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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


竜を探して

 発端は、山沿いのとある村だった。数年前から、谷川の両端にロープをはって、鯉幟を一列に並べて名物にしていたこの村の、総勢15尾の鯉が一夜にして消えたのだ。当初はその前夜、東京を荒らしまわった局地的な大風が吹き飛ばしてしまったのだと考えられていたのだが、村の子供らの中に、当夜偶然にも空を見上げていた者が数人あった。彼らは一様にこう言ったのだ。
「鯉幟は光る竜と一緒に飛んで行った」
 夕方のニュース番組で、ちらりと報道されただけのこの証言が、意外な波紋を巻き起こした。都内から、同じような竜の目撃者が現れたのだ。該当地域を調べてみると、やはり山沿いの村と同じ夜に大風が吹いており、鯉幟が皆飛ばされていた。噂は瞬く間に広がり、あちこちで有象無象の竜の噂が流れたが、解決には至らなかった。シュライン・エマが事の真相を聞いたのは、久しぶりに事務所を訪れた天 玲一郎(あまね・れいいちろう)からだ。ちょっと力を貸して貰えないかと言う彼の話を聞いて、シュラインは目を丸くした。彼の話によればこの事件の犯人は、子供たちの言う通り、光る竜だと言うのだ。そして、その竜の出所は彼の一族が保管していた掛け軸なのだと。
「じゃあ、竜を見たって言ってるのは、全部本当だって言う事?」
「まあ、中には便乗して騒ぎたいという人も居るでしょうから、全部とは言いませんけど。少なくとも6割は本物だと思います」
 莫竜と言う名のその竜は、元は鯉だったのだと玲一郎は言った。それが力を得て仙界へ続く滝を登り、竜になったのだそうだ。だが、気は良いけれど乱暴者の莫竜は、ある時掛け軸に封じられ、ずっと彼の先祖が護っていたのだが、封印が弱まったのか、掛け軸を抜け出したのだと言う。
「莫竜がこれまでどうしていたのかは知りませんが。騒ぎを起こしてしまった以上、このままにはしておけません」
 探し出して封じなければならないのだと言う玲一郎に、シュラインはやれやれ、と溜息を吐きつつ頷いた。
「いいわ。手伝ったげるわよ。とりあえず、情報収集と整理から始めましょうか」
「ありがとうございます。手に入る限りの資料は、ここに」
 嬉しそうに返事をしつつも、全てしっかり用意して在る辺り、どうやら自分が断るとははなから思って居ないらしい。少々腹が立たないでもなかったが、丁度時間も空いたし、ちょっと面白そうなのも確かだ。シュラインはパソコンの前に座ると、玲一郎の集めてきた書類を手際よく並べ直して行った。まずは騒ぎの発端となった山間部の村。テレビや雑誌から拾える限りの目撃情報をピックアップしては整理して、地図上に落とし込む。更に局地的な大風の吹いた時刻と風向きをそれらに加えようとしたが、細かいデータは完全には揃わない。
「どうする?結構、絞り込めたとは思うけど。莫竜の進行方向を決めるには、まだ情報が足りないわ」
 シュラインが言うと、玲一郎は大丈夫です、と頷いた。
「その辺も、お願いしてありますから。…その地図、良いですか?」
 首を傾げるシュラインに地図のプリントアウトを頼むと、玲一郎は携帯電話を取り出した。

「元は滝を昇った鯉なんだから、…やっぱり滝のあるとことかかしらね」
 パソコン画面に広げられた地図を見ながら、シュラインは頬杖をついた。地図にはそれぞれ、証言があった場所と、時間、そして風向きが点や矢印で書き込まれている。空欄になっている所は、時刻や風向きが確認出来ていない場所だ。玲一郎は電話の相手(彼女も知っている人物だったが)に合流して、現地調査を始めている。シュラインの役割は、彼らからの情報を入力し分析する事だった。玲一郎からは数度連絡が入っており、既に最初の印のうち幾つかは消え、幾つかには新たな矢印と時刻データが記入されていた。それによれば、意外なことに一番初めに突風が吹いたのは、副都心の公園だった。珍しく一軒だけ鯉幟を揚げていた家が被害にあっている。風はそのまま高田馬場方面を抜けて臨海地域を荒らしまわり、中目黒、世田谷を吹き抜けて中野一帯を吹き荒れ、そのまま多摩地方に抜けたように見える。玲一郎たちは今、車か何かでそちらに向かっているらしい。
「私も行こうか?」
 電話口で言うと、玲一郎は
「いえ。まだそちらに居て下さい。大体の場所が絞り込めた時点で、迎えに行きますから」
 とのんびりとした口調で言った。とりあえず電話は切ったものの、よくわからない。この分だと捜索地域はかなり遠くまで及ぶだろうに。と、その時、玲一郎からメールが立て続けに入った。幾つかの新しいポイントの緯度経度と風向きとその時刻を新たに入力する。竜は多摩地方で大分迷走していたようだが、それでも全ての矢印を大まかにだが繋げると、竜の経路が見えてきた。それによれば、彼の行き先は…。丁度良く鳴りだした携帯を取り上げる。玲一郎だった。どうですか?と聞く彼に、シュラインはきっぱりと言った。
「大体だけど、絞り込めたわ。莫竜は、富士に居る」
 
 迎えが来たのは、電話を切って三十分程だっただろうか。事務所が崩れるかと思うような衝撃波と共に、シュラインは玲一郎の言葉の意味を知った。窓の外に巨大な鳥の影が見えたからだ。真っ白い、鵜のような鳥は、ゆっくりと羽ばたきながらこちらをくるりと見た。その頭の上にちょこんと乗っていたのは、彼女も知っている人々だった。一人は、天  鈴(あまね・すず)。真っ白な髪に白を基調にした着物姿はいつも通りに、彼女はシュラインに向かって叫んだ。
「降りて居る時間はとれなんだ。すまぬがそのまま乗って貰おうか」
「鈴さん…」
 躊躇っている時間も無く、シュラインはその白い鳥の背に飛び乗った。受け止めてくれたのは玲一郎で、その隣に緋井路桜(ひいろ・さくら)が居る。鈴と同じく着物姿だが、こちらはほんのりとした薄紅色だ。挨拶をする間も無く鳥は再び舞い上がり、ビルをかすめ雲のすぐ下まで上昇した。街はあっという間に小さくなり、空がぐっと迫ってくる。激しい風には閉口したが、不思議と怖くは無かった。
「この度は随分と世話をかけ申した。シュライン殿」
 気付くと、鳥の頭の上に乗っていた鈴が、隣まで滑り降りて来ていた。
「迎えが来るとは聞いていたけど、まさか鳥で来るとは思わなかったわ」
 シュラインが言うと、玲一郎がすみませんね、と苦笑いした。
「呑天、と言うのですが、やはり我が家の者が作り出したものなんです。少々気難しい所もあるので、僕としては避けたかったんですけどね」
「でも、とても快適です」
 横からぽつりと言ったのは、鈴の隣に居た黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)だ。漆黒の髪にアンティークな黒のワンピースを纏った彼女は、そうでしょうと言いたげに、シュラインを見た。まあ、確かに驚きはしたものの、意外と快適な気はするので、シュラインもとりあえず頷いてみせた。
「…にしても、ねえ、莫竜はもう見つかったの?」
「まだじゃ。富士の裾野は広いからのう。上から見た方が分かりやすかろうと思うて、呑天を呼んだまでよ」
 と答えた鈴の懐には、細長い箱があった。
「それが、例の掛け軸?」
 と聞くと、鈴はそうじゃ、と頷き箱を開け、掛け軸を取り出してするすると広げた。大きな滝の絵だ。下は川と言うより雲のように見える中、真中だけがぽっかりと空いている。ここに竜が居たのだろう。滝と遊ぶ一頭の竜。この絵の中で、竜がどれだけの時を過ごしたのか、シュラインは知らない。だが。
「見つけたら、またここに封印するの?」
「無論。あれは暴れ者ゆえ、放っては置けぬ」
「…寂しがりって聞いたけど」
「それでもどうしようも無いのじゃ。仙界の滝を昇り切るような鯉は滅多に居るものでは無いし、他の竜達はあ奴のような半端者を相手にはせぬ。仙界に戻したとて、同じ事よ」
「そう…」
 シュラインはしばらく考えた後、鈴に一つ、提案をした。
「なるほど。それも一理ある、か。よかろう、シュライン殿の言う通りにいたそう」
 と、鈴が微笑めば、魅月姫も
「それは面白いかも知れませんね」
と言い、玲一郎と桜にも異論は無さそうだ。いつの間にか、呑天は多摩をとうに抜け、道志上空から富士にぐっと近付いており、見るとすぐそばに富士の山影が迫ってきて居た。
「広いわね」
 シュラインが呟く。
「とは言え、かなりの図体じゃ。人里を通ればそこそこの騒ぎが起きよう。じゃが、そのような話は今の所聞かぬ。と言う事は…」
「人間の居ない場所を通った、と言う事ですね」
 魅月姫が言い、鈴はそうじゃ、と頷くと、すっと眼下を指差した。そこには深い森の海が広がっている。
「鈴さん、これって…」
「ああ、そうじゃ」
 鈴が頷く。
「確か、樹海、と呼ばれておるのであろ?」
 
「やはり、この辺りで間違いありませんね。気配が濃くなって、消えています」
 森の闇の中からすっと現れた魅月姫が言った。空から莫竜が木々をなぎ倒した跡を見つけた一行が、樹海に降りて三十分ほどが経っていた。
「樹海ねえ…。あの掛け軸みたいな、滝のある所だと思ったんだけどな」
 シュラインが言った。地図で見た限りだが、この辺りには大きな滝どころか小川の気配すらしない。確かに深い森ではあるが、竜の隠れ家になりそうな感じはしない。だが、桜は首を振ると、すっと森の奥を指差した。
「この奥…大きなモノが…通った…」
「なるほど。ならば間違いは無さそうじゃの」
 三人は顔を見合わせると、桜について歩き出した。樹海の奥深く。富士には多くの登山客があるし、有料道路も何本か通っている。だが、降り立った森の中には人の気配すらせず、耳を澄ましても聞えてくるのは木々のざわめきと見知らぬ動物達の声だけだ。足元は細かな起伏や木の根、そして深く積もった腐葉土で安定せず、ぼんやりとしているとすぐに足を取られる。陽の光すら届かぬ獣道を歩いていると、方向感覚はおろか距離感すらつかめなくなってくる。命を捨てにやって来る人々が居る理由が、何となくわかるような気がしてシュラインは小さく身を震わした。草履では歩きにくいと見たのだろう、玲一郎は桜を抱き上げて歩いていたが、鈴と魅月姫の身の軽さは異様だった。二人とも、気軽な散歩でもするように先を行っている。
「全く。何者なんだか」
 呟いたシュラインに玲一郎が苦笑したその時、緩やかな風の中に異質な音を聞いた。これまで聞えていた木々のざわめき、動物達の小さな足音とは違う、何か。…これは。
「滝、だわ」
 玲一郎が少し眉を上げ、桜がぽおっとした表情のまま行く手を見た。鈴と魅月姫が立ち止まっている。二人のすぐ向こうのくぼみに、大きな穴が口を開けていた。微かに冷たい風を感じ、遠くに水音も聞えた。地表ではなく、地下を流れる川があるのだ。この穴は、そこに通じているのだろう。穴を覗き込んでいた鈴が、振り向いた。
「ここはわしらが行こう。あれは素直に話を聞くような輩では無い故」
「問答無用で封じちゃうの?」
 心配そうに聞くと、鈴がいや、と笑う。
「一応話くらいは聞いてやるが。とにかく捕まえねばその話も聞けぬであろ」
 どうやら生半可な『乱暴者』では無いらしい。鈴と魅月姫が穴の中に消えてすぐに、凄まじい風と音がその奥から吹き上げ、シュラインたちは窪地の端まで退避するや否や、つむじ風は彼らがついさっきまで居た地面すら吹き飛ばした。一時的にだが空を覆っていた森を開き、出現した巨大な洞穴を夕暮れ時の光がさっと照らし出した。
「…滝…」
 桜が目を見開き呻くように呟き、シュラインも息を呑んだ。茜色の光の中に浮かび上がる、巨大な滝。それに絡み合うように跳ねる、一頭の竜。対峙しているのは鈴だ。彼女が風を操る所を見たのは、初めてだった。莫竜は暴れながらも、彼女の操る風から逃れられない。どうやら魅月姫が何らかの結界を使って封じている様子だった。風と風とがぶつかり合い、滝が逆流せんばかりに飛沫を上げる。水の底には莫竜が奪ってきたのであろう、鯉幟がちらちらと見えた。決着がついたのは、30分もした頃だろうか。激しいぶつかり合いの果てに消耗した莫竜を、鈴の風と魅月姫の影が完全に捕らえた。
「大丈夫ですか?姉さん」
 気遣う玲一郎に、鈴はなあに、この程度と笑い、魅月姫と顔を見合わせて頷いた。その二人の間には、捉えた莫竜の姿がある。
「これが…莫竜…」
 シュラインの声に応えるように、結界の中の竜がくおおん、と鳴き声をあげる。人語は話せぬものの、意味は解するのだと鈴が言った。
「寂しい…の…?」
 か細い声で言って、竜を見上げたのは桜だ。
「鯉幟…持って…ても…」
「変わらなかったようじゃのう」
 鈴が溜息を吐く。
「ずっと眠っておれば、幸せな夢も見られたであろうが。幾ら姿の似た者を集めようと、独りである事には変わらぬ。それは、人とて同じ事ではあるが…」
「形が…似てるから…似てても…」
 桜の瞳が哀しげに歪んだ。彼女の悲しみに呼応するかのように、竜が再び咆えた。
「桜どのには、どうやらこ奴の心が通じるようじゃのう。莫竜よ。もう、気も済んだであろ」
 鈴が言い、玲一郎が前に出た。彼が両手を掲げると同時に、白い光の結界が魅月姫のそれを包み込む。魅月姫がゆるゆると結界を解いて行くのと逆に、光が強まり竜を取り巻く渦となり、鈴がさっと掛け軸を広げる。桜が何か呟くのが見えたが、シュラインの耳を持ってしても言葉は聞き取れなかった。次の瞬間、巨大な竜の姿は消え、鈴の手にした掛け軸に収まっていた。

 玲一郎から連絡が入ったのは、鯉幟騒ぎから半月ばかり経った頃の事だった。桜、魅月姫と共に初めて訪れた天姉弟の家は、話通り桃の苑で、微かな風が吹くたび瑞々しくも甘い香りが漂ってくる。
「ここ…」
 中庭に面した廊下の突き当たりを見上げて、桜がぽつりと呟く。
「ああ、良いじゃない?風通しも良い場所だし、ここなら鈴さんや玲一郎さんも毎日通るでしょう?」
 シュラインが言うと、鈴もなるほど、と頷き、玲一郎に目配せした。玲一郎が鉄鎚を手に背伸びをして打った釘に、シュラインがそっと掛け軸をかける。そっと広げたのは、莫竜の掛け軸だった。だが、彼女が以前見た時のそれとは随分と雰囲気が違っていた。巨大な滝の傍には桃の花が咲き乱れ、その向こうには愛らしい小さな竜すら描かれていたからだ。今日はそのお披露目と、新たな保管場所を決める為に、改めて集まったのだ。
「随分と、賑やかになったのう、莫竜よ」
 鈴がくすっと笑うと、魅月姫も、
「構図としては、以前の方がすっきりしていたかも知れませんけれど」
 と頷いた。封じられているとは言え、絵の中ですら一人ぼっちでは、莫竜も可哀想なのではないかと言ったのは、シュラインだった。彼女は帰ると天姉弟とも面識のある画家、佐生深織に連絡を取り、莫竜の掛け軸に新たな竜と木々を描き加えて貰ったのだ。
「無論、絵筆から生まれた竜と莫竜とは、同じモノでは無いからのう。また寂しくなるやも知れぬが」
 その時は、と、振り向いた鈴に、桜がこくりと頷いた。どうやら時折、ここを訪れてやるつもりらしい。なるほどと納得した所で、鈴がさあ、と手を叩いた。
「それでは、庭で茶でも飲まぬか。皆、今日はのんびり出来るのであろ?」
 ええ、と黒髪の少女が答え、シュラインも勿論!と頷いた。桜は独り、しばらくの間莫竜の掛け軸の前に佇んでいたが、やがて皆の後について歩き出した。
大風と共に消えた鯉幟は、何時の間にか各家に戻っており、また少し騒ぎになった。犯人については諸説流れたが、真実を探り当てた者は無論無く、シュラインはその話題が出るたびに、ついつい笑みがこぼれそうになるのを堪えなければならなかった。莫竜の掛け軸は、今もちゃんとあの場所にかけられていると玲一郎からは聞いている。きっともう、こんな騒ぎを起こす事も無いだろう。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1233/ 緋井路 桜(ひいろ さくら)/ 女性 / 11歳 / 学生&気まぐれ情報屋&たまに探偵かも 】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】

<登場NPC>
天 鈴(あまね・すず)
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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シュライン・エマ様
五度目のご参加、ありがとうございます。ライターのむささびです。竜探し、お楽しみいただけましたでしょうか。今回は、情報整理にご活躍いただいた上、莫竜にも優しいお心遣いをいただきました。賑やかになった掛け軸の中で、きっとこれからは寿天苑で楽しく暮らしてくれる事でしょう。ありがとうございました。それでは、またお会い出来る事を願いつつ。
むささび