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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


羇旅にして思ひを發す



 さらさら、さらさら
 水の流れる音が、遠く近く響いている。
 ふつり、ふつり、ふつり
 水の音に合わせて聴こえてくるのは、桜の蕾が次々に紅く綻んでいく音だ。
 桜の花は、それを揺らし流れる風に舞い、あるいは謳うように流れていく。
 天には既朔の月が架かり、その他に瞬くものの姿一つ見当たらない、文字通りの漆黒の空がそこにある。
 時は現代より数百年ほどはさかのぼろうか。夜が夜として正しく在った頃の事。間もなく訪れるであろう波瀾の時代をまだ知らぬ、どこかまだ安穏とした時の流れていた時世。

 風と闇とが巡り合わせたのは、その夜の内での事だった。



 末期の絶叫を轟かせ、化生のひとつが、自身を切り裂いた一人の男を睨み据える。
泥のようなものを吐きだしながら自分を睨み据えているそれに抑揚のない視線を返し、男は手の内にある大鎌を振り上げ、口を小さく動かした。
おそらくは何事か言葉を成したのであろうが、それは化生の怒声によってかき消え、射る光の一つもない闇の中に飲み下される。
 天に架かっている二日月が、男の手の内の鎌を刹那照らし、一閃鋭利な光を放つ。その次の時には、化生はその髄ごと両断されて、男の影に居た獣の顎門によってひとのみに飲み下された。
 化生の遺した血流を帯びた桜の花が男を囲み、恨めし気に、あるいは称えるように、ふつりふつりと舞っている。男はその花を見るともなしに見やり、それからゆっくりと目線を持ち上げ、光の射さぬ枝の中に視線を投げた。
 そこにいたのは一人の女。女は長い黒髪を夜風に躍らせ、白く華奢な指先で桜の枝をくるくると回転させて、自分を見上げる男の視線に明るい笑みを返す。
「鮮やかな手並みね」
 腰を据えていた枝の上に立ち、女はそう口にして、さほど月明りもない闇の中で光る青い双眸を細めて笑う。
 男は女のその言葉に表情を変える事もなく、銀色の眼差しをゆらりと細め、ただ黙して女を確かめる。
「…………貴女は」
 やがて告げられた男の声音は、闇に融けいっていきそうに低く、しかしどこか虚無を抱えたようなものだった。
 男は虚無を抱えた声音で言葉を継げる。
「聖、あるいは邪……どちらに与するものか?」
 銀色の眼差しが、揺らぎなく真っ直ぐに女を見捉える。女は肩を竦めて微笑してみせると、風に踊る髪を片手で制しながら口を開けた。
「先刻の化生にも、同じ問いかけをしてたわよね」
 告げて、男の表情を確かめる。しかし男はやはり変わらず、眉ひとつ動かしてみせる様子もない。
「貴方はどちらを望むの?」
 訊ね、幹に手を添える。ふつり、ふつりと謳うように花が綻び、散り舞って往く。
 男は女の言葉に、ようやく僅かに表情を動かした。無論それは、ともすれば見逃してしまいそうなほどに些細な動きではあったのだが。
「――――――――私は、」
 言いかけ、言葉を飲む。見に纏っている黒装束が風にそよぎ、はたはたと小さな音を立てた。
 女は男の言葉に首を傾げると、ゆっくり両腕を開き、風を抱いた。
「桜花 咲きかも散ると見るまでに 誰れかもここに 見えて散り行く」
 謳う花達に合わせ、女もまたそう詠う。澄み渡る、響きの良い声だった。
「先刻の化生も、私も、貴方も、ただこの木の下に集った同志。その集いし者を散らせた貴方こそ、何方?」
 訊ね、次の時には女は男のすぐ目の前に立っていた。男の眼を覗き込むように見据え、屈託のない笑みをのせて。
「私の名は真。貴方は?」
「……問いかけに対しての答を、受けていない」
 名乗った真に、やはり虚無を孕んだ視線をぶつけ、男は手にしている大鎌を握り直す。
しかし真はただ屈託なく笑んでみせ、男の目の銀を覗きこんでいるばかり。やがて男は小さなため息を洩らし、
「葛城夜都」
 小さくこぼすようにそう口にした。
「夜都」
 繰り返しそう続け、真はふわりと踊るような足取りで桜の幹に近付く。その周りを、花びらをはらんだ風が囲む。
「百鬼夜行ね」
「……?」
「夜の都は、行き場のない魍魎達が跋扈する場でしょう?」
「――――あぁ……」
「ふふ」
 紅の花がはらはらはらと舞い、夜都の手にふうわりと止まる。夜都はその花に一瞥してから、改めて真の姿を確かめた。
「……先刻の問い、答えを返すなら、」
 夜都の視線は微塵の情や心を孕まない、空っぽな虚無。その虚無を見つめたまま、真はゆっくりと言葉を続ける。
「きっとその答えは、私には正しく返すことが出来ない」
「……」
 夜都の足がじわりと動く。糸のような月が大鎌の鈍色を照らし、瞬く。
「貴方も私の問いに答えてないわ」
 真が笑う。夜都の足が、ひたりと止まった。
「…………私は夜都」
「名はもう聞いた。そうではなくて、貴方は何方?」
「…………」
「答えられないでしょう?」
 小さな笑みを零しながら、真はふわりと舞うように歩み、夜都のすぐ前で足を止めて首を傾げる。
「私も、貴方も、自分が何者なのか、答えることが出来ない者同志なのね。だから貴方は先刻のような問いを繰り返しているのではないの?」
「……」
 言葉に詰まった夜都に笑みを向け、闇の向こうに吸いこまれ消えた獣の息使いに一瞥すると、真は視線を持ち上げて桜を仰ぎ眺めた。
「桜花は対極する二つの名を持っているの、知ってる?」
「桜花は根元に骸を抱え、それを糧として花開くのだと聞いた事がある」
「そして、桜花は神の居り花。サが穀物を、クラが神座を示しているから。神の拠る花、そして骸を糧とする花。対極な顔よね」
 笑みを絶やすことなくそう告げて真はひらりと跳び上がり、先刻まで腰を据えていた枝に立って、一振りの枝に指を伸ばした。
そしてその枝を手にしたままで再び地表へと降り立つと、その枝を夜都へと差し出して大きく頷く。
「私達はこうして容易く他の命を奪うことが出来る。人である身でも、穀物を採り、魚を獲り、それを奪っていくことで生きていく。貴方のような者であれば尚の事。この刃を一つ振るうことで、一つの命を奪い滅することが出来る」
 夜都は黙したまま、真が差し伸べた枝に手を伸ばした。その眼が、幽かに揺らいでいるように映ったのは、それは刹那の事。
「だけど、貴方は何の為に、ああいったものの命を奪うのかしら?」
「……父の腹を満たすために……」
 答える夜都の声に、姿を潜めている闇が静かな唸りを響かせる。
 真はその闇を真っ直ぐに見据えた後に、ゆっくりと首を振った。
「それは、貴方の望み?」
 夜都は答えず、初めて真から目を逸らした。

 夜風がざわざわと木の葉をかき撫でて過ぎていく。桜花が生まれては散っていく。

「私は、何の為に生きているのか、分からない」
 真の呟きに、夜都は逸らしていた目を再び真へと向けた。
真は睫毛を伏せ、虚ろな笑みを浮かべて首を振っていた。
「だけど、風はいつも優しい。……私の心を、いつも宥めようとしてくれる」

 夜風がざわざわと木の葉を揺らし、桜の花びらは真の心を慰めるかのように、ふわりふわりと踊るように舞っている。

「……闇は」
 夜都が、呟くように言葉を告げた。
「闇は、私には心地良い。……まるで、」

 既朔の月が天に在る。それ以外には瞬くものの一つも見当たらない、漆黒の空がそこに在る。

「――――まるで、懐かしい腕の……」
 発しかけた言葉に、自分自身驚きを禁じえないといったように、ゆっくりと首を振ってから、夜都は小さく短いため息を吐いた。
「否、闇は私の帰すべき場だ。故に私にはここが心地良い」
「……問いへの答えになっていないわ」
 伏せていた睫毛をそのままに、真は小さく吹き出した。

 夜風が花を散らす。
 桜花は生まれ、消え、そして地に還るその一瞬まで懸命に命を燃やし、夜の闇を彩っている。
 天には二日月。漆黒ばかりの闇を、一筋照らす希のように。

「貴方も私も、きっと同じ心を持っているのかもしれないわ」
 差し伸べた枝を夜都が受け取ったのを確かめて、真はゆっくりと睫毛を持ち上げ、穏やかに笑んだ。
「心を同じくする者が、今日この場に集ったのも、何かの縁かもしれないわよね」
「…………先刻のあれは、万葉の歌ですよね」
 夜都の手にあった大鎌は、いつしか姿を消していた。代わりに手にしているのは、鞘に収まった一振りの刃と、手渡された一振りの枝。
「誰れかもここに 見えて散り行く。――――いつかお互い、問いへの答えを持ち寄れたらいいわね」
「いつか、ですか? ……それはどういう」
 口にしかけた問いに笑みを返し、真はふわりと舞うように踵を返す。
「風が在る限り、時はいつでも、いくらでも巡るわ。貴方が生きている限り、また何処かで会いましょう、夜都」

 夜風が、ほんの瞬きの間強く吹き、夜都はほんの少しの間、眼を細ませた。それは瞬き一つに足りぬ、ごく僅かな時のはずであったのだが。
 そこには真の影さえも残されてはいなかった。
 ただ、花を孕んだ風が、滑らかな夜のしじまを撫でていくばかり。

―― 了 ――