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幽霊坂の悪霊
■◇危機を告げる書き込み◇■
瀬名雫のホームページ『ゴーストネットOFF』の掲示板に、気になる書き込みがあった。
レイ:『幽霊坂に幽霊がいるから気をつけろ』
アンラッキー:『幽霊坂を通って体調が悪くなった』
と、いうものだった。その後アンラッキーというハンドルでの書き込みはない。レイはネット上で幽霊坂の幽霊を処理すると宣言し、助力を求めた。
■◇夜明けの幽霊坂◇■
パソコンのディスプレイには『ゴーストネットOFF』の掲示板が表示されていた。レイの書き込みの後に数件、詳細を記載しろというものがあったがそれに対するレスはない。手伝いに行くから目印を教えてくれ、という書き込みにも返事はないから、もうレイはネットを見ていないのだろうか。書き込みには、更に同行する人は車でご一緒しましょうという紳士的な文まである。これにも反応はない。
マウスを操作して画面を閉じると、ササキビ・クミノは立ち上がった。特に表情にはなんの感情も表れてはいない。クミノがこの書き込みを見つけたのは、レイが最後にアップした書き込みよりも数時間遅かった。その時間差が気になる。
「このアンラッキーってハンドルの人、もう駄目になっているかもしれない」
それはあり得ない事ではない。レイは自分が霊に詳しい事を前から表明していた。それが嘘ではないのなら、その幽霊坂にいたのは本当にたちの悪い霊なのだろう。霊障が始まってから数日で最悪の結末となる事は、霊の種類によってはある事だった。それでも、迷惑な霊は排除しておいたほうがいい。クミノは該当しそうな地点を探し始めた。
「詳細を記載しろって気持ち、よくわかるわ」
もう真っ暗になったディスプレイにもう一度だけ視線を投げ、クミノは部屋を出た。本当は自分が現地に行く事は望まない。この身がどういう存在なのか、自分が一番よくわかっているからだ。けれど‥‥。
「‥‥出掛けます」
クミノは部屋着を脱ぎ、夜の外出に相応しい服装へと着替え始めた。
都内には幽霊坂の名を持つ場所が複数ある。どこも本当に幽霊がいたというよりは、寂しい道だったので、江戸庶民がそう呼んだからだ付いた名らしい。
「幽霊坂にホンモノの幽霊が出るだなんて‥‥言葉の持つ力って事しょうか?」
この場所を選んだ修善寺・美童はたった1人で緩やかな坂の真ん中あたりにいた。身体の内面から光っているかのように、その華麗な姿は闇からぽうっと浮き上がっているかのようだ。三田にある幽霊坂は住宅街のなんでもない『道』だった。
「‥‥おかしいですね」
美童は眉をわずかに寄せる。夜明け前の住宅街には人の気配がない。しかし、邪悪な『気』も感じられないのだ。
「ここではないのなら、別の‥‥」
美童は僅かにうつむき、その花の顔に憂いの影を落とした。
まだ空は真っ暗だった。満天を彩る星は宝石の様に輝き、仄かに吹く風も冷たく肌を刺す。けれど、夜明けはもうすぐだった。小一時間しないうちに東の空が白み始めるだろう。四方神・結は目的地へと急いでいた。普段とは印象の異なるパンツスタイルだが、暖かくて動きやすいのは有り難い。
「来たわね」
幽霊坂の別名を持つ乃木坂には、既に先客がいた。シュライン・エマだった。四角くて細長い包みを抱えている。正業をに就いているれっきとした社会人だが、そうして闇の中に佇んでいると、それもまたシュラインにはよく似合う思わせるものがある。
「よかった。私だけじゃなかったんですね」
結は少しだけホッとした。ここが目的かどうかもわからないし、1人でレイを手助け出来るかもわからない。正直、不安だったのだ。
「自信はないけど、私はここだと思ったわ。第2日曜日に乃木神社で骨董市が開かれるらしいし‥‥」
シュラインは昼のうちに一度下調べをしていた。
「‥‥お揃いですね」
辺りは少しずつ明るくなっていた。重厚で高級そうな自動車が止まっていた。その後部座席のドアを運転手に恭しく開ける。降りてきた小柄な少年は、穏やかな口調でシュラインと結に話しかけた。マリオン・バーガンディは年相応には見えない落ち着いた瞳と、声をしていてとても大人しそうな印象をだった。
「わーこんなに来てくれたんだ。嬉しいな」
のんびりとした声が夜明けの静謐な空気を吹き飛ばす。
「レイさん‥‥ですか?」
結が聞くと、安そうなTシャツとジーパン、リュックを背負った男はコックリうなづいた。
「ヤツも来てるぜ! 自己紹介は後にするんだな」
鋭い声が頭上から降ってきた。高い木に登っていたのだろうか、とんぼを切って飛び降りたのはマリオンと同じぐらいの年に見える少年だった。けれど、その目が違っていた。多くの、多すぎる程のものを見てきた目だった。作倉・勝利は愛用のキャップを深くかぶりなおす。
「ほんとだ、いるね」
レイはのんびりと言い、マリオンの車の方へと後退する。
「来ます‥‥これは‥‥酷い」
シュラインはとっさに結を背にかばった。結が何を見ているのかはわからない。けれど、なんとなくそこにある『ナニカ』をうっすらと感じる事は出来る。マリオンは唇を噛みしめた。
「少しやっかいな霊ですね。周りを取り込みすぎている」
下手に消せば、廻り全ての霊も道連れにされてしまう。その後でここがどうにかなってしまうのではないかという懸念が湧き上がる。
「馬鹿な奴だ。死ねない地獄もあるというのに‥‥浅ましいぞ、お前!」
勝利は小刀を抜き放ち、果敢に『霊』へと立ち向かう。鈍い雲の向こうから覗く朝日が刀身に反射した。
■◇幽霊坂から幽霊坂◇■
部下への連絡を終え、携帯電話を畳んでポケットに押し込む。空はようやく明るくなってきていた。分厚い雲の色合いが少しずつ白くなってきている。すると、高級車が相応しくない急ブレーキをして美童のすぐ近くで停車した。敵対する誰かか‥‥と、とっさに身構える。しかし、助手席の窓をスライドさせて覗いた顔は生真面目そうな若い男だった。
「あの、あなたも掲示板を見て幽霊坂に来たのですよね」
「‥‥そうです。あなたもですか?」
「はい」
マリオンはうなづく。
「悪霊が乃木坂に出ています。来て貰えますか?」
「わかりました」
躊躇せず美童はマリオンの車の後部座席に乗り込んだ。
車の中にはもう1人、髪の長い少女がいた。ゆるやかなウェーブを描く髪を束ね、目立たない、動きやすい服装をしている。ただ、その雰囲気が異質だった。なんとなく、側に寄りたくない、寄れば危険だと警告する何かがある。
「‥‥ちょっと急ぎます」
マリオンが言うと、車は急発進した。そして、狭い道や曲がり角を極力制動をかけずに突進してゆく。
■◇悪霊の最期◇■
夜明けからどれほどの時間が経ったのだろう。しかし、ここだけが時間を巻き戻されたかのように暗かった。悪霊は黒い靄のような、巨大な黒い毛糸玉の様な姿を取り、坂の中腹辺りにいた。
「一気にやっちゃわないとだね。半端にいぢめるとすっごく怒りそう」
レイはやっぱりのんびりと言う。
「はい。ある程度抵抗する力を削いで貰えれば、私が封じます」
結は弦を張り直した弓を手に取る。
「確かにここ数ヶ月、この辺りで自殺者が増えているけれど‥‥この悪霊が原因か結果か、いずれかの可能性があるって事ね」
ざっと調べてみただけだが、それでも異様に自殺が多い。シュラインはそれが昼間から気に掛かっていた。今、悪霊は勝利とにらみ合いをしているからか、大きな動きはない。しかし、このまま時間が過ぎればまたどこかに移動してしまうだろう。
「来たか」
勝利が言うと、すぐに車の音が聞こえてきた。すぐにマリオンの高級車が姿を見せ、急停車の後、マリオン、クミノ、美童が飛び降りてくる。
「じゃ、一斉に攻撃〜」
レイが脳天気に号令した。
悲しい気持ちが胸に湧く。誰かを恨む気持ちでもなく、憎む思いでもない。純粋で透明な白い悲しみだった。
『悲しかった。誰にも気付いて貰えない。自分が悲しかった。その心が恐ろしいモノを呼び寄せてしまった』
悲しむ心は怯えをまとった。恐ろしいモノはあらゆる邪悪な想念を持っていた。その力に取り込まれ、為す術もなくただ核としてそこにある。恐ろしくて身動きする事も出来なかった。恐ろしいモノは人を死に追いやり、人に祟り、死に誘う。そうして奪った命を取り込み、また自分を強く大きくしてゆく。
『どうにかしたかった。けれど、どうにも出来なかった。だから、戦ってくれて‥‥消える事が出来て嬉しい。寂しいけれど、これでよかったと思う。ありがとう』
戦いはあっさりと決着がつき、悪霊は幽霊坂から消えた。
我に返った。声の主は誰だったのだろう。耳を澄ましてみても誰もいない。人ではないとは思っても、つい何かを聞こうとしてしまう。あれは‥‥消えた悪霊の中にいた者の思いだったのだろうか。何故、特別な『力』を持たない自分にそれが聞こえたのか、それはわからない。
「誰かに聞いて貰いたかったのかしら‥‥ね」
切ない思いも一緒に送られてきたのだろうか、シュラインの心の奥に理由のわからない小さな痛みがある。けれど、いずれ朝露の様に儚く消えてしまうだろう。これはシュラインの痛みではない。
「でも、少しだけなら覚えていてあげる。あなたの透明な悲しみを‥‥」
シュラインは小さくつぶやく。御神酒でその場を清めると、幽霊のいなくなった幽霊坂を後にした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3941/四方神・結/気苦労の耐えない少女】
【0635/修善寺・美童/暁の美少年】
【0086/シュライン・エマ/闇が似合う麗人】
【4164/マリオン・バーガンディ/穏やかな謎の微笑み】
【2180/作倉・勝利/時の重みを宿す瞳】
【1166/ササキビ・クミノ/重い運命を担う少女】
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■ ライター通信 ■
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このたびは東京怪談ゴーストネットOFFにご参加いただき、ありがとうございました。乃木坂の悪霊は消えました。今後、自殺や不慮の事故が減ると良いなぁと思います。ご協力、ありがとうございました。また機会がありましたら、ご一緒させてください。
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