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<東京怪談ノベル(シングル)>


想いの行方。


 暖かくなったとは言え、日が落ちればまだ少し肌寒いと感じる今日この頃。
 しん、と静まり返った明かりの落とされた部屋で、橘 沙羅は温かな布団に包まりながら眠れぬ夜を過ごしていた。
 時間を置きながら数回寝返ってみるが、一向に眠気は訪れない。
 胸の内が小さく騒ぐのを…沙羅は止めることが出来ずにいる。
「……………」
 瞳を閉じれば、脳裏に浮かぶのは一人の男性。沙羅の想い人の姿だ。その『彼』に想いを馳せるたびに、鳴り止まない鼓動と共に、彼女を襲うのはどうしようもない寂しさ。
 上掛けを手繰り寄せ、沙羅は小さく震えた。
 彼と沙羅が出会ったのは、彼女の従姉妹の実家が営む喫茶店であった。幼い頃から現在に至るまでカトリック系の女子校で過ごしてきたため、異性が苦手であった沙羅が初めてその心内を躍らせた相手。
 一目見たときから、他の異性とは何かが違う、と感じていた。次の瞬間には、体中を駆け巡るような高揚感。おそらくは一目惚れだったのだろうが、沙羅がそれに気が付くには少しの時間が必要だった。
 自分はどうしてしまったのだろう。何故こんなに、胸がドキドキと煩いのか。
 彼と目が合う度、声が聞こえる度に――。眩暈を覚え、ふとした瞬間に姿を思い浮かべてはそれだけで頬が火照る。答えを見出すことが出来ずに、湧き上がる苦しさに涙が溢れたこともあった。
 世界が変ってしまったのか、とさえ思えてしまった。今まで目にしていたものが何故かすべて、色褪せていく。そんな喪失感を抱えながら、沙羅は困惑していた。

 ――それが、『恋』であるという事。

 冷静になればすぐに解る現実でも、沙羅には遠いとおい道のりだったように思える。
 『彼』が好きだと気が付いたのは、それから暫くしてからだった。
 自覚した後も、苦しさは消えることなく沙羅の心根に巣食ったままであった。自分の中の世界に『彼』と言う存在が生まれたことに、戸惑いを隠すことは出来なかった。
 あまりにも溢れる想いが斬新過ぎて、大好きな親友にも『恋している』という事を未だ打ち明けることすら出来ずにいる。
「…言えるわけ、ないよね…」
 仰向けに寝返りを打った沙羅が、ぽつり、と独り言を漏らす。
 彼女の想い人は、一般人ではない。有名なフリーのモデルだ。今まで異性との接触など無かった沙羅が、そんな人を好きになってしまったなどと…簡単に言えることでもない。親友はさぞかし驚くことだろう。
 いつかは、打ち明けねばならないのだが…。親友にも、そして『彼』にも、心の中の想いを。
「………ふぅ…」
 沙羅はまたそこで、ゆっくりと寝返りを打った。
 考え事をしているときは、眠れないことのほうが多い。最近は、特になのだが。
 『彼』を想えば想うほど、沙羅の心の中には切なさが広がっていくばかりだ。
 そして、その想い人には、自分の気持ちなどとうに見透かされているのだろうという事も、心の片隅で感じ始めていた。
 優しい人だ。
 沙羅の想い人は、とてもとても優しい人物だ。
 幾度も彼と会う機会があった。その度に彼は沙羅に対して優しく接してくれた。携帯の番号でさえ、教えてもらえたのだ。
 バレンタインにも時間を割いて会ってくれた。そして満開の桜並木の中…多くの人だかりの中からでも、彼は沙羅を見つけて声までかけてくれた。
 それは、相手に沙羅の気持ちが伝わっているからこそ、起こしてくれている行動なのだと…彼女は薄々気が付いている。
 優しい人、なのだ。本当に。涙が溢れてくるほどに。
 初めて出会ってから現在に至るまでの出来事は、沙羅にとっては大切な思い出。決して忘れることなど出来ない。大切に大切に、その胸のうちで暖めておきたいと思うもの。
 だからこそ強く感じるのは、沙羅と『彼』との距離だ。
 どんなに傍にいても、笑いかけてもらっても、彼女と『彼』の距離は遠いまま。
 平行線の上で…沙羅は自分の想いを何処へもぶつけることが出来ずに、留まったまま。
 それはとても悲しいことであると解っているのに、彼女は前へと進むことが出来ずにいる。葛藤が、彼女の障害になっているのだ。
 もっともっと、彼の心に近づきたいと思っている自分。
 しかし、近づけば今のこの状態さえも崩してしまうような気がして、それが出来ない。進めないことが何より嫌だと思いつつも、沙羅は今の状態も壊したくないと…思えてしまうのだ。
「…わがままだよ、沙羅……」
 溜息交じりの、自分を叱り付けるような言葉。その声音は小さく、夜気に触れると静かに消えていく。
 両方を手中にしておきたいなど贅沢だと思いつつも、それを手放してしまえる勇気は、持ち合わせてはいない。今の彼女には到底、無理な話だ。
 ごろごろ、と寝返りを繰り返していたおかげで、肩から上掛けがするりと落ちる。それに気がついた沙羅は、言葉なくゆっくりと手繰り寄せ、再び暖かな空気を作り上げた。
 今、これほどまで悩んだところで、答えが出せるはずもない。それでも、沙羅は瞳を閉じるたびに彼への想いで胸を詰まらせる。
 恋する少女の、当たり前の悩み――。
 簡単には終わらせたくない、終わらせることなど考えたくもない。だからこうして、日々悩むのだ。成就させるためにも。
 数分後。沙羅はようやく訪れた睡魔に逆らうことなく、ゆったりと瞼を閉じる。明日も元気でいられるように、自分の想いに負けてしまわないように、と呪文のように繰り返し祈りながら。そして…夢で彼と会えますようにと、心の片隅で、祈ることも忘れずに。
「おやすみなさい…。――さん…」
 半分寝言に近いそれ。彼の名を呼ぶころには、彼女の意識はとても遠いところに存在していた。そして再び夜気の力によって、また言葉は溶かされていく。

 眠りは沙羅を夢の世界へと誘う。まるで彼女の願いを受け入れたかのように、優しく包み込むかのように。




 -了-




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橘・沙羅さま

いつも有難うございます。ライターの朱園です。
今回は恋心に葛藤している沙羅ちゃんと言うことで書かせていただきました。
まさに『恋する乙女』の道を行く彼女は、書いていて本当に楽しくもあり、私自身にも新鮮さを与えてくれています。
ご指名くださり有難うございました。
またお会いできたらと思いつつ、この辺で失礼します。

朱園ハルヒ

※誤字脱字がありました場合、申し訳ありません。