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Calling 〜炎魅〜
暗い闇の中、そこは夜の庭園。
淡く微かな輝きを宿す庭園の植物たちを眺め、橘穂乃香は小さな溜息を吐き出す。
(どこか……似てた)
自分のよく知る少年に、彼は。
不器用なところが似ている。
耳に小さな音が届く。穂乃香はハッとして顔をあげた。
微かだったがあの音は聞き間違えたりしない。あれは鈴だ。彼の……出現の合図。
(和彦さんは……もしかして、またどこかで戦っているのでしょうか……?)
こんな夜の遅くに。闇の中で。――――独りで。
穂乃香は唇をくっ、と噛み締めて駆け出した。
足手まといになるだろう。きっと。
そばに居ても役には立たない。けれども。
(……独りでなんて……!)
*
唇から血が流れる。腹部を数本の爪で貫かれていた彼は眉をひそめた。
痛い、のだろうか?
よく、わからない。
ぐっと爪を掴み、引き抜こうとする。腹部が裂け、ぼたぼたと血が落ちた。
それを呆然と見つめる。
(なんだ……?)
なんだこれは。
落ちた。
唖然とする彼は意識が途絶える。ぶつん、と。
首があらぬ方向に曲がったからだ、と頭のどこかで思った。
穂乃香は息を切らして走る。音の方角はこちらで合っているはずだ。……たぶん。
喉が痛い。胸が痛い。
走ることがこれほど辛いこととは思わなかった。
もっと速く走れればいいのに。知り合いの少年を思い浮かべる。彼ほど颯爽と走れればいいのに!
そして穂乃香は足を止める。
前方に、ぼろ雑巾のように横たわるモノがあった。悲鳴を堪える。
唇を噛み締めて、ゆっくりと足を進めた。
「か、和彦さ……」
地面が黒いと思ってしまうが、それがなんなのかわかった。あれは血だ。
「和彦さんっ」
駆け出して彼のそばで屈んだ。
「しっかりしてくださいっ」
なんていう臭いだろう。鉄のニオイだ。血のニオイなのだ。
穂乃香は涙を浮かべる。
ごきっ、と骨の音がした。和彦がむくりと起き上がる。ぼんやりとした瞳の少年はゆっくりと焦点を合わせた。
「……意識が途切れたのは数分ってところか……あれ……? 橘さん?」
「か……和彦さ……ご、ご無事……ですか……?」
「見ればわかるだろう?」
変なことを言うなと、和彦はきょとんとする。途端、穂乃香は涙を流し出した。ぎょっとして和彦がのけぞる。
「なっ、ど、どうした?」
「し、死んでしまわれたのか……と……」
周囲に広がる血痕からしてみれば、穂乃香がそう思うのも当然なのだ。
和彦は嘆息する。
「死にはしない。これくらいならすぐに復活する」
「え……?」
「……死に難い身体なんだ。多少の無理もきく、便利な身体でもあるな」
平然と言う彼は立ち上がり、穂乃香を引っ張って立たせる。
「しかしこんな夜更けに一人とは……感心しないな。子供はもう寝る時間じゃないのか?」
「まっ、また子供って……!」
「子供は子供だ。早く屋敷に帰れ」
「お、お邪魔です……か?」
心配そうに、不安そうに尋ねる穂乃香を見下ろし、彼は怪訝そうにした。
「なんでそんな顔をするんだ」
「……一人は……寂しいです、よ……?」
「さみしい?」
不思議そうに呟く和彦は「ああ」と納得する。
「なるほど……。俺を案じているわけか。それはどうも」
「ど、どうもではありません……!」
「いやいや……俺のことで悩んでくれているわけだろ。礼を言ったのはそのことについてだ」
淡々と言う和彦だったが、くすくすと苦笑している。こういう顔も彼はできたのだと穂乃香は驚いた。
(こちらのほうが……素敵です)
ずっとこういう表情をしていればいいのに。
あ、と気づいて穂乃香は手を伸ばす。
「口のところ……」
「ああ。血の痕だな」
袖で拭う和彦の言葉に、穂乃香の動きが止まる。
「血って……?」
「憑物にやられたんだ。いや……油断した俺にも落ち度がある」
「で、でも……!」
「橘さんは早く帰ったほうがいい。危ないから」
穂乃香を回れ右させ、背中を優しく押す。だが穂乃香はそこから動かない。
「嫌ですわ! 和彦さんだけ危険な目になんて……!」
「おかしな子供だな」
理解できないという口調の和彦は、ハッとして顔をあげる。その瞳が鋭くなっていった。
「……わかった。では帰るな」
「え?」
「いま帰るほうが危ない。俺の側のほうが安全だろう」
断言した和彦はそこで小さく不敵に笑う。
「あんたを危ない目に遭わせたら、あの男にまた怒鳴られてしまうだろうし」
「え、あ、あの……」
「いいお兄さんだな」
思わず足を滑らせそうになった。どこをどう見たら知り合いのあの少年と自分が兄妹に見えるというのか。
(い、今のは冗談なんでしょうか……? それとも本気……?)
掴み難い彼の性格では、よくわからない。
「か、和彦さんも……素敵なお兄さんになれますよ……?」
困ったように言うと、彼はきょとんとしてから大爆笑した。
「はははは……! そうか?」
「は、はい」
「…………なれるか。そういえば、俺は一人っ子でな」
にこにことしながら和彦は手元に影を集めていく。徐々に形を作る影は漆黒の刀になる。日本刀は彼に、とてもよく似合う。
「あんたみたいな妹、いたらどうなっていたろうな」
その言葉と同時に彼は動いていた。
彼の背後を、一閃する。振り向きざまに、だ。
何もないはず。だが。
穂乃香は目を見開く。
「……二度は通じぬよ、憑物」
彼の口から冷えた言葉が放たれる。ずるり、と景色が動いた。
「なんのために俺が一度首まで折られたか……わかってなかったか」
ゆらりと現れたのは、腹を一閃された中年だった。目が爛々と赤く輝き、歯を剥き出しにしている。
どこにでもいる、サラリーマン風の男だ。
「よくもハラワタを抉ったな……。さっき使った子供の死体はどうした? 喰ったのか?」
「ぐぎ……退魔士……め……」
「『答え』を訊いている。おまえの独り言は必要ない」
びっ、と和彦は刀を振った。その刀の動きが穂乃香には見えない。
目を斬られた憑物は悲鳴をあげてよろめいた。
「私はぁ……私はただぁ……ただ子供のためにぃ……!」
悲痛な叫びに、思わず穂乃香が和彦の足にすがりつく。
「? どうした。すぐ終わるからさがっ……」
「可哀想です!」
「…………は?」
「なんだか……可哀想です、あの憑物さん……」
穂乃香の言葉に瞬きをする和彦は、先ほどまでの容赦のない退魔士の目をしていない。
困ったように眉をさげた和彦は、ゆっくりと穂乃香を押して足から離す。
「哀れみは、時として憎悪を生む」
「?」
「…………いや、穂乃香さんはただ……退がっていればいい」
優しく微笑んで言う和彦に、穂乃香は頬を微かに赤らめる。
と。
目の前で和彦が憑物を粉微塵に切り刻んだ。
*
「あ、月です」
穂乃香が繋いだ手と反対の手をあげ、月を指差した。
和彦は空を見上げる。
「本当だ」
「……あの、さっきの……哀れみとかあれは、どういう意味ですの……?」
もごもごと小さく言う穂乃香をちらっと見遣り、和彦は苦笑した。
「余計なお世話ってこともあるからな」
「?」
「情けをかけられて、腹が立つヤツもいるってことだ。それに……さっきの憑物はあの男の死体に取り憑いて、さも『自分』のように振る舞っていた」
「え……そ、そうなんですか?」
「そうです。思念は、残るからな。心残りというやつなんだろう。それを憑物は利用したんだ」
「…………」
無言でしょぼんとする穂乃香に、和彦は小さく微笑む。
「でも、そういう思いやりができる人間は、貴重だから…………まあ、そんなに落ち込むな」
「そうでしょうか……」
「ああ。剣技は、修練を積めばいいが……そういう気持ちの問題は、本人にだってどうにもできないこともあるからな」
「…………」
ふと、穂乃香は尋ねた。
「和彦さんは……わたくしくらいの時、どうでしたか?」
そうだ。彼だって子供時代があったはずだ。
和彦は暗い表情になる。
「あ、あの……?」
「いや、気にする必要はないんだ。ただ……なんていうかな」
困ったように首を傾げた。
「思い出とかいうものが……ないんだ」
「えっ?」
「退魔士の訓練をしていたのがほとんどで……あとは、まあ……あんまり褒められたことじゃないっていうかな……」
「???」
「そういう穂乃香さんはどうだ?」
「どうって……」
「……そうだな」
和彦は月を眺めつつ、考える。
「あのお兄さんはどうだ? 一緒に居て楽しいか?」
妙なことを尋ねてくる、と穂乃香は思った。
「え、ええ。楽しいです。それから……あの人はわたくしの兄ではないのですが……」
「うん。全然似てないからな」
呆気にとられた。わかっていて言っていたのだ!
ムッとする穂乃香に微笑みかけた。笑って誤魔化そうというわけではないのだろう。
「あんたを心配してたあの顔がな、なんというか……凄かったから」
「そ、そうなんですか……?」
「赤くなったり青くなったり……。うん、凄いと思う。ああいう顔は俺にはできない」
「……和彦さんも、もっと笑えばいいのに……」
「無理やり笑顔を作っても、見てていい気持ちがするか?」
そう言われて穂乃香は目を見開いた。
「それを見て、あんたは酷く嫌な気分にならないか?」
「それは…………」
「嘘をついていい時と、してはならない時。作り笑顔でいい時と、悪い時。それを見破る相手にしてはならない」
「…………教訓、ですか?」
「忠告だ。これからあんたは長い人生を歩む。どんな苦難な道が待ち受けているかわからない。だが……聡い相手に誤魔化しはきかない。それは憶えておいたほうがいいだろうな」
「はい」
「わかっててやり過ごす相手と、そうじゃない相手がいる」
「……はい」
「俺が作り笑いをしたって、あんたは不自然だって気づくさ」
どうして? と穂乃香がきょとんとする。和彦ほど徹底していれば、気づかないと思うのだが。
彼はそれを見てまた吹き出した。
「あっはっは。そういう顔をするな。こっちが困るじゃないか」
「な、なんで笑うんですかっ」
「人の心に敏感なヤツは気づく。どうやっても。俺もそうだからな」
思ってもみないことを言われた。驚く穂乃香。
確かに気遣いすぎだと思う自分は納得がいくが、目の前の彼がそうだとは思えない。
穂乃香は握る手に力を込めた。この強い想いと、決意が彼に伝わればいいと思いながら。
「明日は晴れそうですわ……」
「そうだな」
ぽつりと彼も同意した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【0405/橘・穂乃香(たちばな・ほのか)/女/10/「常花の館」の主】
NPC
【遠逆・和彦(とおさか・かずひこ)/男/17/高校生+退魔士】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、橘様。ライターのともやいずみです。
呼び方が変わりました! 和彦もかなり心を許した感じになっています。
和彦の憑物封じにお付き合いくださり、ありがとうございます!
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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