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<東京怪談・PCゲームノベル>


商物「夜の衣」

 正直に言えば、再び『陰陽堂』を訪れる機会を得るとは思っていなかった。
 セレスティ・カーニンガムはすっかり気に入りとなっている点心屋……とはいえ足繁く通う暇はないのだが、それでも時間が許せば足を向ける店、近くまで出向く用向きがあった事をこれ幸いと、デザート的な点心とお茶を楽しんだ帰りに。
 その小路を見出したのは、何処か縁に近い感覚である。
「……探そうとすると、見出せないものなのでしょうか」
小路を隠すように存在感の強い、大きな看板に手をかけたセレスティは、視界を持たぬながらも覗き込む動作で店に通じる奥を探った。
 点心屋が気に入っているのも確かだが、中華街に通う理由は、その実『陰陽堂』へ再訪出来まいかという期待も手伝っている。
 コシカタとユクスエ、過去を見透かし未来を見通す占示の力を有した双子と共にした一時が忘れられない……などという理由がなきにしもあらずだが、店と主の雰囲気とに覚えた深い興味が主だ。
 不可思議な事象に興味を覚え、セレスティが自身で求めるからこそ数多経験する機会に事欠かず、故に長い生を飽かずに居る事が出来る。
 路地へと足を踏み入れたセレスティは、以前にそうしたように軽く顎を上げた。
 対象物の輪郭を捉える役には立たない目だが、陰影程度は感じ取る……店舗の入り口に淡い、月を思わせる灯りを探したセレスティは先の記憶よりも近い位置に、扉の位置を示す熱のない光を捉えても何ら不思議に感じる事はなく、僅かな笑みを浮かべて目的の場所に向かうべく歩を進めた。


「おや、セレスティ様。いらっしゃいまし」
迎えた店主は先と変わりなく……というか、些かだらしのない様子でセレスティを出迎えた。
 以前のように空間に酔ってしまわないよう、感覚で掴む対象を限定したセレスティは、店の奥、正面に設えられた台場に居る店の主が、畳の上に転がっているのをその体温からも判じて問う。
「何をしてるんですか?」
「あんまり暇なモンで、昼寝をちぃっとばかし」
当然の如く低い位置からの返った声に、セレスティは半ば呆れに足を止めた。
「それで商いになっておいでなのですか?」
商いはこと、礼節を重視する事こそが基本である……相手を敬い礼を尽くす態度を礎に置いて初めて金銭の遣り取りをしようという信頼が生じるのであり、侮りの態度を感じ取る相手に成り立とう筈がない。
「入り口に足向けてたりやしませんよ」
礼儀を……彼なりに最低限の礼を守っているのだと悪びれない、店主の物言いに思わず息を吐く。
「私だから良いようなものの」
「セレスティ様しかお出でがないので、暇でしてねェ」
セレスティ自身に訪れる目途すらなかった来訪を、予め知っていたかのような物言いに彼の双子の予言かと首を傾げ、その小さな気配がないのを店主に問う。
「コシカタ殿とユクスエ嬢はお留守ですか?」
「あぁ、今朝方売れまして」
けろりとした答えは、その対象が生きた人間の子供である事実を知っていれば不穏な事この上ない。
 最も、実際に双子を買い上げた事のある……服と食事を代償に過去と未来を見通す双子からひとつずつ、占示を賜ったセレスティは、また彼等を求める者があったのかと納得する。
「それは残念な……」
何とはなし心寂しいような感触だが、ければ彼等に会えるならば手土産位は持参したかったという気持ちもあり、その意味では間が良いと言えば良いのか。
「ご足労をおかけしてしまいましたねぇ」
煙管に火を入れたのか、僅かに上る空気の流れが出来る。
 セレスティの僅かな落胆を感じ取ったか、店主は前回と同じように足を休めるように勧め、今度は冷たい飲み物を奥から出してきた。
 カラン、と冷たい音を立てる涼しげなグラスは涼やかな露を結んで、掌が湿りを帯びるのも心地よい。
 そしてふと、店内に空調の独特の排気音がない事に気付く……外の汗ばむ程の陽気とは裏腹に、如何に陰が濃いとはいえ空気の流れの悪そうな路地の奥で、低い温度を保つ空気に首を傾げた。
 その上、冷える、という程不快な気温ではなくひんやりと水を含んだ木陰を思わせる。
「本日はどのようなご用向きで?」
どのような空調を採用しているのだろうか、とつらつらと考えていたセレスティは、店主の問い掛けに、はたと我に返った。
 何気なく足を向けてしまったが、そう言えばここは商店である……ひやかしに足を向けたというには得た機会が稀少な気がして手ぶらで戻るのも口惜しい。
 さりとて、何か欲しいものを考え出すと、万屋の様相を呈する『陰陽堂』、何を求めてもあっさりと出て来そうで悩む。
「……特には。道を見つけたのでもう一度迎え入れて下さっているのだとばかり」
しばし悩んで、セレスティは来訪の動機を白旗に揚げた。
「迎えるも何も」
セレスティの言に、店主は笑い声を上げる。
「商いの場なら、お客様がお求めになる物が御座います。故に、訪れになるものでしょうに」
しかし笑いの質は意外な朗らかさで、小馬鹿にしたような感触で不快は感じない。
 しかし、己の欲する何があるかも解らず困惑するセレスティに、店主はふぅ、と吐き出す息……紫煙が混じるに溜息ではない、それにまた笑いの気配を乗せる。
「ならば、旨い物、面白い物、そんな手がかりを頂きましょうかね?」
その遊び心に、興をそそられる……態度は難だが、意外と商売が上手いのかも知れないと、心中に感心しつつ、セレスティも口元に笑みを上らせた。
「そうですね、それなら……珍しい物、を頂けますか?」
七世紀を超えて生きる上、蒐集家でもあるセレスティにとって珍しい物……店主はこの上なく難な条件を出されたのも気付かず、膝を一つ打つと「ハイハイ」と軽い返事で席を立つ。
 程なく、奥から何か掲げるようにして持ち出した物は何やら薄く、掲げた手の幅からはみ出した箇所が重力に従って垂れる。
 捉えた感覚は厚みのある和紙で、セレスティは首を傾げた。
「こちらならばお求めの条件に相応かと」
そう、畳の上にそっと置いたそれを開くに、和紙が帖紙と呼ばれる着物の保管時に包む代物であると知れた。
 収められていたのは一枚の単。
 店主は広げた薄衣が自然に作る波を、手で払うように伸ばしながら品の曰くを口上する。
「寝間に使えば夢に恋しい人と会える、そんな謂れを持ちますが……」
僅かな沈黙に続いて、店主の声がひそりと低められた。
「二度は会おうと思わない。そんなお品で御座います」
 下着のように和装の一番下の纏う薄い生地は、絹の手触りでさらりと水のような光沢を持つ……それにセレスティは目を見張る。
 光を感じる程度の視界、それは陰影に対しても形を捉える事が出来ぬが道理の筈が、それは地表に濃く落ちた影の如く薄暗い店内でも明確な、光を吸い込む黒色をしていた。
 店主はふと、笑いの気配を含んだ。
「こちらでよろしゅうございましょうかね。丈はぱっと見難はないかと思いますがそこはそれ、寝間着に使う品。細かいコトを気にしてちゃ安眠も出来ないってモンで」
一転。覚悟を決める間もない明るい口調で、店主は逡巡を与えずに瞬く間に単を畳んで包んでしまった。
「そうそう、大事なコトを忘れるトコだった。この着物はね、裏返して使って下さいましね、」
「裏にして……?」
ポンと胸に押しつけられた風呂敷の軽さを勢い、受け取ってしまったセレスティは、着物の奇妙な使用方法に更に首を傾けた。
「死人であると云う事を現す物であった様な気が」
「所によってはそうと聞きますがねぇ、ホラ、一般的には左前ってのが死人のそれで」
着物の前を合わせる動作で、店主は空気を動かす。
「夜着を裏返して着るってぇのは。古ぅいまじないなんですよ、とても古い、ね」
含んだ笑いの質を変えた店主は、セレスティを促して紫煙を吐き出した。
「お代はお使いになってみてそれからで」
話の早さに、目を瞬かせたセレスティに店主は煙管を銜えたまま、愛想を振った。
「毎度ご贔屓に。またどうぞ」


 邸に戻ったセレスティは夕食もそこそこに、件の夜着に着替えて寝台に収まった。
 独り寝には広すぎる天蓋付のそれだが、陽の香りとぬくもりの沁みたシーツの心地よさは暖かく心地よい眠りへとセレスティを誘う。
「恋しい……人」
うと、と意識の天秤を眠りに傾けながら、セレスティは呟きを洩らす。
 その言葉に真っ先に思い浮かぶのは、今現在想いを寄せる彼女……とはいえ、二度と会わないなどと考えたくもなく,夢に恋う位なら生身の彼女の元に推参する為、この場合は対象でない。
 心中にスミマセン、と謝罪して彼女を対象から外したセレスティだが、さりとて過去の恋人に会いたいかと己に問うても首を傾げる。
 深く考えてみれば、恋人と添い遂げた覚えがない……人と寿命の違う身だが、恋、という感情を前提にした付き合いはその当時に満足の行くまで愛し合った結果か、後悔するような、再び会いたいと願うような関係を結んだ覚えがない。
 長くて三年、時には一夜のみ、男女を問わず、自然に結ばれ、自然に離れていく、後腐れのない恋愛ばかりであったと振り返る過去は、今の彼女に知れれば噴飯物であろうか。
 恋う、その意味ではもう二度と……会う事のならない世界を違えてしまった友の顔が浮かぶ。
 関係を結んだ恋人と違い、友とはその生涯が閉じてしまうそれまでの付き合いが多い。
 特に陸の、人の命は短く脆く、常にセレスティは見送る側となってしまう。
「会いたい……ですね」
そう思い起こせば、浮かぶ面影のなんと多い事か。
 その中で誰を、とは選べない。想い出を共有する者が居なくなり、懐かしく語る事すらも稀になって風化していく記憶はどれも愛しい。
 それ等を選びかねている内に、セレスティの意識は知らず、眠りに淵に沈んだ。


「薄情者ーッ!」 
夢を自覚した途端に背中に蹴りを食らってセレスティはつんのめった。
 元より足の強くないセレスティは勢いを支えられずにそのまま転倒し……蹴り飛ばした勢いのまま背に乗る少年を下から見上げた。
「で……殿下?」
顔面を強打し、念の為に鼻を抑える……が危機的事態には陥っていないようで内心、胸を撫で下ろす。
「おうとも!」
張った胸の前で腕を組み、尊称で呼びかけられた少年はふんぞり返った。
「よく思い出したな。認知症に陥ったかと思ったぞ、何せ無駄に長生きだからな貴様は」
尊称に相応しい尊大な態度……彼は王族の血に列なる、まさしく『殿下』なのである。
 組織を運営する上で、西洋圏では上流階級との交流が不可欠であり、その機会に知り合った人物だ……三百年ほど前に、だが。
「認知症などという難しい言葉を、よくご存知でしたね」
当然の如く、既に鬼籍に在る人物の出現に、けれどセレスティは動揺すらせず、眠りの闇の質で黒く身を包む滑らかな絹を指で撫ぜ、成る程こういう事かと納得した。
「うむ、何とはなしに口を吐いて出たのだが、使用法は間違ってなかったようだな」
流石は私! と満足げに自讃する少年に、確かにこういう方だったと懐かしさに胸を満たす。
「お元気そうで何よりです……お久しぶりですね」
「元気も病気もあるものか、私は既に死んでいるのだ」
セレスティの上から下りた少年は、立ち上がろうとする彼に紳士らしく手を貸す……最も子供の力はたかが知れ、細身とはいえ成人男性の体重を引くのに全体重をかけねばならない様子で、込めた力にそばかすの浮いた頬を赤らめた。
「そう……ですね」
夢にも思わぬ再会を懐かしむセレスティに、確かな真実を述べた少年は、目線を合わせようとすれば首を限界まで傾けて見上げなければならない身長差をものともせず、己の態度を貫いた。
「そんな些細な事はどうでも良い。それよりも重要な問題を己が抱えている事に気付いていないのか、セレス」
愛称的な呼びかけをする……それは何故か本気でお叱りを受けねばならない時である事を思い出し、セレスティは少年、最も別れたその時は七十八歳の、当時にしては充分大往生であった彼の前に姿勢を正した。
「会いたいとなればこの私を真っ先に思い浮かべて然るべきを、その他大勢、十把一絡げと纏めるとは何事かーッ!」
まさしく一喝……だが、その我儘一貫な主張にセレスティは思わず笑いを零した。
「笑い事ではないぞセレス!」
紅潮させた頬の色を更に強めた少年の気質は、社会的な立場や情勢に形を変えこそしたが生涯変わる事がなかったのを今更ながらに思い出す。
「本当に……お変わりなく」
目元に手をあて、肩を震わせるセレスティに少年は心外だとばかり、鼻息を強く吐き出して返答した。
「変わるものか。変わるなと言ったのは貴様だぞ、忘れたと言うなら本当に認知症だ」
「そうでしたね。初めてお会いした時の、事でしたか」
少年は、初対面のセレスティに対して開口一番、愛人になれと宣った猛者である。
「仕方あるまい、私の生涯で出会った中で一番美しかった人間なのだぞ。けれどあの時、私には既に婚約者が居た上、お前とは同性だ。欲しければ愛人にするしかあるまい」
勿論、その時は丁重にお断りした……その際、十年経ってお心が変わらなければご一考致しましょうと答えたセレスティもセレスティだが、それを間に受けた少年も少年であると言える。
 最も子供心に覚えていた、自分の物に出来る=愛人、という認識を、少年が長じるに正しい知識を得るにつれ、その話は自然、お流れになったのだが。
 そんな逸話も、記憶を共有し、存在を語り合える友が時代の流れと共に去り行くにつれ、口の端に逸話を上らせるような機会をなくして記憶の底に沈んでいく。
 思い出す事もなかった己を薄情とは思わないが、その事実をただ寂しいと感じているのも真実だ。
「何をおかしな顔をしている」
子供特有の敏感さで、セレスティの心の変遷に気付いたか、少年は鼻の頭に皺を寄せるようにして不満を表した。
「どうせ平素は忙しさにかまけて思い出す事もないだろう。折角の機会を逃すまいと皆待っているのだぞ」
何処へとも、誰がとも、問わずとも……それは死別した友達を示しているのだと理解する。
 長の歩みに足を止め、永遠に道を分かった彼等と、夢とは言えど再会が嬉しくない筈はない。
 しかし、足が進まない。
 永遠の別離を越えた一時の再会、だからこそ。
 夢から醒める事で訪れる、再びの別れに怖じずに居られない。
 セレスティの躊躇に、少年は小さく息を吐き出した。
「……今だから言うが」
見上げる瞳の意志の強さは嘗てと変わらず、セレスティを捉える。
「私は貴様を愛人にするのを、諦めてはいなかったのだぞ」
全く唐突なカミングアウトに目を丸くしたセレスティに、肩の位置まで両手を上げた少年はやれやれと態とらしいジェスチャーで呆れを体現して見せた。
「しかしな……お前は遊びの恋人と長続きする性でないのを知ってな。愛人なら尚更関係を続けるのが難しかろうと、本気の友人の座に納まる事にしたのだ」
セレスティの傍に、少しでも長く。それこそ寿命の限りまで時間を共にしようとした少年の、真意は告げられなければ気付かないほどに自然な関係だった。
「……まさしく、墓の中まで持って行った私の生涯の秘密だ」
驚いたか、と胸を張る少年にセレスティは素直に頷く……その心を向けられて、頷くより他にない。
 このような、友が出来るからこそ。必ず見送る側となる自分が出会いの喜びを死別に哀しみに侵される事がないのだと痛感する。
 別れの恐れを越えて尚、繋がりを求めずに居られない孤独を、命の時間が許す限りに癒そうとしてくれる存在が、甘えを許してくれるからこそ。
「皆、そのようなものだ。あまり我等を侮るな」
早く来い、と促して、少年はセレスティに再び手を差し延べる。
 セレスティは胸に満ちた想いが溢れそうになるのを堪えてその手を取り、顔を上げた。
 踏み出す先、少年が誘う先に幾人もの懐かしい顔が手を振っているのが見えた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】

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■         ライター通信          ■
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いつもご贔屓にありがとうございます、闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
難産は遅筆に言い訳になりませんが、相変わらずお待たせ致し、申し訳ありませんでした……<m(__)m>平伏
そんな中、好きにしていいのかな? 勝手にしちゃうよ〜ん、とばかりに勝手をさせて頂き、あんた誰! とばかりに捏造致しましたセレスティ様の過去の友人関係筆頭の殿下が……何だかいいキャラに(←気に入ったらしい)。故人なのが惜しまれます。
少しでも気に入って頂けたらいいな、と想いながら、また時が遇う事を祈りつつ。