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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


交渉人急募!!

Opening

 逢魔が時、窓に掛かったブラインドに夕刻の橙に染まる光が差し込み、書類で山積みになったデスクを照らしていた。
 不吉な予感。
 その悪魔のような不気味に鳴り響く足音は次第に大きくなっていく。ブースの中で誰もが固唾を呑んだ。あいつだ、あいつがやってくる、そう予感していた直後に――――。
「じ、事件ですっ!!」
と同時に風を切るような音がして、扉を開けた悪魔のような眼鏡男が編集部入り口に立っていた。
 ああ、やっぱりと心の中でため息を吐く編集部一同。処理仕切れない仕事がさらに増えた彼らにとってこれ以上の事件≠ニ名が付くものに辟易としていた所であった。
 事件です、事件ですと繰り返し一人慌てふためく三下忠雄。もつれて転びかけた足取りを必死に取り繕い、ようやく編集長碇麗香の前で肩を息をするように深呼吸をした。まるで遠方から遙々厄介な物を運んできた然とした様子だ。
「た、た、た…………」
 動揺しきった三下忠雄は滑舌が上手く回らない声で、こう続ける。
「立て籠もり事件発生です!」
 懸命に訴える三下忠雄に対して碇麗香は反応する様子もなく、バインダーに収められた近年増え続けるUFO研究家の退行年齢化状況をグラフ化した資料に目を通していた。誰が見てもそんな資料に価値があるとは思わないだろう。
「へぇ」
と流し目のように彼を見下ろす編集長。
「ああっ、蔑まないでくださいっ!!事件なんです。それがただの立て籠もり事件じゃないんですっ。交渉人が一般に募集されてるんです!!」
「そういうのは今人気映画出演中の人に頼みなさいね」
 と碇麗香は言い退け、またファイルに視線を落とした。
「彼は忙しいんですっ、だから一般応募で交渉人を募ってるんです。日本唯一の交渉人が手塞がり今現在に他の交渉人≠ェいないんですっ」
碇麗香はため息を吐いて腰に手を当て、三下忠雄を睨め付ける。
「じゃあ、貴方がしなさい。同じ下≠ェついてて丁度いいじゃない。私は忙しいの。今からニラサワ氏との面談があるんだから」
「えっ、あの人この編集部に来るんですか………………じゃなくてぼ、僕がするんですか!?」
「受けた以上、しっかりやって頂戴ね。自分の命を賭しても」
「そ、そんなぁ…………」

Tale 1 Egg

「暑い〜〜〜〜」
 照りつける太陽の下。
 白衣を着た一人の研究者が奇妙な機械を片手にうだるような暑さの中を彷徨い歩いている。
「ゆでだこになりそう……お肌に悪いわ」
 魔殿飛鳥(まどの・あすか)は一人呟く。パン屋の店先で舌を出しながら暑さに耐えている犬が気怠そうに歩いている飛鳥を見つめた。
「こっちじゃないわ……南かしら……南ってどっちだっけ……太陽が昇るのはあっちで……こっちは………」
 そして―――。
「こっちは今来た方角で………あっちは今から行く方角……あれ?」
 まるで方角が分からない飛鳥は、パン屋の前で右往左往する。犬の視線もそれに合わせて右往左往。
「太陽って東から西に昇るんだっけ。いや、西から東に昇るんだっけ………それはバカボンじゃん!」
などと飛鳥は支離滅裂な独り言を捲し立て、
「あ!分かった。この機械が壊れてるのね!」
 と飛鳥は片手に持っていた機械を耳元で振った。
「ええい、機械の分際でこの私に楯突くつもりか!」
 閑古鳥が鳴く始末である。
「えーん………また迷っちゃったよぉ………」
魔殿飛鳥はパン屋の店先で跪いて、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。呆れた様子で見下ろすお天道様を仰ぎ見、嘆いて。そう、それは機械のせいではなく、魔殿飛鳥の方向音痴が所以であった。

Tale 2 Soft flour

 真夏の都会。
 一人の女性にとって暗夜行路であるその街路に一筋の光が差す。
「ム、反応だわ!」
 飛鳥の片手に握られたお菓子箱大の機械がピコンピコンと電子音を鳴り響かせた。その飛鳥特製ビーコンは時空間の歪みをキャッチする、飛鳥女史のフィールドワークにとっていわば奇人天才ならぬ才色兼備の必須アイテムだった。
「へっくしょんっ!風邪かしら……今、誰かに変人と言われた気が………」
 言っていない。
飛鳥は頭を振ってもう一度奇妙なビーコンを見張る。
「この近くだわ」
 飛鳥は休めていた足を再び歩ませ、集合交差点に差し掛かる。ビルが建ち並び、建物に囲まれた中央に人々が行き交うアスファルトの縞模様。大型ビジョンが太陽の下でCMや人気歌手のプロモーション映像を流していた。
飛鳥は暑さのためか覚束ない足取りでその横断歩道を渡る。
「反応が大きくなってる、この辺かしら」
 そこは集合交差点の丁度中央―――。
大きく振り切れる針が時空間の異常を指し示していた。
 ―――ふと訪れる目眩。
 飛鳥の視界が歪に揺れる。
集合交差点の中央で立ちすくむ飛鳥。
 その視界に映ったエプロンを着た女性の姿。
「くんくん………これはまさしく」
 ―――飛鳥の大好物であるお菓子の匂いだった。

Tale 3 Butter

喧噪。
 混沌と化した都内の一角。
IT企業ビルの前で人だかりができている。
 事件が起きたのか、警察車両が数台停められていて、黄色いテープで非常線が張られていた。
「こっちにも歪みが見られるわ」
飛鳥は騒ぎを聞きつけた野次馬達の人混みを掻き分けて、消防や救急の車両を横目に、非常線を勝手に潜り抜け、目に付いたブラックのワゴンへ無断で乗り込む。
 飛鳥がワゴンに入り込むと、車内には機械や通信機器が所狭しと並びその中に、数人の男が人質解放への交渉準備に取りかかろうとしている所だった。
「だ、誰ですか?」
一人の眼鏡をかけた気の弱そうな男が飛鳥を振り返り驚きの声をあげた。
 案の定、怪しまれた飛鳥はこう答える。
「軍事時空間研究の許可証よ」
 飛鳥は大見得を張って、その許可証を目の前の男―――慌てふためく眼鏡とヘッドセットを着けた三下忠雄―――に提示する。
「こ、これ手作りじゃないですか!危ないですから入ってこないでくださいぃ」
 三下に突き出されたそれ≠ヘ手書きで書かれた『My研究許可証☆』だった。
「何が起きてるの?」
飛鳥は忠雄の制止も無視して、腰に手を当て、我が物顔で訊ねる。
「人質立て籠もり事件なんですよ……だ、だから部外者は入って……」
 とご丁寧に部外者に説明する三下忠雄。彼が言い終える間もなく、飛鳥は彼の頭に取り付けられたヘッドセットを強引に掴み取り――――。
「事件はマックで起きてるんじゃないの………」
 ワンテンポ置いて。
「吉野屋で起きてるのよ!」
ワゴン内の男性諸君は開いた口が塞がらない。
「ぎ、牛肉事情っすか!?」
 とすかさず合いの手を入れる三下忠雄。
「あ〜〜すっきり、一度言ってみたかったのよね」
飛鳥が爽快気分と言った悦の表情を浮かべる傍らで何の事やらさっぱり分からないと頭を抱える三下忠雄。
「人質を解放すればいいのね。私にやらせて頂戴」
「ええっ!?でも、貴女は部外者で………」
「ふふふ、何を隠そう、私は軍事時空間研究の第一人者、魔殿飛鳥よ」
「………………」
 再び閑古鳥が鳴く。


一方その頃。
人質事件発生から四十分後分後。消防車や救急隊、警察やマスコミが駆けつけて、ビル階下では大騒ぎになっていた。犯人の男は企業ビル内の監視カメラ所在を確認し、その力を借りて、もし踏み込めば撒いたガソリンに火をつけると脅した。
 その後何度も電話が鳴らされ、男は受話器を取るものの、一向に人質解放の条件に耳を貸さなかった。
『落ち着いてください、何か不満なこととか、要求とかあるんですか。もしあれば、交渉人こと、私魔殿飛鳥に是非理由を聞かせてくださいっ!』
「大量の砂糖に、ケーキ食材一式だ!砂糖多めだぞ。トラック一杯に積んでこい」
 それを聞いた魔殿飛鳥は電話の向こうで唖然とする。
『えっ?何ですって?さとう?さとう……さとう……あ――――B作さんですか?』
「ちーーがう!栄作でもB作でもない!さ、と、う、だ!甘い砂糖だ!」
 犯人は続けて、
「全部一時間以内に持ってこなければ人質を殺す!」
 と言って、受話器を切った。
 それを傍聴していたシオンとマリオンはロープに身体を束縛されながら顔を見合わせて、肩を竦める。
 犯人の男は神経質に何度も「早くしろ、早くしろ」と呟き、腕時計を見ては刻み足、オフィスの時計を見ては地団駄、その繰り返しだった。
 緊張の合間、第一声を上げたのはマリオン。
「何故、お金を要求しないんですか?」
犯人の男は三十代前半といった体で、あまり冴えない中年であった。その男は人質であるマリオンとシオンを見下ろして、怒鳴ると思いきや表情を緩ませて、
「すまない。事情があるんだ」
とか細い声で心の内を明かすように言葉を吐き出した。
「それは、ガソリンではないですよね?」
 マリオンは顎で赤いポリタンクを指し示した。
 男は一瞬目を丸くすると、自嘲するように片頬笑み、「あぁ」と答える。
「ブランデーだよ。あんたを脅したのもナイフじゃない。ただの」
犯人の男は掌から、銀色に光る物を二人に見せた。それは―――。
「バター………」
 バターナイフだった。
 それから男は二つのポリタンクに入った液体に視線を注ぐ。シオンとマリオンが縦長の赤い容器に目を移すと中で少し茶色がかった液体の様子が透けて見える。
その時二度目の電話機の音が鳴り響く。
 男は慌てて受話器を持ち上げると、急いで声色を変えて「何だ?」と訊ねた。
『あ、ええと要求は用意することにしました。中にいる二人の様子を教えてください』
「無理だ。さっさと持ってこい。よからぬ事をしたらガソリンに火を点けるからな」
 男は数分魔殿飛鳥と言い合っていると、受話器を手で覆い、シオンとマリオンに向き直った。
「何か欲しい物は?」
「え、食べ物でもいいんですか?」とシオン。
「交渉人が君たちを心配して注文を取るそうだ」
「え、じゃあ!等身大パフェ、10個お願いします!」
シオンは縛られながら中で涎を垂らしながら言って、
「あ、僕はグランドチェリーのボンボンを5個」
 マリオンは縛られながら嬉々とした瞳で告げた。

Tale 4 Strawberry

 立て籠もりから二時間後。すっかり陽は暮れて、オフィスの中に僅かな蛍光灯が灯された。逃げ出した人々が脱出する際によほど慌てたのか、書類やファイルが散乱して、床に散らばっていた。ビルの窓から騒ぎの音がくぐもって聞こえてくる。
 男は相変わらず時間を気にして、腕時計に目を落としている。
 シオンは今にも泣きそうな顔をして頭をきょろきょろと動かしている。開口一番、シオンは口を開いて、
「テレビはないんですか?時代劇が始まっちゃいます……楽しみにしてたのに」
と犯人の男に懇願するような目で訴えた。
「ない………みたいだな」
男はそう言うと、タバコの箱から一本取りだ、火を点けた。
 シオンは困惑と泣きっ面の表情で「うぅ」とうめき声を漏らし、頭を垂れる。マリオンは相変わらず自然体の様子で良き人質であることを享受しているようだった。
「あの……」
 シオンはまた犯人に呼びかけて、
「私に人質の価値はあるんでしょうか?あるとしたら何点ですか?」
「んー、四点」
「寸分の価値もないですやん。もっと上げてください」
「ためしてガッテン」
「納得して頂けたでしょうか?って違う!」
「テンテン」
「ハイ、私は上野のパンダ、ってちがーう!」
シオンは嘆いてがっくりと項垂れた。意気消沈したシオンが怨念のように何かを呟いているとその様子を見ていたマリオンが犯人に顔を向けて、
「何故、砂糖や卵なんか要求するのです?お菓子でも作るつもりなんですか?」
 と鋭い視線でその質問を口にする。
「…………………」
「貴方はパティシエか何かですか?」
「…………ああ………」
「どうしてこんなことを?」
「俺は――――」
 男は点けていたタバコを灰皿にもみ消し、煙を吐き出した。
「俺は、誰もが幸せになれる≠ィ菓子を作りたいんだ」
 マリオンはそれを聞いて吃驚するように目を丸くさせた。
「そんなお菓子あるんですか?」
「ある。いや、ない」
「どっちですか?」
「俺が作る」
「何故、人質を取る必要があるんです?」
「金がないからだ」
「貴方は本当にパティシエですか」
「ああ」
「嘘ですね」
 マリオンがそう言い切ると、男は黙った。
 暫くの沈黙が三人を包み込む。
 そして。
「俺はあの時食べたケーキを忘れられないんだ。俺の大事な女性だった。彼女の作るケーキは人を優しくしてくれる。彼女は死ぬ前にこう言ったんだ、『美味しいお菓子は人を幸せにできる』ってな。だから、俺はそのお菓子を作りたいんだ」
男は言い終える。
「あるんですか………?そんなレシピ」
マリオンが疑心に駆られた目で男を注視する。
「ある」
男は力強く断言した。


「お邪魔のお邪魔のお邪魔殿飛鳥で〜〜〜す!要求の品持って参りました!」
白衣を着た魔殿飛鳥は元気よく現れた。
 飛鳥はオフィスのある階まで誘導され、犯人の男によって入念にチェックされ、出入りを許可されワゴンを運び入れる。ワゴンに乗せられた沢山の材料や機材は崩れかかった山のようになっていて、上段に砂糖や卵、生クリームなどのケーキ食材が贅沢に並べられていた。
「あの………質問いいですか?」
 飛鳥が申し訳なさそうに犯人に頭を下げる。
「何だ?」
「私もお菓子食べていいですか?」
「はぁ……?」
 男は飛鳥の突飛な要求にたじろぐ。
「私、お菓子大好きなんですっ!」
かくして奇妙な四人のお菓子作りが始まった。


「どうだ?美味しいだろう?幸せな気分だろう?」
「………………」
「どうなんだ?すっごい幸せになっただろう?」
「………………」
「これで世界中は平和だ」
「………………」
シオンと飛鳥とマリオンの三人は顔を交互に見合わせる。
『ま・ず・い』
 その三文字が表情に現れて、アイコンタクトを交互に取る。
「砂糖入れすぎですね」
 顔を少々歪めて舌を出したマリオンが犯人の男に告げた。
「甘過ぎです。胃もろとも溶かすような甘さです」飛鳥が言う。
「………お、美味しいです。すっごく美味しいです。これって幸せな味で……ぶ!」
 シオンが言って、マリオンと飛鳥に頭を叩かれた。
「そうか…………」
男は落胆して、タバコの火を点ける。
「彼女のケーキはほんのり甘くて、それが印象的だった。だから甘ければ、幸せになれると思ったんだがな」
 こうして四人は呆気なく振り出しに戻る。

Tale 5 Whipped cream

そのエプロン姿の女性は四角い写真の中で微笑んでいた。その横で少し太った男性が照れ隠しのように笑っている。白黒の写真から見ると随分と前に撮られたもののようだった。裏には大分昔の日付が記されている。
「この人がその女性ですか?」
 マリオンは男に尋ねると、中年の男は静かに頷く。
 少し後ろで、ブランデーを開けた二人が、盛大に盛り上がっている。シオンと飛鳥はすっかり酔いが回り、一方は人質であることを忘れて特大パフェを食べ、一方は交渉人であることを忘れ、高級菓子であるボンボンを摘んでいた。
「シオンさぁん、お箸使いお上手ですねぇ、あははは」
「見ててください、これが箸拳奥義、特大パフェ摘み食い!がばばば」
「すごいすごい!」
「あばばばがばばばべぼ」
マリオンが後ろを振り向くと二人はすっかり悦に入り、呂律が回らない舌を懸命に喋り散らしている。
「二人とも、来てください」
「何ですかぁ?」
 シオンと飛鳥がすっかり出来上がった様子でマリオンのいる所まで歩み寄る。
「これから、少し飛び≠ワすが我慢してください」
「え」「ほえ」
 マリオンが男から受け取った写真を手に取ると、四人は、ビルのオフィスから消え去った。


アンティークな洋風造りのその店はぽつんと都会の真ん中に建っていた。
 トラ模様の猫が軒先で気持ちよさそうに背伸びをしている。
 店の前に並べられた飾り気のない花が道行く人々の心を誘う。
 微かな匂い。
 それは幸せを喚起させるような甘い匂い。
ショーウィンドウに飾られたお菓子の数々。
 小さな空間に彩られたケーキ達。
「ここは………」
男が戸惑いの声を漏らす。
「あなたの望んだ物がある場所です」
 マリオンは男に写真を渡すと、背景が今いる場所とぴったり一致した。
「ここが……彼女のいる……場所」
 その時、店先から一人の中年男が現れて、深呼吸をするように手を挙げて背を反らした。
「うーん、今日も気持ちいい朝だ」
 中年男は背伸びをしながら満足そうに呟いた。
「早く準備しないとお客さんが来ちゃうわよー」
 店の奥から子供のような女性の声。
「あれ、この声、どこかで聞いたような気がするのですが……」
シオンが面食らった表情を浮かべる。
「本当ですか?シオンさん」と飛鳥。
 時代を超えて戻ってきた男はゆっくりとショーウィンドウに手を当てる。
ガラス一枚を隔てた奥で微笑みを映し出す、女性の姿。
 今にも躍り上がりそうなエプロンの裾。
「俺は………あの時、美味しいって言ってやれなかった。お菓子で幸せにできるなんて絵空事が信じられなかった。でもいなくなって、初めて気が付いた。俺はあの味が忘れられなかったんだ」
 男がそう言うと、小さな影が重なる。
 それは一人の少年だった。
 少年は買い物篭を片手にショーウィンドウに顔を寄せ、その女性をじっと見つめている。
 暫くすると、少年は店の中に入って、ぶっきらぼうな動作で買い物篭を女性の手に渡す。
「こんにちは、何が欲しいの?」
「誕生日のケーキ」
「バースデイケーキでいいかしら?」
「うん」
少年はカウンターの前で、女性がケーキを梱包していく様子をずっと眺めていた。
 時間を忘れるように。
 ずっと、女性の横顔を見つめていた。
「はい、出来上がり。僕はお菓子は好き?」
「嫌いじゃないよ」
「じゃあ、お姉さんが、幸せになるケーキを食べさせてあげる」
「幸せ?」
「うん、幸せ」
その様子に気付いた店の男が、
「おいおい、またそんなこと言って。幸せになるお菓子なんて大袈裟なものじゃないだろう」 とからかうように言った。
「もう、あなたは黙ってて」
 女性は少しふくれっ面になりながら、カウンターの奥へ行って、お菓子の箱を取り出した。
 箱を持って少年の許まで歩を移す女性。
「これね、幸せになるケーキ。信じると本当に幸せになるのよ。食べてみる?」
それは小さく丁寧に切り分けられた、赤いイチゴの乗ったショートケーキだった。
「うん」
少年は不器用な手付きでフォークを握り、ケーキの角を崩し取って、口に運ぶ。
「美味しい?」
 女性が少年の顔をよく見るように屈んで窺う。
「……………」
「どう?」
「……………」
 少年は顔を隠すように俯き、押し黙った。
「あ、ごめんね。お姉ちゃん少し強引だったね」
少年は勘定を済ませると、足早にその店を去っていった。その後ろ姿を細目で見つめる女性。
 店先に並んだ異邦者の四人は呆気に取られるように彼女のやり取りを見ていた。
「あれが、幸せになれるケーキですか?」
とシオンが開口した。
「ああ………」
男は女性と視線を合わせた。その表情が嬉しいようにも悲しいようにも見えた。
「あのケーキ持ち帰ることができますよ」
 とマリオンが男の横で独り言のように喋った。
「いや、いい。ありがとう」
 マリオンが男の答えを聞いて、目を閉じる。
「ありがとう」
 刹那に響く子供のような女性の声。
 しかし、その声が届く間もなく四人はモノクロの昼下がりから姿を消した。


「結局、幸せになるケーキは作れませんでしたね」
 飛鳥はため息混じりに言葉を呟く。
「そうですね。あったとしても万人に受ける筈でもありません」
 マリオンが付け加える。
男は複雑な表情を作って顔を顰める。
 オフィスの中は散らかりきって、作りかけのケーキや薄力粉、卵が入ったボウルやクリームがデスクの上に並んでいた。
 すでに夜の帳は降りて、外は一層騒がしくなっていた。恐らく、交渉人が戻らないため、そろそろ警察関係者が業を煮やして乗り込んでくる頃である。
 その時、シオンが何かを思いついたように、掌をぽんと叩く。
「あ―――」
三人は何事かと、シオンの顔を窺う。
「別に作らなくてもいいんじゃないですか?」
 男とマリオン、飛鳥はシオンの傍に駆け寄り、耳を寄せる。
 暫くして。
「なるほど。でも、広める方法とそのレシピがないと……」とマリオン。
「あ、私出来ますよ」飛鳥が、手を挙げて主張する。
「本当ですか?」
「ええ。ここにはコンピュータが沢山ありますし。あとはレシピだけですね」
 シオンとマリオン、飛鳥は男を振り返る。
 男は破顔一笑して、
「できるさ」
 と快活に言い切った。

Tale 6 Non sugar

そして朝日を迎えた頃、男は警察に逮捕された。
人質として捕らえられた二人と、必死の交渉に挑んだとされる一人は無事解放され、各自事情説明と聴取を受け、数日後、ようやく日常の世界へ戻ることになった。
「調べたとおりですね。彼女の誕生日だったそうです」
 マリオンは公園の片隅のベンチで、資料を二人に見せた。
 現場となったIT企業ビルは、かつて借金を理由に買収された洋菓子屋を取り壊し作られた建物だった、ということだった。そのスクラップの隅で、丁度三十年程前の昨夜、女性パティシエが不幸な事故によって亡くなったという記事が掲載されている。皮肉にもその日女性パティシエの誕生日が行われる予定だった。その後の夫の足取りはマリオンにも掴めなかった。
「でも、本当に良かったんでしょうか?」
飛鳥が不安げな声でマリオンを見遣る。
「いいんじゃないですか?別段害はないんでしょう?」
「ええ………まぁ」
シオンは相変わらず公園のブランコに揺られながら空を見つめていた。その先には白いホイップクリームのような入道雲。
「それにしても、シオンさんの提案がなかったら、あの人もそのまま捕まってたんですから。これでよしとしましょう」
「あの人は本当にパティシエだったんですか?」
「違うと思います。でも、まぁ、それは問わなくてもいい気がします。僕たちの証言で、罪も軽くなるでしょう。ガソリンではなかったんですから。それに今頃世界中に感染してるのでしょうね。ウィルスメール」
「害はないから、ウィルスとは呼べないかも知れません」

そのメールはいつしか『Birthday mail』と呼ばれ、
 ショートケーキのレシピから始まり。
 卵。
 小麦粉。
 バター。
 ホイップクリーム。
 生クリーム。
 いちご。
 そして、唯一ケーキの甘さを作り出すはずの砂糖≠ニいう材料が抜かれて、
 最後に―――。

This cake will be completed by your memories.Happy Birthday!!
あなたの思い出でこのケーキは完成するでしょう。誕生日おめでとう!

「ありがとう」

END



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

■4164■マリオン・バーガンディ■男■275歳■元キュレーター・研究者・研修所所長■
■3356■シオン・レ・ハイ   ■男■42歳 ■びんぼーにん(食住)+α     ■
■5031■魔殿・飛鳥      ■女■28歳 ■研究者              ■

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■         ライター通信          ■
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ご注文ありがとうございました。今回、交渉人というシチュエーションで挑ませて頂きました、ウィッチです。しかし、何をすればいいのか途方に暮れ、遅くなってしまった次第で御座います。結局思いついたものを一つの話に纏めてあまり笑えそうにないネタを小出しにして少しいい話で終わるようになっております。皆様が楽しんで頂けたら幸いです。

それでは皆様またどこかで、お会いしましょう。