に詰まった。
「ありがとう、蘭」
 なぜかその横で雄一郎が涙ぐむ。せりなはそんな夫の横顔に苦笑した。
 カーネーションの声は、せりなには聞こえなかったが――。
 ――私ね、全然苦労なんかしてないわ。だってこんな、とてもおだやかな毎日に囲まれて……。何ももらわなくたって、感謝の言葉なんか言われなくたって、この毎日が続くだけで、それだけでいいのよ。
 けれど強がりは、言葉にならなかった。

(たったそれだけのことが、どんなにしあわせなことでありましょう)
(わすれないで)
(わたくしがつかさどるものは、『愛情』)

 太陽はゆっくり、のんびりと傾いていった。




<了>