|
女装コンテスト 2005
■オープニング
ある日の午後のことだった。
買い物に出かけていた零が帰って来て見せたのは、一枚のチラシだった。
『第二回 女装コンテスト!
前回好評につき、某月某日。午前十一時より、あやかし町商店街・買い物広場にて、女装コンテストを行います。テーマは「歴史上の人物」。優勝者にはなんと、家族で韓国旅行をプレゼント! 年齢不問。ただし、出場者は男性に限ります。
出場者は当日午前九時までにあやかし町商店街振興組合会館に集合のこと。当日受付いたします。なお、衣装などはご自分でご用意下さい。ただし、メイクについては、必要な方は申し出て下さい。こちらでスタッフを用意させていただきます』
チラシには、そう書かれている。主催は、あやかし町商店街振興組合となっていた。更に下の方に小さく、女性のメイクスタッフ募集の項目もあった。こちらは事前に申し込み、前日にミーティングを行うとある。
「零、まさかまた、俺に出場しろって言うんじゃないだろうな?」
以前、一回目の女装コンテストに零の頼みで出場したことを思い出し、嫌な顔をして尋ねる草間に、零は邪気のない笑顔を向ける。
「はい。だって前はこれで、ハワイへ行けましたし、私今度は韓国へ行きたいです」
力一杯うなずいて答える零は、最近、韓国の歴史ドラマにはまっていた。
草間は思わずこめかみを押さえるが、期待に満ちた目でじっと零に見詰められ、とうとう根負けした。しかし。
(こんな恥ずかしいこと、一人でできるか! 他の奴らも巻き込んでやる!)
草間は、胸の中で拳をふり上げ、以前と同じことを叫んで、かたっぱしから友人・知人に電話し始めるのだった。
■女装プランは慎重に
電話を切って、何人かを参加させることに成功したらしい草間を見やって、シュライン・エマは小さく溜息をついた。
(零ちゃんのためとはいえ、よくやるわね……。こんなことやっていて、癖になったりしなきゃいいけど)
思わず胸に呟く彼女に、草間は怪訝な顔でふり返る。
「なんだ?」
「別に」
小さく肩をすくめて答える彼女は、二十六歳。本業は翻訳家だが、普段はこの事務所で事務員として働いている。すらりとした長身の体にパンツルックを着こなして、長い黒髪は後ろに束ねてまとめてあった。胸元には、メガネが鎖で吊り下げられている。
当然ながら、この日も彼女は仕事で草間の事務所にいた。そして、女装コンテストのことを聞いたのである。
草間が女装するのは今回が初めてではない。以前にも一度、零に頼まれ、ハワイ旅行をゲットするために、やはりあやかし町商店街が主催するコンテストに参加していた。そして、シュラインは少しだけそのことに危惧を抱いている。
(でも……その方がある意味、安心なのかしら。他の女性が寄って来なくなるかも。……いえでも、そしたら今度はそっちの趣味のある男性が……)
煩悶するうち、ついつい怖い考えになって行く彼女である。が、それをなんとか頭の中から追い出して、気を取り直して呟く。
「でも、出るならしっかりやらなきゃね。前回も綺麗だったし、がんばって優勝めざしましょ」
そして、草間に声をかける。
「武彦さん、それで今度はなんの女装をするつもりなの?」
「まだ何も考えてない。……っていうか、そんなこと楽しげに考えられるかよ」
事務所のソファに腰を下ろし、草間はむっつりと返して来た。
シュラインは、自分の取り越し苦労に内心苦笑しつつ、天井をふり仰いで考える。やがてふと、閃いた。
「歴史上の人物なら、クレオパトラは? 顎の線もかつらで隠せるし、喉もアクセサリーで隠せて、衣装も肩幅、それほど気にならない形だと思うの」
「クレオパトラ……ねぇ」
草間は顔をしかめたまま、やはり嫌そうに返す。だが、それを聞いていた零は、目を輝かせた。
「クレオパトラですか! それは素敵です!」
「零ちゃんも、そう思う?」
シュラインは、笑顔で返すとさっそく、衣装などのことを考え始める。
「衣装やかつらは、知人のモデルや舞台関係者に借りられないかどうか、私が訊いてみるわ。そうそう、足の爪の手入れもしておいた方がいいわよね。コンテストの少し前からは、足のむくみが出ないように、マッサージして、肌の状態も保っておかないと」
「おい、シュライン……」
「うわーっ、本格的ですね!」
渋い顔で何か言いかける草間を遮るように、零が楽しげな声を上げる。
「そう。優勝するためには、本格的にやらないとね」
笑顔でうなずくシュラインに、草間は深い溜息をついた。
そこへやって来たのは、叶遙だった。茶色の髪と緑の目の、ほっそりして小柄な彼は、十七歳。高校生である。バスケットボール部に所属していて、普段は部活で忙しいらしいが、たまに暇になると、ここへ遊びに来るのだ。
「なんか賑やかだけど、何?」
「あ、遙さん。……お兄さんが、これに出場することになって、どんなかっこうをするか、シュラインさんと一緒に決めていたんです」
声をかけられて言うと、零はあのチラシを彼に見せる。
「へぇ。優勝したら韓国旅行に行けるのか」
「はい! 素敵でしょう?」
「……だな」
チラシを何度か読み直す遙の目が、次第に輝き始めた。韓国旅行に、興味がないわけではないらしい。
「なんなら、おまえも参加するか?」
草間がふいに声をかけた。
「え?」
驚いたように顔を上げた遙は、途端に頬を赤くする。
「やだよ、女装なんてそんな、かっこ悪い」
「でも、韓国旅行に行きたいんだろ?」
「そりゃ……」
思わず言い澱む遙を見やって、シュラインは小さく溜息をついた。
「武彦さん、ライバルを増やしてどうするのよ」
「いいだろ、別に。参加したからって、優勝するとは限らないさ」
草間は、一人でも自分と同じ恥ずかしい思いをする仲間を、増やしたいらしい。シュラインは、チラシを睨みつけるようにして悩んでいる遙を見やって、再度溜息をついた。
■受付にて
やがて、女装コンテストの当日がやって来た。
シュラインは、草間と零の二人と共に、受付時間の少し前に、あやかし町商店街振興組合会館の前に到着した。
彼女と零は、メイクスタッフとして、今日のコンテストに参加することになっている。だから本当はここで並ぶ必要はないのだが、一緒に入って草間のメイクの手伝いをするつもりなのだ。
受付の前には、すでに長い列ができており、その中に草間が先日、電話で参加を呼びかけたメンバーもいた。
「草間さん、零さん、シュラインさん、こっちです」
彼女たちを見つけて、列の後ろの方で手をふっているのは、マリオン・バーガンディだ。一見すると十八歳前後にしか見えない彼だが、実際はすでに二百年以上もの時を生きている。短い黒髪と金色の目をしているが、その目は今は色つきのメガネで隠されてしまっていた。小柄な体に、ポロシャツとズボンというかっこうで、手には大きめのスポーツバッグを提げている。
「おはよう。早いのね」
「そうでもないですよ」
歩み寄って行くシュラインたちに返して、マリオンは隣に立っているシオン・レ・ハイを同意を求めるように見上げた。
「ええ。ついさっき、来たところですからね」
シオンもうなずく。こちらは、四十前後と見える長い黒髪と青い目の、長身でがっしりした男だ。その顎から、以前はあったはずの髭が消えている。
「お髭、剃ったんですか?」
目ざとく気づいて、零が尋ねた。
「ええ。女装するのに、さすがに髭があっては、興ざめだと思いまして」
楽しげにうなずくシオンも、手には今日の衣装が入っているらしい紙袋を提げていた。
「気合入ってるよな。……でも、韓国旅行は俺のもんだからな」
横から遙が口を出す。
「お手柔らかに頼みます」
シオンは、幾分答えに困ったように、それでも柔和な笑顔を見せて返した。
その時、受付が始まったのか、列がゆっくりと動き出した。それを見やって、シュラインは草間や零と共に、最後尾に並ぶ。受付では、名前と住所、誰に扮するのかを書かされた後、写真を撮られるようだ。
やがて、ようやく彼らの番が近づいて来たころ、草間が誘った中で一人だけ遅れていた空木崎辰一が姿を現した。短い黒髪に青い目の彼は、二十八歳。一見すると「背の高い女性」としか見えない溜息坂神社の宮司だった。
「遅いぞ」
「すみません。道が混んでいたものですから……!」
言いながら駆け寄って来て、彼女たちの後ろに並ぶ。
そうして彼女たちも受付を終え、先に中に入って待っていた他のメンバーと合流した。むろん、辰一も一緒だ。更衣室の部屋割りは、続いて入ったせいなのか、全員が同じ部屋にあるブースに割り振られている。
「これなら、更衣室の行き来ができますね」
それぞれの更衣室番号を見やって、シオンが何気なく言った。途端、マリオンが言い出す。
「それなら、私は草間さんの化粧をしてあげるのです」
「え? でもおまえ、自分の支度があるだろ。俺はシュラインと零が手伝ってくれるし」
「いいえ。私も手伝うのです。ぜひ、やらせて下さい」
驚いて言いかける草間を遮り、マリオンは断固とした口調で言う。よほど、草間の化粧をやりたいらしい。小さく溜息をついて、困ったようにこちらをふり返る草間に、シュラインは言った。
「手伝ってもらいましょ。私と零ちゃんはスタッフとしての仕事があるから、あんまり長くはいられないし、人手は多い方がいいわ」
「ありがとうございます。がんばって手伝いますから」
マリオンは、うれしそうに頬を紅潮させて言う。
そんな彼らに、辰一が声をかけて来た。
「あの、ところで草間さん、僕の衣装はどうなってますか? そちらで用意してくれるって言ってましたよね?」
実は彼については、草間が誘う時に、「女装コンテスト」を「仮装大会」と教え、しかも衣装はこちらで用意すると言ってあったらしい。結局、彼のための衣装もシュラインが用意したのだが……。
(女装嫌いだって聞いたけど、大丈夫かしら)
シュラインはそう思いつつも、草間に促されて、彼のために用意した衣装の入ったカバンを差し出す。
「ありがとうございます。……どんな衣装か、楽しみです。じゃあ、僕はお先に」
彼はそれを受け取り、楽しげな足取りで、更衣室の方へと消えて行った。それを少しだけ複雑な思いで見送り、シュラインは草間と零、それにマリオンをふり返る。
「私たちも、行きましょうか」
そして、同じ方向へと歩き出した。
■決戦(?)準備
更衣室は、一つの広い部屋を衝立とカーテンで仕切って、いくつかのブースに区分けしたもので、一室につき八つあった。中には等身大の姿見と、ハンガー、あとはメイクなどをする時のためのものなのだろう。折りたたみ式の丸テーブルと椅子が用意されている。
草間と零の二人と一緒に、その一番奥のブースに入ったシュラインは、さっそくカバンの中から衣装やアクセサリー、かつら、メイク道具を取り出した。ほとんどは知人のモデルに借りたものだ。衣装は、零がハンガーにかけて壁に吊るす。
そこへ、自分のブースに荷物を置きに行っていたマリオンが戻って来た。
「へぇ。草間さんは、クレオパトラですか」
壁にかけられた衣装を見やって、彼が感心したような声を上げる。
「ああ。シュラインの提案でな」
草間がうなずいた。
人手もそろったし、そろそろ用意をとシュラインが草間をふり返った時だ。すごい勢いで、ブースのカーテンが開けられた。
「草間さん! 僕をはめましたね!」
怒鳴るなり、ずんずんと中に入って来て草間に詰め寄ったのは、辰一だ。
(ああ……。やっぱり、大丈夫じゃなかったわけね)
シュラインは、思わずこめかみを押さえて胸に呟くが、もう遅い。止める暇もなく、辰一は草間の胸倉をつかみ、絞め上げた。
「女装なんて、聞いていませんよ! どういうことなんですか? 説明して下さい!」
「わ、悪かった。すまん。謝るから、手を離せ……」
謝る草間に、彼はやっと手を離す。解放されて、草間は激しく咳き込んだ。
「大丈夫? 武彦さん。でも、こればっかりは自業自得よ」
「けど……女装コンテストだなんて言ったら、空木崎は参加しないだろうが」
背中をさすってやりつつも、戒めるシュラインに、草間はやっと咳を収めて返す。
「当たり前です! 僕がしょっちゅう女性に間違われて、ひどい時には男だって言っても信じてもらえなくてナンパされたりしてるのは、草間さんだって、知ってるじゃないですか! それなのに……!」
叫ぶ辰一の肩と拳が、ふるふると震えている。一瞬、シュラインをはじめとするその場の面々は、彼の背後に炎が燃えているのを見たような気がした。だが、それは本当に一瞬のことだった。すぐに彼はがっくりと肩を落とすと、力なく呟く。
「しかたがないです……。出場すると約束したからには、参加しますよ……」
そうして、踵を返すと、ふらふらとそこを出て行った。
その背を見送り、草間がポツリと呟く。
「ちょっと、可愛そうなこと、しちまったかな」
「そう思うんなら、後でもう一度ちゃんと謝ったら?」
シュラインが、幾分冷たく返す。
「そうだな。そうするよ」
草間も、本気で反省したようにうなずいた。
それへ、ずっと静観を決め込んでいたマリオンが声をかける。
「そろそろ、用意を始めませんか? でないと、シュラインさんも零さんも私も、自分の仕事に間に合いませんよ」
「そうね。始めましょうか」
シュラインも、気を取り直してうなずいた。ずっと固唾を飲んで見守っていた零も、やっと安堵したのか、すぐに支度を始める。
ドレスに着替えた草間に、化粧を施し、アクセサリーをつけさせ、最後に長い黒髪のかつらをつけて、その上に翼ある蛇を飾った冠をつけて、出来上がりだ。
ちなみにメイクは、シュラインとマリオン、零の三人で交代しながらやった。他人の顔――それも男の顔にメイクを施すのは、存外楽しい。
今回はシュラインが、肌荒れを起こさないように気をつけさせて――煙草はともかく、他のストレスになりそうなものは控えさせ、更に事務所で言っていたとおり、爪や足の手入れまで怠りなくやったせいで、草間の肌はいつになくすべすべだ。もちろん、事前に無駄毛の処理も行ったので、用意が終わった時には、草間はまさに見違えるような姿となった。
実際、かなり大柄ではあるが、それでも「美女」と呼んでさしつかえないように見える。
身にまとうドレスは、抑えたレモン色で、胸にはパットも入れた。喉元から肩をおおい、胸元へとヨーク状に飾られた豪奢なネックレスは、赤と青のピースを交互に規則的に並べたもので、胸元には大きな緑色のスカラベが飾られている。なよやか……とはいえないものの、健康的に伸びた剥き出しの腕には、ネックレスと同じデザインのブレスレットが飾られ、耳にはスカラベをモチーフとしたイヤリングが揺れていた。
メイクもエジプト風で、アイラインをくっきりと描き、まぶたの上にはラメ入りの青いアイシャドウが入れられている。むろん、まつげはマスカラのおかげで長さもボリュームもアップしていたし、唇はなんとも官能的に仕上がっていた。
「お兄さん、素敵です」
「私たち、いい仕事したわね」
「ええ。素晴らしいできです」
零は、うっとりと草間を見詰めて呟き、シュラインは額の汗を拭ってマリオンと笑い合う。その後、姿見の前で出来栄えを確認した草間自身も、まんざらでもないようだ。
「なんか、すげぇな。自分じゃないみたいだぞ」
そんなことを言いつつ、しげしげと鏡に映る自分の姿を見やっている。
シュラインは、小さく苦笑した。が、腕時計を見やって、慌てる。
「私、そろそろ行かないと。……零ちゃん、急ぎましょ。武彦さんも、がんばって」
零と草間にそれぞれ声をかけると、彼女は慌ててそこを飛び出して行った。
■コンテストの乱
午前十一時。
あやかし町商店街の中程にある広場に、今日のために特設された会場で、女装コンテストが始まった。
参加者たちは、そこに作られた舞台の上でそれぞれポーズを決めたり、歩き回ったりする。所要時間は一人につき五分から十分程度だろうか。
舞台に一番近い所には、審査員席が設けられており、そこから少し開けて、一般客用の観覧席になっている。メイクスタッフとしての仕事を終えたシュラインと零も、そこにいた。
パイプ椅子を並べただけの席は、ほとんどが埋まってしまっている。
司会者がエントリーナンバーと名前、そして扮装している歴史上の人物名を呼び上げるたびに、舞台には参加者たちがしゃなりしゃなりと現れる。同時に舞台奥に設置されたスクリーンには、彼らの女装前の顔写真が映し出された。使われているのは、受付で撮られた写真だろう。審査員たちは、それを参考に参加者たちの女装度をチェックするというわけだ。
ちなみに、エントリーナンバーは、受付した順番ではないらしい。
草間と共に参加したメンバーの中で、一番最初に登場したのは、シオンだった。
(あら。シオンさんも、クレオパトラだったのね)
司会者が読み上げた名前に、シュラインは軽く目を見張る。
舞台に登場したシオンは、なかなか堂々とした美女ぶりを発揮していた。同じクレオパトラでも、彼の衣装は白で、その上に蜘蛛の巣を思わせるような形にスパンコールがつけられている。喉元から胸元のあたりまでは、スパンコールをあしらったレースで、うまく太い首や喉仏、胸などをカバーしていた。肩には鎧を思わせるような銀色の飾りがつけられ、そこから背中に向かって、レースのマントが長く尾を引いている。髪は自前だろう。いつもは束ねているのをそのまま背に流し、頭頂に蛇の飾りのあるスパンコールつきの白いヘアバンドをはめていた。
その姿で、静かに舞台中央まで歩み出ると彼は、やおら体をくねらせるようにして、奇妙な踊りを披露し始めた。それまでにも、歌や踊りを披露する参加者もいるにはいたので、そのこと自体には問題はなかった。ただ――。
(な、なんなの? あの踊り……)
シュラインは、目を見張ったまま、硬直する。
と、客席のどこからか、笑い声が漏れた。それにつられるようにして、客席に笑いが広がって行く。隣で、零も肩を震わせ、笑い出した。シュラインも、たまらず吹き出す。
舞台上では、まだシオンが踊り続けていたが、司会者が止めたので、彼は踊るのをやめた。そして、爆笑の渦に包まれている場内を、怪訝な顔で見やっている。その表情がおかしくて、シュラインは更に笑いの発作を煽られた。
笑いすぎて、お腹が痛い。涙まで出て来た。それは、彼女だけではないらしく、隣では零が同じように笑い続けており、場内のざわめきもなかなか止まない。おかげで、シオンの次に舞台に現れた参加者は、まったく精彩を欠いたままだった。
ようやく笑いが完全に収まったのは、シオンから三人目にマリオンが現れた時だ。
マリオンは、帝政ロシアの皇女アナスタシアだという。なんとなくレトロな感じの淡い青のドレスで、肩から胸元のあたりは、ケープのようにも見えるヨークでおおわれている。金色の巻毛のかつらに、ドレスと対の帽子をかぶり、上品なパラソルをさした姿は、本物の少女といっても、充分通用する。
(なかなか、悪くないわね)
シュラインも、思わず溜息を漏らした。
彼から三人ほど置いて、今度は遙の名前が読み上げられる。女装は、静御前だ。
「遙さんの女装は、私が提案しました。どんなふうになっているのか、楽しみです」
零が、目を輝かせて言う。
「そうなの。彼の静御前なら、案外可愛いかもね」
シュラインは、笑って返した。今回、彼女たちはどちらも、草間と一緒に参加したメンバーのメイクは担当していない。なので、草間以外の者たちの女装を見るのは、今が初めてだ。
ところが、司会者が名前を読み上げても、遙はなかなか出て来ない。
(どうしたのかしら)
シュラインは、思わず眉をひそめた。周りの観客も、小さくざわめき始めている。
と、やっと出て来た遙は、ひどい恰好だった。白拍子の扮装らしいが、白い水干の胸元は、なぜかはだけたままで、緋色の袴は裾がかなり長いため、踏んずけては、何度もころびかけている。かつらはなんとか頭に収まっているが、立烏帽子は微妙にゆがんでいた。化粧も、よく見れば変だ。まるで、途中で手を止めて出て来た、という感じである。
彼は、舞台の袖で、慌ててそれらを直そうとし始めた。だが、うまく行かない上に、長いかつらの端が、前に垂れて来てやりにくいらしい。とうとう、苛立ったように片手でそれをふり払った。と、その拍子に彼の体は前につんのめり、ちょうど手助けしようと近寄って来ていた、司会者の体にぶつかった。
「うわっ!」
司会者は、体をねじるような形で舞台袖の方に倒れかけ、なんとか踏みとどまろうとして、必死に頭上から袖を隠すように垂れている幕の一部をつかんだ。その途端。頭上をおおう天幕が軽く揺れて、半分ひしゃげるような形になった。続いて垂れ幕が落ちて来る。司会者は、舞台の上に転倒し、その上に遙も折り重なるように倒れた。その二人の上に、落ちて来た垂れ幕がかぶさる。
この時点で、会場はちょっとした騒ぎになった。審査員たちが立ち上がり、二人を助けようと、何人かが舞台の上へと駆け上がる。だが、それがちょうど、幕の下から這い出して来た遙にぶつかった。すっかりパニック状態になっている遙は、相手かまわずすがりつく。が、すがりつかれた方も驚き、一緒になってまた舞台上に倒れてしまう。それを助けようとして近寄った者がまた……と、堂々巡りだ。
「どうしましょう、シュラインさん。このままじゃ……」
零も立ち上がり、おろおろとシュラインをふり返る。
「とにかく、みんなをおちつかせるのが先決よ」
シュラインも言って、立ち上がった。パニックになっている人々を正気づかせるには、大きな音を立てて注意を促すのが、一番いい。幸い、シュラインはヴォイスコントロールに優れた喉を持っている。サイレンのような声を上げれば、騒ぎを鎮められるだろう。
彼女が、声を上げようと息を吸い込み、口を開けた時だ。
「静まりなさい!」
ふいに、鋭い声が響き渡った。途端にあたりは、水を打ったように静まり返る。その中を、ゆっくりと客席の方から舞台に上がって行く者がいた。緋色の艶やかなドレスと、その上からまとった同じ色に金糸のししゅうのある打ち掛けのような上着、そして高く結い上げ、数多の重たげなかんざしに飾られた、きらびやかな髪。それは楊貴妃に違いない。
その衣装に見覚えのあるシュラインは、小さく目を見張った。
(まさか……でも……)
衣装から導き出される答えにとまどいながら、彼女はただ、その人物を見守っている。と、その人は舞台へと向かう階段の途中で、こちらをふり返った。
「空木崎さん……!」
シュラインは、思わず声を上げた。そう。きれいに化粧されているものの、その顔は紛れもなく空木崎辰一その人のものだ。
「あんなに女装を嫌がっていたのに……」
呆然と呟くシュラインの隣で、零も驚いたように目をしばたたかせている。
他の者たちも、とまどっているようだ。しかし、辰一はそれには頓着せず、まるで本物の楊貴妃のように昂然と頭をもたげて、舞台上をふり返った。
「そこな者ども、何を恐慌に陥っているのですか。しっかりしなさい。早く、幕の下敷きになった者たちを助け、崩れた天幕を直しなさい。見苦しい」
呆然と突っ立っている審査員や、コンテスト運営の関係者とおぼしい男たちを、威厳に満ちた静かな声で叱りつける。すると彼らは、まるで本物の女王に命じられたかのように、慌てて走り回り始めた。
ほどなく落ちた幕の下にいた者たちは助け出され、崩れた天幕も直される。遙と司会者の男は、舞台裏に設置された控室へと連れて行かれた。
その一部始終を、辰一は女王然として、舞台へ向かう階段の途上から、ただじっと見守り続けている。
そんな彼の姿に、シュラインは思わず零と顔を見合わせたのだった。
■エンディング
騒ぎの後、どうにか女装コンテストは再開された。そこで辰一はさらに女王然とふるまって、その美しさと共に、観客と審査員を魅了した。
おかげで彼の後に登場した者たちは、全体的に影が薄くなってしまった。草間は、そんな中では健闘していた方だろう。
終了後に発表された結果は、おおかたの予想どおり、辰一が審査員たちの絶賛と共に優勝した。ちなみに、草間は二位である。また、シオンはあの奇妙な踊りがウケて、特別賞をもらった。
終了後、一同は遅い昼食を取るために、会場近くの喫茶店に入った。シュライン、草間、零、辰一と、マリオン、シオン、遙の二組に分かれて、通路を挟んで隣り合ったテーブルに腰を下ろす。
料理を口に運びながら、シュラインは少しだけ複雑な気分だった。辰一の優勝は当然だと思うものの、あんなに女装を嫌がっていた彼が、あそこまでなり切ってしまったことが彼女には理解できない。だから、もしもこれで草間も女装癖がついてしまったら、どうしようかと、またもや気になり始めたのだった。とはいえ、二位を勝ち取ったのは、自分と零とマリオンの努力の賜物だという気もする。
(そのあたりの心境の変化を訊いてみたいけど……)
彼女はちらりと、斜め前の席にいる辰一を見やった。そして、胸に小さく吐息を落とす。
(とても、そんな雰囲気じゃないわね)
たしかに今の辰一は、他の話題であっても声をかけるのをためらってしまいそうなほど、がっくりと落ち込んでいるようだ。優勝してタダで韓国旅行ができるのだから、普通なら喜びそうなものだが、草間に騙されて参加したあげくのことでは、それもしかたがないのかもしれない。
(そっとしておくのが、一番よね)
シュラインは、そう決めて、また料理を口に運ぶ。
草間もきっと、似たようなことを考えているのだろう。二位とはいえ、商品としてこの商店街にある高級料理店のお食事券がペアで当たったのだから、もう少しはしゃいでもよさそうなものだが、黙って料理をたいらげることに専念していた。
だが、零だけは違っていた。
「空木崎さん、韓国へ行ったら、写真をたくさん撮って来て下さいね。それに、お土産もお願いします」
オレンジジュースを最後まで飲みきってしまうと顔を上げ、辰一に言う。
「零……!」
慌てて草間が声を上げるが、零はきょとんとそちらを見やっただけだ。
辰一は、顔を上げて力なく微笑む。
「そうでしたね……。韓国旅行があるんでした……」
呟いて、どこかヤケになったように明るい笑顔を作った。
「いいですよ、零さん。僕が韓国旅行ができるようになったのも、全部草間さんのおかげですからね。なんでも言って下さい。零さんには、お望みのものを買って来て差し上げますよ」
「空木崎……」
草間が、手にしていた箸を落として、思わず情けない声を上げる。おそらく彼の耳にそれは、呪いの言葉と響いただろう。いや、シュラインにもそう聞こえた。
しかし、何も気づかない零は、無邪気に喜びの声を上げている。一方、草間は青ざめたまま、凍りついてしまっていた。
その二人と辰一を見比べて、シュラインは思わず溜息をつく。
(武彦さんは、自業自得ね。でも……とりあえず、空木崎さんにも呪いだけはかけないように、頼まなくちゃ)
辰一が本物の符術師だったことを思い出し、シュラインはやれやれともう一度溜息をついた――。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4164 /マリオン・バーガンディ /男性 /275歳 /元キュレーター・研究者・研究所所長】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /びんぼーにん(食住)+α】
【2029 /空木崎辰一 /男性 /28歳 /溜息坂神社宮司】
【5180 /叶遙 /男性 /17歳 /高校生】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
ライターの織人文です。
私の依頼に参加いただき、ありがとうございました。
優勝は、空木崎辰一さまとなりましたが、コンテストの順位に関しましては、
他意はございませんので、ご了承のほど、よろしくお願いします。
それでは、少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
●シュライン・エマさま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
今回は、ちょっと傍観者的立場になってしまったかな……という感じですが、
いかがだったでしょうか。
それでは、これからもよろしくお願いいたします。
|
|
|