|
古書の海
■古書店
月坂(つきさか)と言う、なだらかな坂がある。
名前の通り、夜に上っていくと見事に月の映えるたたずまいをしている。
江戸、もしくは明治、大正といった古い時期に出来た建物がまだ多く残っている一画でもある。
無論、修繕や改築などを経てはいるが、住人や所有者の多くは建物の元の姿を維持しようと努めてきたのだ。
それだけ、建物自体が人々に愛されてきた町なのである。
その月坂の上に、一軒の古書店がある。
神月堂古書店、と。そう軒に看板がかかっていなければごく普通の民家と変わらない。
周囲の家々と同じく、都内にしては割と大きな純和風建築だ。
「商い中」の木札が下がった引き戸をガラリと開ければ、古びた紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐる。
店の中は明るすぎない程よい照明で、天井近くまでそびえる棚には古今の書物が分野別に並べられている。
カウンタのある奥を透かし見れば、更に続く本の海が垣間見える様だ。
レジスターすらないカウンタはむしろ、店と奥との単なる境にしかなっていない様にも思える。そのカウンタでさえ、年代物の木製の文机なのだ。
何もかもが古い。
入り口を入ったところで、セレスティは車椅子を止めた。書棚と書棚の間は余裕を持っているようだが、そのまま進んで支障がないか判断に迷ったためだ。
立って行った方が安全か、否か。
考えている内にカラリと奥の戸が開き、そこから影が滑り出た。
「あら。いらっしゃいませ」
艶やかな黒髪の少女である。戸口から半身だけを覗かせた拍子に長い髪がさらさらと背中から零れ落ちる。
にこりと笑みを形作った少女は、次いで困った様に眉根を寄せた。
「申し訳ないのだけれど、虫干しの最中なんです」
言われてみれば確かに、棚には空きが目立つ。
「もし何か本をお探しでしたら、奥を探して参りますけれど」
「夏野」
少女の声を遮る様に、低く艶を帯びた声音が空気を震わせた。
いつの間にか、長身の青年が棚に凭れて腕を組んでいる。黒い髪をした、色白の青年である。
「柊」
呼ばれた青年は少女が更に言葉を言い募る前に顔を顰めた。
「俺は行かないぞ」
店の奥――おそらくは書庫――に探しに行くのが嫌だということか。
青年が行くにしろ少女が行くにしろ、今日は探している本があって訪れたのではない。
「何か探している本がある、という訳ではありませんから、それには及びませんよ。お気遣いありがとう」
微笑み、店内の様子を今一度じっくりと探る。
「置かれている品は、やはり日本のものが多いのですか?」
棚の間に車椅子を進めながら、セレスティは少女と青年とを交互に見た。どちらかが主なのか、にわかには判断し難い。無論、他に店主が存在している可能性も否定できないのだが。
「えぇ。造りが和風なものですから、自然とお客様もそういった物をお持ちになります。洋書もありますけれど、やはりほとんどが和書・訳書ですね」
「最近の新刊や文庫も扱うが、年代の古い物の方が多い。古書店、だからな」
なるほど、と相槌を打つ。
青年の言葉にはどことなく「古書店」という名称に対する誇りの様なものが窺えた。余程この店に思い入れがあるのだろう。
「虫干し、と仰っていましたね。よければ拝見させて頂いても? 蔵書をどのように管理されているのかもお聞きしたいですし」
この問いは青年へ向けたものだった。問われた青年はといえば、虚をつかれたかの如く目を見開いて絶句している。
少女が耐え切れぬ風にくすりと笑い声を上げ、青年がどう答えるのか面白そうに見守っている。助け舟を出す気は毛頭ないらしい。
セレスティはおや、と首を傾げた。
青年がセレスティの問いに対して驚いている事はわかる。だが、どうして青年が驚いているのかがわからない。
「……見るだけなら」
■本と少女と青年と
やがて青年がため息と共にそう吐き出し、驚きの理由については語られることはなかった。
「もしかして無理を言ってしまいましたか?」
本来は客に公開する物でもないのかも知れない。ただ、青年の口調には単に客を中へ入れるのを躊躇う事以上の含みがあったように感じられたけれども。
「いえ。見ていて楽しいかは保証できませんけれど。――申し遅れました。坂井夏野(さかい・なつの)、と申します」
「柊(ひいらぎ)」
ぺこりとお辞儀をする少女とは対照的に、青年は棚に凭れたまま名を告げたのみだった。
それでもセレスティを拒む気はないらしく、カウンタの奥を腕で示す。
「セレスティ・カーニンガムと申します。よろしく」
流石にカウンタの奥へ車椅子で進入することは出来ず、セレスティはステッキに頼る事になった。屋内の移動ならばこれで何とかなる。
夏野が出てきた戸の向こうは、渋味のある板張りの廊下になっていた。中も純和風の造りだ。
右手には水周り、左手には客間らしき部屋がある。
「あちらが書庫です。数が多いので、作業自体はこちらの部屋でしています」
客間の前で一旦立ち止まり、廊下の奥にある戸を指して夏野はセレスティを振り返った。
「では、私はこちらで拝見させていただきます」
余りあちこちを見たがっても申し訳ない。ステッキを使って歩き回るのも体力を使う。作業が見られるのならば、客間にいた方がいいのだろう。
寛いでいて下さい、と煎茶と和菓子とを出した後に夏野は部屋を出て行った。
普段は日当たりのいい庭に面している客間だったが、今日は作業の為に雨戸で日陰を作っていた。爽やかな風が室内を吹き抜けていて心地よい。
柊はセレスティと共に客間に残ったものの、庭からは最も離れた部屋の隅に陣取っていた。出来るだけ庭には身体を向けないようにしている。
「柊さん、でしたか」
「何だ?」
夏野が運んできた書物を一つ一つチェックしながら、柊はセレスティにちらりと視線を向ける。
「古書店は本業ですか? それとも、他になにかお仕事が?」
「夏野は高校生。俺は居候」
手に取っていた本を脇によけ、柊は今度は顔を上げずに答えた。無職だ、という意味の回答だったが、本人は全く気にしていない様だ。
答えを受け、セレスティはどうやら店主は他にいそうだと予想をつけた。現在は所用か何かで留守にしているといったところか。
「セレスティ、と言ったな」
「えぇ。なんでしょう?」
ややあって、柊が口を開く。お茶を啜りながら作業を眺めていたセレスティは、何だろうかと青年の次の言を待った。
「悪いが、この本をそっちの縁側に出してくれないか。――日光が、苦手なんだ」
非常に不本意なのがありありと分かる、歯切れの悪い声音だった。
初対面の人間に弱点を晒すのが嫌なのは誰にとっても同じだ。それをせざるを得ない事に、青年が苦痛を感じているのは考えるまでもなかった。
だが、不遜な態度をそれでも崩さない柊が、どこか微笑ましくもある。
「それぐらいならお手伝いできそうです。こちらでいいんですね?」
セレスティ自身もそうだが、目の前の青年が尋常の人でない事はわかっていた。それは相手も同じだろう。日光が苦手ということは、夜に属する者か。
少量ずつ本を縁側へ移動させながら、セレスティは柊が含みのある物言いをした事について思いを巡らせていた。
確実に、書庫に入る事に対しての躊躇いだった、あれは。
夏野が平然と出入りしているということは、それほど危険があるとも考えにくい。だが、何かしらの曰くはありそうだ。
けれども今目の当たりにしている本たちはどれも通常の古書ばかりで、妙な気配を持っているものはない。
「先程、私が書庫を見たいと言った時にためらっておられましたね。ここには普通の本ばかりがあるようですが、何か珍しい現象を見せてくれるような物も所蔵していらっしゃるんでしょうか?」
訊ねてみるのが一番の近道だろうと結論づけ、セレスティは一通り本を運び終えると柊へにっこりと笑いかけた。
はっと顔を上げた柊はその勢いのままに口を開きかけ、しばしの逡巡の後に苦い表情で口を閉ざした。
「関係ない」とでも言おうとし、弱点を晒してあまつさえ手伝わせた事に対してそれは流石に対応として拙いと考えたか。
意味無く本を手の内で弄び、柊はそれをやや乱暴に放り出すと壁に背中を預けた。
「バレる様な物言いをしたのは俺だしな」
夏野が戻ってくる様子はまだ、ない。
「店に出してるのは見たとおり普通の本だ。けど、夏野はそれ以外のいわゆる『曰くつき』の古書も扱う。納める書庫は基本的に分けてるが、たまに混ざってることもあるんで、他人はあまり入れたくないんだよ」
言い終えると、柊はすぐさま作業に戻った。この話はこれまで、と全身で表現されてはセレスティもそれ以上突っ込んだ質問はできない。夏野がそれらの品をどう扱うのかも聞いてみたい気はしたが、おそらくそれは叶わないだろう。
しばらくして新しいお茶を持って戻ってきた夏野を交えての会話でも、一切関連した話題は出なかった。柊はもとより、夏野も進んで語るつもりはなさそうだ。
「すっかり長居をしてしまいましたね」
和やかな歓談を挟んでの虫干しも、陽が傾き始めればお仕舞いになる。
「いえ。珍しいものも見れたので」
「珍しいもの?」
セレスティが店を辞する意を告げた後すぐに、柊は奥へ引っ込んでしまった。見送りに出てきたのは夏野だけである。
その夏野の言が理解できず、車椅子に戻ったセレスティは少女を見上げた。
「柊があぁやってお客様の相手をするのが、です。普段は無愛想なんですよ」
困った、と言いながらも夏野はどこか楽しげだ。
確かに、愛想を振りまく客商売には向いていないだろう。だがこの店には、それもまた興を添えている感がある。
「それは光栄ですね。――では」
一礼して微笑み、セレスティはゆっくりと坂を下り始めた。
背後でカラリと、戸の閉まる音が微かに聞こえた。
[終]
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
はじめまして、ライターの神月叶です。
この度はゲームノベル「古書の海」に参加いただきましてありがとうございました。
坂の上の古書店はいかがでしたか?
お手伝いは体力的に無理、とのことでしたので虫干し見学という形をとらせていただきました。
一時の寛ぎをご提供できていれば幸いです。
お気に召しましたらまたのご来店、お待ちしております。
それでは、PC様の今後のご活躍を祈って。
|
|
|