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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


コーヒー缶とメロンパン


 照りつける陽射しはもう初夏のものだ。気の早い太陽が窓の向こう側からこれでもかとばかりに輝いている。
 ああ、こんな日は外でのんびりしたいなぁ……。
雨はそんな事を思いながら背後に手を回してそっと伸びをする。さすがに思いっきり伸びをしてはばれてしまうし、サボっていると思われかねない。
店長が奥から顔を出した。
「雨ちゃーん、そろそろタイムサービスのパンだすから」
「はーい」
 雨は頷いてレジの周りを片付け始めた。このタイムサービスが始まったら雨は御役御免だ。タイムサービスとは言え、開始早々からお客が殺到する訳ではない。またレジも30分程前に締めたので後は時間を待つばかりだ。
カララ、コロン
「いらっしゃいませー」
 パンを置きに出てきた店長と声が重なる。入ってきたのは一人。すらりと背の高い少年だ。制服姿で鞄を持っているから、きっと学校帰りなのだろう。でも、と雨は思う。
 ――少しやせすぎかな? 大人しそうだし、小食なのかしら?
 お客に対する評価からはちょっと外れた感想を抱く。しっかり食べないと駄目よね、などと思う辺りが雨の雨たる由縁だ。
家庭の事情で大勢の子供達と一緒に過ごしているせいか、少女はしっかりお姉さん気質だった。面倒見がよく気が効く頑張り屋。それが雨の評価だ。少女はその評価に概ね満足していたが、同時にそれが短所にもなりえる事に気が付いていない。
 長所は世話好きで短所はお節介。世話をしなくちゃと一生懸命になって頑張るあまり、自分の事が結構後回し。それもまた真実なのだった。
 そんな雨は一生懸命少年を見ていた。格好良いとかそういう事ではなく、どれだけ買うのか気になっていたからだ――勿論売上の為ではない。
 ああ、もう、それだけしか食べないなんて! 成長期じゃない!
 もしもこれで他の人の分も一緒ですと言ったらますます怒るかもしれない。
 程なく少年がトレイを持ってレジまでやって来た。雨の基準では圧倒的に足りない量だ。
「これ、お願いします」
「はい、お待ちください。えーっと、ぶどうパンが80円で……」
 トレイにのったパンをビニールに入れ、袋に入れ、レジを打つ――時刻はタイムサービスの3分前。
よし、と雨は思った。
「あ、これ、サービスしておきますね!」
 サービスタイム用のパンを一つ追加する。少年は雨の方を見た。静かな表情だ、でもちょっと無愛想だな、と雨が思うより早く少年が口を開く。
「いえ、結構です」
 にべもないとはこの事だと言いたくなる口調。雨は真面目だなと思いつつもちょっとむっとした。
「気にしなくてもいいですよ」
「じゃあ代金を払います」
「だからサービスだってば!」
 淡々とした愛想のない口調に雨はかちんときて少し強い口調になる。しかし少年の様子は一向に変わらない。
「いらないです」
「好意は素直に受け取れ。成長期でしょう」
「これ以上大きくならなくてもいいです」
 確かに少年は雨が見上げたくなる身長ではある。
「縦だけ大きくなってもしょうがないでしょう! あなた、薄すぎ! しっかり食べなさい」
「……薄くないです」
「同世代の中で比べて御覧なさい、絶対薄い筈だよ!」
 少年がどう言い返そうかといった様子で目を瞬く。よし、もう一息と雨は気合を入れた。
「そんなに細くちゃ、夏ばてするよ、きちんと食べなさい!」
「しません」
「……雨ちゃん何やってるの?」
 そう広くもない店内だ。大声で――この場合大声なのは雨だけなのだが――言い争っていては奥に引っ込んでいる店長にだってよく聞こえたに違いない。
「……あ」
 まずいと顔に書いた雨に店長はため息をつく。雨は雷を覚悟して背筋を伸ばした。
「雨ちゃん?」
「はい」
「お客さんに無理強いしちゃいけないよ」
「……はい」
「不満そうな顔しない!」
 うう、と雨は唸った。反論のしようがない。だって食べないと健康に悪いと思った。なんて雨だけの意見で、パン屋の店員の言う事じゃない事ぐらい判ってる。
 カラン、コロロ
 ドアをすり抜けて少年が外に出る。叱られてる途中なのも忘れて雨は声をあげた。まだ封をしていなかった袋がレジの前に鎮座している。
「あ! お客さん、買ったパン!」
 どうしようと店長に指示を仰ぐように見上げれば、仕方ないなと肩を竦める彼の顔が見えた。
「そろそろ時間か。気持ち早いが、まあいいよ。ほら、エプロン畳んで! あのお客さんに商品渡したら、そのまま上がって良いよ」
「雨ちゃん、鞄とあとこれ」
 店長の言葉に奥から出てきた奥さんが余ったパンをつめた袋と鞄を持って出てきた。雨はエプロンを畳むとそれを受け取ってぺこりと頭を下げた。
「すいません! 急いで追いかけてきます! お疲れ様でした!」
 雨は店の外へと駆け出した。


 パンを忘れてきた事に気が付いたのは角を曲がってからだった。どうしようか考えて、まあ良いかと思い直す。今から戻るのもなんだか間抜けだ。
 面白い人だったな。
 遠夜はそんな事を思う。見ず知らずの自分が細いからと言ってきちんと食べなさいと主張する店員の目は本当に一生懸命だった。
 まっすぐな瞳。
 勢いの良い嘘のない言葉。
 ともすればきついと感じるかもしれない口調は、それでも心底心配している事が伝わってきた。そんなに細いかとは思うものの、その心遣い自体は嬉しいものだと感じられた。
「……だからってサービスしてもらう訳にはいかないけど」
 礼くらい言っておくべきかと思ったその時だった。
「お客さーん! 商品、忘れてるよ!」
 大きな声で一生懸命走ってくるのはさっきの店員だ。どうやら追いかけてきてくれたらしいと気が付いて、足を止める。
「歩くの早いんだね」
 追いつかないかと思った。そう言って笑う少女が差し出した袋を受け取ると遠夜は軽く頭を下げた。
「わざわざありがとうございます。……じゃあ」
「待って!」
 呼び止められて振り返ると少女が袋からメロンパンを一つ取り出した。
「これ、あげる」
「……お店の商品でしょう?」
「ううん。これは私のメロンパンだよ。どうぞ」
「いりません」
「なんで?」
 即答した遠夜に雨は首を傾げる。遠夜はため息を付いて言葉を探した。
「見ず知らずでしょう?」
「うーん、それもそうだね」
 成程と頷いた雨に納得してもらえたかと思いきや、彼女は明るい笑顔になった。
「小石川雨だよ、あなたは?」
「榊遠夜です」
「榊くんね。私は16歳、あなたは?」
「……同じです」
「そうなんだ。じゃあ、これどうぞ。食べてね」
 訳も判らずとりあえず応じた遠夜は思わず黙った。見ず知らずが駄目なら自己紹介、と言う事らしい。
「貰う理由がない」
「私が食べて欲しいから。榊くん細すぎだよ、家の中学生だってもっと頑丈そうなんだから!」
「僕が細いのはともかくとして、それは小石川さんのパンだろう?」
 遠夜のその言葉に雨は我が意得たりとばかりに頷いた。
「そう! 私のパン。だから私がどうしようと勝手だよね? という訳でこのメロンパンは榊くんが食べる事!」
 どういう結論なんだろう、こんな人見た事ない。遠夜はそう思う。赤の他人の事でここまで一生懸命になる人なんて珍しい。
 思わず頬を緩めた遠夜の沈黙をどう受け取ったのか、雨が不安そうな顔になった。
「もしかしてメロンパン嫌いかな?」
「……そんな事はないけど」
「よかったぁ! 弟なんて『メロンパン怪獣に襲われたから、もう食べない』なんて言うんだから」
 メロンパン怪獣。遠夜は頭がメロンパンのゴジラを連想してふきだした。
 一度笑い出したらどうにも止まらない。なんだかとんでもなく愉快な気分だった。
「もう、そんなに笑う事ないじゃない!」
「ごめん。どうしても止まらなくて。……ありがとう」
 真っ赤になった雨は、笑いをおさめてそう言った遠夜が差し出したメロンパンを受け取るのを見て、笑顔になった。
「素直でよろしい! ……こっちこそごめんね、もしかしてしつこかったかな?」
「いや、僕も意固地になっていたかもしれない。小石川さん、よかったら缶コーヒーを飲まない?」
 え、と首を傾げた雨にお礼だよ、と告げる。雨は手を胸の前で大きく振った。
「お礼して貰うほどの事してないよ」
 ここでまたお礼するしないでもめそうな気がして、遠夜は少し考えた。
「もしかして、缶コーヒー星人の襲撃でも受けた?」
「受けてない! ……ありがと、実はちょっと咽喉が渇いてたんだ」
 笑顔になった雨に遠夜は自分も最初からそうすればよかったかな、とちらりと思う。見ず知らずだからと意固地になって雨に嫌な思いをさせていたのかもしれない。
 たばこ屋の脇にあった自動販売機でコーヒーを二つ買う。1個を雨に手渡して公園のベンチに座ると二人は缶コーヒーとメロンパンを脇に置いた。
メロンパンを齧るとさくっとしたクッキー生地の後にふんわりとしたパンの食感が感じられた。
「美味しい」
「ね? 店長さんのパン、美味しいんだよ。よかったら、またお店に来てね」
 頷いた遠夜に雨は笑顔になった。
「今度こそ、サービスするから」
「駄目だよ、お店の品物なんだから」
「真面目だね」
 でもそうだねと雨は納得する。
「じゃあ代わりにお薦めのパンを教えようかな」
「何がお薦めなんだ?」
「メロンパンとソーセージパンかな? ベーコンエピもコロネも美味しいよ。でも一番はね、さっきより5分遅く行く事だな」
 遠夜は僅かに首を傾げた。5分で何が変わるんだろう。
「理由は簡単。サービスタイムで焼きたてパンがたくさん並ぶんだよ。焼きたての味は格別なんだ」
「ああ、確かにレジの横に焼きたてのパンがあったな……タイムサービスの前に行く事にする」
「どうして?」
「人が多いのは苦手なんだ」
 そっか、と頷いて雨は立ち上がった。
「それなら私がレジにいるかもしれないな。そろそろ行かなくちゃ。それじゃ、またね!」
「ああ、また」
 そう応えると、傾きつつある太陽を背に雨が笑った。


FIN.