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『夢で逢えたから』
「…ごめんね………」
夕暮れ時のゴミ捨て場、その前に立っているひとりの女の子。右手にぶら下げているまーるいぬいぐるみをゴミ捨て場に捨てた。
家の塀の上からその様子をじぃーっと見ていた野良猫。んーっと伸びをして、それからひらりと塀の上から飛び降りる。
「にゃぁー」
びくりと震える女の子。
今自分が捨てたぬいぐるみに野良猫が寄っていく。
ぎゅっと小さな手でスカートを握り締めた彼女は大声で叫んだ、猫に向かって。
「ばかぁー」
びくり、と震えた野良猫。そのまま一目散にそこから逃げ出して、そしてまた橙色の光が降り注ぐ夕暮れ時の道端、ゴミ捨て場の前に彼女はひとり。
自分の捨てたぬいぐるみと向かい合っている。
ぬいぐるみ、それは真っ直ぐに自分を見ていた。
女の子はきゅっと下唇を噛みしめて、それから何かを振り切るように一目散に走り去っていった。
捨てられたぬいぐるみ。まんまるなそれはじぃっと走り去っていく女の子の小さな背中を見つめていた。ずっと、ずっと、ずっと。
―――――――――――――
【お使いの帰りで】
「月がとても綺麗」
今宵の夜空を見上げれば、そこにあるのは丸い満月。茫洋に輝くそれは夜空にあってとても不思議な想いをわたくしに抱かせました。
青白く輝くその月がなんだか手を伸ばせば指が届くように想えたのです。
「こんな夜はなんだかとても良い事が起こりそうです」
時刻は夜の10時を回ったところ。人通りは少なく、だからわたくしは歩いて帰る事に致しました。
しずしずとわたくしは夜の道を歩いていく。
風は揺らします、わたくしの髪を。
どこか遠くから聞こえてくる蛙の鳴き声、虫の音色。
まだまだ夜は肌寒い風が吹くのだけど、それでもこうやって季節はちゃんと移ろい変わっていく。
今は初夏。
蛙や虫、それ以外にも季節は初夏へと変わっていく様を視覚で教えてくれる花々。夜の闇に静かにそこにある雰囲気は、どこか夜の空にある月と同じなのかもしれません。
鮮やかな紫は夜の闇にもよく映えて、それがとても美しく、幻想的な美をわたくしに感じさせてくださいました。
「とても綺麗にお咲きになられまして、藤の花様」
風に揺れた枝が奏でた音色は藤の花様の感謝のお言葉。わたくしはくすくすと笑いながら頷く。
「はい、気をつけて帰りますね。ありがとうございます」
やはり歩いて帰ることにしてよかった。
今日出かけたのはマリィ様の用事。それを済ませて、瞬間移動で『神影』に帰ってもよかったのだけど、でもそれはどこか今宵の月があまりにも美しかったので躊躇われて、だからわたくしは歩いている。
しずしずと歩いていると、とあるゴミ捨て場の前を通りがかった。
またたく電灯の明かりに照らされるゴミの山。その山の下に転がっているまん丸なぬいぐるみ。
「仔ぶた?」
わたくしが小首を傾げると、仔ぶたのぬいぐるみ様もころりと転がった。
まん丸なピンク色の体に小さな翼がくっつけられている。プラスチックの黒の瞳がわたくしを見つめていた。
またたく電灯の明かりを反射させるそれは本当に寂しそう。
風に吹かれて転がって、転がるたびに仔ぶたのぬいぐるみ様の中に入っている鈴が鳴る。
りん、りん、りん。
「あっ…」
よく見れば仔ぶたのぬいぐるみ様の右の翼が取れかかっていた。とても痛々しきお姿。わたくしの胸がきゅっと痛む。
りん、りん、りん。
転がるたびに糸がほつれていく。もうあと少しで取れてしまいそう。
鈴の音も哀しそう。
「だめです。仔ぶたのぬいぐるみ様。翼が」
わたくしはきゅっと両手で仔ぶたのぬいぐるみ様を抱き抱えました。
ふわりとしたその感触はとても気持ち良くって、仔ぶたのぬいぐるみ様はとても軽かったのですが、でもひどく汚れていらっしゃった。一体何時からこの方はここにいらしたのでしょう?
だけど………
そう、だけどこの仔ぶたのぬいぐるみ様の体についたいくつもの染みはここで付いたモノではないでしょう。
それはずっと誰かと仔ぶたのぬいぐるみ様がいらした証拠。過ごした時間の思い出。
だからこそこのまま仔ぶたのぬいぐるみ様をこの場に残しておく事が忍びなく。
「さあ、仔ぶたのぬいぐるみ様。わたくしと共に参りましょう。マリィ様ならきっと直してくださいますから」
そうしてわたくしはずっと胸にあった予感通りに、仔ぶたのぬいぐるみ様と出逢ったのです。
―――――――――――――
【マリィ】
仔ぶたのぬいぐるみ。
ぶたの癖に背中に天使みたいに翼を持っている。
あたしが生まれた時におばあちゃんが買ってくれたぬいぐるみ。
我が家の伝統。生まれた子どもの一番のお友達になってくれるようにぬいぐるみをプレゼントする。
ずっと一緒に居たその子。
アルバムを見ればあたしはいつもその子を持って写っている。
笑っている写真も、泣いている写真も、踊っている時だって一緒。
右の翼がよれよれなのはあたしがいつもおしゃぶりしていたから。
左の翼の位置が少しずれちゃってるのはあたしが翼を持って振り回していたら翼が取れちゃったから。
覚えている。
泣いていたあたし。すごく哀しかった。3歳のあたしにとってその子は一番のお友達。
おばあちゃんは優しく微笑んで、それであたしの頭を撫でてくれて慰めてくれた。
そしておばあちゃんは仔ぶたの翼を直してくれた。
あたしはものすごく嬉しかった。
+++
マリィ・クライスは慎重な手つきでその蓄音機を店の棚に並べた。
かつて有名なソプラノ歌手であった女性の声がそれには録音してあるという。しかしその蓄音機はまだ蓄音機の開発が成功する前の試作機で、故にその蓄音機は一度再生してしまうと、録音盤が壊れてしまってもう二度と聞く事はできないという品物であった。その蓄音機は色んな意味で珍しいのだ。
そして何よりも………
「あなたは私に似ている。そんなあなたはどのような願いをこめて自分の歌声を残したのかしら?」
―――決まっている。
きっと誰かに自分の唄を聞いてもらいたくって、残した。
だけどその願いは…彼女の想いは蓄音機という牢獄に囚われて、永遠という時を生きるのだ。
それが自分に似ていると想った。かつて獣に噛まれて、異能のモノとなった。それからの永き時を生きている。
やはり似ている。
マリィはくすりと微笑んで、そして細くしなやかな指を蓄音機と伸ばして………
「マリィ様」
先ほどまでは確かに自分以外には誰も居なかった部屋に誰かの声が広がった。
しかしマリィは驚かない。彼女はその声の主を知っている。
「お帰り、灯火。ご苦労様」
「はい」
マリィは微笑んで、声がした方に目を向けた。そこに居るのは四宮灯火。かつてお客に聞いた噂。夜な夜なさ迷う人形。それと出会い、そしてマリィは彼女をスカウトした。『神影』のスタッフに。灯火に興味を持ったから。
「おや、何やらかわいい物を持っているね?」
金色の瞳を柔らかに細めて、小首を傾げた。
「仔ぶたのぬいぐるみ?」
さらりと額の上で揺れた前髪を掻きあげて、彼女は目を瞬かせる。
「はい。実はこの仔ぶたのぬいぐるみ様の翼が取れそうであったので、是非ともマリィ様に直していただきたくって」
そっと両手でかかげ上げた仔ぶたのぬいぐるみをマリィに差し出す。
マリィは微苦笑を浮かべながら灯火から仔ぶたのぬいぐるみを受け取った。
「どれどれ、見せて御覧なさい」
窓から差し込む月明かりの下で頬にかかる髪を耳の後ろに流しながらマリィは仔ぶたのぬいぐるみの、右の翼を見た。なるほど糸がほつれて翼が確かに取れかかっている。それ以外にも糸が切れて中の綿がはみ出している部分があった。
「これは中々に年代物のぬいぐるみ君ね」
「直せませぬか?」
しゅんとした声を出した灯火にマリィは苦笑を浮かべた。
「こらこら。早まらない。言ったでしょう? あなたが壊れた時は私が修理をしてあげると。この私の手にかかればちょちょいのちょいよ、こんなのはね」
ウインクするマリィに喜びながら頷く灯火。
マリィはいつも持っている鞄からソーイングセットを取り出すと、部屋の明かりをつけて、机の上に足を組んで座って、針に糸を通した。
「それでは術式開始」
そう呟いて、取れかかっている翼をちくちくと縫いとめて、それから他の綻びもちくちくと縫ってやる。
そういえばこうやって誰かのために縫い物をしてやるのはいつ以来であろうか? 夫が生きていた時はよく彼のために縫い物をしてあげていた覚えがあった。
だけど夫が亡くなってからは………
「たまにはいいものかもね」
「はい? いかがいたしましたか、マリィ様?」
「いえ、何でも無いわ。それよりもはい、終了。直ったよ、灯火」
そう言って仔ぶたのぬいぐるみを灯火に差し出してやる。
胸の前でぱちんと手の平を合わせて喜ぶ灯火の姿はとてもかわいらしく、背伸びして自分から仔ぶたのぬいぐるみを受け取る彼女の姿は本当に微笑ましいものであった。
自然とこちらまで微笑ましい気持ちになって、嬉しくなる。
「良かったですね、仔ぶたのぬいぐるみ様」
灯火の手から離れた仔ぶたのぬいぐるみもやっぱり嬉しいようで、ぴょんぴょんと直ったばかりの身体で飛び跳ねた。その度に奏でられるりん、りん、りんという鈴の音色。
なんだかまるで玩具売り場か絵本コーナー、それともケーキ屋さんの前でお目当ての物を買ってもらえた子どものようなそのはしゃぎっぷりにマリィの口許も緩みっぱなしだ。
人形とぬいぐるみ。とてもかわいらしいその二体が喜び合っている光景はまるで童謡か童話の世界の光景かのようで、そんな風景はやはり自然に見る者の心を優しくするものだ。
やってよかった、この二体が出会えて良かった、マリィは本当にそう想った。
しかしふいにその一方、灯火がふと、小首を傾げさせた。
「仔ぶたのぬいぐるみ様、持ち主様の所へはお戻りにはならないのですか?」
りん、まるで風鈴の糸が切れて墜落したような、そんな音を奏でて仔ぶたのぬいぐるみは跳ねるのをやめた。
そしてそのままころころと転がって、マリィが先ほどまで座っていた安楽椅子の下に転がり込む。
それをとことこと歩いて追いかけていく灯火。安楽椅子の下でいじけている仔ぶたのぬいぐるみを見て、小首を傾げる。
さらりと揺れた彼女の黒髪を見てマリィは苦笑を浮かべた。
灯火は四宮家の長女にとても大切にされていた。だから長女を想い、会いたいと願い、心を持って、今も彼女を探し求めている。大切にされていたからこそ。
そして仔ぶたのぬいぐるみも大切にされていた。左の翼を見ればわかる。
だけどどんな経緯があったのかあの子は捨てられてしまった。心は傷ついている。大切にされていたからこそ。
灯火は大切にされていたからこそ、会いたい。
あの子は大切にされていたからこそ、捨てられたのが辛い。
―――だから持ち主の所には戻れない。きっとあの子はどうして持ち主が自分を捨てのたのかもちゃんとわかっているのだろう。
マリィはひょいっと座っていた机から降りると、灯火の隣まで歩いていって、そしてしゃがみこんで、仔ぶたのぬいぐるみを両手で取った。
そのまま胸に抱いて、話し掛ける。
「今日からあなたもこの『神影』の商品。私があなたをまた新しい持ち主さんと巡り合わせてあげるわ。ここはそういう場所なの」
「えっと、あの、マリィ様?」
不思議そうな声を出した灯火にマリィはにこりと笑いながらウインクをした。
+++
「うん、綺麗になったわ」
仔ぶたのぬいぐるみはマリィによって洗濯機で洗われて、その後にお天道様の下で乾されていた。
その甲斐あってとても綺麗。新品、までとはいかないが、充分に中古としては売り物になる感じ。
マリィは形の良い顎に手をやりながらうんうんと頷く。
「本当に綺麗ですよ、仔ぶたのぬいぐるみ様」
灯火も胸の前で両手を合わせながら嬉しそうに言った。
二人に綺麗になったと褒められて仔ぶたのぬいぐるみも嬉しくって、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
りん、りん、りん。鈴の音色もとても軽やかで嬉しそう。
「さてと、それではあなたも商品棚に並びましょうか?」
そう言ってマリィは仔ぶたのぬいぐるみに手を伸ばす。
りん、りん、り…
ぴたりと仔ぶたのぬいぐるみは飛び跳ねるのを止めて、ころころと転がっていく。
それを追いかける灯火。
「あ、お待ちを、仔ぶたのぬいぐるみ様」
仔ぶたのぬいぐるみと灯火の追いかけっこ。
それを優しい眼差しで眺めながらマリィは口を開いた。
「うちのお店は骨董品屋。前は皆、別の持ち主が居たけど、でもうちのお店に来てまた違う持ち主と出会えて、次の幸せな時間を送り始める。私はね、皆に幸せになってもらいたいの。そしてそれはあなたも同じ。ねぇ、信じてみない? あなたの本当の幸せとの縁を。縁があなたを本当に幸せにしてくれるから」
りん、りん、りん、りん。
しゃがみこんだマリィはそっと足の前に両手を差し出しだして、そしてその手に収まるように仔ぶたのぬいぐるみはころころと転がり込んだ。
「あの、マリィ様」
「ん?」
おずおずと問いかけてきた灯火にマリィは顔を向けた。
「本当に、本当に仔ぶたのぬいぐるみ様は幸せになれるのでしょうか?」
きゅっと小さな手で着物の前を掴む灯火にマリィは柔らかに両目を細めながら頷いてみせる。
「この世には縁がある。私が客にあなたの噂を聞かなければ、私に【千里眼】の能力が無かったら、そしたら私は灯火、あなたには出逢えなかった。そんな風にこの世のすべての事象には何かしらの意味があって、それを縁と呼ぶの。偶然などはこの世には決して無い。すべてが必然。昨夜、灯火とこの子が出会った事も、こうなる事も。そうならこの道の先にはきっとある。こうなった事の意味が。そしてそれはこの子の幸せに繋がっていると私は信じているのよ、灯火」
「はい」
そして仔ぶたのぬいぐるみは店の商品棚に並んだ。
―――――――――――――
【仔ぶたのぬいぐるみ】
お気に入りだった仔ぶたのぬいぐるみ。
だけどあたしはその子を捨てた。
嫌いになった?
嫌いになんかなっていない。
じゃあ、どうして捨てた?
妹が、生まれたから…。
仔ぶたのぬいぐるみは好き。大好き。あたしのお友達。
だけどあたしも新しいぬいぐるみが欲しかった。
ううん、違う。本当は見てもらいたかった。
見て。
あたしを見て。
ママ、パパ、あたしを見て。
新しい玩具を強請ったのは、確かめたかったから。
買ってくれたらちゃんとママもパパもあたしを見てくれている。
だけどママもパパもあたしの言う事を聞いてはくれない。
「あなたにはおばあちゃんからもらった仔ぶたのぬいぐるみがあるでしょう?」
「そうだよ。我が侭を言っちゃダメだよ。もうお姉ちゃんなんだから」
好きでお姉ちゃんになったんじゃないもん。
何よ、赤ちゃんばかり優しくして、えこひいきして。
あたしはいじけた。
だから赤ちゃんのお気に入りのおしゃぶりを隠してやった。そしたらママもパパもほいほいとまた赤ちゃんのおしゃぶりを買って!!!
そんなのずるい。
ママもパパも本当はもうあたしなんかいらないんだ。
あたしの事は嫌いになったんだ。
とても哀しくってわんわん泣いて、それで思いついた。
もう一度だけ、ママとパパの愛情を試す方法………
仔ぶたのぬいぐるみ。
生まれた時から一緒に居たこの子が無くなったら、そしたらママもパパもそんなかわいそうなあたしに優しくしてくれるだろうか?
+++
わたくしはただただ小首を傾げるばかり。
仔ぶたのぬいぐるみ様が『神影』の棚に並べられるようになってから一週間。
その一週間の間に多くのお客様が仔ぶたのぬいぐるみ様をお求めになられた。
『まあ、かわいい仔ぶたのぬいぐるみ』
『ママー、この子、鈴が鳴るよ』
『娘のプレゼントに良いと想うのだよ』
どのお客様も仔ぶたのぬいぐるみ様をきっと大切にしてくれる、そういうお方ばかり。なのにマリィ様は………
『すみません。それはお売りできませんの。こちらの商品などはいかがでしょうか?』
そう微笑みながら接客をなされていた。
それが本当にわたくしには不思議で。
マリィ様には仔ぶたのぬいぐるみ様をお売りになるおつもりが無い?
では何故故にマリィ様は仔ぶたのぬいぐるみ様を商品棚にお並べになられたのか?
わたくしにはそれが不思議でならなかったのだけど、そんな不思議がるわたくしにマリィ様はただただ黒髪に縁取られた美貌に悪戯っぽい笑みを金色の瞳を柔らかに細められて浮かべるばかりで。
そして今日も今日とて、仔ぶたのぬいぐるみ様は商品棚に並んでおられる。
りん、りん、りん、りん。鳴る鈴。
わたくしは小首を傾げる。
「いかがいたしましたか? 仔ぶたのぬいぐるみ様?」
りん。
『隠して。僕を隠して』
「隠、す? 隠すのでございますか?」
『うん。早く僕を隠して。じゃないと見つかっちゃう』
「見つかる?」
『うん。だから早く! 早く! 早く!』
りん、りん、りん、りん。
仔ぶたのぬいぐるみ様はとても困っておられるよう。
だからわたくしは念動力で仔ぶたのぬいぐるみ様を動かした。
それと同時に『神影』にお客様がおひとり入ってこられる。小さな女の子のお客様。
そのお客様はぐるりとお店の商品を見回すと、おもむろにしゃくりをあげて泣き出しそうなお顔になられた。
かわいい顔が泣き出す寸前のくしゃっとした顔になった瞬間にわたくしは慌てるのだけど、でもわたくしの隣で一緒に隠れていた仔ぶたのぬいぐるみ様も同時にお震えになられた。
りん、その瞬間にかすかに鳴った鈴。
びくりと震える女の子。涙に濡れた顔に浮かんだのは鳩が豆鉄砲を喰らったようなきょとんとした顔。
それからもう一度、お店を見回す。
だけどしゅん、となる。
りん。その表情にお震えになる仔ぶたのぬいぐるみ様。
それの繰り返し。
「いらっしゃいませ。かわいいお客様」
新にお店に入って来たのはマリィ様。
マリィ様は頬にかかる髪を耳の後ろに流しながら、ん? と小首をお傾げになられる。
「…あの」
「ん?」
「お家のポストに手紙が入ってたの。仔ぶたのぬいぐるみ、ゴミ捨て場に捨てられていた仔ぶたのぬいぐるみ、売ってますって。あの子、あたしのなの。だから返して。お願いします」
「何の事かしら? 私にはわからないのだけど。でもその仔ぶたのぬいぐるみがここにある?」
マリィ様?
顔を横に振る女の子。
りん、と鳴る鈴。
女の子の名前をお呼びになられる仔ぶたのぬいぐるみ様。
しゅんとしていた女の子はまた顔を上げて、部屋を見回す。
「この音、あの子の鈴の音」
「そう。じゃあ、この部屋のどこかにいるのね」
「どこに居るの、あの子?」
「さあ」ひょいっと肩をすくめるマリィ様。
それからマリィ様は悪戯っぽく瞳を細められた。
「どこかに隠れてしまったのかも? ゴミ捨て場に捨てられたから」
りん、と鳴る。
「ほら、そうみたい」
またぼろぼろと涙を流す女の子。
その子の頬をマリィ様はハンカチでそっとお拭きになられる。
「あたし、ママやパパの気持ち確かめたくって、新しいぬいぐるみ、買ってもらえて…でもだめ。あたし、やっぱりあの子がいいの。あの子じゃないとだめなの。あの子がいいよぉー。うわぁーん」
良かったですね、仔ぶたのぬいぐるみ様。持ち主様がお迎えに来て下さったのですよ。
わたくしは仔ぶたのぬいぐるみ様の背中をそっと手で押して差し上げる。
だけどそれを頑なに拒まれる仔ぶたのぬいぐるみ様。
「どうしてでございますか?」
『隠れちゃった…』
「それは、でも…」
持ち主様を想って………
わたくしはマリィ様を見る。
マリィ様は心得ておられるように頷いた。
だからわたくしは仔ぶたのぬいぐるみ様の想いを感じ取る。
そしてそれを瞬間移動で持ち主様の傍らに移動して、伝える。持ち主様に触れて。
『…ごめんね………』
―――うん、わかっているよ。
『お家のポストに手紙が入ってたの。仔ぶたのぬいぐるみ、ゴミ捨て場に捨てられていた仔ぶたのぬいぐるみ、売ってますって。あの子、あたしのなの。だから返して。お願いします』
―――迎えに来てくれた。嬉しいよぉー。
だけど大丈夫? 僕が帰って、怒られない?
それに僕、ここの売り物………。
『どこかに隠れてしまったのかも? ゴミ捨て場に捨てられたから』『ほら、そうみたい』
―――迷惑がかかっちゃう。僕が持ち主様の所に帰ったら………。
『あたし、ママやパパの気持ち確かめたくって、新しいぬいぐるみ、買ってもらえて…でもだめ。あたし、やっぱりあの子がいいの。あの子じゃないとだめなの。あの子がいいよぉー。うわぁーん』
―――僕も持ち主様がいいよぉー。
持ち主様の所に帰りたいよぉー。
うわぁーん。
心に痛い程に持ち主様を想う仔ぶたのぬいぐるみ様の想い。
それはとても愛しく、尊い想い。
わたくしにも自分の事のようにわかる想い。
持ち主様、僕はここだよ。
ここに居るよ。
―――それが一番の強い想い。
わたくしが伝えた仔ぶたのぬいぐるみ様の想い。持ち主様はだから仔ぶたのぬいぐるみ様が隠れておられる場所がわかって、そこに向かって、手を伸ばす。仔ぶたのぬいぐるみ様の名前を呼んで。
「おいで。一緒に帰ろう。あたし、あなたが一緒に帰ってくれるまで帰らないんだから」
そして女の子はマリィ様を見る。
「あたし、お金なら持ってきたの。あたしが溜めたお金。全財産。今はこれだけしかないけど、でもママのお手伝いいっぱいやってそれでお小遣いをたくさんもらって、それで足りない分を払うから、だからあたしにこの子を売ってください」
両手でポシェットから取り出した貯金箱を持って、ぺこりと頭を下げられる持ち主様にマリィ様はにこりと微笑みになられた。
「いいえ、もう充分に足りているわ。あなたに仔ぶたのぬいぐるみを売ってあげましょう」
「あの、でも…」
「仔ぶたのぬいぐるみの代金はあなたの心。あなたの仔ぶたのぬいぐるみを想う心が代金。だからあなたは充分すぎるぐらいに私に代金を払ってくれたのよ」
優しく微笑みになられながらマリィ様は仔ぶたのぬいぐるみ様をその手にお取りになって、そして本当の持ち主様にお返しになられた。
りん、りん、りん、りん。
持ち主様の胸に抱かれて帰っていく仔ぶたのぬいぐるみ様の奏でる音色は本当にとても幸せそうな音色だった。
りん、りん、りん、りん。
―――ありがとう、灯火ちゃん。マリィさん。
―――――――――――――
【ラスト】
とても綺麗な月。
それを窓から見つめている灯火。
「灯火」
後ろから声をかけられて、そしてそちらを振り返る。
椅子に座るマリィはにこりと微笑んで、灯火においでおいでをし、
灯火は瞬間移動でマリィの前に移動する。
机に頬杖ついて座るマリィは静かに口を開く。
「良かったね、仔ぶたのぬいぐるみは」
「はい」
嬉しそうに頷いた灯火にマリィも穏やかに頷いて、そして蓄音機のスイッチを入れた。
静かにそれに録音されていた音が再生され始める。
「マリィ様?」
空気を震わせて、広がり始める音に灯火は小首を傾げた。
「お祝い。仔ぶたのぬいぐるみの。そして祈り。灯火が早く持ち主に出会えるように」
再生された声はとても綺麗な澄んだ歌声で、唄を歌っていた。マリィは知っている。その唄は当時若い恋人たちの間で流行った『祈り』、という名前の唄。運命の出会いを謳う恋人たちの唄。
灯火は瞼を閉じて、その声に耳を傾けて、
そしてマリィもその歌声に合わせながら唇だけを動かして、唄を聞く。
静かな静かな夜の光景。
仔ぶたのぬいぐるみと持ち主の女の子のこれからの幸せを祈るように、そして灯火も早く持ち主に出会える事を祈るように、その蓄音機の澄んだ歌声はマリィと灯火が居るその夜の空間に静かに静かに流れていた。
― fin ―
++ライターより++
こんにちは、四宮灯火様。
こんにちは、マリィ・クライス様。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。
前回のノベルもお気に召していただけましたようで嬉しかったです。^^
感想、本当にありがとうございました。^^
そして今回は灯火さんとマリィさんのお話で、ほのぼのとしたお話を、との事で、いただいたプレイングにとても嬉しくなりました。^^
プレイングに書かれていた灯火さん、マリィさんの描写にとてもほのぼのとできて。
オチはこちらで、との事でしたのでこのような結びにさせていただきました。^^
いかがでしたでしょうか?^^
あ、ちなみにマリィさんが仔ぶたのぬいぐるみの持ち主の住所を知っていたのは、仔ぶたの翼の裏側に名前と住所が書かれていたから、という裏設定があります。^^
少しでもPLさまがイメージしていたお話に添えていたらいいなと想います。^^
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。
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