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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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<夏雪草>
花の命は儚ければ儚いほど美しいと思われるものだが、雪のような花があればそれはもうこの世の最たる美しさといえるのではないだろうか。
碧摩蓮のもとには今日もまた一つの小包が届けられていた。
「ふむ、なになに? 夏雪草……か」
小包の受取書に記載されている品名を読んで蓮は「ほぉ」と声をもらした。
「こいつはまためずらしいものが届いたものだな」
包みを無造作に破って中身を取り出す。
手のひらにすっぽりと収まる大きさの白磁の陶器でできた小箱が一つ、麻の紐で封をされて入っていた。
蓮の記憶が確かならばこの中には数粒の種が入っているはずである。
「おや?」
しばし陶器の冷ややかながらもなめらかな手触りと吸い込まれそうな白の美しさを堪能していた蓮だが、ふと重要なものがないことに気づく。
「説明書がないじゃないか」
この夏雪草は非常に育て方が難しく、とてもでじゃないが説明書がなければ花をつけさせることができないのである。困ったことにそれが入っていなかった。
「さすがのあたしもよく覚えてないからなぁ……これじゃ売れないじゃないか」
業者に送り返すなり問い合わせをすればいいのだろうがあいにくと蓮のところにやってくる商品はいくつもの複雑なルートを経由してくるので大元の出先を調べるのは非常に困難なのである。
かといって自分が調べるのもこれまた億劫。
と、なると、
「誰かに育てさせるしかないねぇ」
いかにもめんどくさそうな口ぶりであったがその艶やかな赤い唇は小悪魔のような笑みが浮かべられている。チャームという魔法が存在するならばきっとこの笑みこそがそうなのだろう。
「さて……」
しかして蓮は電話帳を取り出すでもその誰かを捜しに店をあとにするでもなく、カウンターの奥に引っ込んでお茶の用意を始めた。アッサムの良い葉が手に入っているのでそれを淹れようと思い、それから茶菓子がどこかにあったかな、と戸棚をのぞく。
そう、この店は――商品の”縁”に引き寄せられて人がやってくる店なのであった。
シュラインはその日、新しい夏服を買おうと数日前から予定していた。
さらにいうならば目当ての服屋を巡った後のお茶から昼食、草間への差し入れなど今日という日のスケジュールは綿密に、びっちり決めていた。
にもかかわらず、
「……なんでこうなってるのかしら」
ひそやかな雰囲気を持ったなじみの骨董屋の前に彼女は立っていた。
ふぅ、とため息をつきつつもきびすを返すこともなく慣れた手つきで店のドアに手をかける。
「おや、久方ぶりだねぇ」
雑然とした店内の奥にあるカウンターからシュラインに声が届く。夏を間近に控えた外とは反して店内は冷房がないにもかかわらずひんやりとした空気に満ちていた。軽く息を吸い込むと古びた骨董独特の霞んだにおいに混じっておそらくは白檀だろう香のかおりが彼女を包む。
「今日は何の用事なのかしら?」
客の言葉としては不適切な発言なのだろうが、この店においてはその問いかけは慣れた者にとっては至極当然のことである。
「まぁそう慌てるな。少しすれば茶ができる。こっちにきて腰を落ち着けるといいさ」
「まったく……いつだって”ここのコ”たちは急に呼びつけるんだから」
愚痴りはするものの彼女は蓮の勧めに素直に従いあらかじめ用意されていた椅子に腰掛ける。予定を変えられはしたものの案外シュライン自身ここの”誘い”は嫌いではないのだろう。
「砂糖はいるかい?」
「ううん、いらないわ。う〜ん良い香りね」
「ならこれはどうだい?」
そういって蓮は小瓶にはいったドライフルーツを差し出す。
「お茶うけをさがしててみつけてな」
「なんの実かしら……あら、アップルね」
「これを、な」
二、三個紅茶に浮かべる蓮。
「ん……」
ふんわりとアップルの香りがシュラインを包む。ちょっと変わったアップルティのできあがりだ。
しばらくその甘い香りを楽しんでいたシュラインはふとカウンターに列べられたカップをみて疑問に思う。
「ひとつ、多くない?」
自分と蓮、そしてもう一杯分のカップ。そういえば椅子ももう一脚用意されていた。
蓮は彼女の言葉を気にするふうもなく同じように紅茶の香りを楽しんでいる。
と、
「おや、先客がいましたか」
青みがかった銀髪の一見女性と見紛う美を携えた男はカウンターの二人を見ると軽く手をあげた。
「セレスティ。なるほどね、アンタが今回のパートナーってわけか」
「茶が冷める前でよかったな」
「はて? ダンスのお誘いならいつでも引き受けのですが……そういうわけでもないみたいですね」
「残念だけど私の相手は武彦さんしかいないから。ごめんあそばせ」
「アレはいろいろと苦労するぞ?」
「それもひっくるめてだもの」
「たで食う虫も、というやつですよレン」
「なるほどな」
「せめて恋は盲目といってほしいわねぇ」
とまぁそんな会話をしていた三人だが、ポットの中の紅茶がなくなる頃にはしっかりと本題を話し終えて各々考えを巡らせて意見を交換することとなっていた。
「なるほどねぇ。じゃぁ実際に花を咲かせてみせればいいわけね?」
「そうだな。時間はかかるだろうがそこまでしないと商品として売れないからねぇ」
「種の数に余裕はあるのですか?」
「あるにはあるが貴重だからな。あまり失敗はしないようにしてくれ」
「なんの情報もないのに厳しいこというわねぇ」
とりあえずシュラインは種を一粒受け取り、セレスティはというと入れ物自体も気になるからと容器ごと借りることにした。
「それにしてもどんな花が咲くのかしら……蓮さん、そのあたりも覚えてないの?」
種を手のひらで転がしながら尋ねるシュライン。
「そうさねぇ、白い花だったってことは覚えてるんだが……あぁそうだ」
「なになに?」
「どんな形だったかは覚えてないんだが確か全体が白かったような気がするな」
「全体? それは花だけじゃなく茎や葉も含めて、ということでしょうか?」
「あぁ」
そこまでの過程はわからないにしてもこれは有力な情報である。なるほど”雪”と名がつくだけあって白が基調となっている花のようだ。
「なんだかとっても素敵な姿してるみたいね。うん。楽しみだわ」
自分の中でいろいろと想像がふくらんでいるのだろうか、シュラインはどこか陶酔したように目を輝かせながらいった。
「では情報をそれぞれに調べつつ意見交換しながら育ててみるということで」
「そうね。じゃぁ集まった情報は蓮さんに預けるようにしましょう。そのほうが行き違いがなくて確実だし」
「心得た」
そして二人はこれからどうやって育てるかの算段を巡らせながら店を後にしたのだった。
まず初めにセレスティが日課として決めたことは朝目が覚めるとすぐ種に水をやることと、
「おはようセラ」
声をかけてやること。ただ声をかけるだけではつまらないので名前までつけてみたセレスティ。ちなみに”セラ”というのはセラスチウムからとっており、なんとも安直な気はするが自分のセレスティの語頭と似ているのでわりと気に入っていた。
ただし他の人間にこのようなところを見せるのは相当恥ずかしいのか、人前では決して話しかけるようなことはない。ならばそのようなことをせねばよいのだろうがそうすることで少しでも効果があるのならば試してみるにこしたことはない。
さて、今の世の中調べ物をするにはまず図書館、ではなくネットを使うのが当たり前であり便利である。
蓮のところから帰った彼はさっそく”夏雪草”を検索にかけてみた。
すると、
「……あった」
あっけなく目当ての情報は手に入った。なんとも拍子抜けである。
「夏雪草。ナデシコ科セラスティウム属に属し和名は白耳菜草……ふむ、栽培方法は……」
マウスを動かしてさらに詳しい情報を探すセレスティア。
「種まきは九月から十月頃、乾燥ぎみで日当たりのよい場所を好む、か……ん? 花は白く葉は細かい柔毛に覆われた青銀色をしている……」
やはり蓮がいっていたのはこの花のことだろうか。
いやしかし、とセレスティは素直にこの情報にすんなり行き当たったことを喜ぶことをしなかった。
「なんといっても”あのレンの店”にやってくる商品ですからね……こんな一般的な花なわけがない」
とはいえ何の情報もない状況ではここに書いてあることを試すだけの価値はある。本来の時季は違うがそこは文明の力でカバーすれば問題ない。
「それにしても”夏”という名がついていたのである程度の温度が必要なのではないかと心配していたのですがそうではないようでほっとしましたよ。暑いの苦手なんですよね、私」
彼は暑いところや光の強いところに弱い。それは水霊使いであることと極端に低い視力によるものだった。
数枚印刷された紙に目を通しながら「ビデオ録画の用意もしておこう」と考えるセレスティ。やるからにはとことん観察をするつもりなのだろう。”声かけ”もかかすまいと決める。まずは一般的な方法で攻めようというのだ。
「あとはそれに対してどんな”プラスアルファ”が必要なのか、ということですね」
画面に映し出された情報を紙に印刷しながらセレスティはおもむろに陶器を手に取り目を閉じる。
彼は無機物に残っている”残留情報を読みとる”能力を持っているのだった。
一枚の布を”こよる”ようにして意識を集中させていく。
そして、
「ふぅ……」
額にいつの間にかうっすらと汗をかいていたセレスティはたったいま読み取ったモノを思い返して顔をしかめた。情報が古くなりすぎていたのか、はたまた容器がいくつかに小分けされた中のひとつだったせいなのか、それはあまりに断片的な単語としてしか感じ取ることができなかったのである。
「子供、死、結婚……それから……」
たった数個の単語の中で一番気になったというか不可解でならなかったのは、
「ナズナ、か……」
この単語だった。この種の名前は”夏雪草”であるということは蓮からも、小包にもそうきちんと明記されていた。送り主が間違えたという可能性もないわけではないが以前に見たことのある蓮がそう断言しているのだから間違いではないはずである。
やはり彼女の店にある商品は一筋縄ではいかないということなのだろう。セレスティは苦笑いを浮かべつつもこの種がいったいどんな花をつけるのが楽しみでならなかった。
自室に戻ったシュラインはなにやら小物を片づけてある棚をごそごそとやっていた。
「あった!」
頭をコルクで栓をしてある、ちょうど彼女がこぶしを握ったときと同じくらいの大きさの瓶。
「っと、紐、紐……」
その小瓶の首の部分に紐をくくりつけると彼女はそれを自分の首にさげてみた。
「うん、長さはこのくらいかな」
さげられた小瓶はちょうど彼女のお腹辺りに座する。
彼女は種が入っていた純白の陶器の入れ物を見たときになんだかそれがなぜだか卵のように見えてしかたがなかったのだ。
そんなわけでさっそく用意しておいた堆肥と土を瓶の中に詰めるとその中に種を植えるシュライン。
「そうだ」
水差しを傾けようとして何かを思いついた彼女はおもむろにポットを取り出してそれに水を移し変えるとコンロにかけた。
「ふんふんふ〜ん」
当然のごとく熱せられていく水を鼻歌まじりに眺めるシュライン。やがてくつくつ、という気泡の弾ける音があがり始めると、
「よし!」
彼女はさっ、と火を止め再び水差しに戻した。そして今度はそれをしばらく放置して……
「こんなものかしら?」
ほどよく冷めて人肌の温度になったことを自分の手の甲に数滴たらして確認する。
そう、それはまさしく”赤子にミルクを飲ませるとき”のそれである。
「ふふ……はやく大きくなってね」
静々と白湯を注ぐ彼女の目は我が子を見つめるかのように慈愛に満ち満ちている。
シュラインは容器を卵と連想すると同時に種に赤子を連想させたのだった。
白湯で土を湿らせた彼女は容器を胸もとからすべりこませて直接肌に触れさせると妊娠でもしているかのように優しくお腹を──そこにある容器を、もしくは種を──撫でては嬉しそうに微笑む。その姿は穏やかな春の昼下がりのようにふんわりとしたあたたかさを感じさせた。
「なんだか本当にお母さんになったみたい……」
うっとりとした表情でほぅ、とため息をつくシュライン。
「これが武彦さんとの子供だったりしたら……なんて。きゃっ」
こんな姿のシュラインをみた者はおそらくは誰もいないだろう。
それからも草間とのアレやコレやらを妄想してきゃっきゃっ、いっていたシュラインだがふと現実に思考を戻して、
「一応ネットでも調べてみようかしら」
堅実的な調査に乗り出した。この辺りの切り替えがシュラインらしいといえばらしい。
お腹の瓶を愛おしげに撫でながらパソコンの電源をつけてOSを立ち上げる。次々と立ち上がるアプリケーションには気を止めず検索エンジンを走らせて、
「あれ?」
と、そこで花の名前で検索をかけようとキーボードに指を置いたところでシュラインの動きが止まった。
「……名前、なんだったかしら」
卵のことで頭がいっぱいになっていた彼女は肝心なことを頭から抜け落としてしまっていたことに今になって気づく。
「っと……」
必死に記憶の糸をたどり、薄ぼんやりとした名前をなんとか思い出そうとする。
「なんとか雪草……”マツユキソウ”だったかしら?」
イントネーションは似ているのだが彼女の出した答えは間違っていた。しかし”マツユキソウ”という言葉が浮かんでしまった彼女は、なまじ似た名前だったせいか考え直すこともなくむしろ頭の中で復唱すればするほどその名前に疑いを持たなくなり、
「漢字はたぶんこうよね……」
これしかないとでもいうようにすらり、と指を踊らせ──待雪草──とタイピングをして決定キーを小気味よくタンっ、と叩いた。
「あ、でてきた……うぅん、これかしら……」
なんと幸か不幸か”待雪草”は検索にしっかりと引っかかる。
「待雪草。ユリ科ガランツス属で学名はガランツス=エルウィシーね。英名は……スノードロップ!?」
スノードロップといえばアダムとイヴの話に出てくる有名な花。雪に閉ざされた大地で寄り添いながら寒さに耐え続けるアダムとイヴのもとにひとりの天使が舞い降りる。そして彼がひとこと「春が来るよ」と二人に告げると彼らの足元の雪が溶け、一輪の純白の花が咲いた。
「たしかそんなお話だったわね」
幽霊とはいえライターの彼女が知っていたのは偶然ではないだろう。
「天使が届けてくれた花……か」
椅子に背もたれに身体をあずけてそっ、とお腹を撫でる。
「天使の贈り物って意味では同じね」
それは赤子が授かることと通じているようにシュラインは思えてならなかった。
ところが実際にはスノードロップの育て方は当然のごとく彼女がしている育て方とはまったくもって違っている。しかし、彼女は今の育て方を変える気にはなぜかならなかった。
この種が普通の店で買ったものならば本来の方法をとっただろう。
「蓮さんのお店の花、だものねぇ」
彼女の店の品がそこらにある物と同じはずがないと、シュラインは”確信”していたのだった。
それぞれが種を持ち帰ってから数週間。
今日はお互いの結果報告も兼ねて蓮の店に集まっている。
「そんじゃま成果のほどを聞かせてもうらおうかね」
まるでどこぞの会社の上司のような口ぶりで蓮が会話を切り出す。先に口を開いたのはセレスティだった。
「まぁとりあえず夏雪草のことを調べてみたのですが……」
「え?」
「ん? シュライン、なにか?」
「あ、ううん。なんでもないの。続けて」
「?」
口元を引きつらせて「あはは」と笑うシュラインの様子を怪訝に思いながらセレスティは話を仕切りなおす。
「これはナデシコ科の植物で……」
ネットで調べたこと、そこから得た情報を元にどういった育成の方法をとったかを話すセレスティ。ただし”声かけ”のことは伏せておく。
「で? 芽は出たのかい?」
「いいえ。残念ながら……」
いろいろと試してみたものの種は花どころか芽さえ伸ばすことはなかったのである。
「そうかい。じゃぁ次はシュライン、アンタのを聞かせてもらおうかね」
どちらかというとセレスティの方に期待を寄せていた連は少し眉を動かしたがそれを口に出すようなことはしなかった。代わりに今度はシュラインに身体ごと向けて言葉を促す。
「えっと……」
シュラインはなんとも複雑な表情をしながら話を始めた。
しばし後、
「とまぁこんな感じで育ててみたの」
話を聞き終えた二人は呆れを通り越して頭すら抱えて、
「アンタねぇ……名前くらい覚えておきなよ……」
「シュライン、きみはもう少し頭の切れる女性だと思っていたのですが……」
深い深いため息をついた。
ところがシュラインはやはり複雑な表情をしたままで頬をかき、
「で、結果なんだけど」
「あぁもういいよ。もう一度別の方法を考えて……」
「いや、あの……」
「何かもう少し情報がないでしょうかね。一応容器から情報を読み取ってはみたのですが……」
「あ、あのね」
「ほぅ。そういえばアンタはそういう能力を持っていたねぇ」
「ちょっと」
「えぇ。でも読み取れた情報があまりに断片的な単語ばかりで」
「だから、ね?」
「何か思い出すかもしれないね。教えてくれるかい」
「そうですね。その単語というのは……」
再検討を始めるセレスティと蓮に、
「出たのよ!」
「はい?」
「ん?」
シュラインが叫んで注意を呼び戻した。
「出た? 何が?」
「間違いは誰しもあるものですから気にしなくても」
「もう! 話は最後まで聞きなさいよね。出たのよ」
「だから何が?」
「芽」
「芽?」
「なんのですか?」
「決まってるでしょ」
そういって首にかかった紐に手をかけてその先についたものを取り出す。
「待雪、じゃなかった。夏雪草の芽よ! ついでいうなら咲きそうのよ!!」
どんっ、と突き出した手に握られている瓶の中にはなんと確かに一株の今にも咲き誇らんとする純白のつぼみをつけた夏雪草がそこにあった。
「あらま、ほんとじゃないか」
「ほう、これは……」
それは人差し指程度の大きさでチューリップに良く似た二枚の葉が根元から伸びており、すらりと伸びた茎にはかわいらしい小さく口をすぼめたようなつぼみが鈴なりについている。一見するとスズランのようだがあきらかにそれと異なっていたのは花も含め”葉も茎も全体が”雪のように白いという点だった。
「たぶんもう少しで咲くんじゃないかと思うのだけど……あ!?」
と、シュラインが口にしたまさにそのとき、
「咲くぞ!」
彼らの見ている前でつぼみがゆっくりと目を覚ましてうんっ、と”のび”をするかのようにして開いていったのだ。
「わ……あぁ……」
「…………」
「ほほぅ……」
それぞれが思い思いに息を飲む。
白く小さなその花は四葉で、上の花弁は小さく下の花弁はすらりと伸び、そして左右の花弁はひときわ優雅に両手を広げておりそれがいくつも茎になっている。そう、それはまるで小さな純白の天使たちが群れて飛んでいる様に見えた。
言葉を忘れた彼らはただどうしようもなく愛おしい気持ちに胸を満たして眺め続けた。
そしてこの時間が永遠に続くかと思われたそのとき、
「あぁ!!」
突然、夏雪草の花々は羽根を閉じいくとまるで雪が溶けてしまうかのようにみるみるうちにしおれていったのだ。
あっという間の出来事に三人はしばらくの間呆然とすることしかできなかった。
それからしばらくして後。シュラインとセレスティは蓮から「この前の夏雪草のことでわかったことがあるからこい」との連絡を受けて店にやってきていた。
「どうやら送り元が説明書を入れ忘れたことに気づいたらしくてな、それが届いたのさ」
そう切り出した蓮はそこに書いてあることを二人に話した。
それは”説明書”というよりもその花の”生い立ち”を記したものだった。
「確かにあれは夏雪草という名前なんだが、いわゆる一般的な夏雪草とは違ってな。ある一組の研究者が作り出した”交配種”なんだそうな。その研究者というのが夫婦でな、妻のほうがどうも子供が産めない体質だったらしい。そこで……」
植物の品種改良の研究をしていた二人は自分の子供のかわりとなるような花を作ろうとしたのである。
しかしただ新しい花を作るだけでは何の意味も成さない。いろいろと考えた結果”交配”という方法を思いついた。
「交配っていうのは人でいうならば性交になぞえられると思い至ったんだろうな。確かに一つの花がおしべとめしべで種をつけるというのよりかはイメージが重なりやすい」
だがただの交配ではまだ足りなかった。子供としての愛情を注ぐための象徴性が。
「で、その交配の親候補にあがったのがスノードロップと」
「もしかしてナズナですか?」
「そうだ。確かおまえさんが読み取った情報にその名前があったんだったな」
「えぇ」
「さて、なぜこの二つが選ばれたのかというと、だ」
「そっか、スノードロップはアダムとイヴのお話からね?」
「あぁ。スノードロップは天使の与え給もうた花。天使の花。子供は天使とよくいうだろう?」
アダムとイヴの間に生まれた天使となれば自分たちの子供という意味合いを持たせるにはこれ以外にうってつけの花はないだろう。
「でもどうしてもう一つがナズナなのかしら?」
シュラインは小首を傾げて考えを巡らせたがナズナに何かそういった子供をイメージさせるような逸話があった覚えがない。
「それには夫の方に関係がある」
悲しみの連鎖というのは残酷なもので、妻を喜ばすために幾日も幾年もそれこそ寝る間も惜しまず研究を続けていた夫はある日突然倒れてしまったのだ。
「過労のせいとはいい難いらしいがね。なんにせよそれはおこっちまった」
悪性の神経神経膠腫。いわゆる脳腫瘍である。
健康管理など二の次になっていたせいで発見が遅かった。もともとこの神経膠腫に分類されるものは治療が難しく中には五年後の生存率が十パーセントにも満たないものもあるらしい。
「そこで妻は考えたのさ。子供が”生まれる”だけでは駄目だと。”成長”の過程もみれなければ、とな」
育て方の目処はたっていた。後はいかに咲いてから散るまでをより早く見せられるかだけ。
「ナズナは夏を前にして散る花。逆にスノードロップは春の訪れに咲く花。この二つを掛け合わせることができれば、と考えたのさ」
そしてそれはシュラインたちが目にしたように、見事成功した。それはいつ燃え尽きるとも知れない夫のためにあるかのような速さとなったのだ。
「哀しいけど……でも」
いつのまにか両目に大粒の涙を溜めていたシュラインは、
「とってもあたたかい花なのね」
少し頬を紅潮させて微笑んだ。
夫のために、妻のために生まれた花。
あまりに早すぎる命なのかもしれない。だがしかし二人にとってはそれは必然であり、だからこそこれ以上ない愛で溢れた花となったのだろう。
と、セレスティがふとした疑問を投げかける。
「そういえばどうして”夏雪草”なのでしょう?」
「あぁそれね。今の話を聞いて思い出したわ。スノードロップの和名が”待雪草”っていうのはいったわよね?」
人差し指で涙を拭いながらこうシュラインはいった。
「ナズナってね。”撫で菜”からきてるともいうんだけど……もうひとつ、夏を前にして枯れるから」
すべての疑問が一輪の花の由来に集約されていく。
「”夏無”って呼ばれることもあるそうよ」
それらが交配されて生まれた花。
「だから”夏雪草”」
それは哀しみと愛おしさによって生まれた純白の天使だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ CAST DATE ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム (せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【NPC/碧摩・蓮 (へきま・れん)/女/26/アンティークショップ・レンの店主】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ writer note ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
シュラインさん、セレスティさん、大変お待たせ致しました。
今回は切なくもあたたかくなれる作品を目指して書いたのですがいかがだったでしょうか?
初めての複数ということもあり色々と悩み、期間としてもかなり時間がかかってしまい、
大変申し訳ないことをしてしまったのですが、その分面白いものが書けたのではと。
花の名前というのは何かしらの意味を持つもので、この「夏雪草」もその一つ。ただし蓮
の店にあるものなので一筋も二筋もがんじがらめな縄でしたが。
また、機会がありましたらよろしくお願い致します。
それでは……
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