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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


交渉人急募!!

Opening

 逢魔が時、窓に掛かったブラインドに夕刻の橙に染まる光が差し込み、書類で山積みになったデスクを照らしていた。
 不吉な予感。
 その悪魔のような不気味に鳴り響く足音は次第に大きくなっていく。ブースの中で誰もが固唾を呑んだ。あいつだ、あいつがやってくる、そう予感していた直後に――――。
「じ、事件ですっ!!」
と同時に風を切るような音がして、扉を開けた悪魔のような眼鏡男が編集部入り口に立っていた。
 ああ、やっぱりと心の中でため息を吐く編集部一同。処理仕切れない仕事がさらに増えた彼らにとってこれ以上の事件≠ニ名が付くものに辟易としていた所であった。
 事件です、事件ですと繰り返し一人慌てふためく三下忠雄。もつれて転びかけた足取りを必死に取り繕い、ようやく編集長碇麗香の前で肩を息をするように深呼吸をした。まるで遠方から遙々厄介な物を運んできた然とした様子だ。
「た、た、た…………」
 動揺しきった三下忠雄は滑舌が上手く回らない声で、こう続ける。
「立て籠もり事件発生です!」
 懸命に訴える三下忠雄に対して碇麗香は反応する様子もなく、バインダーに収められた近年増え続けるUFO研究家の退行年齢化状況をグラフ化した資料に目を通していた。誰が見てもそんな資料に価値があるとは思わないだろう。
「へぇ」
と流し目のように彼を見下ろす編集長。
「ああっ、蔑まないでくださいっ!!事件なんです。それがただの立て籠もり事件じゃないんですっ。交渉人が一般に募集されてるんです!!」
「そういうのは今人気映画出演中の人に頼みなさいね」
 と碇麗香は言い退け、またファイルに視線を落とした。
「彼は忙しいんですっ、だから一般応募で交渉人を募ってるんです。日本唯一の交渉人が手塞がり今現在に他の交渉人≠ェいないんですっ」
碇麗香はため息を吐いて腰に手を当て、三下忠雄を睨め付ける。
「じゃあ、貴方がしなさい。同じ下≠ェついてて丁度いいじゃない。私は忙しいの。今からニラサワ氏との面談があるんだから」
「えっ、あの人この編集部に来るんですか………………じゃなくてぼ、僕がするんですか!?」
「受けた以上、しっかりやって頂戴ね。自分の命を賭しても」
「そ、そんなぁ…………」

Tale 1 Egg

快晴。
 空一面、見渡す限りの鮮やかなスカイブルー。
 まるで、このまま大地の鎖を引き離して吸い込まれそうな空。
 もし飛べたら。
 あの蒼穹の彼方で巨大なソフトクリームみたいに待ち構える入道雲を舐めてみたいと心の中で呟く。
(きっと舌が溶けるくらい甘いに違いない)
「今日もお日柄」
シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)はブランコに揺られながらは独り言ちる―――――涎を垂らしながら。
 ふと気が付いて青空の下、比較的広い公園―――ゾウの滑り台やジャングルジム、キリンの揺り木馬がある―――に目を落とす。案の定、サッカーボールで遊ぶTシャツの子供達が時折シオンを指差して、ひそひそ話をしていた。見守る母親が慌てて見てはいけないと注意を即している。
 ぐう。
「ふう」
お腹の鳴る音とため息が同時に出る。
「私は………」
 シオンは独りごちると、蒼の宝石が入った指輪と革の手袋を外し、掌を空にかざす。太陽の光が掌から漏れて、シオンは目を顰める。
「私はマッチ売りの………」
 夢のような灯火。
 沢山の甘いスイーツが目の前に並び、走馬燈のように蘇る。アップルパイ、ジェラート、チョコレート、杏仁豆腐、チーズケーキ、クレープ、フルーツケーキ、マロングラッセ、ババロア、イチゴタルト、シュークリーム、エクレアにミルフィーユ。
「私はマッチ売りの――――」
 眠そうな目の犬がブランコの鉄柱に放水する。
「しょうっ………」「あのっ」
 どこからか別の少女≠フような女性の声がしてシオンはを涎を垂らしながら振り向く。ただならぬ<Vオンの動作に犬が驚き、怯えるように走り去っていった。
「いいお仕事あるのだけれども、しませんか?」
シオンの目の前には白いエプロンを着た女性。まるで今し方どこかの飲食店から出てきたような出で立ち。化粧をしていない女性は腰に手を当てて、ブランコで餓死寸前のシオンを物珍しそうに見下ろしている。
「ハイ、マッチを売ればいいのですね……私は可哀想なマッチ売りの少女です………ああ、デザートの女神が見えます……」
「ありがとう」

Tale 2 Soft flour

シオンはその女性に着いていく。行き交う人々を通り抜けて、向かうところ遮るものがない風のように歩いていく女性。栗色の髪の毛がなびく後ろ姿。腰にエプロンの紐が括り付けられていて、エプロンの裾が―――――消えかかった足下で揺れている。
 シオンはその女性の背後を虚ろな目で追いかけていた。足取りは軽くも重くもなく、まるでシュークリームの上を歩くように、覚束ない。
 パチンコやアナウンスの電気音が鳴り響く商店街を抜けて、大通りの集合交差点に入る。誰も女性を振り向かない。青信号を告げるもの悲しい音楽が人々の頭上に降り注ぐ。シオンはそれでも女性に付いていった。まるで身も心も小さな後ろ姿に誘われているかのように。
 視界がふらつき、残像が残る。シオンの傍を横切るスケボーを抱えた少年が二重になって見えた。少年が過ぎ去るとき、拡声器からノイズを発するような、雑音が耳元をつんざく。炎天下に熱せられたアスファルトが陽炎を作りだしている中、白いワイシャツのサラリーマンが鉄柱の横でペットボトルを飲み干し、虚ろに歩くシオンを盗み見る。
 彼女の作り出す異質な空間でシオンの嗅覚は確かにその匂いを捕らえていた。彼女のエプロンに染み込んだ甘い匂い。小麦粉や砂糖の汚れ。間違いなく――――。
「スイーツ……」
 ―――お菓子のそれだった。
 
Tale 3 Butter

大手IT企業ビル前。女性は急に立ち止まった。
 シオンを振り向いて。
 微笑む。
 かき消えるように彼女の姿がフェードアウトした。
 それと同時に―――。
 警報。
 ―――ビルの入り口から大勢の人々が雪崩れ込んできた。
「きゃぁ」女性の声。「うわぁ」男性の悲鳴。
オフィスレディやサラリーマン、スーツを着た女性が一体になってシオンの傍を我先と駆け抜けていく。ビル前は悲鳴と怒号が渾然一体となり、辺りは騒然となった。警備員によって警報が鳴らされ、誰かがビルの上を指差す。
「人質だ!」
シオンが空を仰ぐと、赤いポリタンクを抱えた男が何かを捲し立てている。その男に抱えられるように脅されている一人の少年。
「あの人は……」
 マリオン・バーガンディ(まりおん・ばーがんでぃ)だった。


エレベータから降り、オフィスに入ると涼しい空気がシオンの肌に触れる。
「誰だ!?」
「シオンさん!」
シオンの侵入に気が付いたのか、立て籠もっていた男が怯えた声を張り上げる。その横で、縄に縛られたマリオンがシオンに気付いてシオンに目配せする。
「あ、すみません、ここが仕事場でしょうか?私、シオン・レ・ハイと申しまして、先ほどお菓子の香りがする女性に案内されて来たのですが……」
 シオンが事情を告げると、男は肩を怒らせ、ポリタンクの置かれたデスクの近くで机を拳で叩き、シオンを睨め付ける。
「知らん!何のことだ!お前警察か!?こいつの知り合いか?」
指差されたシオンはかぶりと手を振って丁寧に否定する。
「警察ではありません。マリオンさんは私の知り合いというか……ええと、ですから仕事を紹介されてここに来ただけで……。マリオンさん」
「はい?」
縄に縛られたマリオンは淡々とした様子で縄に縛られても意に介さないようだった。
「何の仕事してるんですか?」
「人質です」
マリオンは微笑んだ。


三十分後。消防車や救急隊、警察やマスコミが駆けつけて、ビル階下では大騒ぎになっていた。犯人の男は企業ビル内の監視カメラ所在を確認し、その力を借りて、もし踏み込めば撒いたガソリンに火をつけると脅した。
 その後何度も電話が鳴らされ、男は受話器を取るものの、一向に人質解放の条件に耳を貸さなかった。
『落ち着いてください、何か不満なこととか、要求とかあるんですか。もしあれば、交渉人こと、私魔殿飛鳥に是非理由を聞かせてくださいっ!』
「大量の砂糖に、ケーキ食材一式だ!砂糖多めだぞ。トラック一杯に積んでこい」
 それを聞いた魔殿飛鳥(まどの・あすか)は電話の向こうで唖然とする。
『えっ?何ですって?さとう?さとう……さとう……あ――――B作さんですか?』
「ちーーがう!栄作でもB作でもない!さ、と、う、だ!甘い砂糖だ!」
 犯人は続けて、
「全部一時間以内に持ってこなければ人質を殺す!」
 と言って、受話器を切った。
 それを傍聴していたシオンとマリオンはロープに身体を束縛されながら顔を見合わせて、肩を竦める。
 犯人の男は神経質に何度も「早くしろ、早くしろ」と呟き、腕時計を見ては刻み足、オフィスの時計を見ては地団駄、その繰り返しだった。
 緊張の合間、第一声を上げたのはマリオン。
「何故、お金を要求しないんですか?」
犯人の男は三十代前半といった体で、あまり冴えない中年であった。その男は人質であるマリオンとシオンを見下ろして、怒鳴ると思いきや表情を緩ませて、
「すまない。事情があるんだ」
とか細い声で心の内を明かすように言葉を吐き出した。
「それは、ガソリンではないですよね?」
 マリオンは顎で赤いポリタンクを指し示した。
 男は一瞬目を丸くすると、自嘲するように片頬笑み、「あぁ」と答える。
「ブランデーだよ。あんたを脅したのもナイフじゃない。ただの」
犯人の男は掌から、銀色に光る物を二人に見せた。それは―――。
「バター………」
 バターナイフだった。
 それから男は二つのポリタンクに入った液体に視線を注ぐ。シオンとマリオンが縦長の赤い容器に目を移すと中で少し茶色がかった液体の様子が透けて見える。
その時二度目の電話機の音が鳴り響く。
 男は慌てて受話器を持ち上げると、急いで声色を変えて「何だ?」と訊ねた。
『あ、ええと要求は用意することにしました。中にいる二人の様子を教えてください』
「無理だ。さっさと持ってこい。よからぬ事をしたらガソリンに火を点けるからな」
 男は数分魔殿飛鳥と言い合っていると、受話器を手で覆い、シオンとマリオンに向き直った。
「何か欲しい物は?」
「え、食べ物でもいいんですか?」とシオン。
「交渉人が君たちを心配して注文を取るそうだ」
「え、じゃあ!等身大パフェ、10個お願いします!」
シオンは縛られながら中で涎を垂らしながら言って、
「あ、僕はグランドチェリーのボンボンを5個」
 マリオンは縛られながら嬉々とした瞳で告げた。

Tale 4 Strawberry

 立て籠もりから二時間後。すっかり陽は暮れて、オフィスの中に僅かな蛍光灯が灯された。逃げ出した人々が脱出する際によほど慌てたのか、書類やファイルが散乱して、床に散らばっていた。ビルの窓から騒ぎの音がくぐもって聞こえてくる。
 男は相変わらず時間を気にして、腕時計に目を落としている。
 シオンは今にも泣きそうな顔をして頭をきょろきょろと動かしている。開口一番、シオンは口を開いて、
「テレビはないんですか?時代劇が始まっちゃいます……楽しみにしてたのに」
と犯人の男に懇願するような目で訴えた。
「ない………みたいだな」
男はそう言うと、タバコの箱から一本取りだ、火を点けた。
 シオンは困惑と泣きっ面の表情で「うぅ」とうめき声を漏らし、頭を垂れる。マリオンは相変わらず自然体の様子で良き人質であることを享受しているようだった。
「あの……」
 シオンはまた犯人に呼びかけて、
「私に人質の価値はあるんでしょうか?あるとしたら何点ですか?」
「んー、四点」
「寸分の価値もないですやん。もっと上げてください」
「ためしてガッテン」
「納得して頂けたでしょうか?って違う!」
「テンテン」
「ハイ、私は上野のパンダ、ってちがーう!」
シオンは嘆いてがっくりと項垂れた。意気消沈したシオンが怨念のように何かを呟いているとその様子を見ていたマリオンが犯人に顔を向けて、
「何故、砂糖や卵なんか要求するのです?お菓子でも作るつもりなんですか?」
 と鋭い視線でその質問を口にする。
「…………………」
「貴方はパティシエか何かですか?」
「…………ああ………」
「どうしてこんなことを?」
「俺は――――」
 男は点けていたタバコを灰皿にもみ消し、煙を吐き出した。
「俺は、誰もが幸せになれる≠ィ菓子を作りたいんだ」
 マリオンはそれを聞いて吃驚するように目を丸くさせた。
「そんなお菓子あるんですか?」
「ある。いや、ない」
「どっちですか?」
「俺が作る」
「何故、人質を取る必要があるんです?」
「金がないからだ」
「貴方は本当にパティシエですか」
「ああ」
「嘘ですね」
 マリオンがそう言い切ると、男は黙った。
 暫くの沈黙が三人を包み込む。
 そして。
「俺はあの時食べたケーキを忘れられないんだ。俺の大事な女性だった。彼女の作るケーキは人を優しくしてくれる。彼女は死ぬ前にこう言ったんだ、『美味しいお菓子は人を幸せにできる』ってな。だから、俺はそのお菓子を作りたいんだ」
男は言い終える。
「あるんですか………?そんなレシピ」
マリオンが疑心に駆られた目で男を注視する。
「ある」
男は力強く断言した。


「お邪魔のお邪魔のお邪魔殿飛鳥で〜〜〜す!要求の品持って参りました!」
白衣を着た魔殿飛鳥は元気よく現れた。
 飛鳥はオフィスのある階まで誘導され、犯人の男によって入念にチェックされ、出入りを許可されワゴンを運び入れる。ワゴンに乗せられた沢山の材料や機材は崩れかかった山のようになっていて、上段に砂糖や卵、生クリームなどのケーキ食材が贅沢に並べられていた。
「あの………質問いいですか?」
 飛鳥が申し訳なさそうに犯人に頭を下げる。
「何だ?」
「私もお菓子食べていいですか?」
「はぁ……?」
 男は飛鳥の突飛な要求にたじろぐ。
「私、お菓子大好きなんですっ!」
かくして奇妙な四人のお菓子作りが始まった。


「どうだ?美味しいだろう?幸せな気分だろう?」
「………………」
「どうなんだ?すっごい幸せになっただろう?」
「………………」
「これで世界中は平和だ」
「………………」
シオンと飛鳥とマリオンの三人は顔を交互に見合わせる。
『ま・ず・い』
 その三文字が表情に現れて、アイコンタクトを交互に取る。
「砂糖入れすぎですね」
 顔を少々歪めて舌を出したマリオンが犯人の男に告げた。
「甘過ぎです。胃もろとも溶かすような甘さです」飛鳥が言う。
「………お、美味しいです。すっごく美味しいです。これって幸せな味で……ぶ!」
 シオンが言って、マリオンと飛鳥に頭を叩かれた。
「そうか…………」
男は落胆して、タバコの火を点ける。
「彼女のケーキはほんのり甘くて、それが印象的だった。だから甘ければ、幸せになれると思ったんだがな」
 こうして四人は呆気なく振り出しに戻る。

Tale 5 Whipped cream

そのエプロン姿の女性は四角い写真の中で微笑んでいた。その横で少し太った男性が照れ隠しのように笑っている。白黒の写真から見ると随分と前に撮られたもののようだった。裏には大分昔の日付が記されている。
「この人がその女性ですか?」
 マリオンは男に尋ねると、中年の男は静かに頷く。
 少し後ろで、ブランデーを開けた二人が、盛大に盛り上がっている。シオンと飛鳥はすっかり酔いが回り、一方は人質であることを忘れて特大パフェを食べ、一方は交渉人であることを忘れ、高級菓子であるボンボンを摘んでいた。
「シオンさぁん、お箸使いお上手ですねぇ、あははは」
「見ててください、これが箸拳奥義、特大パフェ摘み食い!がばばば」
「すごいすごい!」
「あばばばがばばばべぼ」
マリオンが後ろを振り向くと二人はすっかり悦に入り、呂律が回らない舌を懸命に喋り散らしている。
「二人とも、来てください」
「何ですかぁ?」
 シオンと飛鳥がすっかり出来上がった様子でマリオンのいる所まで歩み寄る。
「これから、少し飛び≠ワすが我慢してください」
「え」「ほえ」
 マリオンが男から受け取った写真を手に取ると、四人は、ビルのオフィスから消え去った。


アンティークな洋風造りのその店はぽつんと都会の真ん中に建っていた。
 トラ模様の猫が軒先で気持ちよさそうに背伸びをしている。
 店の前に並べられた飾り気のない花が道行く人々の心を誘う。
 微かな匂い。
 それは幸せを喚起させるような甘い匂い。
ショーウィンドウに飾られたお菓子の数々。
 小さな空間に彩られたケーキ達。
「ここは………」
男が戸惑いの声を漏らす。
「あなたの望んだ物がある場所です」
 マリオンは男に写真を渡すと、背景が今いる場所とぴったり一致した。
「ここが……彼女のいる……場所」
 その時、店先から一人の中年男が現れて、深呼吸をするように手を挙げて背を反らした。
「うーん、今日も気持ちいい朝だ」
 中年男は背伸びをしながら満足そうに呟いた。
「早く準備しないとお客さんが来ちゃうわよー」
 店の奥から子供のような女性の声。
「あれ、この声、どこかで聞いたような気がするのですが……」
シオンが面食らった表情を浮かべる。
「本当ですか?シオンさん」と飛鳥。
 時代を超えて戻ってきた男はゆっくりとショーウィンドウに手を当てる。
ガラス一枚を隔てた奥で微笑みを映し出す、女性の姿。
 今にも躍り上がりそうなエプロンの裾。
「俺は………あの時、美味しいって言ってやれなかった。お菓子で幸せにできるなんて絵空事が信じられなかった。でもいなくなって、初めて気が付いた。俺はあの味が忘れられなかったんだ」
 男がそう言うと、小さな影が重なる。
 それは一人の少年だった。
 少年は買い物篭を片手にショーウィンドウに顔を寄せ、その女性をじっと見つめている。
 暫くすると、少年は店の中に入って、ぶっきらぼうな動作で買い物篭を女性の手に渡す。
「こんにちは、何が欲しいの?」
「誕生日のケーキ」
「バースデイケーキでいいかしら?」
「うん」
少年はカウンターの前で、女性がケーキを梱包していく様子をずっと眺めていた。
 時間を忘れるように。
 ずっと、女性の横顔を見つめていた。
「はい、出来上がり。僕はお菓子は好き?」
「嫌いじゃないよ」
「じゃあ、お姉さんが、幸せになるケーキを食べさせてあげる」
「幸せ?」
「うん、幸せ」
その様子に気付いた店の男が、
「おいおい、またそんなこと言って。幸せになるお菓子なんて大袈裟なものじゃないだろう」 とからかうように言った。
「もう、あなたは黙ってて」
 女性は少しふくれっ面になりながら、カウンターの奥へ行って、お菓子の箱を取り出した。
 箱を持って少年の許まで歩を移す女性。
「これね、幸せになるケーキ。信じると本当に幸せになるのよ。食べてみる?」
それは小さく丁寧に切り分けられた、赤いイチゴの乗ったショートケーキだった。
「うん」
少年は不器用な手付きでフォークを握り、ケーキの角を崩し取って、口に運ぶ。
「美味しい?」
 女性が少年の顔をよく見るように屈んで窺う。
「……………」
「どう?」
「……………」
 少年は顔を隠すように俯き、押し黙った。
「あ、ごめんね。お姉ちゃん少し強引だったね」
少年は勘定を済ませると、足早にその店を去っていった。その後ろ姿を細目で見つめる女性。
 店先に並んだ異邦者の四人は呆気に取られるように彼女のやり取りを見ていた。
「あれが、幸せになれるケーキですか?」
とシオンが開口した。
「ああ………」
男は女性と視線を合わせた。その表情が嬉しいようにも悲しいようにも見えた。
「あのケーキ持ち帰ることができますよ」
 とマリオンが男の横で独り言のように喋った。
「いや、いい。ありがとう」
 マリオンが男の答えを聞いて、目を閉じる。
「ありがとう」
 刹那に響く子供のような女性の声。
 しかし、その声が届く間もなく四人はモノクロの昼下がりから姿を消した。


「結局、幸せになるケーキは作れませんでしたね」
 飛鳥はため息混じりに言葉を呟く。
「そうですね。あったとしても万人に受ける筈でもありません」
 マリオンが付け加える。
男は複雑な表情を作って顔を顰める。
 オフィスの中は散らかりきって、作りかけのケーキや薄力粉、卵が入ったボウルやクリームがデスクの上に並んでいた。
 すでに夜の帳は降りて、外は一層騒がしくなっていた。恐らく、交渉人が戻らないため、そろそろ警察関係者が業を煮やして乗り込んでくる頃である。
 その時、シオンが何かを思いついたように、掌をぽんと叩く。
「あ―――」
三人は何事かと、シオンの顔を窺う。
「別に作らなくてもいいんじゃないですか?」
 男とマリオン、飛鳥はシオンの傍に駆け寄り、耳を寄せる。
 暫くして。
「なるほど。でも、広める方法とそのレシピがないと……」とマリオン。
「あ、私出来ますよ」飛鳥が、手を挙げて主張する。
「本当ですか?」
「ええ。ここにはコンピュータが沢山ありますし。あとはレシピだけですね」
 シオンとマリオン、飛鳥は男を振り返る。
 男は破顔一笑して、
「できるさ」
 と快活に言い切った。

Tale 6 Non sugar

そして朝日を迎えた頃、男は警察に逮捕された。
人質として捕らえられた二人と、必死の交渉に挑んだとされる一人は無事解放され、各自事情説明と聴取を受け、数日後、ようやく日常の世界へ戻ることになった。
「調べたとおりですね。彼女の誕生日だったそうです」
 マリオンは公園の片隅のベンチで、資料を二人に見せた。
 現場となったIT企業ビルは、かつて借金を理由に買収された洋菓子屋を取り壊し作られた建物だった、ということだった。その切り取られたスクラップ記事の隅で、丁度三十年程前の昨夜、女性パティシエが不幸な事故によって亡くなったという文が掲載されている。皮肉にも女性パティシエの誕生日が行われる予定だった。その後の夫の足取りはマリオンにも掴めなかった。
「でも、本当に良かったんでしょうか?」
飛鳥が不安げな声でマリオンを見遣る。
「いいんじゃないですか?別段害はないんでしょう?」
「ええ………まぁ」
シオンは相変わらず公園のブランコに揺られながら空を見つめていた。その先には白いホイップクリームのような入道雲。
「それにしても、シオンさんの提案がなかったら、あの人もそのまま捕まってたんですから。これでよしとしましょう」
「あの人は本当にパティシエだったんですか?」
「違うと思います。でも、まぁ、それは問わなくてもいい気がします。僕たちの証言で、罪も軽くなるでしょう。ガソリンではなかったんですから。それに今頃世界中に感染してるのでしょうね。ウィルスメール」
「害はないから、ウィルスとは呼べないかも知れません」

そのメールはいつしか『Birthday mail』と呼ばれ、
 ショートケーキのレシピから始まり。
 卵。
 小麦粉。
 バター。
 ホイップクリーム。
 生クリーム。
 いちご。
 そして、唯一ケーキの甘さを作り出すはずの砂糖≠ニいう材料が抜かれて、
 最後に―――。

This cake will be completed by your memories.Happy Birthday!!
あなたの思い出でこのケーキは完成するでしょう。誕生日おめでとう!

「ありがとう」

END



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

■4164■マリオン・バーガンディ■男■275歳■元キュレーター・研究者・研修所所長■
■3356■シオン・レ・ハイ   ■男■42歳 ■びんぼーにん(食住)+α     ■
■5031■魔殿・飛鳥      ■女■28歳 ■研究者              ■

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■         ライター通信          ■
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ご注文ありがとうございました。今回、交渉人というシチュエーションで挑ませて頂きました、ウィッチです。しかし、何をすればいいのか途方に暮れ、遅くなってしまった次第で御座います。結局思いついたものを一つの話に纏めてあまり笑えそうにないネタを小出しにして少しいい話で終わるようになっております。皆様が楽しんで頂けたら幸いです。

それでは皆様またどこかで、お会いしましょう。