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空腹の少女 - Tales of EA 2 -
草間・零がその少女を見つけたのは、朝方ゴミを捨てに路地に出たときだった。
微量の血臭に気付いた零が奥に向かうと、十代前半と思しき少女が立っていた。
黒いノースリーブとハーフパンツは体に密着したデザインで、足元には似たような黒い服を着た男たちが三人倒れ付している。
そして前触れなく少女の膝が折れた。
(あっ)
思わず零が飛び出すのと、少女が倒れ込むのは同時だった。
慌てて駆け寄り、膝を突いてその頭を起こす。その額には一センチほどの小さなガラスに似た円盤があった。
少女が薄く目を開ける。
「大丈夫ですか?」
「……く」
「え?」
細い声が聞き取れず、零は耳を少女の口元へ寄せた。
「……くうふく、とても」
「で?」
黙々と食パンを頬張る少女を見ながら、草間・武彦は不機嫌さを隠さずに咥えた煙草を揺らした。
「追われているようなんです、この子。それで、連れの方ともはぐれたみたいで」
零が言いながら、空になったグラスに牛乳を注ぐ。
朝にゴミを捨てに行った零が、なぜかこの少女を連れて戻ってきたのだ。
そのときに何か事情を聞いたのか、零は妙に親身になっていて、朝食の提供となった。
ユウカと名乗った少女は牛乳を一気に飲み干し、今度はアンパンに手を伸ばす。
興信所の食糧が減っていくのを、草間は苦々しい思いで見つめた。
「迷子なら警察、人探しなら興信所だが、うちは慈善事業はやってない。その連れとやらが金を払ってくれるならべつだけどな」
その言葉に、ユウカが食べるのをやめて顔を上げた。
「かね、はらう?」
言って少し考える。十代前半の外見だが、言葉はやけにたどたどしい。
「チクロ、しってる。きっと、かね、しってる」
「チクロ?」
「その、連れの方の名前のようです」
「で、どんなヤツなんだ」
「これくらい」
ユウカが両手で、直径三十センチほどの円を示した。どう考えても人間の大きさではない。
「ちいさい、くろい、だから、チクロ。しっぽ、きれい」
「話を聞くと多分、黒い猫なんじゃないかと思うんですけど」
「猫が連れだって? ……勘弁してくれ」
零の言葉に草間は頭を抱えた。
と、ユウカが顔を跳ね上げた。
「きた」
立ち上がろうとした少女は、しかし膝が崩れて倒れかけ零に抱えられる。
「何かが近付いているみたいです。多分、この子の追っ手じゃないでしょうか」
「なんだそれは」
否応なく巻き込まれているのを感じ、草間は舌打ちをした。
迷惑だと叩き出そうにも、相手が子供でしかも弱っているとなればそう無下にもできない。
「仕方ない、後払いでも出世払いでも、必ず料金はもらうからな」
大人気ないと自覚しながら、草間は紫煙を吐き出した。
■■■
「――という訳なんです」
草間・零が一通りの説明を終える。
話を聞き終えたシュライン・エマ、赤羽根・希、セレスティ・カーニンガムがそれぞれに得心のいった表情をする。
セレスティはこの朝、詰まっているスケジュールにわずかに空いた時間ができたために、偶然に立ち寄っていた。
零の隣では、少女、ユウカが不思議そうに目の前の器に乗った煮物を覗き込んでいた。シュラインが差し入れにと持ってきた里芋の煮っ転がしだ。
奥の机では、残りの半分を草間が口に放り込んでいる。
箸を使えずにフォークを握り締めているユウカは、様々な角度から煮物を見ている。
希が、ユウカに合わせて首をかしげた。
「うーん、そのおでこの、すっごく見覚えがあるんだよね。しかも黒いにゃんこでしょ? てことはやっぱり、あれかな、昨日の黒猫」
シュラインが頷く。
「そうね。チクロという名前は初めて聞くけど、同じユニットをつけた黒猫なら、彼≠フ可能性が高いわね」
「時期もそうですし、まずあの猫のことだと見て間違いはないでしょう」
言ってセレスティが零に確認する。
「それで、その追っ手というのは?」
「動きがないようなんです」
零がユウカを見る。
ユウカはまだ煮物を覗き込み、たまに匂いを嗅いだりつついたりしている。
シュラインが微笑して、
「大丈夫よ、食べられるものだから」
軽く頭を撫でてやると、ユウカは恐る恐るといった風情で里芋にフォークを伸ばした。
もう一度匂いを嗅いで、それから思い切ったように口に放り込んだ。
何度か租借して飲み込むと、にわかに顔を輝かせて次の芋にフォークを伸ばす。
「美味しい?」
シュラインが聞くと、ユウカは芋を頬張ったまま顔を上げて何度も頷く。
その顔の高さに視線を合わせ、シュラインはなるべくゆっくりと話しかけた。
「貴方を追って来た人たちは、まだここには来ないのかしら?」
ユウカは煮物を飲み込んでから少し考え、
「ゆーえぬ、いる。みて、まってる。まだ、こない」
「ゆーえぬ? とりあえず、様子をうかがってるってことかな? でも、まだ≠チてことは、そのうち来るんだよね」
希が眉根を寄せて言う。
シュラインが再びユウカに話しかけた。
「ゆーえぬって何かしら」
「ゆーえぬは、あんなんばー。たくさん、でも、おんなじ。ユウカより、した。よわい」
それを聞いて、セレスティが小さく頷く。
「UN、ということですか。あの黒猫やこの少女のような実験体なのでしょうね」
草間が諦めたようなため息をつく。
「とりあえず、ウチの食料がなくなる前に、誰かどうにかしてくれ」
と、興信所のドアが開いて可笑しそうな笑いが聞こえてきた。
「飯くらい快くあげなさいよ。ここはそんなに切羽詰ってるのかい?」
楽しげな笑い声とともに入ってきたのは、古田・翠だった。
「ちょっと用があって電話したら、零がなんだか困ってるっていう話だからね、ほら」
そう言って応接テーブルの上に、結婚式の引き出物のような大きな手提げ紙袋を置く。
「うちの経営する料亭の弁当だよ。多めに持ってきたから、存分に食べなさい」
「なに、弁当だと?」
その言葉に真っ先に立ち上がったのは、草間だった。
「武彦さん……」
シュラインが呆れた声を出し、セレスティも小さく笑う。
翠は構わずにユウカの額を覗き込み、何か得心したように口の端を上げる。
「ふーん、この子がそうかい。とりあえず回復するまでは守るとして、その猫とやらを早めに捜したほうがいいようだね」
言って、翠は携帯電話を取り出した。
「ウチのタダ働きでもを回してやるかね」
■■■
隣でフォークを使って一心不乱に弁当を食べる少女、ユウカを見ながら、黒榊・魅月姫は紅茶を口にした。 やや青い若葉に似た香りに、淡い渋みが口に広がる。
「ダージリンの、ストレートフラッシュですね。いいお茶です」
言うと、草間・零が笑顔で頷く。
「頂きものなんです。兄さんは飲まないので減らなくて。ちゃんと淹れられてるといいんですけど」
魅月姫は「美味しいですよ」と零に言い、もう一口飲む。
ふらりと興信所に立ち寄った魅月姫だったが、見慣れない少女と周囲の雰囲気を訝り、零から一通りの事情を聞いたところだった。
興信所の主である草間は、昨夜の依頼でも同行した赤羽根・希となにやら備品の移動をしている。
開いている机ではセレスティ・カーニンガムがノートPCのセッティングをし、古田・翠が壁にもたれそれを見ている。
魅月姫はそんな周囲の様子を見るともなしに見ながら、今聞いた話を理解して小さく頷いた。
それからユウカに体を向け直し、
「少し、いいですか?」
一人大食い大会を広げているユウカが顔を上げる。
魅月姫はその目の前に闇の鏡≠顕現させた。
アンティークな装飾文様の彫りこまれたフレームに闇色の鏡面をもつ鏡は、魅月姫の記憶にある黒猫の姿を映し出す。
「その方は、このような方でしょうか?」
魅月姫が言い終えるより早く、ユウカの表情が一変した。
目と口を大きく広げた喜びの顔で、フォークを落として鏡に両手を伸ばす。
「チクロ!」
しかしすぐにそれが映像だと気付いたらしく、不思議そうな顔で鏡面、鏡の裏側、魅月姫の順に身を乗り出して覗き込む。
「どうやら、正解のようですね」
「これ、チクロ。チクロ、しってる?」
ユウカに聞かれて、魅月姫は頷いた。
「ええ、今探してみますから、少し待っていただけますか?」
ユウカが頷くのを見て、魅月姫は目を閉じ精神を集中させた。
昨夜遭遇した黒猫の気配を思い出しながら、辺り一体の気配を走査する。
地表から建物の隅々まで、人、人ならざるもの、小動物、いくつもの気配を読み取り、感知する範囲を広げていく。
数分そうしてから、魅月姫は目を開いた。
「あまり近くにはいないようですね」
ノートPCの向こうから、セレスティが頷く。
「知能の高い猫ですから、あまり人目につく所にはいないのではないでしょうか。昼間でしたら額のユニットも目立ちますし、折角偽物で追っ手の目を眩ませたのですから、慎重に行動しているのでは」
「ええ、もう少し範囲を広げてみようかと思います」
言いながら、魅月姫は興信所の周囲に感じた、こちらを伺っている気配が気に障っていた。
(不愉快な方たちですわね)
恐らく、ユウカの言ったUNという存在なのだろう。
今すぐに危害を加える様子でもないが、無力化しておくのも悪くはない。
(二人、いえ三人ですね)
念のためと、魅月姫は再び近辺を走査する。
先ほどより範囲を広げると、既知の気配を感知した。先に黒猫を探しに出たシュラインと、同行するもう一人は知らない気配だが、問題はないようだ。
しかしその二人から離れた距離に、彼女たちを監視するような気配がある。
(あちらも相手は三人――ならばこちらはお任せしましょうか)
興信所にいる面々で既に戦力的には申し分ないであろうと、魅月姫は走査した気配から結論付けた。
(無力化して、あとは闇で遠方に飛ばしてしまいましょう)
「少し、応援に行って参ります」
言いながら立ち上がると、袖を引かれて振り向く。
魅月姫の気配から何かを感じたのか、ユウカが眉を八の字にして見上げていた。
「ゆーえぬ、なかま。なかま、たすける。こわすの、だめ。おねがい」
魅月姫はユウカに向き直った。
「チクロ≠ヘ、守りたいものがあると言っていました。それは貴女のことだと思うのですけど?
ユウカは首を振った。
「ユウカ、しょぶんする。だから、さいしょ、にげる。あとで、みんな、たすける」
その言葉に、興信所にいた皆が手を止め、ユウカを見る。
「処分とは、物騒な話だね」
翠が言い、セレスティも思案気な表情を見せる。
「まずは彼女を助けるのが、あの猫の目的ではあるのでしょう。ですが、最終的には他の実験体も救いたいと、そいういうことでしょうか」
魅月姫は得心し、屈んでユウカと目の高さを合わせた。
「大丈夫です。でも先に、チクロを見つけてきますから、UNのことはあとからゆっくりお話しませんか?」
言うと、ユウカは素直に頷いて手を離した。
魅月姫は彼女に小さく頷いて見せてから、転移のために意識を集中させた。
■■■
セレスティは空いている机の上にノートPCを広げた。
電源は借りられるが回線はアナログしかないため、無線LANで接続をかける。
応接セットの方では、ふらりと現れた黒榊・魅月姫に零が事情を説明しており、これで昨夜の黒猫に関係した面子がそろったことになる。
「なにを調べる気だい?」
壁にもたれ掛かった翠が、こちらの手元を見ながら聞く。
「猫の行動範囲は先ほどめぼしをつけましたから、追っ手側に関して調べましょうか。まずは研究施設ですね。動植物問わずに生体関係の研究をしている施設と、念のため薬剤関係と軍事の方もピックアップします」
と、メールの着信を告げるポップアップが表示された。
差出人は北庭苑≠ニなっており、内容は店主の不在を告げるものだった。
(外出されている、と。とりあえず連絡だけはしていただけたようですし、こちらは返事待ちということにしましょう)
前回の依頼を仲介した北庭苑の店主から情報を得れないかと連絡をしてみたのだが、生憎と不在だったようだ。
セレスティがメールを見ている間にも、ノートパソコンのディスプレイ上には次々と情報が上がってきていた。
片隅に表示してある地図には、条件に該当する施設の所在地を示す赤い光点が増えていく。
「思ったよりもあるもんだね」
「研究所として独立している施設は少ないのですが、企業や他施設の所属としてはかなりの数がありますね。それと、もっと規模の小さな研究室レベルのものはさらに多いですね」
もっとも、とセレスティは画面を見ながらデータを選別していく。
(独立思考をする生命体を扱うような施設ですから、それなりの規模があるでしょう。それだけでも大分絞り込めますね)
刻々と追加される新しいデータを含めて、あからさまに条件から外れるものを外していく。
数分後、画面の地図上には十数個の光点しか残らなかった。
そこから更に、昨日の黒猫と遭遇した総合病院とこの興信所との位置関係から距離を割り出す。
ユウカから聞き出した時間情報からすると、研究所からの移動距離は六十キロメートルを越すが、八十キロメートまではいかない。
もちろん直線距離ではないため、まず半径七十キロメートル圏外を消去する。
施設数は八に減った。
と、そこで新たな情報が入る。
ここ一週間で不審な人員の出入りがあった施設が判明したのだ。
絞り込んだ施設の中に、それはあった。
(日本ハイテクノロジー研究所、ですか)
無個性な名前の研究所は、一般の地図や電話番号検索ではヒットしない施設だった。
直接外部の企業などとは接触を控え、物資運搬のための運送会社まで独自に経営して情報を隠蔽していた。
そのため最初は正確な所在地を掴みづらかったのだが、思いがけないところからそれは判明した。
(スポンサーがついているのですね)
その研究所が経営している運送会社、JHLに投資している企業がそれだった。
運送会社への投資としては巨額すぎる金額の動きに国税局の査察が入ったらしく、その記録を見つけることができた。
そこにはJHLの所在地や表向きと思われる内部事情、また配送先の施設に関する記述もあった。
しかし査察自体は特に成果もなく、結局その企業は現在も投資を続けている。
セレスティはふと顔を上げ、手持ち無沙汰にしている翠に話しかけた。
「一つお願いしたいのですが、よろしいですか?」
翠は軽く眉を上げる。
「まあ動きがあるまでは暇だしね、なんだい?」
「この企業を調べていただけませんか。私はこちらの研究所の方をもう少し調べてみようと思うので」
セレスティが指すディスプレイの企業名を見て、翠は小さく笑った。
「あまりいい噂を聞かないところだね。わかった、少し調べてみよう」
言って、翠は携帯でどこかに連絡を取り始める。
セレスティは徐々に増えてる研究所の情報を分類整理しながら、先ほど得た入出記録を見た。
通常は職員のINとOUTで構成された数字の中に、PAROLEという項目が幾つかある。
(仮出所≠ニは、穏やかでない表現ですね)
対する項目はHOMING帰還≠セ。
そこに記載されているIDは職員のものとは明らかに違い、昨夜の黒猫のコードと酷似している。
そして二日半ほど前の記録に、一度に六つのIDが仮出所≠オている。
うち五つはAやBが連続したダミーと思しきIDだが、残り一つは「EALM0099」と記されている。
黒猫の識別番号がEASM0508であったことを考えると、彼と同じように個別の装備を持ち、単体でも活動が可能な存在だろうと予想がつく。
ユウカの言うUNのみであれば、話からしてもそう難敵とは思えないが、
(リーダー的な存在、ということですか)
ユウカがこちらにいる以上そのEALM0099が外に捜索に出たシュラインの方へ向かう可能性は低い。 しかしそれでも用心に越したことはないと、セレスティは念のために彼女へ警告のメールを送った。
■■■
「ほらほら、草間さんもそうカリカリしてないで手伝って。人助けなんだから」
興信所の備品を移動しながら、希は不機嫌そうに眉をしかめている草間に声をかける。
翠の持ってきた弁当を、草間が食べた一つを残して全てユウカが平らげたらしく、それが不機嫌さに拍車をかけているようだ。
希はシュラインに出掛けに頼まれて、壊れやすそうなものを棚の下に入れたり、邪魔になりそうなものを棚の上に置いたりしていた。
たまになんだかわからないものを発見して、希はその度に首を傾げた。
サイコロ、百人一首はいいとしても、妙にカラフルな羽飾りだとか、妙に長い釘だとか、
何かの破片のようなものまで大事そうに仕舞ってあったりする。
(うーん、ここって不思議……)
草間の趣味を疑いながらも、希はとりあえず零に聞きながら片付けていく。
本来苦手な作業でもあるのだが、零の指示が的確なおかげで自分が片付け上手になった気がしてくる。
「さー、どんどん片付けよっと」
その様子を見てさすがに引け目を感じたのか、草間も仕方なくといった様子で腰を上げる。
すかさず零が、黒榊・魅月姫に紅茶を煎れながらもてきぱきと指示をする。
「じゃあ兄さんはここの書類を全部しまってくださいね。あと、ハサミとか刃物の類も全部片付けてください。危ないですから」
セレスティと翠はそれぞれの伝手で情報を集めているようで、それはそちらに任せておこう、と希は周囲に気を配る。
特に何があるわけでもないが、微妙に緊張した空気が流れているのがわかる。
きっと追っ手とやらがこちらを監視しているのだろうと、希は気合を入れる。
(あのにゃんこと関わったのもなんかの縁だし、あれだ、毒を食らわば骨まで!)
よし、と握りこぶしを作って、それから首を振る。
「じゃなくて、皿まで!」
「皿?」
草間が不思議そうな顔で聞いてくる。
「あ、ううん、何でもない」
笑って誤魔化し、希は棚の上に精一杯腕を伸ばしてダンボールを押し込んだ。
踏み台を使ってはいるが、それでも足の裏や脇がつりそうになる。
(うー、もうちょっと身長あったらなぁ。せめて160……)
切実な思いで棚の上を見上げ、ふと気付く。
(あれ?)
少し考え、零を振り向く。
「ねえねえ、あれってあくの?」
「あ、はい、そうです。一応、たまに掃除もしてるんですよ」
「へえー」
零のマメさに関心しながら、希は再び上を見上げた。
希は静かに息を潜めていた。
辺りは暗いが、零が掃除しているだけあって、埃やカビの臭いはしない。
(でも、よくこんなとこまで掃除しようと思うよね。あたしには考え付かないよ)
気付かれぬように開けた隙間の先では、黒い服の男が二人、草間興信所の入り口を挟んで壁に張り付くように立っていた。
ユウカと似た黒い上下だが、幾分か彼らの服の方が余裕を持ったデザインのようだ。
と、そのの一人が何か黒いものを手にした。十五センチほどの筒型で、頭には丸いピンがついている。
(手榴弾? て、まさかね。閃光弾とかかな)
どちらにせよ、あれを興信所内に投げ込ませるのは危険だ。
別の一人が頷いて静かに興信所の入り口に手をかけ、男は黒いものを投げ込むような構えを見せる。
(草間さん、ごめん)
修理費用などを頭から追い払って、希は足元を思い切り蹴りつけた。
隙間を空けていた天井のボードは簡単に外れる。
それに乗るように落下した希は、男たちの丁度中間へ着地した。
膝を深く曲げて衝撃を吸収し、同時に両手から炎を男たちに投げつける。
天井裏からの来襲に不意を突かれたのか、男たちは反応が遅れる。
よろけるようにして、しかしかろうじて希の炎をかわした。
(まだまだっ)
希は黒い物体を持った男へ身を低くして踏み込み、炎をまとわせた手で殴りかかった。
体勢を崩していた男は炎を避けようと更に体を反らし、耐え切れずにバランスを崩す。
男の手から、黒い円筒形のものが放り出される。
「危ないものは、なくさないとね!」
すかさず希が放った炎がそれを取り込み、一瞬で溶けて蒸発する。
バランスを崩した男が倒れかけるのと同時に、もう一人の男が希に肉薄する。
希は腕に炎をまとわせて振り払い威嚇、男がひるんだ隙に腹を蹴りつけた。
「いっ!」
しかし足の痛みに叫んだのは希の方だった。
男の腹部は固い板のようなもので覆われていて、蹴りの衝撃でよろけたもの、ダメージを食らった気配はない。
(防弾素材とか、そういうの? にしても、)
希は眉を寄せて、両手を突き出す
「痛いじゃない!」
空気を焼く音を立てて、その手から紅蓮の炎が噴出した。
男たちのむき出しになっている手足に絡みつき、動きを封じる。
命まで奪う気はないが、行動を抑えておけば何か情報を聞きだせるかもしれないと、そう判断したのだ。
男たちは呻きながら倒れこむ。
彼らの動きが鈍くなったのを見計らって希は炎を消した。
(ちょっと疲れたー)
炎を使用すると体力が削られるため、疲労感が襲ってくる。
さて、と息をついたとき、興信所の中から鋭い銃声がした。
■■■
入り口外の騒動を聞きながら、翠はソファに腰を下ろした。
「元気だね」
言って、零の煎れてくれた紅茶を飲む。
セレスティがノートPCを操作しながら、こちらへ話しかけてくる。
「加勢には行かれないんですか?」
「いや、必要そうには見えなかったからね。それにこちらにも戦力は残しておくべきだと思うしね」
翠はセレスティを背に、興信所の窓と入り口を同時に見渡せる位置にいた。
例えどちらから侵入者があっても、すぐに対応できる場所だ。
希が天井裏に潜ると同時に、零とユウカ、そして草間はセレスティの側に移動させている。
(さて、どう出てくる?)
翠の思考に答えるように、飛沫のような破砕音を立てて窓ガラスが砕けた。
瞬間的に立ち上がり、翠はベレッタM93Rを両手で構える。
窓を蹴破って飛び込んできた影は床にへばりつくように伏せ、次の瞬間には天井へと飛び上がった。
天井から跳ね返るように影が襲い来ると同時に、翠は引き金を引いた。屋内のためバーストは解除してある。
鋭い単発の銃声に弾かれるように、影は後ろに吹き飛んだ。
着弾したかと思われたが、侵入者は窓枠を蹴ってトンボを切り、音もなく草間の机の上に着地する。
その額へ向けて翠はM93Rをポイントした。
「ずいぶんと甘い陽動だね?」
襲撃者はユウカと似た格好の、十代半ばに見える少女だった。
肩下までの黒髪と、黒い瞳、額にはユウカと同じガラスに似た透明なユニットがある。
しかしその顔の下半分は服地と同じ黒い布のようなもので覆われていた。
服装も、ノースリーブは同じだが、腕全体を覆う長手袋とパンツで、肌はほとんど出ていない。
着弾したはずの肩口の服地には、傷らしきものは全く見られない。
(特殊な防弾素材か?)
「大丈夫っ?」
後ろで入り口が開く音がして、希の声が聞こえた。
「キミは表のを頼むから、ここは任せなさい」
銃口を少女に向けたまま翠が言うと、はーい、という返事がしてドアの閉まる音がする。
誰かに似ていると少し可笑しく思いながら、翠は少女から目を離さない。
少女は翠を静かに見返し、言葉を発した。
「L081を渡しなさい。一般人に危害を加えるつもりはありません」
ふん、と翠は笑う。
「危害を加えない、ね。窓を蹴破って訪問するような客の言葉は、信用できないと思わないかい?」
少女は自らに向けて据えられた銃口に視線をやり、それから目だけで置くにいるセレスティたちの方を見る。
「L081さえ回収できれば、あなたたちへ関わる理由はありません。深入りしないことです」
「リナ、だめ。よくない、わかってる。もう、やめる!」
後ろから、ユウカの叫ぶ声がした。
と、リナと呼ばれた少女が強く眉をしかめた。
「その妙な名前で私を呼ばないで下さい、L081。私の識別コードはEALM0099です、それ以外に名前はありませんっ」
強く言うと同時に、その手が跳ね上がった。
金属の輝きを持つ何かが投擲されたのだと、翠は瞬時に把握し引き金を絞った。
二つ打ち落とし、しかし一つ、かわしてユウカに突き立った、かに思えた。
同時に聞こえる草間の驚く声。
それを認めるより早く、翠は容赦なく引き金を引いていた。
少女は腕でガードするが、衝撃を吸収しきれず再び後ろへ吹き飛ばされる。
窓枠でかろうじて止まった少女EALM0099は、割れたガラスを踏みしめてそこで構えを取る。
翠が再びポイントする、と不意に少女の体から力が抜けた。
ぐらりと傾き、前にのめって床に落ちる。
「貧血を起こしているだけですから、すぐ意識が戻ります。拘束した方がいいのでしょうね」
振り向くと、セレスティがこちらを見て微笑を浮かべていた。
「これは、君が?」
「ええ、少し血液の支配をしました。血を流すのも良くないでしょうし」
あまり手荒なこともしたくないですし、とセレスティが床に倒れている少女を見やる。
「私、やりますね」
零は、どこから出したか細い縄を手にして倒れている少女の傍らに座り込み、荷造りのようなことをし始めた。
手慣れたその様子に、草間が妙に嫌そうな顔をした。
「これ、きれい」
ユウカは目の前に現れた水色の蝶に気をとられているようで、不思議そうな顔で見つめている。
「こいつが出たら、さっき投げられたのが跳ね返ったな。結界か?」
草間が聞いてくるのに、翠は頷いた。
「水鬼といってね、式神の一種さ。結界を張っておいて正解だったようだね」
M93Rを片手に提げたまま、翠はその跳ね返った物を床から拾い上げた。
投擲用の、少し特殊な棒手裏剣にも見えるが、
「それ、あぶない。くすり、はいってる」
ユウカが怯えたような声を出した。
翠は注意してそれを持ち上げ、よく見ると先端からは鋭い中空の針が出ている。
と、背後で零が「あっ」と声を上げた。
すぐに振り向くが、そのときは零の前には何も転がっていなかった。
(逃げたか)
窓に駆け寄り下を見下ろしても、EALM0099の姿はどこにも見えなかった。
「すいません、まさ縛られたまま跳ぶとは思わなくて……」
両手足を拘束された状態で、少女は窓から飛び降りたらしい。
と、入り口のドアが開いて、疲れた様子の希が顔を出す。
「あのー、こっち片付いたけど、どうしよう?」
その手には、零が持っていたのと同じ細い縄が握られていた。
■■■
草間興信所の中は、ちょっとした混雑の様相を見せていた。
零とシュラインが割れたガラスを片付け、草間は邪魔とばかりに隅に追いやられている。
応接セットのソファーではユウカが黒猫チクロを抱きしめ、
「ユウカ、苦しいのだが。それとまず体を洗わないと――」
「チクロチクロ、もういないの、いや。ひとり、いや」
チクロの話を聞かずにユウカが更に腕に力を入れて、猫が絞られたような妙な声がする。
隣のソファーでは消耗した希が肘掛にもたれて傾きながら、「よかったね」と笑って見ている。
向かいでは互いに自己紹介を終えた魅月姫と緋赤が、零が再び煎れてくれた紅茶でくつろぎ、その奥でセレスティがノートPCに向かっている。
翠はその側で、襲撃者EALM0099の残して行った暗器を検分している。
ちなみに捕らえたUNたちは、魅月姫が一時的に影の中に拘束している状態だ。
「で、結局なにがどうなったんだ?」
隅で事務椅子に逆に座っていた草間が声をかけ、皆の視線が一周して黒猫チクロに集まる。
ユウカが集まった視線にきょとんとした表情を見せ、その隙にチクロが彼女の腕から脱出した。
応接テーブルの上に乗り、一同を順に見る。
「君たちには世話になったし、迷惑もかけた。私の知る限りのことを話すのが礼儀というものだろう」
そう前置きをして、チクロはこれまでのことを話し始めた。
チクロ、EASM0508と呼ばれる彼は、セレスティが調べ上げた通り、日本ハイテクノロジー研究所という施設で開発された実験体だった。
主に諜報活動用に特化され、人間の工作員と同等以上の知能を得るために脳を改造され体内にも補助脳を持つ。
猫という外観を活かした活動により、実験体ながらも様々な成果を上げたという。
しかし、その体躯ゆえに不利になる事態にも遭遇する。
そのため、彼の補助として新たに開発されたのがユウカ、EALM0081と呼ばれる個体だった。
Lナンバー、大型哺乳類タイプの戦闘機能特化実験体としては成功を収めたが、そのために知能が発達せず、研究所内ではそれが問題となった。
しかしチクロはユウカと共に実験や活動をこなすうちに、彼女の無邪気さに触れ、実験体としての己の行動や研究所のありように疑問を抱き始めた。
「ユウカを見ていると、私や他のナンバー持ち、UNたちの誰よりも生きる≠ニいうことを感じさせてくれるのだ。開発され、処分されるのが当然だと疑問も抱いてこなかったが、それは間違っているのではないかと、私はそう思い始めた」
チクロはそう言い、ユウカを見上げる。
ユウカは話の内容をわかっているのかいないのか、それでも神妙な表情でチクロへ一度頷く。
「私はユウカも含め、あの研究所の実験体全てを生かしたい。そのために画策をしていたのだが、事態が変わった。ユウカから聞いたようだが、彼女の処分が決定されたのだ」
しかも、決定を知った日の翌日には処分が終了するように全てが整っていた。
チクロは悩む間もなく、その日にユウカと共に研究所から逃亡した。
「あとは君たちも知っている通り、何とか逃げ延びているのが現状だ」
言い終えると、チクロは軽く尾を振ってからユウカの膝に戻った。
ユウカは、今度はチクロを絞め上げることもなく、そっとその体に手を乗せる。
「それで、これからどうするのかしら? もし何かできることがあれば、手伝いたいと思うのだけど」
シュラインが静かに言い、希も頷く。
「毒を食らわば、ほ、じゃない皿までって言うしね」
「私も、必要でしたら協力いたしましょう」
更に魅月姫が言い、チクロは顔を上げた。
「――本当に、君たちは不思議だな」
呟くように言って、それからユウカの膝の上に立つ。
「できるなら、私は当初の目的通りに皆を助けたい。そのための手段もあるのだが……私の持つ情報を高値で買い取り、そして行動のための手配を取り采配を助けてくれるような人物か団体を捜している。スポンサーとの関係もある。できるならば、どこかの企業などの営利団体には所属しない立場であれば言うことはないのだが」
その条件に、一同が顔を見合わせる。
「俺は金はない。絶対にない」
「武彦さん、威張ることじゃないわ……」
「人集めだけなら、兄さんでも十分なんですけどね」
「会長はお金あるんじゃない?」
「企業などに所属しない、ていう条件には私は外れるがねえ」
「うーん、あたしはただの大学生だし」
「闇などを使えば、行動を起こす段階でしたらお手伝いできるのですけど」
と、セレスティが小さな笑みを浮かべた。
「あの方なら、大方の条件に一致するのではないですか? メールが来ましたが、こちらに到着するそうですよ」
その言葉と同時に、興信所のドアがノックされた。
草間が返事をし、開いたドアから現れたのは、北庭苑店主、典・黒晶だった。
その手には、風呂敷に包まれた箱のようなものを抱えている。
「辻斬りの件のお礼に伺ったのですが」
言って、人口過密な興信所内を、やや驚いたような表情で見回す。
「お邪魔でしたでしょうか?」
to be continued
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2734/赤羽根・希(あかばね・のぞみ)/女性/21歳/大学生/仕置き人】
【4047/古田・緋赤(ふるた・ひあか)/女性/19歳/古田グループ会長専属の何でも屋】
【4084/古田・翠(ふるた・みどり)/女性/49歳/古田グループ会長】
【4682/黒榊・魅月姫 (くろさかき・みづき)/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
※整理番号順
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■ ライター通信 ■
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三度目のご参加、ありがとうございます。
そしてお待たせして大変申し訳ありません、ライターの南屋しゅう です。
「Tales of EA」は各話完結の予定でしたが、
展開上、第三話に引きを作る終わりになっております。
また撃退組と捜索組でそれぞれ別の構成になっておりまして、
更に捜索組みの方々も各個別の構成となりました。
他の方のノベルも読んでいただけますと、
違った視点で流れを追っていただけると思います。
至らぬところも多々あるかと思いますが、
楽しんでいただけましたら幸いです。
次回最終話「Tales of EA」は、日を置きまして異界にて募集の予定です。
ご参加、お待ちしております。
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