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ドラ猫を追いかけろ!
お魚くわえたドラ猫は
黒いスーツの外人が、パック詰めの魚を手にレジに並ぶ姿はいかがなものだろうか。
そんな事は気にもせず、デリク・オーロフはレジに並んでいた。
案の定、レジのおばちゃんが怪訝な目で見る。スーパーの名前入りの袋を受け取った彼は笑顔でその視線を振り切り、スーパーを出た。
彼は新しもの好きだ。
その興味は普段術式などに向けられるが、それに留まらず家電や食品まで目新しければ飛びつく。
この間も所属する魔術教団の電力を太陽光発電で賄おうと提案して物議を醸した。太陽光発電自体は随分前から実用化されていたが、最近変換効率の良いソーラーパネルが開発されたとかでニュースになっていたのだ。
そもそも魔術教団なのだから電気など使わなくても良い筈だが、とにかく彼は試してみたかったらしい。結局ソーラーパネルを置く場所が無くて断念する結果になったが。
そんな訳で今回は、英語学校で小耳に挟んだ骨の無い魚を手に入れたのだ。
骨が無いので子供は食べ易く、親も骨を取る手間が省けるとかで大好評らしい。作り方は魚を開いて骨を取り、元の形に戻すと云う至極単純なものだった。
デリクは上機嫌でスーパーの袋を片手に道を歩いていた。
「炭火で焼くと美味しいんデスよね。炭はまだ残っていまシタし、火はこれで熾せば良いデスし」
呟いて、指に嵌められた指輪をちらりと見る。左右の指に3つずつ。蒼い石のついた、似ているが全て違うデザインの金色の指輪だ。勿論戦闘にも使うのだが、デリクはこれを、炭に火を点ける為にも使うらしかった。
「肉は骨から旨みが出ると云いマスが、骨の無い魚は美味しいのでショウか」
楽しそうに独り言を云いながら、デリクは歩を進める。
と、前方で途方に暮れた顔の少年を発見した。その視線の先にはまたいで渡れる程の小さな川。少年は裸足で、ジーパンの裾を濡らして佇んでいた。
少年の横顔に見覚えがある気がして足を止めたデリクは、振り向いた少年と目を合わせる。
「あ、先生」
「おや、君は」
少年は、デリクの教室の生徒だった。
「どうしたんデスか、その格好」
デリクの問いに、少年は情けない声を出す。
「実は、車を避けようとして自転車でここにダイブしちゃって。自転車は何とか引き上げたんだけど、鞄の中身も一緒にばら撒いちゃったから」
今にも泣きそうな表情で、少年は溜息を吐いた。
「ここは道幅が狭いくせに車がスピードを出しマスから。怪我はありませんでシタか?」
少年が首を振ったのを見て、デリクはそれは良かったデスと微笑む。
このままそれじゃあ頑張って、と立ち去るのはた易いが、それでは学校で冷たい人だと悪評を立てられかねない。魔術教団に限らず、立場を良くしておくのは重要な事だ。
「私も手伝いまショウ」
驚いてとんでもないと云う少年を無視して、デリクは靴を脱いだ。何かの拍子に抜けて失くすと大変なので、両手の指輪は外してスーパーの袋に入れる。裸足になってズボンの裾をまくり、川に入った。
水は冷たいが耐えられない程ではない。
少年も川に入り、一緒に川底をさらう。そう時間もかからず、川にぶちまけられた鞄の中身は回収出来た。
「これで全部です。ありがとうございました」
深々と頭を下げる少年に、どういたしマシてと返しつつ、デリクは内心ほくそ笑む。こうして先生としての株を上げて行けば、魔術教団のみならず英語学校も自分の思い通りに動かせるかも知れない。それが自分の利益になるかどうかは別として。
「車には気を付けるのデスよ」
デリクの心中など全く知らない少年は、もう一度深く頭を下げる。
その時だった。
背後に何かの気配。振り向いたデリクが目にしたのは、スーパーの袋を覗き込んでいる大きな猫だった。
デリクの視線に気付いた猫は、顔を上げる。そしてにやりと笑った、様に見えた。
デリクが目を疑ったその隙に、猫はスーパーの袋をくわえて身を翻す。そして、あっと云う間も無く曲がり角に消えた。
一瞬呆然としたデリクは、思わず靴も履かずに後を追って駆け出す。しかし曲がり角の向こうには、猫の影も形も無かった。
何も居ない道を睨んだデリクは、軽く息を吐いて少年の元に戻った。
「先生ごめんなさい。僕の所為で」
「大丈夫デスよ」
足の裏を払って靴を履いたデリクは、しょぼくれた少年に笑いかける。
折角買った新商品だ。この少年が居なければ猫に盗まれる事も無かったのに。などと云って自分の立場を悪くしたくはない。
「あの中身はただの魚で」
そこで重要な事を思い出す。
あの袋には、魚と一緒に指輪も入れていた筈だ。
しまった、と心の中で呟いて、それでも笑顔のままのデリクは、少年に早く帰りなサイと告げる。
済まなさそうに頭を下げながら去った少年の姿が見えなくなったのを確認して、デリクは頭を抱えた。
「魚はまた買えば良いんデス。が、あれが無ければ炭に火が点かない!」
相当動揺しているのか、論点が間違っている気もしないではない事を呟いたデリクは、頭を振って猫が消えた曲がり角を見据える。
「とにかく、捜し出さなくてはいけまセンね」
デリクは猫を捜し回った。自分の話術を駆使して。つまり、道行く人を片っ端から捕まえては、ビニール袋をくわえた大きな猫を見ませんでシタか、と訊いて。
しかし不思議な事に、とても目立ちそうな猫を見た者は無かった。
そもそも、あれは本当にただの猫だったのだろうか。
普通の猫よりは明らかに大きかったし、動きも速い。それに、笑ったのだ。まるでチェシャ猫の如く。
実は、あれは何者かが変化した姿かもしくは何者かの手下で、狙っていたのは魚ではなく指輪の方だったとも考えられる。
それが何者か、心当たりがあり過ぎて見当もつかなかった。
長くなった自分の影を見詰め、いっそこの影に溶け込んでいる魔物を呼び起こそうかと顔を上げると、そこに捜し求めていた猫の姿があった。
「ようやく見付けまシタ」
猫はこちらに気付いていないのか、ビニール袋をくわえて悠然と歩いている。
「今度は逃がしまセンよ」
云うと同時に走り出し、一気に猫との間合いを詰めた。察した猫が走り始める。
しかし瞬く間に追い付いたデリクは、猫の体に手を伸ばした。その手が猫の体に触れる瞬間、猫は体を捻り、デリクの頭を踏み台にして背後に回る。魚の入ったビニール袋をくわえているとは思えない身軽さだ。
やはりこの猫、只猫ではない。
たたらを踏んで、デリクは体勢を立て直した。
「ちょこまかと鬱陶しいデスね」
猫と対峙して格好をつけても仕方が無いが、デリクは余裕の笑みを浮かべる。
「好い加減に、捕まりなサイ」
デリクが向かって来るのを、猫は横に飛んで避けた。それを一瞥し、デリクは眼を光らせる。
その一瞬で、勝負はついた。
デリクが横っ飛びにヘッドスライディングをし、猫の胴体を捕らえる。
ギャアギャア暴れる猫を押さえ付けて、デリクはビニール袋の奪還に成功した。
起き上がったデリクは、猫が逃げない様首根っこを掴んだまま、袋の中身を確認する。魚も指輪もちゃんとあった。ただ、シェイクされた魚は、骨が無いばかりに無残にも元の形を無くしていた。
がっくりと肩を落としたデリクは、猫を睨む。
「あなたは一体どう云うつもりでこれを盗んだのデスか。事と次第によっては許しまセンよ」
猫は袋を取られて落ち込んでいるのか、ぶら下げられたまま抵抗もしない。
「何とか云ってみたらどうデス。あなたは何者なんデスか」
猫は笑う事も、まして人間の言葉を喋る事も無かった。
デリクは軽く息を吐いて猫を地面に下ろす。それでも猫は逃げようとしない。デリクが服の汚れを払い、袋の中の指輪を全て指に嵌め終えても、動かずじっとしていた。
「何デスか。何か云いたい事でも?」
猫は何も云わずにただ一点を見詰めている。
その先には、魚の入ったビニール袋。
デリクは、元は魚の形をしていたものが入ったパックを見る。そして苦笑した。
「そんなにこれが欲しいのデスか」
猫が一声鳴いた。しゃがれていて、お世辞にも可愛いとは云えない声だった。
ラップを破って発泡スチロールのトレイだけにし、猫の前に置く。猫はガツガツと食べ始めた。
どうやら、この猫はただのお腹を空かせた野良猫だったらしい。笑って見えたのも気のせいだろう。良く見れば、何もしなくても笑っている様に見える顔だ。
「骨の無い魚の味は、どうデスか」
猫の傍にしゃがみ込んで、デリクは話しかける。猫はやはり何も答えずひたすら魚を食べ、トレイの中身が無くなると顔を上げてもう一度鳴いた。しゃがれた可愛くない声だった。
デリクはトレイを袋に入れて立ち上がる。
「私はお預けデスね。次は盗らないで下サイよ」
穏やかな笑みを浮かべ、猫に背を向けたデリクは、ゴミの入ったビニール袋を片手にその場を立ち去る。
そんな彼の後姿を、猫はにやりと笑って見送っていた。チェシャ猫の如く。
おわり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3432 / デリク・オーロフ / 男性 / 31 / 魔術師】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、やまかわくみです。今回はご発注頂き、ありがとうございました!
おまかせと云う事で、お魚(正確には袋)くわえたドラ猫おっかけて裸足で駆けて頂きましたが、いかがだったでしょうか。いつも冷静な方が壊れるのは、些細な出来事からだと思うのです、と苦しい言い訳をしつつ…。
またお会い出来る事を心からお待ちしております!
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