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<東京怪談ノベル(シングル)>


WHEEL of FORTUNE


「お見合いって一体どういうことよ!?」

 月見里千里(やまなし・ちさと)は両手を卓袱台に叩きつけて両親をきっと睨みつけた。
「何もそんなに怒らなくても……」
 久々に会う愛娘の剣幕に父親はやや押され気味だ。
「もう、ちさちゃん。お茶がこぼれちゃったじゃない」
 だが、母親は全く動じる事もなく千里が卓袱台を叩いたせいでこぼれたお茶を拭いている。
 母のその様子に怒りの気力をそがれて千里は大きく溜息をついた。
「あのねぇ、大体あたしはまだ学生なのよ!高校2年なの。お見合いしたって仕方ないでしょ。この先進学するかもしれないんだし」
 脱力したようにそう言う千里に、
「あら、別に今すぐ結婚しろって言うわけじゃないのよ。それに、別に学生結婚しちゃってもいいんだし」
と母親はおっとりとした口調のままとんでもない事を言い出した。
 ほら見てちょうだい、と釣書きまで出してきて事細かに千里に説明をしだす。
 将来有望、容姿も上ランク。なかなかいい“物件”だ。確かに。
 だが、
「そういう問題じゃなくて! それにあたしにだって―――」
 好きな人が居るんだから――と、勢いあまって続けようとしたが、それを口に出す事は出来なかった。
 そんなことを言ってしまえば過保護な両親のことだ、相手の事など根掘り葉掘り聞かれるに違いない。
 その上、色々ばれたとしたらややこしくなる事は必死だ。
 ペンダントトップとして身につけている指輪を思い出し、千里は胸の辺りでぎゅっと手を握り締める。
 黙りこんだ姿に、余程怒っているのかと思ったらしい父親は、
「まぁ、ちさの言い分も判ったけど、向こうさんだってわざわざこっちまで来てもらってるんだから、な?」
と機嫌を取るような猫なで声で千里に話しかける。
「もう、今回だけだからね!」
 結局、翌日千里はお見合い相手の彼と尾道市内観光に行く事になった。


■■■■■


 ペンダントトップを握り締めて、千里は1つ、大きく息を吸う。
 そして、覚悟を決めるようにそれを服の下にしまいこんで約束の場所へと足を踏み入れた。
「千里さん」
 駅前近くにある喫茶店に入ると彼がすぐに千里に向かって手を振っている。
 今日はスーツではなくTシャツの上に綿シャツを羽織り下は履きこなれたジーンズと言う至極カジュアルな服装だった。
―――24歳とかいう話だけど、こういうカジュアルな服装をするとまだ大学生と言っても通るよね。
と、千里ははにかむような笑顔を自分に向けている彼の姿を冷静に評価していた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
 里帰りに騙されて強引にお見合いをさせたのは千里の両親の企みであって彼には全く非はない。それどころか、わざわざ東京から尾道までやって来た彼に申し訳ないと思う気持ちも確かにある。
 だが、それでも今日の市内散策と言う名のデートに気乗りがしない。
「取りあえず、行きましょうか?」
 とにかく今日一日の我慢だと自分に言い聞かせて、千里は何とか取り繕った笑顔で彼に向かってそう言った。
 とりあえず千里が考えてきたのは尾道駅から歩いて尾道映画資料館へ、その近くで昼食を済ませロープウェイで千光寺公園へ行き公園内にある市立美術館や尾道ゆかりの作家や詩人の詩歌が刻まれた文学碑の並ぶ小道を歩いてまた駅近辺に戻るという観光コースだった。
「っていう予定なんですけど?」
 千里が大まかに説明すると、彼は、
「嬉しいです。千里さんがわざわざ考えてきてくれるなんて」
とニコニコしている。

―――変な人。

 照れ隠しのように千里はぼそっと、心の中で呟いた。
 考えて来たも何もごくごく平凡な尾道の観光コースと言ったらそんなものしか思いつかなかっただけの話しだ。
 気乗りがしないせいか、あまり愛想のない千里に気を悪くする様子もなく彼は紳士的であったし優しかった。
 ロープウェイに乗る時など手を引いてエスコートしてくれたし、文学の小道の辺りではつまずきそうになった千里をそっと支えてくれた。
 接する時間が長くなるほど、彼の誠実な人柄が感じられて千里はだんだんと彼に対して罪の意識を感じ始めた。
 どれだけ彼がいい人だと思っても、それでも千里の心の中には決まった人が居るから。
 除夜の鐘で有名な千光寺の驚音楼で街を見下ろしている横顔を見つめていた千里は胸を指す痛みにそっと蓋をするように手のひらを胸元へと添えた。
 その時だった。
―――え!?
 感触に違和感を覚えて千里は慌ててネックレスのチェーンを襟元から外に出す。
「ち、千里さん?」
 千里の様子が可笑しい事にすぐに気付いた彼は、呆然としている千里の両肩に手を置く。
「どうしたんですか?」
「指輪が……ペンダントトップにしてた指輪がないのっ。どこで落としちゃったんだろう―――やだ、探さないと!」
「千里さん。落ち着いて。最後にそれを確認したのはどこで?」
 パニックに陥り動揺している千里に彼は聞く。
「確か、ロープウェイを下りた時にはあった筈だから―――」
「じゃあ、ロープウェイからここに来るまでの間って事ですね」
 そういうと、彼は膝が汚れるのも構わずに率先してそこらじゅうを探し始めてくれた。
 
 指輪を探し始めて2時間以上経ちだんだん陽が傾き始めた。
―――もう、諦めた方がいいのかな……
 これ以上暗くなってしまえばもう――と、千里が諦めかけたその時だった。

「千里さん!」

 少し離れた場所にいた彼が大きな声で千里の名前んだ。
 立ち上がった彼の指先には見覚えのあるプラチナの指輪。
「はい。大切な物なんですよね?」
 そっと、千里の手のひらに彼が指輪を置く。
「っ……ありがとう」
 そういうと、千里はぎゅっと手のひらの中の指輪を握り締めた。
 この指輪だけが今は自分の事を忘れてしまっている恋人と自分を繋いでいると千里は信じていたから。涙が溢れて止まらなかった。
「千里さん、良かったですね」
 そういって優しい目で微笑む彼にこれ以上嘘はついてはいけないと千里の心が告げる。

 結局、千里は結局彼に恋人との経緯など全ての事を打ち明けた。


■■■■■


 予定より遅くなってしまったからと彼は千里を実家の前まで送ってくれた。
「今日は本当にありがとうございました」
 千里はわざわざ実家の前でタクシーを降りた彼にそう言って深々と頭を下げた。
「いえ。こっちこそ、楽しかったです。帰りのロープウェイの中で夜景を見ながら『あぁ、これが千里さんが生まれて育った街なんだな』って思ったり―――」
 その言葉に千里の心がきゅっと、小さな音をたてる。
「千里さん―――貴女には大切な人が居るってこと、打ち明けてもらいましたよね?」
 千里は彼の言葉に首を振った。
「―――それでも、貴女の事がもっと知りたいとそう思いました。その恋人を想っている貴女を含めて」
 初めて会ったときからずっと微笑んでいた彼の真剣な眼差しに千里は返す言葉を失った。
「じゃあ、今度はまた東京で。おやすみなさい」
 それだけ言って彼は再びタクシーに乗り込む。
 テールランプが見えなくなるまで千里は家の中に入らなかった。
 いや、入れなかった。

 ソレデモ、貴女ノ事ガモット知リタイト思イマシタ

 彼の言葉が何度も頭の中で響き、千里は胸の奥がその度ざわざわと微かに揺れ動くのを感じた。


「ちさちゃん、お土産持った? 忘れ物はないわよね? あ、新幹線の中で食べる物とか飲み物買ってこないと」
 ホームまで見送りに来た母に千里は苦笑いを浮かべた。
「お土産は持ったし、財布と携帯はあるからもしも忘れ物があったら送ってくれればいいし、食べ物も飲み物も新幹線に載ってからでも買えるから大丈夫よ」
「それもそうね」
 相変わらずおっとりした口調で相打ちを打つ母にそう答えると、新幹線の発車を告げるアナウンスが流れる。
「じゃあ、そろそろ行くね」
 行きよりも随分増えた荷物を持って千里は乗り口へと向かう。
「ちさちゃん」
 名前を呼ばれて振り向く。
 何かを言いたそうな表情の母に、
「また電話するから」
と言って千里は新幹線へと乗り込んだ。

 肩に掛かった荷物は重かったが、その足取りは男の子と見まがうばかりに短くなった千里の髪のように軽やかだった。