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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


 □花と逢う□


 右を見、左を見て、もう一度右を見る。
 そんな動作を繰り返した後、香乃花はひょい、と首を傾げながら改めて左を見た。

「えーっと」

 左側に広がるのは木造の建物が多い、昔ながらの古い店が集う道だった。時がゆっくり流れているかのような佇まいの店が立ち並ぶ隙間を縫うように、うねうねと道が続いている。
 右にも道が続いていた。ただし店は途切れ、一本の道を挟んだ向こうには住宅街らしき壁がある。その更に向こうには緑の木々が広がっていた。
 主が待つ家へ戻るには、前に伸びている道を真っ直ぐ行けばいずれは辿り着くだろう。だが果てに広がっている人の街では見慣れない濃い緑に、香乃花の瞳は釘付けになっていた。

「森……? かなぁ」

 白や灰色の壁が続く中、ひょいと顔を出した幾つもの緑に引き寄せられるように、少女の足はふらふらと短い横断歩道を渡る。履いていた下駄ぽっくりの音が和やかな音をたてて、短い影と共に少女の後を追った。
 ぽくぽく、ぽくぽくと歩みを進めていくと、すぐに住宅街の高い壁が香乃花の視界を左右から狭くする。威圧感の漂う無機質な囲いの中、狭い場所にいるという緊張感に喉の辺りをむずむずとさせ、少女はふうと息を吐く。けれどすぐに気を取り直したように緑の目を瞬きさせると、ぽくぽくと駆け出した。
 昼間の住宅街はしんとしており、白い壁の狭間を駆ける少女を見る者も、またすれ違う者もない。
 いつしか香乃花は、自分の頭がひんやりとしている事に気付き、足を止めた。

「……あれ?」

 小さな手を伸ばして自分の頭上を確かめれば、先程まで降り注いでいた陽光の温もりが消えている。走っているうちに知らないおうちに入ってしまったのかな、と首を傾げる香乃花だったが、しかしすぐに疑問は解けた。
 足元は変わらずコンクリートの道の上にあったが、そこには影が落ちていた。建物のように平坦なそれではなく、複雑な模様をしたそれの正体を香乃花は知っていたので、自分の頭を押さえたまま顔を上げる。
 頭上には空がなく、ただ緑だけがあった。

「うわぁ」

 まるで大きな手のように、枝葉は香乃花の上を覆っていた。くるり、と後ろを振り返れば、遠くに横断歩道と相変わらずのっそりと建っている壁が見える。
 香乃花が改めて前を見れば新たな発見があった。濃い緑は香乃花のいるこの場所だけではなく、長く長く続いている。
 木々と住宅街との間に挟まれた、たった一枚の金網が、まるで現実と夢を分けているような光景がそこにあった。
 少女は緑の隙間から雨のように降り注ぐ陽光に目を細めながら、横に並ぶ木々を眺めた。整然と一列に続くそれらをじっと大きな目で追っていけば、今度は木々の間に切れ目があるのを目に留め、香乃花は木陰の中を歩き出す。

「なにがあるのかなあ、あそこ」

 好奇心のままに進む香乃花を咎める人も物もなく、あっさりと少女はそう遠くなかった木々の切れ目へと辿り着く。
 そこには質素なレンガ造りの門があった。けれど門と言っても、先程香乃花を威圧し続けていた住宅街のそれとは違い、随分と高さはない。黒い石には白の十字が刻まれていたが、香乃花にはそれの意味が分からなかった。
 うーんと唸る香乃花の耳に笑い声が響いてきたのは、その時だった。

「なんだろう?」

 やけに低い門と白十字の謎をすぐに頭から放り出し、香乃花は走り出した。門の内側は土で満たされていたので、もうぽっくりの音はしない。その代わりに土を蹴る小気味良い音をたてて、香乃花は声のする方へと、とことこと駆ける。
 声はどんどん近くなる。楽しそうに騒ぐ幼い子どものそれにつられるようにして、香乃花の胸は高鳴った。
 この先には、きっと楽しい事が待ち受けている。
 そんな予感を抱いて香乃花が辿り着いた場所は、小さな運動場のような場所だった。とは言っても香乃花にとって少し小さいな、と思う程度の広さであり、今スモックを土だらけにしてはしゃぎ回っている子どもたちにとっては十分な広さらしい。
 すると、草を抜いて作られた円形の運動場で遊んでいた子どもの一人が、香乃花に気付いて顔を上げた。その子は側にいたもう一人の子の手を繋いで立ち上がり、少し緊張した面持ちで香乃花の方へと歩いてくる。

「ねえねえ、今なにしてたの?」

 見慣れない少女にいきなり話しかけられた子どもは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに傍らの子の手を握り直しながら答えた。

「……な、なわとび……」
「それじゃあ、あっちの白いびょーんってしたのをとんでるのはなあに? なんていう遊び?」
「あのね、ゴムとびだよ。たかくしたりひくくしたりするのを、ぴょんってとぶの。ころばないでちゃんととべたら、すごいんだよ」

 もう一人の子どもが飛び跳ねて説明するのを見て、香乃花は顔を輝かせる。

「ねえ、香乃花もまぜて。びょーんってしたの、ぴょんってやりたい」
「……でも、月人せんせいがしらない人には気をつけなさいって言ってたよ。おねえちゃん、しらない人だし……」
「香乃花はこわくないよ、みんなと遊びたいだけだもん。ねえねえ、まぜて」

 二人の子どもは顔を見合わせて小声で何事かを相談すると、「ちょっとまってて」と言って運動場へと駆け戻った。
 ゴム跳びをしていた子どもたちとの間で会話がされ、それが周囲に飛び火したのか、運動場にいた子ども全員の目が香乃花へと向けられた。
 だが、訝しげな目や怖がる目を向けられても何も臆する事無く、その全てに笑って返す香乃花を見て、ゴム跳びの説明をした先程の子どもが一歩を踏み出してその手を取る。

「えっと…………」
「香乃花だよ」
「うんと、かのかおねえちゃんがいっしょにゴムとびしたいって言うんだけど。ぼくともうひとりいなくちゃできないから、だれかもうひとり、いっしょにあそばない?」

 その呼びかけに他の子らは少しだけざわめいたが、やがて一人、また一人と香乃花の側へと歩み寄ってその顔をまじまじと見つめてきた。
 笑みを浮かべた視線に応えていると、ふと香乃花はもう一方の手のひらが温かくなったのに気付いて下を向く。

「あの……」

 恥ずかしそうに、けれどしっかりと香乃花の目を見て、香乃花の手を掴んでいた子どもは言った。

「いっしょに、ゴムとび……しよう?」

 香乃花は何度かぱちぱちと瞬きをすると、

「うんっ!」

 と、満面の笑みを浮かべたのだった。 





 教材を両手に、長身の青年がしずしずと廊下を歩いている。
 落ち着いた黒の髪と同じ色をした牧師衣装は、窓から射し込む太陽の光を柔らかく受け止め、静かに己の内に熱を宿していく。春の陽気、その温もりを存分に受けながら青年は足を止め、窓のひとつから空を見上げた。

「……ああ、いい天気だ」

 安堵したかのように息と共に声を吐き、目を細め彼方にある太陽を眩しそうに眺める青年の瞳は、今彼が見上げている輝きとは正反対の光を宿していた。
 青年の瞳は光と暖かさを放つ太陽とは違い、凝縮された輝きをひっそりと湛えている。人にはない金色を両の目に宿した青年の周りには、けれど不吉な空気はない。白と黒に覆われた青年はただひっそりとそこに在り、穏やかな気配だけを生んでいた。
 ふうと息をつき、青年はまた廊下の向こうへと歩き出す。もうすぐ子どもたちが昼寝をしに戻ってくる頃合いなので、早く布団を敷いておかなければならない。
 だが。

「――――?」

 足を止め、再び窓の外を見ながら青年は耳を澄ました。
 運動場で遊んでいる筈の子どもたちの声が、聞こえない。
 この廊下は保育園と教会を繋ぐ連絡通路のようなものであり、運動場とは反対側に位置している。普通の人間の聴覚では決して聞こえはしない場所だというのに、けれど青年は聞こえない、と眉を寄せた。

「何か、あったのか」

 別の先生がついている筈だが。と呟いたすぐ後に子どもたちの遊ぶ声は戻ってきたが、青年は訝しげに眉を寄せていた。

「気のせいか? しかし……」

 そう呟いた青年は少しだけ足を速め、長い廊下を渡っていった。
 布団敷きは別の先生に頼もう。そんな事を考えながら。





 香乃花は背後から響いてきた声に一瞬背筋を凍らせ、十分跳べる筈だった位置のゴムに足を引っ掛けてしまう。

「あ」

 痛い。
 とっさについた両手と鼻の頭がひりひりとする感覚に、香乃花は土の上に転がりながら涙を滲ませた。
 おかしい、なぜだろう。そんな疑問が小さな頭の中をぐるぐると回っている。背後から聞こえた声は単に子どもたちを集める為に発せられたもので、低いけれども優しげな声だった。香乃花の耳にもそれは優しく届いた筈だというのに、その声を聞いた途端に少女の背は固まった。まるで異質な響きを耳にしたかのように。

「うぅ……」

 だが、そんな疑問を吹き飛ばすかのような痛みが少女を襲った。膝が、手が、様々な場所から駆け上がる痛みにぎゅっと目を閉じれば、涙が土に染みを作った。
 いたいよう、いたいよう。ヌシ様、ヌシ様あ。

「――――ふぇ」

 あと少しで泣き叫んでしまいそう、そんな時だった。
 香乃花の視界が一面の土から、ふわりと引き離されていく。涙が空に軌跡を描く様を呆然と見つめているうちに、香乃花の背中は温かなものに包まれた。

「大丈夫ですか?」

 降りてきた声は、先程と同じものだった。香乃花は驚いて顔を上げ――――

「月人せんせい、かのかちゃんだいじょうぶ?」
「ええ。でもちょっと擦りむいているようなので、消毒しなければいけませんね。先生、すみませんが皆を教室に。私はこの子を治療してきますので」

 牧師服をまとう青年は香乃花を抱きかかえながら立ち上がると、そう言付けて運動場をあとにする。子どもたちは心配げな顔をしながらも、別の青年に連れられて建物の中へと戻っていった。
 後に残ったのは、別棟の教会へと足を運ぶ青年の足音だけになった。さく、さく、と乾いた土の上を歩き、教会の扉へと手をかける。廊下を渡り、部屋に入ってもなお、腕の中の香乃花はただ無言だった。
 そんな少女の様子に首を傾げながら丸椅子に少女を降ろすと、青年は同じ目線になるように屈んでみせた。だがそれだけだというのに、香乃花はおびえたように擦りむいた両手をきつく握りこむ。

「怖がらないで、私は貴女に危害を加える者ではありません」

 けれど香乃花は震えながら、小さな椅子の上を後ずさる。

「うそ、香乃花知ってるもん。お兄さんみたいなおおかみは、香乃花みたいな小さいねこなんて、ぺろりと食べちゃえるもん」
「!」

 少女へと差し伸べようとした青年の手が、宙で止まる。眼鏡の奥、瞳の金色を見開いて青年は呆然と呟いた。

「おお、かみ?」
「あなたは大きくてぎんいろのおおかみさん。つめたい気配もする、水? ……ううん、氷。さわっただけでこおっちゃいそうな、すごくつめたい気配。香乃花よりも、もっとずっと長生きの――――」
「待って下さい」

 柔らかな声音で震える言葉を止めると、青年は耳をそばだて何の気配もないのを確認し、改めて香乃花を見た。

「ええと……香乃花さんでしたね、まず名乗っておきましょう。私は叶 月人。月人と呼んで下さい。ねえ、香乃花さん。私と少しお話をしませんか?」
「おおかみさん、香乃花を食べない? ひっかいたり、しない?」
「もちろん、そんな事は絶対にしません。さあ、手を開いて。このままだとばい菌が入ってしまいますから、きちんと汚れを落として消毒しないと。ああ、膝からもちょっと血が出ていますね。では治療しながらお話をしましょうか」
「…………はい」




 土を拭いた濡れタオルを洗面器の中に落とすと、月人は救急箱の中から絆創膏を取り出して言った。

「――――成る程、香乃花さんは猫の化身でしたか。しかし何故また人里に?」
「うんとね」

 膝に絆創膏を貼られながら、香乃花は思い出すように天井を見る。

「香乃花たちは家族でずっと山にいたんだけど、二年ぐらい前かなあ、街におりてきたの。初めて見る街は人も物もいっぱいあって、香乃花はとても頭がふらふらしたの。それでふらふらって色んなところ歩いていたら、もうどこがどこなのか分からなくなっちゃって。
 それでみいみいって鳴いてたら、ヌシ様が『ウチの子になる?』って、香乃花をひろってくれたの。それから香乃花はずっとヌシ様といっしょ。香乃花はもうヌシ様のとこの子だから」

 でね、ヌシ様はいつもいいにおいがして、とってもきれいなの。
 そう微笑みながら言う少女の手を取って絆創膏を貼ると、月人は安堵した。もうこの小さな手は震えてはいない。

「香乃花さんはそのヌシ様が好きなんですね」
「うん!! ヌシ様はちょっとおうちのことができないんだけど、香乃花が手伝えるからそういうところも好きなの。ねえねえ、月人さんは? 月人さんはおおかみだよね?」
「ええ。私の実体は、貴女の言った通りの風貌をした狼です。大きくて、そして冷たい――――……」

 治療を終えて近くの椅子に座り直した月人は、自分の手を見下ろった。そこには人間の男の手しかなかったが、その皮の向こうに銀色に光る己の体毛と爪が見えたような気がして、そっと拳を握る。
 と、呼び声に月人は手から香乃花へと視線を移した。

「はい?」
「あのね月人さん、今度は香乃花がしつもんする番ね。ねえ、ここはどこ? 月人さんは何をしている人なの?」

 矢継ぎ早な質問に、青年は柔らかく笑って答える。

「私はここの教会でお勤めをさせてもらっている他に、先程貴女が一緒に遊んでいた子どもたちの通う付属の保育園で、保父をしています」
「ほふ?」
「保父というのは子どもたちとほぼ毎日一緒に遊んだり、勉強をしたり……そうですね、ここの保育園は教会が隣接しているので、神の教えを説いたりもします。私は牧師も兼ねているので」
「いいなあ、楽しそう。さっき香乃花もいっしょに遊んだけど、とっても楽しかったもん。そういうのが毎日あるの? いいなあ」

 緑の目をきらきらさせる香乃花の頭にそっと手を乗せ、月人はゆっくり黒髪を撫でて言う。

「それなら、どうぞまたここに遊びにきて下さい。さっきの様子を見ると、子どもたちも貴女の事が好きみたいでしたからね。また来てくれれば、子どもたちも喜ぶでしょう」
「いいの?」
「ええ、もちろん。私の方から他の先生たちにも話をしておきますから」
「わーいっ!」

 ぽふ、という音と共に月人のわき腹に何かが当たる。下を見ると、嬉しそうに顔をほころばせた香乃花が服にしがみついていた。
 月人は一瞬目を見開いたがすぐに目を細めて、もう一度少女の頭に手を乗せる。

「私の事は、もう怖くありませんか?」
「うんっ。最初はおおかみだーって思ったらすっごく怖かったけど、今はぜんぜん平気。月人さん、おおかみだけど優しいもん。――――あ」
「何ですか?」
「月人さん、おおかみだよね。そういえばどうしてお山から下りてきたの? おおかみもお山のいきものでしょう?」

 その言葉に月人は少女の頭を撫でる手を止め、遠くを見た。
 
「そうですね……ここに来たのは四年ほど前ですが、山から下りたのはもう随分前になります。それからはずっと各地を転々としていました」

 暖かな日差しの中、香乃花は青年のわき腹にもたれかかりながら上を見て、次の言葉を待つ。
 時を探るような僅かな沈黙の後に、青年は言った。

「――――私は、人を探しているんです」
「人?」
「はい。色んな場所を渡り歩いているのも、その為です」

 懐かしげに目を細め、彼は続ける。 

「しゃんとした背をした、綺麗な人でした。彼女が歩く、それだけで周りの空気に色がついたようでした。彼女はいつも、いい香りのものを身につけていましたから。見た目は物静かそうでも、意外とはっきりものを言ったりする。そんな人でした。
 もう何年探したか……。今では生きているのか、それとも亡くなっているのかすらも分かりません」

 香乃花はその時、白昼の中に銀色の毛並みを確かに見た。
 質素な教会の一室で、憂いを含んだ金色をただ前へと向ける銀狼の姿が、そこにあった。獣の気配は変わらず冷たさを漂わせていたが、過去へと思いを飛ばし一人の者への想いに満ち満ちている眼差しだけはひどく熱を持っているようで、香乃花はこくりと息を呑む。

「月人さんは、今もずうっとそのお姉さんを探しているの? ひとりで」
「ええ」
「さびしくないの?」
「少しは。ですが、探し続けていればいつか会えるかもしれないと思うと、ひとりもそう辛いものでもなくなりました」

 微笑んで視線を戻した青年は、もう銀狼の姿ではなかった。だがその眼差しは変わらず想いに満ちた色をしている。
 牧師服を握りしめ、香乃花は言った。

「ねえねえ、そのお姉さんがどんな人だったのか、もっと香乃花に教えて」
「え?」
「香乃花もいっしょにお姉さんさがすの。ヌシ様お店やっててね、香乃花もそこでお手伝いしてるから、もしかしたらそこにお姉さんが来るかもしれないでしょ? それにひとりよりふたりの方が、もっといっぱいさがせるし」

 少女の申し出に、月人は驚いたように何度か瞬きをした。

「いいんですか」
「月人さんは香乃花にまたここに来ていいよって言ってくれたし、それにばんそうこうも貼ってくれたもん。だから香乃花も月人さんにお返ししたいの」
「……ありがとう。それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
「うん! じゃあね、香乃花しっかりおぼえるから、どんな人なのかおしえて」
「分かりました」

 月人はまぶたの裏に追い続けている人を思い出しながら、ひとつひとつの特徴を口にしていく。
 長い黒髪、滑らかな白い肌。凛とした瞳と綺麗な背中は着物によく似合っていた。
 そして。

「ああ、そういえば彼女は香をたしなんでいました。いつもいい香りがしたのはそのせいです。必ずと言っていいほど帯から香袋を提げていましてね、それはいつもどこか楽しげに揺れていて――――」

 そこまで語ると、月人はふと香乃花が首を傾げているのに気付いた。

「どうかしましたか?」
「あ、うんとね、偶然だなあって思ってたの」
「? 貴女の近くにも似たような人が?」
「うん。ヌシ様は長くてきれいな髪で、いつも着物をきてて、そしていい匂いもして、香袋をいつも三つさげてるの。だからとっても似てるなあって」
「…………え?」


 それは。
 いや、けれど。


 鼓動の高鳴りが月人の戸惑いに拍車をかける。まさか、そんなという言葉がぐるぐると青年の脳裏を巡った。
 
「それ、は」

 月人は口を開いた。もし、もし瞳の色が見まごう事のないあの色だったとしたならば、それは、きっと。
 だが青年の口から問いがこぼれる事はなかった。

「あ…………」

 時を告げる鐘の音が響くと同時に、月人の耳は遠くで昼寝から起き出した子どもたちのざわめきを聞き取っていた。


「時間――――、ですね」


 唇からこぼれたのは、長い息ひとつ。





 門の中に月人、外に香乃花が立っている。
 少女の手には地図が握られており、それにはこの教会と保育園から香乃花の住む町までの道のりが記してあった。

「一人で大丈夫ですか?」
「うん、だいじょうぶ。それじゃあ月人さん、また遊びに来るから!」
「いつでも来て下さいね。私も皆も、待っていますよ」

 元気よく駆け出した少女の背中を、月人は見えなくなるまで見送っていた。
 小さな背が角を曲がり、完全に見えなくなったところで、青年は門へと身体をもたれさせる。

「――――まさか、な」

 こんなに都合よく、見つけられる筈がない。もう随分と永い間探して探して、そして見つけられなかったのだ。
 そんな筈は、ない。

「………………」

 すっと立っていた懐かしい女性の後ろ姿を思いながら、月人はそっと目を閉じ、小さく名を囁いた。
 散って久しい桜の名残だけが、そっと地に伏せたままその囁きを聞いていた。





 END.