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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


そんなふたりのラブクオリティー


 若いからこそできることがある。今は何もわからない子どもたちもいずれ、親の小言や教師の説教の意味がわかる時が来るはずだ。だが、それがわかる頃はもう立派な大人になっているだろう。思い通りにいかないのが長い人生であり、あっという間の青春である。それが団体生活の場である学校の中なら、その難しさは表現し切れない。
 今日も人並みの悩みを抱えた生徒が神聖都学園の音楽準備室の扉をノックする。その扉のすぐ横には『響 カスミ』という名札がかけられていた。これが表になっている時は教師の在室を意味する。それを証拠に中から「は〜い」と澄んだ声が廊下にまで届いた。それを合図にひとりの男子生徒が扉の隙間から顔を覗かせる。

 「先生、ちょっといいですか?」
 「あら時人くん。ごめんね、まだ私もちゃんとスコアを見てないのよ。だから今日はパートごとの練習にしたの。」

 時人と呼ばれた少年は吹奏楽部に所属する高等部の生徒だ。カスミは今年度に入って多忙な吹奏楽部の副顧問に代わって部内の練習を取り仕切ることがよくあったので、ふたりはすでに顔見知りだった。カスミは彼を見ながら大きめの茶封筒に手を突っ込んで分厚いスコアを引っ張り出そうとしている。それを遮るかのように扉の向こうから時人ではないもうひとりの声が飛んできた。女の子の声である。

 「すみません、カスミ先生。実は私たち、相談事があって……」
 「今度は楓さんってことは……ああ、もしかして?」
 「そ、そうです。その、もしかしてです。たぶん。」

 カスミがふと動きを止めて思い当たる節を声にしようとした瞬間、時人と楓がそれを遮るかのように部屋の中に入ってきた。事情を察したカスミは部屋の真ん中にある面談用の椅子にふたりを座らせ、自分もその向かいに座ってそれとなしに話の内容を確認する。手にはしっかりあのスコアが握られたままだった。

 「ふたりは同じ部活で、今は付き合ってるのよね。たしか。」
 「ええ、一応は。」

 彼女の問いに答えたのは時人だ。しかし隣に彼女がいるのになんと曖昧な返事であろうか。その辺のセリフのニュアンスも気にしながら、カスミはとりあえずスコアを手元に置いた。ここで別れ話でもされようものなら、紙の束をテーブルはおろか地面に撒き散らすかもしれないからだ。ところが話は意外な方向へと進んでいく。部活の時より自信なさげな表情を顔いっぱいに広げるふたりの口から出た言葉は、若年カップルにありがちな悩みだった。


 時人と楓は同じ学年で同じ吹奏楽部に所属し、同じクラリネットを担当している。どちらがどちらを好きになったかはさだかではないが、とにかく付き合うことになったらしい。これはつい最近の出来事で、カスミも他の部員からその話を聞いていた。『部内公認のカップル』として、ふたりは有名になった。ところがこのふたり、付き合うことにしたはいいが何をどうすればいいのかがイマイチよくわかっていない。どちらも積極的なアプローチをするような性格ではなく、どちらかといえばおとなしいタイプだから仕方ないと言えばそれまでかもしれない。結局、ふたりは今まで変わり映えのない普通の生活を過ごしてきた。部活動ではいつものように話はするが、特にそれ以上の行動はない。休み時間に彼女の教室に行ったり、彼氏のお弁当を作ってあげたり、そういうことは一切ない。付き合う前と一緒のことをやっているだけだった。
 そんな平坦な毎日が続くのを見かねた外野こと先輩や同級生の心配が限界に達した。彼らは時人や楓を人通りの少ない場所に呼び出しては、懸命に恋の手ほどきを囁き始めた。「カップルらしくたまにはデートに行け」とか「普段から手を繋いで歩け」などという積極的なものから、「大事に思ってるならさりげなく振る舞うのが吉」とある程度のテクが必要なことまでどんどん吹きこまれていく。十人十色の恋の指南を生真面目にも全部素直に受け止めてしまったふたりはすっかり頭が混乱してしまい、何をどうすればいいのかわからなくなってしまった。これに関しては今日までじっくり話しこんだらしいが、今のふたりで結論が出せるはずがない。それでカスミを頼ったのだ。経緯を聞いて思わずあごに手をやるカスミ。

 「う〜ん、私もそんなに経験がないからよくわからないのよ。みんなの言ってることも決して間違いじゃないと思うし……」
 「僕たちもそう思うんですけど……お互いにそれを始めたら、なんか空回りしそうで。」
 「それに時人くんだけがやってもおかしいしって思うんです。どうしたらいいかなって……」

 袋小路に迷い込んでいるふたりを助けるため、カスミはここで一計を案じた。ここは思い切って部活以外の人に助けを求め、実践形式で悩みを解消してあげようと考えた。彼女はふたりに日曜日の予定を無理やりに空けさせると、近くにあった電話の受話器を取って外に繋ぐ。日曜日をきっかけになんとかふたりがナチュラルなお付き合いができるようにさせてあげたい。彼女は心の底からそう思っていた。


 「というわけで、同じ学園の生徒で学級委員長でしっかり者の真神くんならこの件をお願いしても大丈夫よね。」
 「要するに恋愛指南ですよね。確かに僕の周りにもそんな人いますけど、僕自身はあんまりそういうことに詳しくないですよ?」
 「実は私もそうなのよね……どうしたものかしら。」

 あの電話の直後、カスミは職員室に戻ろうとする道の途中で2年生の真神 薙沙に偶然出会った。彼は『人当たりがよく、面倒見がいい』と他の教師にも評判なので、ここはひとつ協力してもらおうと声をかけたのだ。真面目で純朴な薙沙はいとも簡単にそれを引き受けたが、彼は時人や楓のような経験をしたことがないらしい。似た者同士は同じタイミングであごに手を当てて「う〜ん」と唸った。これでは進むものも前へ進まない。

 「要するに映画とか喫茶店とかで親睦を深めて仲良くなっていくのがいいんじゃないかなって思うんですけど……今、いい映画あったかなぁ。」
 「私とまったく同じ考えね。こういうのをマニュアル通りの恋愛っていうのかしら。」
 「でも、いきなりふたりの関係を飛躍させようとする必要はないですよね。時人くんも楓さんも耳年増になってるのは確かでしょうし、あんまり派手なことしたら逆効果になっちゃいますよ。」

 部活や家路に向かう人の波を避けるように窓際で話し合うふたり。薙沙は愛読しているタウン情報誌をかばんからひっぱり出し、近くにあるシアコンの上映予定表をチェックし始めた。カスミはずーっと天井を睨みながら唸りっぱなし。電話の主には当日のセッティングをお願いしたのだが、「内容がまとまったら、後から改めて連絡する」と伝えてたのだ。早く日曜日の予定をまとめなければならない……だからといって適当に決めるわけにもいかない。ふたりの距離が今より遠くなっては何の意味もないのだ。
 そんなカスミの表情は遠くからでも不安げに見えたのだろうか。ひとりの女子生徒が心配そうな眼差しを向け、銀色の髪を揺らしながら駆け寄ってきた。自分の顔がだんだんしかめっ面になっていくのを感じながらあれこれ思案していたカスミは、その娘の姿を見て表情をやわらげる。どうやら顔を知っている生徒らしい。

 「あら、久良木さんじゃない。」
 「先生、また妙な相談を引き受けたんじゃないですか〜? そんな顔してたら見てる方が不安になりますよ。」
 「確かに相談は受けたけど、今日はそんなに変な話じゃないのよ。ただね……」

 そんな前置きを聞いて「そういうのを妙なことと表現するんじゃないですか?」という表情をするのは、1年生の久良木 アゲハだ。彼女はさっきのカスミの表情から『またまたまたまた大嫌いな心霊事件に巻き込まれたのではないか』と心配してすっ飛んできたのである。彼女の表情も最初は心配の色が濃かったが、詳細を聞くうちにそれも薄まった。ところが説明が終わり近くになると、ふたりと同じように困った顔をして首筋を掻き始める。誰がどう聞いても遠回りな恋愛話にアゲハも困惑した。改めて内容を聞かされた薙沙も、カスミの代わりに低い唸り声を響かせる。

 「ふたりのことはよ〜くわかりました。でも人を好きになるって、もっとこう直感的なものだと思ってました。」
 「そうそう、僕もそうだと思う。まぁ僕の場合は近くにそういう人がいるから、そう思うだけかもしれないけど。」
 「私だって同じですよ〜、うちの家系がそうなだけで。好きになったらその人のことしか考えられなくなったりとか、他のことが手につかなくなったりとかしちゃうのが普通なのかなって。」

 この件に関する生徒たちの意見が一致しただけでかなり問題が解決に向かって前進したように思ってしまっているカスミ。自然と顔がぱーっと明るくなっている。そんなことは露知らず、ふたりは身内をネタに話を続けた。

 「ちゃんと目を見て、ウソをつかずに話せばきっと何かが変わります! それができなくて仲がこじれてる人を知ってますから……はぁ。」
 「うちもふたりの間に愛人らしき女性が出てきて、最近かなり物騒なんですよね……はぁ。」
 「そ、そんな話はいつでもできるじゃない。今は健全なふたりの仲を進展させることを考えて!」

 せっかく話が前へ進んだかと思ったら、今度は身内の恋愛話で盛り上がるふたり。このまま愚痴られても時間の無駄だ。カスミは焦る気持ちを大きな動作で表現する。ところが大人の事情を知らない薙沙が怪訝そうな顔をしながら言葉を発した。

 「……カスミ先生、もうすでに人任せにしてません?」
 「え、ええ……コホン。で、いい映画はあった?」
 「子どもに大人気の特撮モノと海外のすっごく怖いホラー作品……あ、カスミ先生は怖いのダメですもんね。僕も好きじゃないけど。」
 「あれ、確か『プロポーズ』ってタイトルの恋愛映画やってませんでしたっけ?」
 「あーあー、あるある。でもプロポーズって、見せるのには早くないかなぁ……」
 「後々のためにはいいんじゃないですか?」

 いったいいつまで後のことになるんだろう……自分で言ったアゲハはおろか、薙沙にもそんな考えがよぎった。しかしそれをなんとかするのが今回の話である。そんなことをまた口にしようものなら、またカスミが怒ってしまう。話は自然と元へ戻った。

 「じゃ、とりあえずこの映画にしましょう。あとカスミ先生、ここの近くにきれいなガーデンカフェがあるんですよ。そこでふたりっきりで話をしてもらうっていうのはどうですか?」
 「とってもいい考えだと思うんだけど……あのふたりは雰囲気に酔ったりするタイプじゃない気がするのよね。」
 「はいはい、じゃあそこは私が一肌脱ぎましょう。先輩、当日は彼氏役をお願いしますね。」
 「えっ! か、か、彼氏?!」
 「そんなに驚かなくても〜。時人さんと楓さんを焚きつける程度にラブラブするだけじゃないですか。」
 「そっ、それって本当に必要なことなのかな……せ、先生はその辺、どう思いま」
 「あら、とってもいい考えだわ。じゃあ久良木さんも当日は来てくれるかしら?」
 「もちろん!」
 「もしかして……聞いてない? むしろ聞こえてない?」

 アゲハとっておきの作戦は薙沙の戸惑いをとことんまで無視し、カスミがさっさと実行を決めた。彼は「実は自分には好きな人がいるから」と言おうとしたが、それをすればせっかく盛り上がった雰囲気に水を差すことになる。それにその日限りのことに目くじらを立てるのもよく考えてみれば変な話だ。薙沙の心には一抹の不安が残る……だが、この作戦を否定したところですぐに代価の案を出すことはできない。結局、薙沙は状況に流されてしまう格好になってしまった。
 ある程度の行動が決まったので、カスミが改めてふたりに日曜日の予定を確認する。セッティングが彼女が見つけた便利屋さんにお願いするらしい。後は彼らが擬似カップルを装ってくれればそれでいいというわけだ。ガーデンカフェでお茶した後、映画を見る。まさにマニュアル通りのコースだが、今のふたりには無難だろう。3人の意見は一致した。


 『……というわけなんです。豪徳寺さん、お願いできるかしら?』
 「了解なんだな。相手は子どもだからその辺は考慮してほしい……と。ま、後は我輩に任せておけばいいんだな〜。」
 『助かります。当日はふたりがうまくいくようにサポートして下さるって聞きましたけど。』
 「もちろんなんだな。もしうまくいったら、セッティング代にプラスしてキッチリガッチリ上乗せをお願いしたいんだな。我輩も商売なんだな。」
 『わかりました。その辺は当日次第で。予約などは私の名前でお願いしますね。』

 カスミからの連絡を受けているのは中等部に所属していそうな風貌をした子どもだった。彼がカスミのいう『便利屋』で、豪徳寺 嵐と呼ばれている。胸には首から下げられたがま口が小さく揺れていた。彼はケータイを切ったかと思うと、そのままガーデンカフェに電話する。日曜日までに必要とされた準備をしておかなければちゃんとした報酬がもらえない。彼にとってそれは死ぬよりも苦痛だ。だから連絡があれば、すぐに仕事を始める。嵐の仕事はいつも完璧だった。

 「あー、もしもし。今度の日曜日の予約をしたいんだな〜。」

 確かに仕事に関しては完璧な嵐だが、その感性はかなり特殊だ。カスミは普通の人にごく普通のことを頼んだつもりなのだろう。ところが彼は百年以上生きている付喪神である。果たしてマトモなセッティングが用意されるのだろうか? 当の本人はそんなことなどまったく気にせず、マイペース&マイウェイで仕事をこなしていた。


 澄んだ青空が素敵な日曜日の昼下がり……待ち合わせ場所に二組のカップルが揃った。片方はそれらしくないカップル、そしてもう片方は今日限定のカップル。そんなダブルデートを引率するのはポロシャツにジーンズ姿のカスミだった。時人と楓が先に来たので、擬似カップルが来ないうちに少し話をした。それは「もう一組カップルが来る」という内容で、そのふたりを見ればいろいろ勉強になるんじゃないかしらと伝えたらしい。そして少し時間を置いてからやってきた薙沙とアゲハがそんな前振りを察し、さっそくふたりに挨拶を始めた。もちろん彼氏が薙沙で、彼女がアゲハである。アゲハはしっかり薙沙の腕をつかんで、さっそくカップルらしいところをアピールした。ところが時人がそれを見て遠慮したらしく、楓を紹介する時に『自分の彼女である』とはっきりと言わなかった。しかも楓もその辺を気にする様子がない。アゲハは「これはいけない」とばかりにすかさずツッコんだ。

 「楓さんは時人さんの彼女ですよね〜?」
 「え……あ、そ、それでいいのかな、時人くん?」
 「でも普通、友達で『時人くん』なんて呼びませんよね〜。そっか、付き合ってるんですね〜。」

 納得の表情を浮かべながら「うんうん」と頷くアゲハ。もちろんこれは予定通りの行動だ。まずはふたりの関係を自覚させることから始めようというのか……カスミも薙沙も彼女の手腕に舌を巻くばかりである。そしてついに時人からはっきりとした答えを引き出した。

 「そ、そうですね。付き合ってます……よ。」
 「なんか今日はお邪魔しちゃってごめんなさい。ね、薙沙く〜ん。」
 「そぉ、そうだねぇ〜。ホントにお邪魔虫でもうなんて言ったらいいか〜!」

 ここまで女の子と接近した経験のない薙沙は完全に落ちつきを失っていた。声は上擦り、顔も紅潮している。やはりすぐには覚悟を決められなかったらしい。時人たちが疑いを持たないうちに、カスミはさっさとガーデンカフェへと雪崩れこもうとみんなの背中を押した。

 「さ、今日はお茶してから映画見るんだから早く行きましょ!」
 「そ、そうですね。まだまだ一日は長いですし……って、いたたた!」
 「この先にいいところがあるんですよ〜。みんなで楽しみましょうね♪」

 迂闊なことを口走りそうになる薙沙の足を思いっきり踏んづけて、アゲハはなんとか場を取り持とうとがんばる。もちろん今回のダブルデートのセッティングをした嵐も透明になって様子を伺っていた。彼もとっさに薙沙に向かってネコパンチを食らわそうとしたが、事なきを得たので腕を引っ込めた。
 そこに偶然にもスーパーの買い物袋を持った青年がそこを通りかかる……そして何気なしにカスミを見ると、それらをパッと手離してまず一言発した。

 「き、きれいだ……」
 「はい?」
 「あの、俺、風宮 駿っていいます。これから一緒にお茶でもどうですか? その後は映画でも見たりして……」
 「え? え? え?」
 『こんな予定、聞いてないんだな……誰だこいつ?』

 依頼主のカスミが戸惑っているのだから、嵐が事情を知るはずがない。いきなりの展開に戸惑いを隠せない一団……しかしこれが原因でふと我に返った薙沙がカスミに耳打ちした。

 『もうこうなったらトリプルデートということにしましょうよ。』
 『でも、これは明らかにナンパよ。あんまりいいお手本じゃないと思うんだけど……』
 『カスミ先生だって、ちょっとはこういう経験しておいて損はないんじゃないですか?』

 薙沙は「自分だけそんな目に遭うのは不公平だ」と言わんばかりの顔とニュアンスでカスミを追いこむ。本来なら彼女は風宮なる青年を無視してもいいのだが、状況が状況だけにそれをしていいものか判断に迷っていた。ところがいきなりナンパを容認するかのようなセリフを突きつけられ、カスミは仕方なしに彼を連れていく決心をした。生徒だけだと自分だけ浮いてしまうという状況が彼女を後押ししたと言ってもいい。

 「この子たちもご一緒しますけど、それでいいのならどうぞ。」
 「じゃあ遠慮なくご一緒させていただきますね。よっと、これを忘れたら怒られる……」

 買い物帰りの青年・風宮も引き入れたせいで一行は大所帯になった。そして最初の目的地であるガーデンカフェへと向かう。予期せぬ事態に思わず眉をひそめるアゲハと嵐。不思議な現象を目の当たりにした時人と楓は、学園では見せないカスミの大胆な行動に驚く。早くも波乱の予感がするトリプルデートであった。


 シネコン近くにある緑の多いガーデンカフェで自分の名前を告げたカスミ。すると人通りの多い外のテーブルへと案内された。用意されたテーブルはふたつ……そのひとつに時人と楓を一緒に座らせ、残りの4人は大きめのテーブルに陣取る。するとウエイターが飲み物を持ってきた。夏の海を思わせるようなブルーが印象的な炭酸ジュースである。しかし、このジュースはひとり分にしては多すぎる。それくらい大きな容器に入れられていた。これを飲み干すとなると、後の映画館にいろんな意味での不安を残すことになるだろう。嵐のセッティングが失敗したのだろうか……時人たちがいるテーブルにそれを置いたウエイターが次にした行動はカスミたちに衝撃を与えた!

 「こちらはこれでお飲み下さい。」

 大きな容器にハート型をあしらったストローがぷかんと浮かぶ。しかも吸い口はご丁寧にもふたつ存在する。時人と楓は思わず息を飲んだ。まさかこんなイベントが用意されているとは……ますますカスミらしからぬ演出に戸惑いを隠せないふたり。もちろんこれを演出したのは彼女ではない。嵐は彼らの表情を見て『してやったり』と大いに笑った。何にも知らないカスミはただただ呆然とするばかり。そして当然のように薙沙とアゲハの目の前にも同じ物が置かれた。さすがのアゲハも時人たちと同様に息を飲んだ。そして時人と楓の視線がこっちに向いていることをさりげなく確認し、続けざまに大きく溜め息をつく。
 ところがカスミの目の前に置かれたのは、ただのアイスティー。もちろん風宮の分はない。彼は慌ててウエイターを呼び止め、自腹でホットコーヒーを注文した。

 「えっ……これってもしかして両側から飲めるっていうあのラブラブカップル必須アイテムのひとつに数えられるストローですか?」
 「先輩、やるっきゃないですね。さ、同時に飲みますよ。」
 「これ、何かの陰謀ですか??」
 「セ・ン・パ・イ・っ! ふたりが見てますから早くっ!!」

  チューーー。

 悩めるカップルのために律儀にも同時に飲み始める薙沙とアゲハ。薙沙もまさか自分が勧めた場所でこんな仕打ちをされるとは夢にも思わなかった。見る人が見たら、自分たちは完全にカップルだ。ストローを吸いながら時人と楓になんと説明しようかと悩んでいたが、口の中で弾けるさわやかな味がそんな憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれた。

 「あ、これ意外といける。おいしい。」
 「これにアイスフロートが浮いてたら『あーん♪』とかできますね〜。」
 『しまった、そういうチョイスもあったな。それは失敗したな〜。しかもそっちの方が値段が高いんだな!』

 嵐はそこまで気が回らなかったことを地団太踏んで悔しがる。その間、リズムを崩しながらも薙沙とアゲハはジュースを飲む。このストローはふたりが同時に飲むと青いハートが完成するように細工されていることに楓が気づいた。そして時人と一緒にタイミングよく飲み、それを完成させようとがんばる。吹奏楽部に所属するふたりにとって、『息を合わせる』という行為は実に簡単なことだ。しかし今日はちょっとその意味合いが違う。遠くでできた青いハートをデジタルカメラに収めたカスミは嬉しそうな表情を浮かべていた。すると風宮も嬉しそうに話しかけてくる。

 「いい表情ですね。」
 「そうですか?」

 風宮の視線は熱い。だがそれはカスミの心にまで届いてはいないようだった。彼女は例のふたりがうまくやっているのを見ると、安心してアイスティーを飲み始める。その後、時人たちは日曜を満喫する人の流れを見ながらいろいろと話をしているようだった。教室や部室以外の場所で話すことがほとんどないというふたりだが、今は誰が見ても楽しそうにしている。まずは成功かなと胸を撫で下ろす薙沙とアゲハ、そして嵐。ひとり状況がわからずにやきもきしているのは風宮だったりするのだが……


 しばらくお喋りで楽しんだ後はシネコンに移動した。『プロポーズ』という作品を見るためである。どうやら封切日からかなり時間の経っている映画らしく、中に入っても客はほとんどおらず貸し切り状態だった。しかしここでも風宮は自腹で入場するハメになった。しかもスーパーの袋は入口で預かられるというイケてない姿を晒してしまう始末。さすがの彼も「ははは」と笑うしかなかった。
 嵐の気遣いでそれぞれのカップルにはふたり分のオレンジジュースとポップコーンがワンカップでセットになったバスケットが用意されていた。もちろんカスミにもひとり分ご用意してある。ここでミソなのが「ポップコーンはひとつだけ」というところだ。ふたりが同時に取ろうとすると手が触れるということを計算に入れている。案の定、初々しいカップルのふたりは手がぶつかるたびに「ゴ、ゴメン……」と映画中でも小声でやり取りしていた。ちなみに薙沙とアゲハも同じようなことをやっていたが、果たしてそこに恋愛感情があったかどうかはさだかではない。
 物語はすでに付き合って5年ほど経つカップルが苦難を乗り越えて結婚するという内容で、薙沙が懸念した通りになってしまった。まだ時人たちには早過ぎる内容だ。しかし海外の恋愛感を知るには適当なチョイスで、カスミもかなり映画に見入っていた。ちなみに真っ暗になった時点で風宮が、そして30分経った時点で薙沙が眠りこけてしまったことをお伝えしておこう。

 映画もいよいよクライマックスという時、嵐は時人の左手を持って楓の右手を握らせた。勝手に手が動いて驚いた時人はポップコーンの時と同じく、とっさに手を離そうとした。しかしその手を楓がやさしく握り返す。はっとした時人が彼女の方を向くと、やさしく微笑む楓の表情がスクリーンを照らす光で見えた。それを見た時人は手の力を抜き、そのまま前を向く。そして残り短い時間をぬくもりの中で過ごしたのだった。


 映画も終わって外に出ると、すでに夕暮れを迎えていた。時人と楓はいつの間にか手を繋いで歩いている。この変化にアゲハは驚いた。

 「仲良くなれたんですね、おふたりとも。」
 「なんか……映画の途中から手が離せなくなって。」
 「帰るまではこのままでいいかな〜なんて……すみません、今日は先生に迷惑かけちゃって。」

 楓がカスミを『先生』と呼んだのを聞いた風宮が驚く。どうやらとんでもないところにお邪魔していたという自覚が今さら沸いてきたらしく、今までで一番困った顔をした。映画が終わってからついさっきまでカスミを必死に口説いていたのだが、どうやら先生はそれどころではなかったらしい。そして追い討ちをかけるようにカスミ本人からお断りの言葉を聞かされるのだった。

 「すみません、こういう事情で無下にできなかったんです。だからお付き合いする気はありません。本当にごめんなさい。」
 「いやいや。いくらでも気づくチャンスはあったなーなんて。ところで少年な……今日の俺は悪い見本ということで認識しておいてくれよ。強引なのは嫌われる元だし、ノリが軽いのもあんまりよくないな。大切な彼女にこんなことしちゃいけないぞ。おっと、こんな時間だ。お茶に映画、楽しかったです。また機会があれば、その時はよろしくお願いします。それじゃ!」

 風宮は時人にそう言い残すと、再びスーパーの袋を担いでどこかへ去っていった。彼の姿が小さくなる頃、カスミのケータイに連絡が入る。透明になった嵐からの着信だった。彼女はその場で電話に出た。

 「はい、響です。」
 『豪徳寺なんだな。余計な邪魔は入ったけど、うまく行ったんだな〜。』
 「そうですね。感謝してますわ。」
 『じゃあみんなが解散したら、セッティングの料金を頂きに伺うんだな。』
 「お心遣い、感謝します。それじゃまた後で。」

 カスミがそんなやり取りをしている頃、薙沙が時人にあることを耳打ちしていた。本人にとっては重要なことらしい。

 「あ、映画どうだった? 僕、途中から寝ちゃってさ……あんまりしっかり見てないんだよね。よかったら内容教えてくれる?」
 「確かに僕は起きてましたけど、途中からそれどころじゃなくなって……僕もちょっと内容が飛んでるんですよ。」
 「ああ、そうだろうね。なんとなく理由はわかるけど……さ。だったらいいや。」

 薙沙も時人も照れくさそうに笑った。ふたりとも女の子が寄り添っているままである。とにかく今回はうまく行ってよかったと安心した薙沙。もちろんそれはアゲハの好フォローがあったからだ。彼が横を見ると、彼女もそれを察したのか軽くウインクした。それを見ると自然と笑いが出る。何の企みもない自然な笑い。それはその場にいたみんなに広がっていった。あの嵐でさえもまんざらではない表情をしている。ふたつの心がいつもより近づいた、そんなある日の日曜日だった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】

4378/豪徳寺・嵐   /男性/144歳/何でも卸問屋
2980/風宮・駿    /男性/ 23歳/ソニックライダー?
1515/真神・薙沙   /男性/ 17歳/高校生(学級委員長)
3806/久良木・アゲハ /女性/ 16歳/高校生

(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)

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■         ライター通信          ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。今回は淡い恋の手助けをして頂きました。
「こんなゆったりした恋もありかな〜?」と思って書いてみました。
皆さんには時人や楓の恋愛がどのように映ったのでしょうか……

薙沙くんとは初めましてですね! 今後ともよろしくお願いします〜。
皆さんのプレイングを総合して、今回はこんなドタバタ劇になりました(笑)。
かなり市川智彦の悪巧みや悪乗りが合わさってこんなシナリオになりました!

今回は本当にありがとうございました。素敵な日曜日をありがとうございます!
また別の依頼やシチュノベなどでお会いできる日を楽しみに待ってます!