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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


女装コンテスト 2005

■オープニング
 ある日の午後のことだった。
 買い物に出かけていた零が帰って来て見せたのは、一枚のチラシだった。
『第二回 女装コンテスト!
 前回好評につき、某月某日。午前十一時より、あやかし町商店街・買い物広場にて、女装コンテストを行います。テーマは「歴史上の人物」。優勝者にはなんと、家族で韓国旅行をプレゼント! 年齢不問。ただし、出場者は男性に限ります。
 出場者は当日午前九時までにあやかし町商店街振興組合会館に集合のこと。当日受付いたします。なお、衣装などはご自分でご用意下さい。ただし、メイクについては、必要な方は申し出て下さい。こちらでスタッフを用意させていただきます』
 チラシには、そう書かれている。主催は、あやかし町商店街振興組合となっていた。更に下の方に小さく、女性のメイクスタッフ募集の項目もあった。こちらは事前に申し込み、前日にミーティングを行うとある。
「零、まさかまた、俺に出場しろって言うんじゃないだろうな?」
 以前、一回目の女装コンテストに零の頼みで出場したことを思い出し、嫌な顔をして尋ねる草間に、零は邪気のない笑顔を向ける。
「はい。だって前はこれで、ハワイへ行けましたし、私今度は韓国へ行きたいです」
 力一杯うなずいて答える零は、最近、韓国の歴史ドラマにはまっていた。
 草間は思わずこめかみを押さえるが、期待に満ちた目でじっと零に見詰められ、とうとう根負けした。しかし。
(こんな恥ずかしいこと、一人でできるか! 他の奴らも巻き込んでやる!)
 草間は、胸の中で拳をふり上げ、以前と同じことを叫んで、かたっぱしから友人・知人に電話し始めるのだった。

■女装プランは慎重に
 叶遙が、草間興信所にその日足を運んだのは、まったくの偶然だった。
 遙は、十七歳。現役の高校生だ。短い茶色の髪に緑の目をした、ほっそりして背の低い少年である。この体格で、部活はバスケットボールをやっていた。実は彼は、人並はずれた跳躍力の持ち主なのだ。コートに立てば、身長百八十以上のチームメイトたちと変わらないどころか、それ以上の活躍をする。近隣の高校のバスケットボール部員たちの間では、そこそこ知られた存在だ。が、時に遠方の高校と練習試合などすると、たいていが外見で彼を甘く見た対戦相手が、逆に彼に翻弄されて大敗を喫するということも、珍しくなかった。
 そんなわけなので、いつもの彼は部活で忙しく、放課後にそこらをうろついている暇などない。が、この日は珍しく暇で、草間の事務所に遊びに来たのだった。
 中に入ると、ずいぶんと賑やかだ。といっても、そこにいるのは興信所の主、草間武彦と妹の零、そして本業は翻訳家だが普段はここの事務員をしているシュライン・エマの三人だけだった。
「なんか賑やかだけど、何?」
「あ、遙さん。……お兄さんが、これに出場することになって、どんなかっこうをするか、シュラインさんと一緒に決めていたんです」
 声をかけた遙に零が言って、彼にあの女装コンテストのチラシを見せる。
「へぇ。優勝したら韓国旅行に行けるのか」
 内容をざっと読み下して、遙は呟いた。
「はい! 素敵でしょう?」
「……だな」
 力一杯うなずく零に、彼も同意を示す。何度かチラシを読み直すうちに、その目が次第に輝き始めた。韓国旅行に、興味がないわけではないのだ。そもそも彼は、韓国に限らず、まだ海外へ旅行に行ったことがない。だから、タダで海外へ遊びに行けるかもしれない……というのは、ひどく魅力的に思える。
「なんなら、おまえも参加するか?」
 そんな彼に、草間がふいに声をかけた。
「え?」
 驚いて顔を上げた遙は、途端に頬を赤くする。
「やだよ、女装なんてそんな、かっこ悪い」
「でも、韓国旅行に行きたいんだろ?」
「そりゃ……」
 草間にたたみかけるように言われて、遙は思わず言い澱んだ。
 それを見やって、シュラインが小さく溜息をつく。
「武彦さん、ライバルを増やしてどうするのよ」
 咎めるように言う彼女は、二十五、六歳だろうか。すらりと長身の体には、パンツルックをまとい、長く伸ばした黒髪は後ろで一つに束ねている。胸元には、鎖で吊るされたメガネが下がっていた。
「いいだろ、別に。参加したからって、優勝するとは限らないさ」
 草間が返す。
 だが、遙は二人のこのやりとりを、あまり真剣に聞いてはいなかった。改めて手元のチラシを読み直していたのだ。そのまま彼は、事務所のソファに腰を下ろす。チラシをしつこく眺め続けながら、あれこれと考えを巡らせた。
(韓国か……。あっちの食い物っていうと、ビビンバとか焼肉とか……? いいな、それ。焼肉腹一杯食って、あと、ギョーザとかシューマイとか……って、それは中華だっけ?)
 思考がついつい食べ物の方を向いてしまうのは、しかたがない。育ち盛りの男の子なのだ。
(でもなあ……。女装ってのがどうもこう、引っかかるよな。もしこれで優勝して韓国旅行へ行けたとしてもさ、将来プロのプレイヤーになった時、スポーツ新聞とかに『高校時代に女装コンテストで優勝した経験がある』な〜んて書かれたりしたら、かっこ悪いもんなあ)
 はあと溜息をついて、彼は夢想めいたことを考える。彼の将来の夢は、プロのバスケットボールプレイヤーになることなのだ。
 そうやって、あれやこれやと考えたあげく、それでもとうとうコンテストに参加することを彼は決意した。理由は……韓国へ行って焼肉とビビンバを腹一杯食べる、という目標をたった今、決めたためだ。
 我に返って顔を上げ、あたりを見回すと、いつの間にか室内はずいぶんと薄暗くなっており、目の前には草間が一人、煙草をふかしているだけだ。
「あ、あれ?」
 零とシュラインはどうしたんだろうと、遙は思わずあたりを見回す。
 そんな彼に、草間は小さく溜息をついて口を開いた。
「零は夕飯の支度、シュラインは帰った。……で? どうするんだ、それ」
「え? ああ……。俺も参加するぜ。韓国旅行は、俺がいただきだ!」
 問われてうなずくと、遙はガッツポーズと共に高らかに宣言する。
「……まあ、がんばってくれ」
 草間は、少しだけ引きつった笑いを浮かべて呟いた。
 そこへ、二人の話し声を聞きつけたのか、零が台所から顔を出した。
「遙さん、今夕食作っているんですけれど、食べて行きますよね?」
「ああ、くれるんなら、もらうよ。わりぃな」
 悪びれない態度で答えて、遙はふと思いつき、訊いた。
「ところでさ、俺もこの女装コンテストに出ることにしたんだけど、誰の扮装したらいいと思う? ちょっと、知恵を貸してくれよ」
 言われて零は、しばらく考えた後、言った。
「静御前なんてどうでしょう。今年は義経もちょっとしたブームみたいですし、ポピュラーな人物だから、わかりやすくていいんじゃないでしょうか」
「静御前か……」
 呟く遙の脳裏に、昔マンガか何かで見た、静御前の姿が浮かぶ。白拍子の姿をして、踊っている図柄だった。
(あれなら、演劇部の奴にでも頼めば、衣装も借りられそうだよな)
 胸に呟き、彼はうなずく。
「よおし。それに決めた。俺は、静御前になるぜ!」
 再び高らかに宣言した彼は、すでに優勝を手にしたかのように、不敵に微笑むのだった。

■受付にて
 やがて、女装コンテストの当日がやって来た。
 遙は意気揚々と、あやかし町商店街へと向かった。手にしたスポーツバッグの中には、演劇部に無理を言って貸してもらった、静御前の衣装やらかつらやらが入っている。
 受付が行われる振興組合会館は、商店街のはずれにある。そこを目指して、商店街の中を歩いている途中、遙は前方に見覚えのある男の姿を見つけた。たしか、草間から誘われて、同じようにコンテストに参加することになった、シオン・レ・ハイだ。
 彼は、四十前後だろうか。長身でがっしりした体を派手な衣服に包み、長くした黒髪は後ろで一つに束ねている。さほど親しくはないが、草間の事務所で顔を合わせたことぐらいはあった。
 遙が声をかけると、笑顔で歓迎してくれたので、横に並んで歩き出しながら、尋ねる。
「なあ、あんたも韓国旅行、狙ってるクチか?」
「ええ、まあ……」
 シオンは曖昧にうなずいたが、遙は彼が照れているのだと勝手に決め込み、大きくうなずいた。
「だよなあ。でなきゃ、女装なんてかっこ悪いこと、人前でできねぇよな」
 断定的に言う彼に、シオンはまた曖昧な笑顔を見せる。それをふり返り、遙はふと奇妙な違和感を覚えた。何か、以前に会った時とシオンの印象が違っている。
 彼がそれについて考えようとした時、二人を呼び止める声がした。足を止めてふり返ると、マリオン・バーガンディが立っていた。彼も、草間に誘われた内の一人だ。
 一見すると、遙と変わらない年齢に見える。小柄な体に、短くした黒い髪、金色の目に白い肌の、実際は二百年以上を生きているという長生者だ。絵画の修復などの仕事をしているらしい。ポロシャツとズボンというかっこうで、手には大きめのスポーツバッグを提げ、色付きのメガネをかけていた。
 遙たち三人は、やがて振興組合会館の前へとたどり着いた。そこにはすでに、長い列ができている。彼らは、その最後尾に並んだ。
 そこへ、草間と零、シュラインの三人が姿を現した。
 シュラインと零は、今日はメイクスタッフとして参加することになっていると、遙は聞いていた。むろん、その前に草間の着替えやメイクをやってしまうつもりだろうが。
「草間さん、零さん、シュラインさん、こっちです」
 マリオンが、草間たちに向かって手をふった。
「おはよう。早いのね」
 彼らに気づいて、歩み寄って来たシュラインが言う。
「そうでもないですよ」
 それへ返したマリオンが、同意を求めるように隣に立つシオンを見上げた。
「ええ。ついさっき、来たところですからね」
 うなずくシオンに、零が尋ねる。
「お髭、剃ったんですか?」
「ええ。女装するのに、さすがに髭があっては、興ざめだと思いまして」
 うれしそうに、シオンが笑ってうなずいた。
 そのやりとりに、遙はやっと違和感の正体に気づいた。たしかに、前に会った時にはあったはずの髭が、シオンの顎から消えている。彼は、思わず横から口を出した。
「気合入ってるよな。……でも、韓国旅行は俺のもんだからな」
「お手柔らかに頼みます」
 シオンは、幾分答えに困ったようだったが、それでも柔和な笑顔を見せて返す。
 その時、受付が始まったのか、列がゆっくりと動き出した。それを見やって、草間たち三人も最後尾に並ぶ。
 やがて遙は、名前と住所、誰に扮するのかを書かされ、その場で写真を撮られて、変わりに更衣室の番号が書かれた札を渡されて、中に通された。彼の前にいたマリオンとシオンは、すでに受付を終えて、中にいた。
「草間さんたちを、待ちましょうか」
 シオンが受付の方をふり返って言う。
「そうだな」
 遙も賛成した。それで三人は、そこで草間たちが受付を済ませるのを待つことになった。
 ややあって、草間たち三人が中に入って来た。いや、彼らだけでなく、もう一人、短い黒髪に青い目の二十七、八歳ぐらいの青年が一緒だ。青年といっても、ちょっと見は「背の高い女性」とも見える。溜息坂神社の宮司の、空木崎辰一だった。
(こいつ、本物の女じゃねぇのか?)
 遙は、彼を見やって思わず心の中で叫んだ。たしかに、胸はない。が、世の中にはスレンダーな女性だって、たくさんいるだろう。
(いやでも、辰一って男の名前じゃん。ってことは、やっぱ男か……。草間も、こんな奴誘うなんて、ずりぃぞ。勝ち目ないじゃんかよ)
 思わず心にぼやき、それからまた一人、かぶりをふった。
(いいや。ここで弱気になったら負けだ。勝負はなんだって、実際に戦ってみなけりゃ、わかんねぇんだからな)
 などと、自分で自分を叱咤する。
 草間たちが合流したので、彼らは更衣室の部屋割りを見せ合った。続いて入ったせいなのか、全員が同じ部屋にあるブースに割り振られている。
「これなら、更衣室の行き来ができますね」
 それぞれの更衣室番号を見やって、シオンが何気ない口ぶりで言った。聞くなりマリオンが言う。
「それなら、私は草間さんの化粧をしてあげるのです」
「え? でもおまえ、自分の支度があるだろ。俺はシュラインと零が手伝ってくれるし」
「いいえ。私も手伝うのです。ぜひ、やらせて下さい」
 驚いて言いかける草間を遮り、マリオンは断固とした口調で言う。草間は、小さく溜息をついて、困ったようにシュラインをふり返った。それへシュラインが言う。
「手伝ってもらいましょ。私と零ちゃんはスタッフとしての仕事があるから、あんまり長くはいられないし、人手は多い方がいいわ」
「ありがとうございます。がんばって手伝いますから」
 途端にマリオンが、頬を紅潮させて返した。
 そんな彼らに、辰一が声をかけて来た。
「あの、ところで草間さん、僕の衣装はどうなってますか? そちらで用意してくれるって言ってましたよね?」
 それへ草間に促されて、シュラインが二つ提げていたカバンの一方を差し出す。
「ありがとうございます。……どんな衣装か、楽しみです。じゃあ、僕はお先に」
 辰一はそれを受け取り、楽しげな足取りで、更衣室の方へと消えて行った。その後ろ姿を見送っていたシュラインが、草間たちをふり返る。
「私たちも、行きましょうか」
 言われて、草間と零、それにマリオンが辰一が消えたのと同じ方角へ歩き出した。
「俺たちも行こうぜ」
 シオンを促し、遙も歩き出す。いよいよこれから、準備開始だった。

■決戦(?)準備
 更衣室は、一つの広い部屋を衝立とカーテンで仕切って、いくつかのブースに区分けしたもので、一室につき八つあった。中には等身大の姿見と、ハンガー、あとはメイクなどをする時のためのものなのだろう。折りたたみ式の丸テーブルと椅子が用意されている。
 遙は中に入ると、スポーツバッグの中から衣装を取り出した。緋色の袴に、白い単と水干、足袋に草履、長い黒髪のかつらと、立烏帽子が一式だ。水干を着てしまえば、胸がないのはわからないだろうと、パットなどは用意していない。メイクは、受付でスタッフを頼んで来たので、それまでに衣装を身に着けてしまう方がいいだろうと、遙は考えた。
 さっそく、それらをハンガーで壁に吊るした後、姿見の前に立つ。しかしながら、衣装を身に着けるだけで、彼にとってはなかなかの骨だった。
 着る順番や方法は、貸してくれた演劇部の者から教わっていたものの、一人でやるのはまた、勝手が違う。
「う〜っ!」
 思わず低いうなり声を上げてしまったのは、いくらやっても単がうまく着られないせいだ。これを着られなければ、次に進めない。
(おっかしいよな。演劇部の部室で教えてもらった時には、簡単にできたのに……)
 心の中でぼやきつつ、その時のことを思い返して、何度もチャレンジするものの、一向に埒が明かない。
 やっと単を着終わったころには、彼は汗びっしょりになっていた。続いて、袴に足を通す。これはさすがに、比較的簡単に履けた。裾がかなり長いので、移動の時には気をつけないといけないが、そのさばき方も演劇部員から伝授されているので、問題ない。
 が、そこでふいに彼は、足袋を先に履くべきだったことに気づいた。
(袴脱ぐのも、面倒だしな)
 少し考え、結局彼は椅子に腰を下ろすと、袴の裾をたくし上げ、なんとか足袋を履いてしまう。それから再び立ち上がって、今度は水干を手にした。しかし、これがまたどういうわけか、うまく行かない。
 四苦八苦していたところへ、「失礼しま〜す」と声がかかって、メイクスタッフの女性がやって来た。シュラインか零なら手伝ってもらうのに、と一瞬考えた遙だったが、入って来たのはまったく知らない女性だった。だが、彼がまだ着替え中なのを見やって、出て行こうとする。
「ま、待ってくれよ。その……悪いけど、これ着るの、手伝ってくれない?」
「あたしぃ、メイクスタッフなんですけどぉ〜」
 女性は、出て行きかけた体を半分もどして、いかにもいやそうに言った。
「それはわかってるけど、これ、一人じゃ着るの、難しいんだよ。な?」
 背に腹は変えられないと、遙はひたすら低姿勢で頼み込む。女性は、しかたなくうなずいて、ブースの中に戻って来た。それから、意外とてきぱきした動作で、彼に水干を着せかけ、着付けてくれる。
 遙は、その手際に感心して、ほとんどなされるままだ。しかし、後で考えてみれば、そもそもここで着るのを手伝ってもらったのが、いけなかったのだ。
 どうにか着替えが終わって、ようやくメイクに入ったものの、女性はしきりと時間を気にして、腕の時計を何度も見やっていた。だが、とうとう、彼の顔に下地とファンデーションを塗り終わり、まぶたにシャドウのベースとなる色を入れ始めたあたりで、女性はふいに手を止め、メイク道具をかたずけ始めた。
「あ、あの……ちょっと……?」
 遙がいくら化粧の手順に疎くても、その行動はあまりに唐突で奇異だった。しかし、彼のとまどいなど、女性は眼中にないようだ。
「あたしぃ、もう一人メイク頼まれてる人がいてぇ、これ以上君のをしてると、そっちが間に合わないんだぁ〜。ごめんねぇ〜」
 言うなり女性は、メイク道具を手に、風のように遙のブースから立ち去った。
 取り残されて、彼はただ呆然とする。しばらくして、気づいて姿見で自分の顔を映してみると、それはなんだか面のようだった。まぶたの上だけがわずかに色を乗せられているものの、後は白っぽい肌色のファンデーションを塗りたくられているために、かえって表情がないように見えるのだ。
「どうすんだよ、これ……。こんな顔で、コンテストに出ろってのかよ……」
 呆然と呟いたものの、いい知恵は浮かばない。ここには化粧道具などないし、たとえあったとしても、彼にはこの先をどうしていいのかもわからないのだ。
 ただ鏡の前に立ち尽くす彼の耳に、ロビーに集合を促す無情なアナウンスが聞こえて来たのだった。

■コンテストの乱
 午前十一時。
 あやかし町商店街の中程にある広場に、今日のために特設された会場で、女装コンテストが始まった。
 参加者たちは、そこに作られた舞台の上でそれぞれポーズを決めたり、歩き回ったりする。所要時間は一人につき五分から十分程度だろうか。
 舞台に一番近い所には、審査員席が設けられており、そこから少し開けて、一般客用の観覧席になっている。零とシュラインは、メイクスタッフの仕事を終えて、そちらにいるはずだった。
 パイプ椅子を並べただけの席は、ほとんどが埋まってしまっている。
 司会者がエントリーナンバーと名前、そして扮装している歴史上の人物名を呼び上げるたびに、舞台には参加者たちがしゃなりしゃなりと現れる。同時に舞台奥に設置されたスクリーンには、彼らの女装前の顔写真が映し出された。受付で写真を撮られたのは、このためだったのだ。審査員たちは、それを参考に参加者たちの女装度をチェックするというわけだ。
 一方、参加者たちの方は、舞台の後ろに作られた控室で自分の順番が来るまで、待機している。控室とはいっても名ばかりで、小学校の運動会にでも使うようなテントの下に椅子が人数分並べられているだけの簡単な作りのものだったが。
 ちなみに、エントリーナンバーは、受付した順番ではないらしく、この会場に来て初めて番号札を渡された。
 遙は、しようがないのでメイクしかけの顔のまま、その控室の椅子に座っていた。しかし、頭の中では必死に、これをどうにかしないと……と考え続けていた。
 周りを見回すと、同じように待機している男たちの中には、それなりにさまになっている者も、二度と見たくないような、不気味な姿になり果てている者もいた。
 むろん、草間や彼に誘われて参加した仲間たちもいる。
 草間はクレオパトラに扮していた。抑えたレモン色のドレスをまとい、喉元から肩をおおい、胸元へとヨーク状になった豪奢なネックレスを飾っている。剥き出しの腕には、ブレスレットがはめられ、耳にはスカラベをモチーフにしたイヤリングが揺れていた。ちなみに、ネックレスは赤と青のピースを交互に規則的に並べたもので、胸元に大きな緑色のスカラベがはまっていた。黒く直ぐな髪は、かつらだろう。そこに、翼ある蛇を飾った冠を頂いている。メイクもエジプト風だ。
 マリオンの扮装は、遙にはなんなのかわからなかった。肩から胸元のあたりが、ケープのように見えるヨークでおおわれた、レトロな感じの淡い青のドレスをまとっている。金色の巻毛はかつらだろうが、その上にそろいの青い帽子が載っていた。手には、やはりそろいのパラソルを提げている。メイクも自然で、周囲が女装した男ばかりだというのに、椅子に座しているさまは、まるで一人だけ本物の美少女が紛れ込んでしまったかのような錯覚を起こさせた。
 一方、少し離れた場所に座っている辰一の扮装は、楊貴妃だろう。緋色のドレスに、同じ色に金糸のししゅうのある打ち掛けのようなものをまとい、高く結い上げた黒髪のかつらに、いくつものかんざしが豪華に揺れている。メイクも赤を基調としたもので、その目で見詰められれば、相手が男とわかっていても、ぞくぞくしそうだ。赤く塗られた唇は、ただ話しているだけで、なまめかしい。しかしそれでいて、女王然とした気品が存在している。
(ああ……。みんな、メイクもちゃんとしてもらって、綺麗だよなあ……)
 彼らの姿を見やって、遙は思わず溜息を漏らした。つと顔を上げると、近くに座っていたシオンと目が合う。彼も草間と同じ、クレオパトラの扮装らしかった。ただし、こちらは白を基調としている。ドレスは、喉元から胸元のあたりまでは、スパンコールをあしらったレースで、うまく太い首や喉仏、胸などをカバーするようになっており、全体は蜘蛛の巣を思わせるような形にスパンコールがつけられていた。肩には鎧を思わせるような銀色の飾りがつけられ、そこから背中に向かって、レースのマントが長く尾を引いている。髪は自前のようだ。束ねてあったのをほどいて、そのまま背に流し、蛇の飾りのあるスパンコールつきの白いヘアバンドをはめている。むろん、メイクもばっちりだ。
 遙は、腹立たしいのと照れくさいのが無い混ぜになって、思わず口を開いた。
「ったく、参るぜ。メイクスタッフを頼んでたんだけどよ、途中でほっぽって帰りやがって……。どうすんだよ、これ。あんた、化粧できねぇ?」
「私には無理です。でも、シュラインさんか零さんに、お願いしてみたらどうでしょう。たぶん、客席の方にいるんじゃないでしょうか」
 少し考え、シオンが言う。それでやっと遙も、二人のことを思い出した。
「あ、そうか。そうだよな。……じゃ、ちょっと行って来る」
 彼は立ち上がると、長い袴の裾をたくし上げ、慌てて控室を後にする。そのまま、客席側へ足を向けたのだが、途中で急にトイレに行きたくなった。コンテストはまだ始まったばかりで、彼の順番までにはしばらくあるし、今行かなければ、ずっと我慢するはめになるかもしれない。シュラインと零の二人がかりならば、メイクにもそんなに時間はかからないだろう。彼はそう決め込んで、トイレを探す。
 トイレは、特設舞台の裏手の、少し離れた場所にあった。男性用に飛び込んだものの、彼ははたと気づいた。
(これ……どうすりゃいいんだ?)
 袴にはいわゆる前立ての部分がないので、ズボンを履いている時のようなわけには行かない。帯を緩めて下ろすとなると、個室に入るしかないだろう。なんだか急に惨めな気分になりながら、遙は個室の一つに入った。たぶん、水干を脱ぐ方が、やりやすいのだろうが、そうするとまた着るのが大変なので、とりあえず上にたくし上げ、袴の帯を解いた。
 そこのトイレは、公衆のそれにありがちな汚れはあまり目につかなかったが、それでも衣装を汚さないように、細心の注意を払いつつ、用を足す。
 それですっきりしたのはよかったが、水干を着たまま、袴を引き上げて帯を締めるのは、下ろす時よりずっと手間だった。何度やってもうまく行かない上に、衣装を汚さないように気を遣っているため、よけいに時間がかかる。
 しかたなく彼は、とりあえず袴を手で押さえて、そこを出た。人目につくのもいやなので、トイレの裏手のブロック塀との間に入って、再度袴に挑戦する。が、うまくできたと思ったのも束の間、水干の裾を一緒に締めてしまい、引き出そうと苦心するうちに、とうとう着崩れてしまった。鏡がないので、はっきりとはわからないものの、かなりぐちゃぐちゃらしいのは、察せられた。
「ったく、なんでこんなに面倒なんだよ!」
 泣きたい気持ちで悪態をつき、水干を脱ぐ。改めて袴を履き直し、水干を着た。しかし、やはり今一つ着付け方がよくわからない。あの時、メイクスタッフの女性は、どんなふうに着せてくれたのだろうか。懸命に思い出そうとするものの、焦れば焦るほど、かえって頭の中は真っ白になって、訳がわからなくなって行くばかりだ。
 その時、誰かが自分の名前を呼んでいる気がして、彼は手を止めた。
「遙さん! 叶遙さん、いませんか!」
 たしかに、自分を呼んでいる。聞き覚えのない声だが、とりあえず遙は返事をした。それを聞きつけて姿を現したのは、コンテストの進行係らしい男性だった。
「何してるんですか。そろそろ出番ですから、来て下さい」
「え……。でも、あの……」
 どう返していいのかわからず、遙は口ごもる。
「出番に間に合わないと、棄権とみなしますよ」
 幾分苛立った口調で、ぴしゃりと言われて、遙はしかたなく男に従った。ここまで来て、舞台に上がらずして棄権とみなされるなど、いやだった。しかし。
(メイクは途中のままだし、衣装もぐちゃぐちゃだし、棄権したっておんなじじゃないか)
 惨めな気持ちで、ふとそんなことを思う。控室で見た中には、ずいぶんと不気味な女装の男もいたが、それでも今の自分よりは、マシなんじゃないだろうかとも思った。
(どうしよう……)
 だが、悩む間にも足は動いて、いつの間にか彼は、舞台の裏手から袖へと登る階段の傍までたどり着いていた。
「あの……」
 彼は、ようやく決心して口を開きかけた。が、進行係の男は慌てた様子で、彼の背を押した。
「はいはい、いいから登って下さい。袖についたら、名前を呼ばれるまで、そこで待っていて下さいね」
 有無を言わせない口調だ。遙は、あきらめてしかたなく階段を登った。
 舞台の上には参加者が一人いて、歩き回っており、袖にはもう一人の参加者がいる。遙の出番は、この男の次らしい。こうなったらせめて、衣装だけでもちゃんと調えようと、彼は再び、水干と取っ組み始めた。
 だが、時間は無情に過ぎて、すぐに彼の番が来た。名前と彼が扮した人物名が読み上げられたが、それでも彼は、未練がましく水干をいじっている。後ろから、先程の進行係の男に注意されて、やっと彼は舞台に出た。たくし上げた袴の裾を下ろすのは、かろうじて忘れないですんだ。しかし、せっかく演劇部員から教えてもらった裾さばきの方は、すっかり忘れてしまっている。おかげで、長すぎる袴の裾を何度も踏んで、ころびかけた。
 客席からは、笑い声などは聞こえて来ないが、遙は恥ずかしさで一杯だった。再び、衣装だけでもちゃんとしようと、舞台の袖で足を止めて、水干を着直そうと奮闘し始めた。だが、やはりうまく行かない。その上、今までは気にならなかったのに、長いかつらの端が前に垂れて来て、やりにくいと感じる。
(ええい! もうっ!)
 苛立って、彼は片手でそれをふり払った。と、その拍子に彼の体は前につんのめり、ちょうど手助けしようと近寄って来ていた、司会者の体にぶつかった。
「うわっ!」
 司会者は、体をねじるような形で舞台袖の方に倒れかけ、なんとか踏みとどまろうとして、必死に頭上から袖を隠すように垂れている幕の一部をつかんだ。その途端。頭上をおおう天幕が軽く揺れて、半分ひしゃげるような形になった。続いて垂れ幕が落ちて来る。司会者は、舞台の上に転倒し、その上に遙も折り重なるように倒れた。その二人の上に、落ちて来た垂れ幕がかぶさる。
 この時点で、会場はちょっとした騒ぎになった。審査員たちが立ち上がり、二人を助けようと、何人かが舞台の上へと駆け上がる。だが、それがちょうど、幕の下から這い出して来た遙にぶつかった。すっかりパニック状態になっている遙は、相手かまわずすがりつく。が、すがりつかれた方も驚き、一緒になってまた舞台上に倒れてしまう。それを助けようとして近寄った者がまた……と、堂々巡りだ。
 誰もが、いったいどうすればいいのかと、半ば呆然とし、そして本当のパニック状態に陥りかけていた。その時。
「静まりなさい!」
 ふいに、鋭い声が響き渡った。途端にあたりは、水を打ったように静まり返る。その中を、ゆっくりと客席の方から舞台に上がって行く者がいた。緋色のドレスと打ち掛け、高く結い上げた髪は、楊貴妃だろうか。舞台へと向かう階段の途中で、客席をふり返ったその顔は。
「空木崎さん……!」
 誰かが低く叫ぶ声を、舞台の上でパニック状態になったままの遙は、たしかに聞いたと思った。それは、空木崎辰一だった。
 誰もが、彼が何をするつもりなのかと、とまどっている中、当の辰一はそれには頓着せず、まるで本物の楊貴妃のように昂然と頭をもたげて、舞台上をふり返った。
「そこな者ども、何を恐慌に陥っているのですか。しっかりしなさい。早く、幕の下敷きになった者たちを助け、崩れた天幕を直しなさい。見苦しい」
 呆然と突っ立っている審査員や、コンテスト運営の関係者とおぼしい男たちを、威厳に満ちた静かな声で叱りつける。すると彼らは、まるで本物の女王に命じられたかのように、慌てて走り回り始めた。
 ほどなく落ちた幕の下にいた者たちは助け出され、崩れた天幕も直される。遙も司会者と共に助けられ、控室へと連れて行かれた。幸い、どこも怪我はしていないようだったが、かつらも立烏帽子も取れてしまって、ぐちゃぐちゃだ。衣装もしわくちゃになっている上に、すっかり汚れてしまった。
 しかし、今の彼にはそれをどうしようかと考える気力すらない。ただ呆然と、そこに座っているだけだった。

■エンディング
 騒ぎの後、どうにか女装コンテストは再開された。そこで辰一はさらに女王然とふるまって、その美しさと共に、観客と審査員を魅了した。
 おかげで彼の後に登場した者たちは、全体的に影が薄くなってしまった。草間は、そんな中では健闘していた方だろう。
 終了後に発表された結果は、おおかたの予想どおり、辰一が審査員たちの絶賛と共に優勝した。ちなみに、草間は二位である。また、シオンは特別賞をもらった。舞台で踊りを披露したのが、観客にウケてのことらしい。
 終了後、一同は遅い昼食を取るために、会場近くの喫茶店に入った。シュライン、草間、零、辰一と、マリオン、シオン、遙の二組に分かれて、通路を挟んで隣り合ったテーブルに腰を下ろす。
 遙は、とうてい食べる気にはなれず、コーヒーだけを注文した。あの後、コンテストの主催者側から、こってり絞られてしまったのだ。
(あんなに怒らなくてもいいじゃないか。俺だって、悪気があってやったわけじゃないんだし……)
 そうは思うものの、一時は観客まで巻き込んで、パニックに陥りかけたのだ。多少叱られても、無理はないだろう。とりあえず、そっちはもう済んだことだからまだしも、借りた衣装をどうしたらいいのだろうかと考えると、さすがの彼も、食べ物が喉を通らない。
 どういうわけか、マリオンも元気がなくて、やはりコーヒーを頼んだ。楽しそうに日替わりランチを注文したのは、シオンだけだ。
 やがて彼とマリオンのコーヒーと、シオンの日替わりランチが運ばれて来た。
 コーヒーに砂糖だけ入れて飲もうとしていて、遙はふと、頭が疲れた時には、甘いものがいいと聞いたことがあるのを思い出す。
(そうだよな。俺って普段、あんまし頭使わねぇし……疲れて、よけいにいい考えが浮かばないのかもな。よし!)
 心の中で大きくうなずき、彼はクリームをたっぷり入れ、更に砂糖を追加した。かき混ぜて、口をつけると、とんでもなく甘ったるいシロモノと化している。普段の彼なら、絶対に飲まないような味だ。しかし今は、ためらいもせずそれを一気飲みする。
 カップをテーブルに戻して、やっと彼は周囲を見やった。マリオンは、暗い顔つきでコーヒーを口に運んでおり、対照的にシオンは幸せそうな顔で日替わりランチをぱくついている。それを見ているうちに、なんだか遙も空腹を感じ始めた。
 と、隣のテーブルで、零が辰一に韓国土産をねだっている声が聞こえて来る。
(韓国か……。惜しかったよなあ)
 胸に呟くと同時に、脳裏に焼肉の美味そうな映像が浮かび、途端に急激に空腹感が襲って来た。
(俺も、なんか食い物頼もうかな。腹が減っては戦はできぬ、とも言うし)
 そんなことを考えていると、ふいにマリオンが大きな溜息をついた。驚いて、遙はそちらをふり返る。シオンが食事の手を止め、声をかけた。
「どうしたんですか? 溜息なんかついて」
「いえ、なんでもありません。……シオンさんは、うれしそうですね」
 マリオンに言われて、大きくうなずいたシオンが、笑顔で答える。
「ええ。韓国旅行はだめでしたけれど、特別賞の商品として、商品券がもらえましたからね。しばらくは、この商店街で食事や買い物をすれば、お金がなくてもなんとかなりますから」
「そうですか。それは、よかったですね」
 マリオンは笑顔で返しているが、それは、いかにも気のないただの相槌だとわかるものだった。
(あ……。もしかして、シオンが特別賞もらったの、やっかんでるのかな)
 遙は、ふと気づいて胸の中で呟く。ちらと見やると、シオンはまったく気にしていないふうだ。
(案外あんた、大物かもな)
 心の中でシオンに呼びかけ、遙もやっと笑顔になった。
(起きちまったことは、もうどうにもならないもんな。くよくよしても、しかたない。借りた衣装とかのことは、そうだなあ……なんとかきれいならないか、後でシュラインにでも、訊いてみるか)
 そんなふうに思い巡らせる。そして、食べ物を注文するべく、テーブルの上にあったメニューを広げ始めるのだった――。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5180 /叶遙 /男性 /17歳 /高校生】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4164 /マリオン・バーガンディ /男性 /275歳 /元キュレーター・研究者・研究所所長】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /びんぼーにん(食住)+α】
【2029 /空木崎辰一 /男性 /28歳 /溜息坂神社宮司】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
私の依頼に参加いただき、ありがとうございました。
優勝は、空木崎辰一さまとなりましたが、コンテストの順位に関しましては、
他意はございませんので、ご了承のほど、よろしくお願いします。
それでは、少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

●叶遙さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
女装についての指定がありませんでしたので、
こちらで「静御前」とさせていただきました。
なんだか、一人だけひどい目に遭わせてしまったようで、
申し訳なかったですが……少しでも楽しんでいただければ、うれしいです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。