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<東京怪談ノベル(シングル)>


 それもまたひとつの幸せ



「包丁OK、と。……これ無くなってたらヤバイよなぁ。次は……」
 真輝は家庭科室の備品チェックを行なっていた。
 隣接した準備室は半ば私室と化しているのだが、備品を紛失するようなことがあれば追い出されてしまうかもしれない。それは避けたいところだ。
「あ、まきちゃんだ」
 引き出しを開けてごそごそやっているところ、通りがかった生徒たちが扉を開けて覗き込んでくる。
「先生と呼べ、先生と」
「んじゃ、まきちゃん先生」
 教え子にちゃん付けされるのも不本意だが、それ以前に真輝の名前は「まき」ではない。
「『まさき』だって何度言ったら分かるんだ?」
「えー、でも、まきちゃんのほうが可愛いじゃん」
 まったく悪びれる様子もない生徒たちに、思わず溜め息。しかし真輝の内心にはお構いなしに、生徒たちはあっけらかんとしている。
「何やってんの?」
「備品チェックだよ」
「なーんだ、何か見つかったらヤバイものでも隠してるのかと思った」
「ヤバイものって何だよ」
「えっちな本とか」
「そんなもん学校に持ち込むか!」
 一喝すると、生徒たちは大笑いしながらわっと逃げてゆく。可愛い教え子であることは確かだが、それにしても、まったくもって小憎たらしい小娘どもである。
「知らないオジサンについてかずにちゃんと帰れよ」
「じゃあまた来週ね〜、まきちゃん先生」
「ほいほい、また来週〜って、まきちゃん言うんじゃねぇ!」
 遠ざかってゆく笑い声を聞きながら、真輝はまた溜め息をついて苦笑した。


「たく、あいつら俺を教師扱いしやがらん」
 静かになった教室の中でぼやく。
 とにかく最近の高校生は生意気だ。教師に対しても、まるで友達のような感覚で接してくる。別にそれを咎めるつもりはないし、慕ってくれるのも嬉しいのだが……こうもおちょくられると、ちょっと切ない気がするのも事実。
 確かにその辺の男子生徒、いや、下手をしたら女子生徒より背が低いことは認める。その上、制服を着ていたら本気で学生と間違われてしまいそうなほど童顔ではあるが……
「……教師かぁ、俺なんで教師になんてやってるんだっけ」
 壁にもたれかかりながら、ふと自問してみる。
 特に明確な目的があったわけではないし、強いこだわりがあったわけでもなかった。
 どうせ進むなら学費が安いに越したことはなかろうと、公立の大学に進学した。家政学を選んだのも、単に家事が好きだし得意だからという実に単純な理由だ。
 まあ「好きこそものの上手なれ」と言うし、好きだからこそ続けてこられたのだから、結果的には良かったということになるが。
 では何故教員免許を取ったのかと言えば、貧乏性としか言いようがない。せっかく資格が取れるのだから、取らなければもったいないだろうという、これまた安直な理由。とりあえず狙えるものはすべて狙った。教員免許もその中のひとつだったというだけ。
 それが何故か、試しに受けてみた神聖都学園の採用試験に見事受かってしまい、今に至るという……
「でもしか教師って奴だな」
 思わず苦笑を漏らす。
 教師になることを目的に必死に勉強し、それでもなれなかったという人もたくさんいるだろう。そういう人からは恨まれそうだし、申し訳ないかなとも思う。
 しかし言い訳するわけではないが、今となってはこの道も悪くないと思っている。
 ついこの前まで制服に着られているような感じだった新入生が、今ではすっかり制服を着こなし、新しい生活にも馴染んでいたり。
 裁縫なんてできないと文句を言っていた生徒たちが、それでも何だかんだ言いつつ無事に作品を作り上げていたり。
 そんな生徒たちの姿を見るのは、好きだ。 
 人の成長に限りはなく、たとえ何歳になっても、決して「これで終わり」ということはない。
 それでも既に「大人」と呼ばれるようになった人々に比べて、子供たちの成長というのは劇的だ。それをこうして間近で見られるというのは教師の特権だろう。
 そんな真輝の思考は、ガラリと扉の開く音によって現実に引き戻された。
「良かった。先生いたー」
「ん、どうした?」
 入ってきたのは真輝が家庭科の授業を受け持っているクラスの生徒だった。手に持っているプリントを見て、すぐに思い当たる。
「ああ、課題か」
「この前、休んじゃったから」
 はにかんだように笑う生徒からプリントを受け取ってさらりと目を通していると、じっとこちらを見つめてくる視線に気付く。
 不思議に思って首を傾げると、生徒はまた少し笑った。
「先生、なんだかほんとに先生みたい」
「は?」
 先生みたいも何も、本当に先生である。まさか、そうは思われてないんだろうか。
 ちょっとショックを受けつつ自問自答する真輝。
 しかしそんな真輝の葛藤など知る由もなく、生徒のほうは相変わらずにこにこ笑顔だ。
「最初に見た時は、なんで先生の中に生徒が混じってるんだろうって思ったもん」
「……左様ですか」
「でもそうやってると、ちゃんと先生に見えるね」
 果たしてこれは褒められているのか。それとも暗に身長や童顔をからかわれているのか。
 つい悩んでしまうところだが、屈託のない笑顔を見て、褒め言葉と受け取ることにした。
「ま、ようやく板についてきたってところか」
 ぽつりと呟いた言葉は、生徒には届かなかったようだ。きょとんと首を傾げる生徒に「何でもない」と返し、真輝も笑う。
「じゃあ気を付けて帰れよ」
「うん、ばいばい、まきちゃん先生」
「だからまきちゃん言うなって!」
 どいつもこいつも……と心の中で愚痴りつつ、実際にはそれほど怒っていない自分がいる。
「先生らしく、か」
 呟いて、もしかしたら自分自身も生徒たちと一緒に、少しずつ成長しているのかもしれないなどと思ってみる。
 だとしたら、それはとても幸せなことだ。
 ……身長は追い越されっぱなしだが。
「せいぜい置いてけぼり食らわないよう、俺も頑張らないとな」
 大きく伸びをして深呼吸。
 すっかり中断してしまっていたが、備品チェックもあと少しで終わりだ。
「さて、とっとと終らせて、休みは思いきり寝るぞ!」


 週末は、やかましい生徒たちからも解放される。
 思いっきり寝て、ゆっくり休んで……でも、やっぱり少し淋しい気もする。
 そんな真輝はきっと、人間が、大好きなのだ。
 今はまだ、自分では気付いていないかもしれないけれど。














−終−