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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『世界の果てに見た光り』



 咽かえるような色濃かった新緑の匂いは血の香りにとって代わられた。
 あれだけ騒がしかった山の音が、しかし今はどうだろうか? その山桜の鬼が現れると同時に無音となる。
 葉が擦れ合う音も、獣たちのいななきも、野鳥の羽ばたきや鳴き声も消えた。
 すべてが無音に塗り染められている。
 紅い紅い紅い、血のように真っ赤な桜の花びらが無限に咲き誇り、そして惜しみもなく舞い散らされたそれが空間を埋める夢幻の光景。
 その中に立つのはひとりの鬼。
「これが神憑き?」
 私の声は震えていた。
 認めたくない。自分の怖れも非力さも。
 だけど心は、体は知っていた。
 自分のすべてを尽くしても、到底これには敵わぬ事など。
「そのようじゃな。神憑き。この山桜に憑いたのは土地神じゃ。しかし神とて完全である訳ではない。人のように不完全で脆い部分も当然ありうる。そこを突かれた。この土地にどろりと澱んだ悪しき感情にな」
 私、紬裡雨が護衛する少女が何かを達観したように言う。
 だけど私はそれを否定したいと想った。
 心の奥底からそれを怖いと想いながらも腰の鞘から剣を鞘走らせたのは、そういう想いからだ。
 それは私の意地だった。
 プライドだった。
 こうありたい、ずっとそう願い続けた事だった。
 いや、こうあらねばならない、そう思い続けた事柄か?
 そうだ。だってそうあらねば…この世には完全なモノしかない、そうでなければ、私はずっと私が演じ続けてきた私自身を否定せねばならないのだから。


 退屈な、退屈な、退屈な、そういう日常の中にあった自分。
 その退屈さは私の有能さの証。
 有能な私。
 私は有能だから、何でもできるから、だから何でもした。
 それが有能という才を与えられた者の宿命であるし、そしてその者に周りが抱く希望であると想ったから。


 そうだ。私は私を絶対の物とする。そう見る。そうあらねばならないと信じる。だからこの神憑きの桜の鬼は私が倒さねばならない。
 それは私の有り様を否定するモノだから。だから私は私の有り様が正しいと証明するために。
 私は有能なのだ。
 私は何でもできるのだ。
 私は完璧なのだ。
 だからその私が、完璧ではないモノに倒される事は許されないのだ。



『いかに裡雨が他よりも優れておっても、それでもやはり独りでは生きられんよ』
 ――――何故か先ほど彼女に言われた言葉が脳裏に蘇った。



「たぁぁぁぁぁ――――――――ぁりゃッ」
 私は刀の切っ先で大地を削りながら鬼に向かった。
 鬼の鋭き爪の横殴りの一撃。
 それを空に飛んでかわすと共に、私は刀を振り上げて、それを落下の勢いをも利用して鬼に向かい打ち下ろす。
「往生しろ、鬼よ」
 たとえ無名の刀とて、私の一撃であればこの神憑きの桜の鬼とて倒せるはずなのだ。だから!!!
「無駄じゃよ、裡雨。それでその鬼は、倒せはしない」
 少女の言葉が私の耳朶を打った瞬間に、私の刀は砕け散った。
 ぱきーん、澄んだ金属の破壊音。
 舞い散った金属片は血のように紅い桜の花びらに覆われて、喰われて、消えた。
 空間に広がる花霞み。
 血のように紅い桜の花びらが空間に舞い狂う異形の光景。
 無限の花びら舞う、夢幻の血塗られた、怒り狂う神が作り出した光景。
 その光景の中で、私はもはや指一本でさえも動かす事ができずに、目の前に立った鬼を見つめていた。
 鬼は笑う。私を嘲笑う。己の有り様を守るために本能の逃げろという警告を無視して刀を振るった、そうせずにはいられなかった私を。
 私が走ってきたこの道。
 振り返る事すらもはやできぬのか?
 振り返ってもそこには何も無く、
 そして未来にも繋がらぬ無為な道だと。
 だから私は死ぬのか、ここで?
 己の有り様、アイデンティティーも守れずに。
「白神家から与えられた命も守りきれずに私は………」
 ぎりっと私は歯軋りをした。口の中に広がった血の味。それは初めて味わう挫折、というモノの味。
 振り上げられた鬼の手に、私は思わず瞼を閉じて、
 ――――しまった………。



 ―――――――――――――
【世界の果てに見た光り】


 私が願っていたのは何であったのだろうか?
 有能な私に抱く皆の希望を、有能さ故に叶える私は、では私は私以外のモノに、この世界にどのような願いを抱き続けたのだろうか?
 私を見て囁かれる言葉の数々。
 それは羨望でありもすれば、嫉妬でもあり、また嫌悪や恐れでもあった。
 遠巻きに私を見つめる者たちが囁き交わす言葉など私はだけど気にはしなかった。
 私は有能だった。
 何でもできた。
 それ故の孤独。
 孤独すらもそれは私の有能さの証明であった。
 人が群れで動くのは足らぬモノを補うため。
 ――――独りでは何もできぬから、だから弱いモノたちは群れて動く。そうすれば怖れるモノはないから。
 ならば私は群れる必要などは無い。
 私にできぬ事など何も在りはしないのだから。
 一匹狼の私。
 その私を遠巻きに囲んで人々は囁きあう。
 羨望と、
 妬み、
 恐怖と、
 嫌悪を。
 だけど私はそれに何も抱かなかった。
 そんな私は果たして私を取り囲む周りの人々に、そして私が在る世界に一体何を求めていたのであろうか?
 私はいつもそれをずっと考えていた。
 そう幼い幼女の時からずっと。



 +++


「紬家、とな?」
「はい、朔耶様。この度その紬家次期当主が紬裡雨殿と決まりました」
「はて、それはおかしいな。確か紬家には長男がおらなんだか?」
 そう問う白銀の髪の美女に報告をしていた男はほんの少し言いよどんだ。そして躊躇いがちに口を開く。
「その、その長男は家を出たそうです。何でも我らが道とは交わらぬ道を歩むと」
 彼女は銀の前髪の奥にある青の瞳をわずかに細めたが、しかしすぐに肩を竦めながら小さな吐息を吐いた。
「まあ、人生はそれぞれじゃな。それでその裡雨というのはできるのか?」
「はい。それは確かでございます。いずれは必ず白神の良き剣となって、朔耶様のお力になりましょう」
「そうか。それは楽しみじゃな」
 それが裡雨の兄が紬家を出て行った時にされた話だった。
 紬裡雨。あの口やかましく、そしてなかなか他人を褒めぬ朔耶お付きの爺に褒めさせたその者の事を朔耶が気に留めたのも当然の事であっただろうか。
 白神家。それは多くの退魔師をまとめ、取り仕切る退魔師の総本家に当たる家であり、その力は絶大な物であった。
 本来であればその組織の指揮は白神の当主が執るべきところであるが、白神朔耶が現当主である母親に成り代わって、指揮を執っていた。
 だが珍しい事にこの度行われる事となった退魔師が日ごろの修練を見せるための武闘会に朔耶の母がちゃんと当主として出席する事となった。
 おそらくは母親が出席するのは此度のそれに紬家の裡雨が参加するからであろう。次期紬家の当主となる裡雨の優勝は大方決まっている。その裡雨に労わりの言葉をかけるのは白神家当主の大事な役目であり、そしてそれが今後の白神と紬の繋がりを強くするのだろうし、また才気溢れる裡雨は近い将来には白神の実働部隊を取り仕切る立場に就いてもらわねばならないから、そういう政治的な事を全てひっくるめた上での事なのだろう。
 故に朔耶は本来の姿で母親の隣に座って、腕を競い合う参加者たちの日頃の修練を見つめていた。



 +++


「あれが白神」
 私はその時、怒っていたのだと想う。
 ――――何に?
 それはわからない。
 何故私は白神の者にそんな感情を抱いたのだろうか?
 だけど私は本当にその感情の理由がわからなかったのだ。
 白神の者を見た瞬間に私は私の中にある何かが感情的に高まって、そしてその後に急激にその感情の温度が冷めていったのを自覚した。
 怒りを覚え、その後に虚しさを覚えたのかもしれない。
 紬家、という家…血に縛られている私の心が、さらに自分を縛る白神、という血に。
 ただただこの退屈な世界に私を縛り付ける血。
 ならば白神という血は私に何をしてくれる?
 教えてくれるのか、私に。私がこの退屈な世界に望む事を?
「たぁぁぁぁぁぁりゃぁー」
「ひ、ひぃ、やめて」
 互いに武器を手にして、その腕を競い合う。
 私は木刀。相手は棍だった。
 鋭い気合いと共に打ち込まれた棍。しかし私はそれを紙一重でかわすと共に相手の腹部に横薙ぎの一撃を叩き込んだ。
 いつもならそこでやめていた。
 だけど今日は違う。
 執拗なまでに相手をいたぶった。
 相手の男は既に棍を落とし、完全に戦意を喪失していた。
「情けない。あなたはそれでいいのかぁ!」
 叫んでいた。
 叫びながら私は彼に木刀を打ち込んでいた。
 止められない、自分を。
 苛立つ私を。
 すべてに冷める私を。
 一体私は何にこんなにも苛立っているのだ???
 世界にか?
 血にか?
 知っていた。誰よりも私は、自分の有能さは知っていた。
 何だってこなせる。
 他人が分からないものだって理解できる。
 そういう優秀な自分に周りは期待し、そして恐怖した。
 何時だって独り。優秀だから。優秀さ故に。
 兄が芸能界に行き、必然的に家を継ぐ事になっても構わなかった。
 決められた道。
 それでも、いい。
 だけどそう想ったのはどうしてだろう?
 構わない、
 それでもいい、
 そう想った理由は?
 兄が違う世界に行ってしまったからか?
 では私は私に問おう。あなたは兄のように他に何かやりたい事は無かったのか? と。
 有能ならば、やれない事が無いのなら、何だって叶えられる………
「そうか…私は…………」
 ――――私は最初から心のどこかで全てに冷めていたのだ。
 何だってできるから、
 私は有能だから、
 だからやれない事は無い。
 そうだからこそ私は全てに冷めていたのだ。何だってできるからこそ熱くなれないから。
 退屈な世界。
 ただただ退屈に過ぎていくばかりの日々。
 私が世界に望んでいたのは、そんな世界の終わりだったのだ。
 だけど一行にその願いは叶わない。
 退屈な世界はただただ退屈に過ぎていく日々に顕在している。
 そんな世界に見た白神。
 ただ退屈な世界の守護者たる白神に私はだから怒りを覚えたのかもしれない。
 そしてそんな自分にだから冷めた。
「ならば私は世界の守護者たる白神に牙を向いてみるか? 世界が壊れぬなら私が」
 木刀を振り上げて、そしてそれを頭を両手で抱える男の頭上に振り下ろす。
 それをやりながら私は白神の者を見た。
 ―――ぞくりと鳥肌が立った。
 私を見て小さく口許に微笑を浮かべた当主に。
「そこまで」
 凛と響き渡った白神の当主の娘の声。
 私の体は雷に打たれたかのようにぴたりと止まった。
 手から落ちた木刀が大地に当たって奏でた音で、まるで金縛りにあっていたかのような周りの者は一斉に動きを取り戻した。



 +++

 
 脱衣所に入ると、朔耶についている二人の侍女が恭しい手つきで彼女の着物を脱がせた。
 美しく長い銀色の髪が結い上げられる。
 朔耶は小さく溜息を吐いた。
「わしは子どもではないぞ」
 しかし何度言っても侍女たちは朔耶の世話をやくのをやめない。彼女らは好きなのだ、朔耶が。
 そう、両方とも。
「ありがとう」
 にこりと侍女たちに朔耶は微笑む。その顔つきはどこかあどけないものへと変わっていた。
 170に近い長身のすらりとした体型の彼女は、もう大人の女性としての完成した美しき身体をしていたが、しかし今の朔耶は少し先ほどまでの彼女よりも幼く感じた。
 それはきっと彼女の美しい身体と同じく非の打ち所の無いきりっとした冷たい冷水のような性格が、柔らかなそよ風のようになったからそう感じたのかもしれない。
 そして朔耶は扉が開けられた露天風呂へと足を踏み入れた。石畳が濡れているのはきっと侍女たちが外気を温めるために湯をうったからだろう。
 身体を洗い、それから露天風呂に入った。
「良いお湯だね」
『そうじゃな』
 朔耶と朔耶、二人の朔耶が湯の感想を言い合う。
「でも意外と照れ屋さんなんだね。そんなに侍女さんたちに裸を見られるのが恥かしかった?」
 くすくすと笑う彼女。
『五月蝿い。別に裸を見られるのは構わないが、あの時代劇の姫君のような扱いが苦手なだけじゃ』
「時代劇って。だけど確かに恥かしいよね。脱がせてもらうのは」
『じゃろう?』
 くすくすと笑いながら月を見る。触れれば切れそうなぐらいに細い下弦の月。
「なんだかあの娘みたいだね」
『あの娘?』
「紬裡雨さん。なんだかあの武闘会の彼女はとても怖かった」
 ばしゃりと朔耶は湯で顔を濡らす。
「そうじゃな、どうにもまだ己の感情をコントロールできてはいなかったようじゃ。それに………」
『それに?』
「あの娘、わしらによく似ておる」
 細すぎる下弦の月が輝く夜空の下で果たして朔耶が浮かべた表情はとても悲しげな表情だった。ほんの少しの力を込めて人差し指の先で触れただけでも壊れてしまいそうな、そんな哀しく儚い脆い硝子細工のような彼女。
 きっとそれは朔耶が7歳であった時のあの悪夢と無関係では無いのであろう。
 なるほど確かに朔耶と裡雨、己の力に苦しむ三人は似ているのかもしれない。
 静かな夜に猪脅しの音がたゆたう。
 その音に混じり、誰かの気配が夜の闇に広がった。
 闇から外灯の下に出たのは件の紬裡雨だった。
「ほぉ。これはこれは随分と堂々な覗きじゃな?」
 意地の悪い声で言ってやると、裡雨は顔をしかめた。
「私は、覗きをしに来たのではない。ただ話をしたくって来たのだ」
「話? 話か。ならばここほどうってつけの場所は無いな。ほれ、よく言うじゃろ? 裸の付き合いと」
 ばしゃりと湯から出て、露天風呂の縁に足を組んで腰を下ろす。
 濡れて額に貼りつく前髪を右手の人差し指で掻きあげながら彼女は小首を傾げた。
「良い湯じゃぞ」
「わ、私は当主の方に話が」
「母上に? ふん。それは残念じゃったな。母上は既にここにはおられんよ」
 肩を竦める朔耶。
「あの方は、当主なのに隠居のような生活をなされておるからな」
 下唇を噛んで視線を下に向けた裡雨は、しかしすぐに自分を立て直した。
「それでは失礼します」
 さっと身を翻してその場から立ち去ろうとする彼女に、朔耶は柔らかに瞳を細める。
「母上が笑った訳じゃろう?」
 そう声をかけると、裡雨はびくりと身体を震わせて、足を止めた。
 そして朔耶を振り返る。
「わしとて白神の者。あの瞬間、母上が笑った時に裡雨の気が萎んだのはわかったよ」
「私は、私はその笑みの意味が知りたい」
「何故?」
「わからない。そんな事はわからないから、だからその事を知るために、ご当主に笑われた意味を訊きたかった」
 朔耶は真っ直ぐに裡雨の目を見るが、彼女は朔耶の目から自分の目をそらした。
「生きる事じゃな」
 闇に朔耶の声がたゆたう。それは優しさも篭っていなければ、嘲りも篭ってはいなかった。
 ただあるがままの真実を述べる声。
「生き続ければ今は見えずとも、やがて見えるモノもあるじゃろうて」
 鷹揚にそう言う朔耶に裡雨は何かを言いたそうに口を開くが、しかし結局は言葉を紡ぐ事は無く、彼女は朔耶に頭を下げて、その場から立ち去った。
 湯から立ち込める湯気に朔耶の吐いた溜息は混じって、消えて、しかし朔耶の中にあるそれはそれで消えた訳ではない様だった。
 露天風呂の湯に身を入れた朔耶は夜空にある触れれば切れるような細すぎる下弦の月を見上げて、何かを想うように瞳を細めた。



 +++


 裡雨はやはり有能であった。
 別に特別な事をしている訳ではない。
 彼女にとってはただ卒なく色んな事を要領良くこなしているだけだ。
 それは彼女にとってみれば至極簡単な事であった。
 だから彼女は少女でありながら他の退魔師をまとめて指揮する立場へと上り詰めたのだ。
 それはいくら紬の娘であったとしても、異例な事であった。
「朔耶様、紬家よりの申し出で、此度の裡雨殿の功績を称えて、裡雨殿に紬家に伝わる古刀光無を与えたいと言ってきているのですが、いかがいたしましょうか?」
「古刀光無とな?」
「はい」
「ふむ。光無。あれは凄まじき力を持つ刀であったな」
「はい。紬家の次期当主であり、実働部隊をまとめる役目にあられる裡雨殿ならば確かに持つに相応しき力と私も想います。しかし…」
 言いよどむ部下に朔耶は鷹揚に頷いた。
「良い。申してみよ」
「はい。先の武闘会。あれで見せた裡雨殿の一面。故に裡雨殿に光を吸収するという絶大的な霊力を誇る野太刀・光無を与えるのは危険だという声もありまして、それに私も………」
「賛成という事か」
 朔耶は頷いた。そして少し意地の悪い顔をする。
「確か、超S級任務を与える実働部隊の選定が今日、行われるはずであったな。あれはとりやめい。わしに考えがある」



 +++


「どうして私が………」
 ――――こんな子どもの………。
「どうしたのじゃ、紬裡雨?」
「いえ、何でもありません」
 しかも呼び捨て………。
 此度の白神から与えられた命はこの少女の護衛であった。
 どうして私が彼女の護衛をせねばならぬのかわからないが、しかし命とあれば致し方無い。
 気に入らぬがやるしかないのだ。
 だから私は彼女の護衛として、彼女と共に**県**市の山中にやって来た。
「これは………」
「凄まじく空気が濃いじゃろ? 自然が溢れている証拠じゃ」
 とても空気が濃密で、かえって息苦しかった。
 凄まじく濃い空気は自然が溢れている証拠、そうこの少女は言う。確かに私たちの周りにある森の木々はとても太く、生命に満ち溢れていた。
「この森には人の手は入ってはおらん。故に森の木々はほとんどが樹齢数百年を超えておる」
「詳しいのですね」
「なに、受け売りじゃよ。前にわしにここで稽古をつけてくれておった父上のな」
 彼女は肩を竦めた。その表情はどこか寂しげに見えた。そしてとても痛々しかった。一体彼女の過去に何があったのであろうか?
 私は珍しく、他人に興味を持った。しかも自分よりも年下の。
 すると彼女がにやりと笑う。
「わし、に興味を持ったようじゃな?」
 私ははっとする。
「な、何を馬鹿な事を」
「ふっふっふ。別に恥かしがる事はなかろう。良い事じゃよ。人間は結局は独りでは生きられん弱い生き物じゃ。いかに裡雨が他よりも優れておっても、それでもやはり独りでは生きられん」
 じっと私の顔を見据える少女の瞳はどこか私を哀れんでくれているように見えた。
 私はその目から自分の目をそらした。逃げるように。
 ――――何故、そうしたのか自分でもわからない。
「行きますよ。ただでさえ今回の任務の敵は強敵。日のあるうちに目的地に到達できるのなら、その方がいい。ここで修行をなされたと言っても、私ほどには動けはしないでしょう?」
 そう言う私に彼女はわずかに目を見開いて、その後にけたけたとおもむろに笑い出した。
 そして眉根を寄せる私に彼女は悪戯っぽい目をして、舌を出した。
「じゃあ、競争しようか? 神憑きの桜の下まで」



 +++

 
「はあはあはあ」
「おや、どうした、息が乱れておるようじゃが?」
 そう意地悪く言って笑う彼女に裡雨は顔をしかめた。
 実際裡雨は面白くない。体力には自信があったのだ。それなのに麓からこの頂上付近まで小学生ぐらいの彼女に負けてしまったのだ。悔しくない訳がない。
「どうにもまだ修行が足りんようじゃな、紬裡雨」
「う…ふん」
 五月蝿いとは言えずに、裡雨は鼻を鳴らした。
 そして改めて目の前にある桜の木を見る。血のように紅い桜の花を咲き誇らせる木。周りの木はすべて枯れているのにもかかわらずに。
「かつてここにはとても美しい桜の木があった。ある退魔師が魑魅魍魎に襲われるこの山を救うべく植えた桜じゃった。結界の核じゃったんじゃ、あの桜は。しかし十数年前にその男は死んでしまった。そして数ヶ月前にあれが現れた」
 顎をしゃくる少女。
 そして二人の前、風に舞い散って、激しく空間を踊る真紅の桜の花びら、それが作り出す花霞みの中に、それは居た。
 神憑きの桜の木の鬼。
 そうして少女が見つめる先で、裡雨はそれに手も足も出ずに倒された。
「もう充分かの」
 少女は小さく呟いた。
 そしてその呟きを裡雨が聞いたと想った瞬間に、その自分の前に彼女が居た。銀色の髪を持つ、あどけなき少女。
 しかしその少女が、
「馬鹿、逃げろ。私が手も足も出なかったのだから、あなたなんか、が………」
 だがしかし今しも振り下ろした手で恐怖に動けぬ裡雨の頭を叩き潰さんとしていた鬼の方が後ずさっていた。
 そしてそれは裡雨の方も同じだった。
「な、なんだ、この気は……」
 それは完全に裡雨を圧倒していた。
 裡雨だけではなく、裡雨が手も足も出なかった鬼をも。
「あ、あなたは………」
 戦慄に震える声で裡雨が言う。
 そして次の瞬間に彼女は絶句した。
 何故なら今目の前で、わずか10歳ばかりの少女の姿をしていた彼女が、すらりとした長身の女性となったのだから。
 そして裡雨はその彼女を知っていた。
「白神の…」
「そう。わしじゃ。白神朔耶」
 朔耶は風に揺れる前髪を掻きあげながら後ろの裡雨を振り返った。
「どう、して?」
 声を詰らせる裡雨に朔耶は悪戯っぽく微笑む。
「教えたかったんじゃよ、裡雨に。この世には上には上がおる、と」
 ひょいっと肩を竦めて、そして鬼を見る。
「そうじゃな。それとやはりこの鬼はわしが倒さねばならんと想っておった。じゃから」
 すぅーっと静かに右手をあげる朔耶。
 そして彼女は鬼を見据える。
「来い、鬼よ。過去の亡霊よ。わしの想いに引き摺られて、土地神を乗っ取ったか? ならばおまえを封じるのはわしの役目じゃ」
 優しく問いかける母親のように、そして冷たく突き放すように朔耶は言う。その声は凛と高らかに血のように紅い花びらが舞い狂う空間に響き、鬼は朔耶に向かい襲いかかる。恐怖のままに。
 しかしその鬼の滅茶苦茶な攻撃を朔耶はすべて紙一重でかわすのだ。
 そして気合いだけで鬼を退けると同時に、最高峰の封印術を放った。
 次の瞬間、血のように紅かった花びら全てが淡き薄紅へと移り変わる。
「綺麗じゃな、やはり父上の桜の花は」
 風に好きなように銀の髪を遊ばせながら朔耶は桜の花びらを見つめ、
 それから後ろで座り込んでいる裡雨に視線を向ける。
「裡雨さんもそう想いませんか?」
 ふわりと風に舞った髪に朔耶の顔が隠されて、そして次に見た朔耶の表情は先ほどまでとは違っていた。そう言えば白神朔耶は二つの心を持つと聞いた覚えがあったのを裡雨は思い出す。
 そしてその優しき顔を見られるのは極小数だと。
「どうして、私にあなたは?」
 迷子の子どものような顔で裡雨は問う。
 朔耶は優しく微笑んで、裡雨の頬に手を触れる。
「あなたは私たちに似ている。扱いきれぬ力を幼き頃から自覚し、それとたった独りで向き合って、苦しんできた。前にあなたは訊きましたね? どうしてあの時にあなたを見て、母上様が笑われたのか? と。そうであったのはあなたの姿が幼き日の私に似ていたから。私とて最初からこの力、上手く扱えた訳ではありません。多くの人をこの力のせいで傷つけた。本当に取り返しのつかぬ事をしてしまった。それに恐れ、悲しみ、私は二人に分かれた。それでも私は生きている。生きて、探している。この力の使い道を。償いの方法を」
「見つかり、そうですか?」
 迷子の子どもが道を訊くように裡雨が問う。
 朔耶はやはり優しく微笑みながら、首を横に振った。
「わかりません。それでもきっと私たちは生きていくし、そして生きていかねばならないのです。それはあなたも一緒でしょう、紬裡雨? あなたのその力、まだまだ白神のために活かしてもらわねばなりません。そうしてその道に見なさい。あなたがその力を持って、この世に生れ落ちた意味を」
 美しく淡い薄紅、その無限とも想える桜の花びら舞い狂う夢幻の花霞みの中に立って微笑む白神朔耶はとても神々しく、そして美しかった。



【ラスト】



 私は忘れない。
 あの桜の花霞みの中で見た朔耶様の優しさと美しさを。
 だから私は、白神の剣となろう。
 ただただ退屈に過ぎ去っていく退屈な世界の日々はあの瞬間に壊れて、終わりを告げた。
 おそらくは私はもう既に見つけたのだ。あの花霞みの中、優しく微笑む美しい朔耶様に私がこの力を持って生まれてきた事の意味を。
 だから私は生きよう。
 己の求める物を探すために生きる朔耶様を助けるために。





「面をあげよ、紬裡雨」
「はい」
 多くの者たちが見守る中で紬裡雨は顔をあげた。
 その視線の先には白神朔耶が居る。優しく笑う。
「此度の役目就任に際して、裡雨が紬家の力、野太刀・光無を所持する事を許す」
「はっ。我が力、それに磨きをかけて今後よりいっそう白神の剣となりて、役目を果たす事を誓います」
 朔耶から光無を受け取る裡雨。
 その彼女の瞳には確かに今目の前に居る朔耶への憧れがあった。




【了】




 ++ライターより++


 こんにちは、紬裡雨さま。
 こんにちは、白神・朔耶さま。
 はじめまして。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。



 今回はご依頼ありがとうございました。^^
 いかがでしたでしょうか? プレイングを忠実に再現しつつ、こちらのネタを絡めて書かせていただいたのですが、PLさまがイメージしていた裡雨さんが朔耶さんを尊敬するようになった光景、ストーリー、想いに沿えているでしょうか?
 もしもほんの少しでもPLさまがイメージしていた物に近づく事ができていましたら本当に幸いでございます。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。