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Fairy Tales -another- 〜神の下僕〜
【フラグ1:ad astra per aspera】
彼らが訪れてから妙に静かなアリアが気に掛かった。自分だってショックだっただろうに、それを表面で出せないで居る。
自分よりも相当疲弊し、ダメージを受けている人達を目の当たりにして、内にある悲しみを飲み込んでしまった。
もしかしたら、自分達が住む世界はもう二度と元に戻らないかもしれないのに――…
きゅっきゅと何時ものように壺を磨く手が、時々止まる。
そして、何かを考え込むように視線を虚空で止め、唇をかみ締めまた壺を磨く。
今日のアリアは、ずっとそれをくり返していた。
「もういいよアリア。出かけておいで」
きっと先日訪れた的場・要の事が気になって仕方が無いに違いない。碧摩・蓮はそう予想つけると、ため息を付きながらアリアに声をかける。
「ですが蓮様……」
ここに置いてい頂く条件としての店の手伝いを満足に出来ていない自分。アリアは追い出されてしまうのだろうか?と、小さな不安に駆られる。
「気になるんだろう?そんな辛気臭い顔してないで、行っていいって言ってるんだよ」
「蓮様……」
アリアは「ありがとうございます」と、深く頭を下げると、アンティークショップ・レンから街へと駆け出していった。
「あ!」
蓮はアリアが出て行った扉を、しょうがないと言った微笑みで見送ったが、何かを突然思い出したように声を発した。
あの娘、神聖都学園大学部の場所知っていただろうか?
「蓮さん?」
扉から顔を出した蓮の後ろから掛かる声。
「あ…あぁ、あんたか」
待ってたんだよ。と、蓮は女性を店に案内し、しばし待ってもらうと適当に電話をかけた。
☆
ブロロロ―――……
バイクが乗りつける音が外から響き、ヘルメットを取って店の中に入ったのは、御守殿・黒酒。
「ありがと〜蓮さん。人、探しくれたんだって〜」
「大した事じゃないよ黒酒」
「こんにちは、黒酒くん」
キセルをふかしながら視線を向けた蓮と、一足先についていたらしいシュライン・エマに出迎えられ、黒酒は軽く頭を下げた。
「一応この二人が、連絡が着いて大学関係者とも面識がある。忙しいのにすまないね愛梨」
いえ、と蓮が連絡を付けた助っ人、藤堂・愛梨は首を振る。
「シュラインさんとは多少面識があるけど、私は藤堂愛梨。…プログラマーよ。よろしく」
「ボクは御守殿・黒酒。こちらこそよろしく〜」
黒酒は自己紹介をしながら愛梨から差し出された手を握りかえし、軽く握手を交わす。
「的場君達に事前に連絡を入れた方がいいわよね」
シュラインは携帯を取り出すと、先日教えてもらった番号へとかける。だが、
「留守電だわ…」
シュラインは的場の携帯に伝言を残し、立ち上がる。
だが、黒酒はバイクで乗り付けたらからいいものの、シュラインと愛梨の両方を流石にバイクには乗せていけない。
「タクシーでも拾うわ。黒酒くんは先に研究室の方へ話しに行ってもらえる?」
着信に気がついていないだけで、研究室に誰かいる可能性は高い。ならば、先に着くであろう黒酒に話を通してもらおうとシュラインは提案する。
「了解〜」
多分、その方がスマートには行きやすいかもしれない。
一同が店を出るために手を掛けようとした扉が、外から開け放たれる。
「こんにちは、蓮さん。おや一同お揃いで何かあったのかな?」
人を食ったような微笑を浮かべて店内に顔を出したのは、沙羅双樹・八識。
「八識こそどうかしたのかい?」
誰も好き好んで来る事はないアンティークショップ・レン。そこへ突如ともなく現れた八識。
「いや、最近私の知った名を聞いたような気がしていてね。浅葱・孝太郎と言うのだが、もしや誰かご存知かな?」
八識は、一番扉に近い位置に立っていた黒酒から、順にシュライン、愛梨の顔を見渡す。
確かに知らない名ではないが、八識がどういった関係者であるかも分からないために、黒酒とシュラインは顔を見合わせた。
「これは失礼。私は沙羅双樹・八識。偽名だ」
あからさまに偽名だと口にした八識に、一同は一瞬言葉を失いぽかんと口を開ける。だが、直ぐに我を取り戻すと、
「で〜その八識さんが、浅葱・孝太郎とどういう関係〜?」
黒酒の質問に待ってましたとばかりに、八識はまくし立てる。
「孝太郎とは親しくしていてね。彼はとても有能な天才的プログラマーだった。そんな彼を失ったのはとても私にとっても大きな事だったのだよ」
どこか芝居がかった動作でよよよと崩れる様に、一同は顔を見合わせ、息を吐く。
「友人だと言うのなら、彼らとも面識があるかもしれない。連れて行ったらどうだい?」
正直今ここで彼が何なのかと議論するよりも、問題を一刻も早く解決に導くことの方が重要。八識の言葉が嘘であろうが本当であろうが、それは後で確かめればいい。
「それじゃ、行きましょう。現地集合でいいわよね」
シュラインの提案に頷き、それぞれが大学部へと向かった。
☆
そろそろ目の下の隈が目立ち始めたような、生気をなくしかけた表情で、的場・要は研究室の扉を開けた。
先ほどまで居た場所の温度を考えると、なんて暖かいのだろう。一瞬身震いして、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「あ……」
携帯に残る着信記録。
的場は携帯を広げると、記録されている留守録を聞いた。
どうやら、シュライン達が助っ人を連れて来てくれるらしい。そっとその顔に安堵するような微笑を浮かべるが、先日引き取ったノートパソコンから引き出し、プリントアウトした孝太郎が残したプログラムの束を見て嘆息する。
助っ人さんは、この膨大な量のプログラムを消化できるだろうか?
うなだれつつ携帯を閉じると、
「こんにちは〜」
ガラっと研究室の扉が開いた。
「キミは……」
先日研究室に訪れた黒酒の姿に的場は目を見開く。
「電気くらいはつけたらどうだね?」
その後ろから着いて来て、研究室の電気をつけた知らない青年の姿に首を傾げる。
当然その青年とは八識の事なのだが、どうやら黒酒のバイクの後ろに無理矢理引っ付いてきたらしい。
「シュラインさんからの留守録、聞いたね〜?」
「え…あぁ、うん」
どうして彼がその事を知っているのだろうか?とふと頭の隅で考えたが、先日もそういえば一緒に居た事を思い出す。
「もう直ぐシュラインさんが、助っ人連れて到着するはずだよぉ〜ん」
「ありがとう…」
力なく微笑んで、的場は携帯を握り締める。
ふと顔を上げると、研究室を我が物顔で横行している八識に首をかしげ、
「彼は?」
黒酒に問いかけた質問を敏感に察知したらしい八識は、的場の前まで歩みよると、
「失礼。私は沙羅双樹・八識。ちなみに偽名だ。生前孝太郎とは親しくしていてね」
「はぁ」
力なく返事を返すと、研究室の扉がガラリと開け放たれた。
「こんにちは」
シュラインが顔を出し、的場の姿を確認すると、その後ろに居る愛梨を紹介する。
「はぁ…」
またも、やる気のなさげな返事を返し、的場は立ち上がると軽く愛梨と握手を交わした。
これから一緒に『白銀の姫』に挑む仲間となる。
「今日は、他の皆さんは?」
研究室に的場一人しか居ない事に、シュラインは首を傾げる。
杏子や慎之介はどうしたのか。
的場は握っていた携帯の時計を一度確認すると、
「そろそろ来る頃だと、思いますけど」
だが、黒酒にしてみれば杏子や慎之介の存在などどうでもいいもので、問題は愛梨が『Tir-na-nog Simulator』を弄らせてもらえるかどうかという事。
「ところで的場さん。愛梨さんに、『Tir-na-nog Simulator』触らせてもらえるかなぁ?」
前座をすっ飛ばしていきなり本題を持ちかける。
「え?『Tir-na-nog Simulator』を触りたいんですか!?」
突然話をふられれば驚くのも当たり前の話で、
(『Tir-na-nog Simulator』…ですか)
一人無言で状況を傍観している八識にとっては、その場に居るだけでそれなりの情報を傍受できそうだった。
「そうね、その為に愛梨さんを呼んだんだもの」
明らかに動揺に色をその瞳に写し、的場は額を押さえるようにして、倒れるように椅子に座りなおす。
「…ダメかしら?」
愛梨は首を傾げるようにして的場に問いかける。
「いや…ダメって言うか……」
どう返答したらよいか分からない。そんな風貌。
「『白銀の姫』の問題が解決できればぁ、もう悩まなくてもいいんだよ〜?」
黒酒の言う言葉は正しい。確かに、正しい。
「終わりのない世界を作る事ができれば、消える人は居なくなるの」
シュラインにも念を押されるように言葉を紡がれ、的場は尚更身を小さくして縮こまる。
「そういえば、琉維さんはぁ今日も病室〜?」
前来た時もそうだったが、今都波・琉維は大学には出ていないのだろうか。
「的場さんがぁ、琉維さんに遠慮してるなら、琉維さんにも頼んでみたいんだけどぉ?」
的場は現在現場で指揮を執っているのが自分でありながら、自分達を琉維の元へ行くようにと促した。これは当然、答えを出すのは自分ではないと思っている証拠のようにも感じる。
「琉維さん…て?」
的場がまたレンへと来た時に話をしたシュラインは、琉維の存在を知らない。
「都波先輩の、弟です」
的場は小さくシュラインの問いに答えた。
そして、まるで吹っ切れたように顔を上げる。
「じゃぁ黒酒くんが、琉維のアクセスコードを聞いて来れるなら、案内するよ」
「OK〜〜」
黒酒はその神経質そうな顔をにやりと歪めて研究室の扉を開け放った。
「藤堂愛梨さん…って、いいましたよね?」
「え…えぇ」
的場は机に手を置いて立ち上がると、ナンバーパスワードが施された引き出しをがらりと開けて4枚のDVDを取り出す。
「黒酒くんが帰ってくるまでに、この4枚のDVDのプログラムを全部理解してください」
できますか?と、真剣な眼差しで手渡されたDVDを見下ろす。
「これは、『白銀の姫』を動かしていた喜怒哀楽4つのAIのプログラムが、1つずつに入っています」
「やるわ。その為に、来たのだもの」
愛利は挑戦的な的場からDVDを受け取り、近場のPCに陣取る。
地道な作業を始めた愛梨を見て、ふっと息を吐く的場。
「的場くんは黛くんみたいにAIを女神の名前で呼ばないのね」
一仕事終わったように息を吐いた的場にシュラインは問いかける。
「女神の名前?」
だが、的場は何の事だかまるで分からないといったように首をかしげた。
「えぇ、黛くんはネヴァンちゃんの事を『哀のネヴァン』と呼んだから」
「それは俺が話そうか〜?シュラインさーん」
「黛くん!」
突然会話に加わるように研究室内に響いた声にシュラインは振り返る。やっぱり何を考えているのか分からない笑顔で黛・慎之介が立っていた。そういえば先ほど的場がもう直ぐ来ると言っていたのだから、ここに慎之介が来たことは不思議ではない。
「じゃぁ、珈琲でも入れるよ」
的場は、話の矛先が自分からそれた事で、給水室へと歩いていく。
なんとなく、話のいきさつを知っているシュラインと黒酒達の会話を聞いていた八識は、凭れていた壁から背中を放すと、的場の後を着いていった。
八識の希望的には、あの琉維という人物に話を聞いてみたいものだが、このメンバーの中で一番内情的な話を知っているのは的場のようだ。
「的場君」
ガチャガチャと棚の上からなにやら本格的な珈琲セットを取り出している的場に、八識は声をかける。
的場は挽いてある珈琲豆を手にとって、ゆっくりと声に振り返った。
「孝太郎は、あまり研究の事は話してくれなくてね。どうなんだい?孝太郎が居なくても大丈夫なのかな?」
先ほどから会話に出ていた『Tir-na-nog Simulator』と『白銀の姫』という言葉。
特に『白銀の姫』は八識の記憶が正しければ、今や知らぬ者は居ないとまで言われる人を取りこむゲームとして有名な都市伝説の名。
八識も過去取り込まれた事もあるが、なぜ今ここでその名が出てくるのか。
「大丈夫って、どういう意味で…ですか?」
黒酒と共に現れ、シュラインと知り合いらしい八識は、的場に取ってある程度知識があり、また『白銀の姫』を調べに来た人間に写る。
「言葉の通りだよ。修士論文は共同作成だったのだろう?だから、孝太郎が居なくて大丈夫か…と、聞いたのだが」
的場は珈琲フィルターをセットし、人数分の珈琲豆を入れていく。
「沙羅双樹さん、でしたよね。さっき、黒酒くんや僕が口にした『白銀の姫』……。それが、都市伝説になっている事は、知ってる?」
「勿論だよ」
「それ、僕達の研究室が作ってたものだったんだ」
言葉の流れから予想はしていたが、的場が口にしたことで予想は真実となった。
ゆっくりと入れた水が珈琲豆の間を越えて、ポットにゆっくりと溜まっていく。
それは興味深い、是非詳しく聞かせて欲しい。と、八識が口にしようとした瞬間、
「戻ろうか」
的場が振り返り、視線を手元に移動させればポットに人数分の珈琲が溜まっていた。
【フラグ2:Cura posterior】
トレーに載せたポットと珈琲カップを机に並べて、的場は顔を上げる。
「藤堂さんもどうですか?」
「ごめんなさい、話しかけないで」
下から上へと流れていくプログラムの羅列を瞬きをするのさえ惜しいといわんばかりに食い入るように見つめている。
自分が口にした事とは言え、多少申し訳ない気持ちになりながら的場は苦笑した。
「手伝おう」
普段だったら人に淹れて貰う珈琲を八識は的場の手から受け取り、カップに注いでいく。やはり情報を引き出すには心象がいい事にこした事はない。
それにしても、この電子工学部の研究室はよほど金があるのだろうか、この場に草間が居たらぐっと息を飲みそうなほど珈琲の質がいい。
シュラインは八識からカップを受け取り、軽く「ありがとう」と微笑むと、その芳ばしい香りを鼻で楽しみ、的場に視線を移動させた。
「ねぇ的場くん。黛くんから聞いたのだけど、アヴァロンへ行くためのイベントは、まだ組み込まれてないって本当かしら?」
もしかしたら、ゲームマスターという立場なだけでプログラムを弄っていない慎之介が知らないだけかもしれないと、シュラインは問いかける。
「ヴェディヴィアの事ですか?」
頷くシュラインに、的場は少し考え込むように俯く。
「ヴェディヴィアというと、アーサー王の側近の事かね?」
自分も珈琲を楽しみながら椅子に腰掛けると、同じように的場に視線を投げかける。
「伝説とかは、的場先輩じゃダメだって」
3人の会話に苦笑しつつ慎之介はちゃちゃを入れる。
「とりあえず、アヴァロンは実装されてますが、ヴェディヴィアはまだです」
何気なく答えた言葉に、シュラインの顔色が少し曇るのを見て、的場ははっと思い出したように呟いた。
「まさか…アヴァロンが現実世界へと繋がる場所だと……?」
信じられないと言った表情の的場を尻目に、八識は顎に考え込むように手を当てると、
「ふむ、という事はあれかね?白銀の姫は孝太郎達のゲームで、それが人を取りこむようになり、その中に現実世界へと繋がる場所がある…と」
「なかなか正解に近いけれど……」
まったくの関係がない自分が口にすることではないと、シュラインは口を閉じる。
「僕達よりシュラインさんの方が詳しいと思う」
どこか哀しそうな瞳の的場にどう声をかければいいものか戸惑う。
しばしの沈黙が訪れる。
「た〜だいま〜」
緊張感のない声を研究室に響かせて黒酒が扉を開け放つ。
「終わったわ」
そしてまるでタイミングを計ったかのように愛梨が立ち上がった。
☆
『Tir-na-nog Simulator』がある部屋は、大学部…しかも電子工学部の教授棟の一番奥の部屋で、電子ロックのセキュリティが施された中にある。
「シュラインさん」
研究室から出た、一同の中に居たシュラインに声をかけたのは、アリアをここまで案内したセレスティ・カーニンガムと綾和泉・汐耶。
声に振り返れば、来栖・琥珀が手を引き、シュラインの前に出たアリアが小さく頭を下げた。
「あの子は…」
足を止めたシュラインに気がつき的場も振り返ると、セレスティ達の後ろにいるアリアに気がつき、小さく呟く。
「こんにちは」
シュラインはセレスティ達の元まで歩くと、どうして3人がアリアを連れて電子工学部に現れたのかと問いかけた。
「すいません、私が迷子になりました」
アリアはシュラインの問いかけによどみもなく真っ直ぐに答える。
「的場くん、パソコンはこれでいいのかな?」
その後で八識が研究チームが誇る高スペックのパソコンを乗せたカートを押して部屋から出てくる。そして、シュライン達が話す向こうのアリアの姿を目に留めて、おや?と首をかしげた。
「そうですか、これから『Tir-na-nog Simulator』という『白銀の姫』を動かしていたスーパーコンピュータがある部屋へと行くのですね」
シュラインの簡単な説明に、セレスティが頷きながら答える。
「ご一緒してもいいかしら?」
汐耶の問いかけに、シュラインは振り返ると、的場に問いかける。
「構いませんよ」
本当ならどうせ動いていないはずのスパコン。正常起動中ならこれ以上人数が増える事は遠慮したいが、今はそんな事関係ない。
「さぁ行きましょうアリアさん」
「これで不正終了がなくなればいいわね」
「そうですね。そう、願いたいです」
これから『白銀の姫』のプログラムを操作するために、『Tir-na-nog Simulator』がある部屋へと向かう一同の後についていく。
講義棟、ゼミ棟を抜けた先、教授棟へと足を進める。そして、その一番奥のいかにも近未来的な一見壁に見える扉が瞳に映った。
「一応高価なコンピュータなので、部屋の鍵を閉めますけど、いいですか?」
この『Tir-na-nog Simulator』があるという部屋の扉の前で、的場が振り返り問いかける。
「だ〜いじょうぶ」
もし何かあったとしても黒酒のデーモンを建物に憑依させて外へ出ればいい。閉じ込められるという心配は皆無だ。
アクセスコードを聞いてきた黒酒と、作業をする愛梨を含め、気がつけば総勢9人の人間がこの場所へと押しかけていた。
「アリアさんは一緒に行きなさいな」
きっとこの中で一番『白銀の姫』の行く末を案じているのはアリアだ。
汐耶は軽くアリアの背中を押し、『Tir-na-nog Simulator』の元へと向かうよう語りかける。
アリアは少し躊躇うように振り返った。
「アリアさんは行くべきですよ」
汐耶と同じように、今度は琥珀が振り返ったアリアの背中を押す。琥珀はにっこりと微笑んで「大丈夫」と、元気付ける。
アリアは軽く頷くと、部屋の横についているカードリーダとテンキーの電子ロックを操作している的場まで駆けて行った。
扉の上の灯りが赤から緑へと換わる。
的場が扉の前に立つと、微かな冷気を放って鍵を解かれた自動ドアが左右に開いた。
カートを押した八識がまず最初に開いた扉を通る。そしてその後を黒酒、愛梨が続いた。
後は一緒に来ないのかな?と振り返った的場に、シュラインは答える。
「ケーブルを繋げる手伝いだけさせてもらうわね」
作業中は邪魔にならないように、部屋の外で。
「じゃぁ、私も手伝うわ」
部屋に入るシュラインを追いかけるように汐耶も後に続く。
「では、私はここで待たせてもらいます」
「私も待ってますね」
机の上などに設置するのならいいが、パソコンを直接床に置いての設置では、車椅子の自分は邪魔にしかならない。
琥珀も趣味程度でパソコンを弄る程度のため、ぱっと見た目でもう専門ではない自分が触る事で壊してはいけないと遠慮した。
部屋の中心に鎮座した『Tir-na-nog Simulator』には、本当に何のケーブルも繋がっていない。其れなのに、触れれば暖かく、何か別の力を使って起動しているようにさえ感じる。
シュラインと汐耶は的場を手伝って『Tir-na-nog Simulator』とパソコンを繋げていく。
「こんなものが一介の大学にあるとは」
四角い黒い箱に見えるスーパーコンピュータ『Tir-na-nog Simulator』の姿に、八識は感嘆の息を漏らす。
正直な話、そこまで専門的にパソコンが扱えるというわけではない黒酒は、『Tir-na-nog Simulator』の周りを歩き回り、そして部屋を見回した。
「それじゃ、私達は外で待ってるわ」
作業を終えたシュラインと汐耶が立ち上がり、扉をくぐる。
閉まる自動扉の向こうで、アリアが軽く頭を下げた。
☆
『白銀の姫』にはいくつか操作の為のアクセスコードが設定してあり、ありていに言えばそのアクセスコードを持つという事が、かの世界の神であり創造主であるという証でもあるのだ。
「琉維のアクセスコードを教えてください」
アクセスコードは人毎に違うため、同じゲームを操作・作成している立場でもまったく違うものが設定されている。
「十字路。だってさ〜」
まず繋げたパソコン自体パスワードを的場が入力し、黒酒が口にした十字路の言葉にしばし考え込んで、
「Right angle crossroads …かな」
『Tir-na-nog Simulator』の中にある『白銀の姫』に接続するためのコードを打ち込んでいく。だが、別の人間のアクセスコードとはいえ、ランクが同じ位置にあるコードを『Tir-na-nog Simulator』が承認してくれるかどうかはまったくの別の話だ。
「孝太郎のアクセスコードは試したのかい?」
部屋の壁にもたれ、一連の行動をただ見つめている八識が横から問いかける。
「琉維のがダメだったら…試してみようと思う」
先日持ち帰ったノートパソコンから取り出したデータの中に残っていたキャッシュから読み取ったアクセスコードが、的場の頭の中にはある。
的場の言葉を聴いて、愛梨はパソコンの前に座り込み、アクセスコードを打ち込む。
「ダメみたいよ」
何度か繰り返してみたが、結局中には入れなかった。
これでもし孝太郎のアクセスコードさえも承認しなかったら、今ここにいるメンバーには完全に太刀打ちできないという事になる。
「浅葱先輩のアクセスコードは、僕が入れるよ」
的場は愛梨に小さく断りを入れると、パソコンの前に座り込み、軽快なキーボード音を立ててアクセスコードを入力した。
「……入…れた」
なぜか驚きの声を漏らした的場に、黒酒がぴくっと眉を吊り上げる。
「入れたならいいじゃな〜い」
「そうね」
愛梨は『Tir-na-nog Simulator』の中にある『白銀の姫』のプログラムの箱を開けていく。
「ここに、この先の物語を組み込んでいけばいいのね」
「はい」
愛梨は床に置いたキーボートという使いにくい状態でも、テンポよくキーを叩く。
これで世界に終わりが無くなったら、後は中に入ってしまった人たちを助け、そしてこの異界と化した『白銀の姫』を解放すれば、元のゲームに戻る可能性もあるだろう。
「ごめん、黒酒くん。無駄足にさせてしまって」
アクセスコードを聞いて来いといったのに、それが結局使い物にならなかった事に、的場は瞳を伏せる。
「ま、気にしな〜い。結果オーライでいいんじゃなぁ〜い」
これでもしこの事件が解決するまでの一部始終をネタにして売ったら幾らになるだろうかと、ふと黒酒は頭の隅で考える。
「ま、まって!どういう事!!?」
ディスプレイを覗き込んで、愛梨の手が止まる。
「どうかしたのかい?」
壁にもたれるように見物を決め込んでいた八識が、愛梨の後から同じようにディスプレイを覗き込む。
ディスプレイの中の『白銀の姫』のプログラムらしきものが、何も触っていないにも関わらず目で追うには無理があるスピードで流れていく。
まるで誰かが喋る速度と同じように早く、そして自然と書き加えられていくプログラムに、ぐっと息を呑む。
誰もが呆然とディスプレイを見つめたまま、一切の動きを忘れたかのように硬直した。
そして―――…
「「「「…!!」」」」
プツンと、パソコンの電源が落ちた。
「あの…『白銀の姫』は……」
ゲームの中の人間であれど、実際のプログラムに詳しいというわけではないアリアは、一同の変化にそれまで保ってきた沈黙を破る。
「え…あ……」
突然にプツンと落ちてしまったパソコンをただ呆然と見ていた4人は、アリアの問いかけにはっと我を取り戻したかのようにパソコンの電源を入れなおした。
「ダメだ……」
立ち上げた端末からは、もう孝太郎のアクセスコードでも受け入れてはくれなかった。
シュッとどこか近未来的な音を立てて開いた扉に、外で待っていたシュライン達が一気に振り返る。
「どうだったんですか?」
瞳をきょとんとさせつつ、琥珀が問いかける。
愛梨と的場は顔を見合わせ、首を振った。
「面白い事は起きたけどね〜」
生存者の安否よりもネタの金に興味がある黒酒にとっては、今回のこのクエストは面白いといえば面白い結果であった。
「確かにマザーコンピュータの方が強いのは分かるのだが、流石に端末を侵食してしまうとは予想外だったよ」
八識は感慨深げに薄らと口元に笑みさえも浮かべて答える。その微笑みは誰にも見える事は無かったが。
「今回の事で、もしかしたら『白銀の姫』の中で何かが起こっているかもしれません」
外部アクセスの成功によって起こったプログラムの更新。
それによって世界の不正終了を防ぐまでは行かなくとも、あの世界は少しだけ前進したのだ。
全てのアクセスコードが失われた今、次の手を考えなくてはいけない。
「アクセスコードは、いわゆるアドミニが設定する個人別パスワード…ですよね?」
ネット環境でいう所の、アクセス権という事になる。
セレスティの問いかけに的場は今まで失念していたと言わんばかりに瞳を大きくし、ゆっくりと口元に手を当てて俯く。
「そうか……マスターコード…」
『白銀の姫』だけを操作できるコードではなく、『Tir-na-nog Simulator』を直接操作する事ができるコード。
それが――マスターコード。
「あ……」
解決の光は見えた。だが、
「都波…先輩が」
そのコードを知る人間が、今は意識不明で話す事など不可能。
「『白銀の姫』に取りこまれてしまった都波さんを、解放できればいいのね?」
自分達が進むべき道筋に現れる、妖精。
それは、この世界を救うための手順であると同時に彼女を解放する為の手順でもあるようだ。
「僕も行ければいいんですが……」
「心配だろうけど、大学生は勉強してなさい」
八識を除いて、ここいる誰もが仕事と休日をほぼ分けて過ごせる社会人だ。大学を無断欠課などをして親に心配をかけるものではないと、汐耶は安心させるように微笑む。それは、慎之介にも言える事なので、今度言っておこうと思いながら。
「お願い…します!」
そして、的場はこの言葉に、深く頭を下げたのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4180/沙羅双樹・八識(さらそうじゅ・はっしき)/男性/18歳/学生/偽造屋/雇われ参謀】
【0596 / 御守殿・黒酒 (ごしゅでん・くろき) / 男性 / 18歳 / デーモン使いの何でも屋(探査と暗殺)】
【1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)/女性/23歳/都立図書館司書】
【3962/来栖・琥珀(くるす・こはく)/女性/21歳/古書店経営者】
【NPC/的場・要(まとば・かなめ)/男性/24歳/大学院生】
【NPC/黛・慎之介(まゆずみ・しんのすけ)/男性/23歳/大学院生】
斎藤晃ライターより
【NPC/藤堂・愛梨(とうどう・あいり)/女性/22歳/司法局特務執行部オペレータ】
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■ ライター通信 ■
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Fairy Tales -another- 〜神の下僕〜にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺碧です。延滞というわけではありませんが、かなりお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。今回今までで一番長いかもしれません……
初のご参加ありがとうございます。情報収集と分析が主とありましたが、情報の方収集できたのでしょうか…?なんだかそういった事をしてくれるようには思えなかったのですが、お手伝いさせてしまい申し訳ないです。
それではまた、八識様に出会える事を祈って……
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