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水無月の戯れ
「ピアノを弾きにいらっしゃいませんか?」
鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)が友人の音楽教師、響・カスミ(ひびき・−)を誘ったのは蝉羽月(せみのはづき)になったばかりの頃。
この時期に手紙を認めるなら、『青葉若葉の候、野も山も千草一色に彩られた初夏、爽やかな六月の空は澄み渡り真っ青です』と冒頭に置くところか。
少し前なら『早乙女の田植えの唄も長閑に〜』としても良かったのだが、生憎ながら夏の訪れを感じさせるその風物詩は、今や此処(ここら)では見掛けられない。
因みに、日本で最も早く田植えが行われるのは沖縄県で、三月の上旬頃。最も遅いのが佐賀県の六月中旬頃である。
全国的に見てみると花の開花とは逆に、田植えは北が早く南が遅い傾向にあるようだ。
都道府県別の平均に照らし合わせれば“此処”に関しては五月下旬が丁度その時期なのであるが、先程述べたように“此処では見掛けられない”のである。
“此処”が一体何処なのかと言えば――『離合集散』『落花狼藉』『和魂洋才』あと何だっけ? えーと……『魑魅魍魎』に『傍若無人』それから『妖怪変化』とか『人外魔境』……ついでに『幕の内弁当(字余り)』きっと最後は『ファイト一発(余りすぎ)』――兎に角そんな感じの素敵ワンダーランド、東京シティーだ。
訳が分からん、とな? それで結構。それこそが雑多混濁する東京シティーに最もぴったりくる言葉である。
ついでに付け加えるとデルフェス自身もヒトでは無い。
朱に交われば何とやら。
無秩序という名の秩序に則って、眠らない都会は機能している。
いっそ気分は、毒を喰らわばサラダで(違います)
カロリーが気になるならノンオイル和風ドレッシングが良い。一言で言うならそんな感じ(何が)
住めば都とはよく言ったもので数多の有象無象を呑み込んだこの都会の住み心地は決して悪いものではない。
そして本日、デルフェスの招待を受けた、霊長類ヒト科ヒト属ヒト/モンゴロイド種・カスミは気分も晴れやかにお出掛けと相成ったのである。
白く透き通った肌、古くは“緑の黒髪”などと現代人にしてみれば「一体何色なんだ?」と突っ込みを入れたくなったりする表現のある艶やかな長い黒髪、形の整った愛らしい桜色の唇。
十九歳のうら若き美少女から誘われて断る理由などはカスミを形成する細胞一つ一つに問うたって出てこようはずも無い。
女の子だって可愛い女の子は大好きなのよっ。
此れ、カスミの主張。
十九歳のデルフェスが“可愛い女の子”である事に異を唱える者はいないと思うが、御年二十七歳のカスミが“女の子”に分類されるか否かはちょっと判断の難しい所だ。
一体何歳までが“女の子”と呼ばれるのかどうか――事と次第によっては筆者のボルテージが激しく左右とか高低とか三回転半(?)とか華麗に決めちゃったりするのでこれ以上の追及はしない方向で。
*
待ち合わせのカフェテリアを出て並んで歩く二人の眼前に姿を現した鄙びた……いや、時代がかったとでも形容すべきか、時を止めた空間に突として佇んでいるのがアンティークショップ・レンだ。
この店で働くデルフェスは今はここに身を寄せている。
そして、この店――レンはそこらのアンティークショップとは少々、いや多々の違いがある。
まず一つ、誰もがこの店に出会える訳ではない。
どこにあるとも知れない不思議な店は、今確かにデルフェスとカスミの目前に在るのだが、それが本当に此処に存在しているのかは分からない。
同じ時間、同じ道を通っても辿り着く者とどうしても辿り着く事の出来ない者がいるのだと言う。
客が店に呼ばれるのか、またその逆なのか――それは誰にも分からないが、もし出会えたのなら“出会うべくして出会った”と言えるだろう。
その縁を喜ぶかどうかは個人によって大きく違ってくるのではあるが――。
ただ、静謐にその店は在り、訪れる人を待っているのだ。
「お邪魔しまーす」
重い木の扉が軋み、呼び鈴がカラコロと乾いた音を転がす。憂鬱(メランコリア)な店内は暖色のランプに照らされ、所々がぼぅっと頼りなく揺らめいていた。
とても静かだ。
外界から侵入した自身の声が思いの外大きく響いたのでカスミは一度呼吸を止めた。
疼くような靴音を従えて物珍しげにぐるりと店内を見てまわる。
「何かお気に召した物はありますか?」
にこりとデルフェスが笑んだ。
「ええ、このマント……珍しいわね」
「それはスコットランド女王のお召しになっていたものですわ。グレート=ブリテン王国になる前のとても古いものですの」
「スコットランド? 青地に白十字の国旗よね、確か」
グレート=ブリテン王国になる前という事は少なくとも18世紀より前のものという事だ。
マントの端を手で確かめながら音楽教師は僅かに首を傾げる。
装飾のない質素なマントは黒一色で、とても女王の召した物だとは思えなかった。むしろ魔女の方がイメージが近い。
だいたい、そんな大層なものがそうそう転がってる訳はない。往々として、こういったアンティーク商品は眉唾なのだ。
やれ義経の〜、信長の〜、竜馬の〜、西郷の〜、とこの業界では珍しい事ではない。言うならばそれは“夢”を買うようなものではないか、というのはカスミの思考。
当選発表の無い宝くじのようなもの――まぁ、そう思えなくもない。
が、ここはアンティークショップ・レン。そこらの店とは多々違う。取り扱う商品は普通のアンティークではない。その全てが、曰く付きの代物……魔法の物品や呪われた品物なのである。
その事をカスミは知らない。彼女にとっては知らない事が幸いである。
「処刑の直前までお召しになってらしたのですよ。断頭台にのぼられる前にご自身で脱ぎ捨てられましたわ」
カスミの表情を読み取ったのかデルフェスが短く解説する。敢えて詳しく話さないのはカスミを怖がらせない為か。
それにしては見てきたかのような口振りである。
「処刑? 断頭台って……まさか、本物じゃない……わよね……?」
マントから慌てて手を放したカスミの縋るような視線の先でデルフェスはただ目見を緩めた。
――その無言の笑顔が却って恐ろしい。
(「そんな事あるわけがないわ。そうよ、あるわけないじゃないっ」)
カスミは一人ふるふると首を振る。
「そ、そうだわ。今日はピアノ弾きに来たんだったわ。鹿沼さん、そのピアノはどこに?」
「ええ、こちらの奥ですわ。カスミ様に弾いて頂けるのを楽しみにしてましたのよ」
デルフェスに誘導されてカスミは一つ奥の部屋へと足を進めた。その部屋は照明の所為だろうか店内よりは随分明るいようだ。
いかにも古そうなピアノがぽつんと置かれている。
「入荷してすぐに調律は済ませましたの。どうぞ」
「ありがとう! 何かリクエストはあるかしら?」
「カスミ様のお好きな曲をお聴きしてみたいですわ」
そう? ポーンと一つ鍵盤と叩いたカスミは瞳を閉じた。
ラフマニノフの『ヴォカリーズ』の愁いを帯びた切ない韻律が部屋を取り巻き、デルフェスも静に瞳を閉じた。
「とても素敵な曲でしたわ」
「リクエストを……なんて言ったものの、もし鹿沼さんがリストのラ・カンパネラなんて言ったらどうしようかと思ったわ」
流石にあの曲は弾けないもの――演奏を終えたカスミが小さく舌を出す。
「悪魔の指を持っていないと弾けないなどと言われますわね。カスミ様……折角ですから一曲、お願いしても良いでしょうか」
「弾けるかどうか分からないけど……何かしら?」
ラヴェルの『水の戯れ』を――
「リスト繋がりね。ええ、OK。水の戯れなら何とか」
ラヴェルの『水の戯れ』はリストの『エステ荘の噴水』や『泉のほとりで』をルーツに持つ曲である。
カスミの指がゆるやかに鍵盤を弾く。
寄せては返すアルペジオの細やかな連続、レント、レント、ラルゴ、ラルゴ――ゆるゆると滔々と、時に情熱的に。
冷たく鎮静な水の戯れはソット・ヴォーチェの奥に仄かな情念を漂わせながら滴り、流れる。
「カスミ様、ありがとうございます。とても美しかったですわ。私カスミ様の演奏がとても好きです」
「そう言ってもらえて私も嬉しいわ。こちらこそ弾かせて貰ってありがとう」
二人は視線を通わせ微笑む。
「カスミ様、お疲れになりませんか? 私の部屋でお茶に致しません?」
「鹿沼さんのお部屋? 楽しみだわ♪ それではお言葉に甘えて……」
「おことば」と打とうとして筆者が三度も「男場」と打ってしまったのは色んな意味で救い様の無い致命的なミスであり抜群に秘密だが(遠い目)、その間にデルフェスとカスミは部屋を移動した。
*
「カスミ様、紅茶で宜しいでしょうか? 今お持ち致しますわね」
「ええ、鹿沼さんありがとう」
デルフェスの部屋はアンティークショップ・レンの奥にある。
天蓋付ベッドや鏡台、落ち着いたアンティークの調度品が小奇麗に並んでいて、あまり広くはないが小物などが少ない所為か空間が広く感じる。
年頃の娘としては落ち着きすぎた部屋――という印象も受けるが、デルフェスらしい部屋だとカスミは思った。
「お待たせ致しました。カスミ様、スコーンはお好きでしょうか?」
ティーポットとカップ&ソーサーをトレーに乗せてバスケットを提げたデルフェスが戻ってきた。
「ええ、大好きよ」
紅茶とスコーンの甘い香りが鼻を擽る。
本日の紅茶はウバ。
スリランカ(旧セイロン)で生産される味わいと香りの深い紅茶で、水色が鮮やかな真紅なのが特徴である。飲食をしないデルフェスは香りと色で選んだのかもしれない。
オレンジのシノワズリ柄のティーカップに手を伸ばしかけてカスミは瞳をしばたたいた。
「これインドの華よね?」
アポニーシリーズとは少し趣が違う――けれどインドの華はグリーンだと記憶していた。
「ええ、インドの華です。ヘレンドではなくてマイセンですけれど」
「あら? マイセンにもインドの華があるのね、知らなかったわ」
「インドの華ですのでアッサムかダージリンの方が宜しかったでしょうか? ニルギリもコクがあって美味しいそうですわね」
インドで生産される紅茶の方が良かったかしら、と首を傾げたデルフェスにカスミが笑む。
「でもこの紅茶とても美味しいわ。鹿沼さんと一緒だしカップも素敵だし、一人マグカップで飲むティーパックとは大違いよ」
――って、当たり前よね。
肩を竦めたその仕草にデルフェスは鈴のような声で笑う。
アフタヌーンティーを楽しみながら二人の会話も弾んだ。
「このティーコゼー可愛いわね」
カスミの視線がふとティーコゼーを纏ったポットに注がれる。
「お気に召して頂けましたか? カスミ様がいらっしゃるので昨日作ってみましたの」
「ええっ?! これ鹿沼さんが作ったの?」
驚きの声を上げて、しかしカスミはすぐにデルフェスが飲食をしない事に思い至り――「私の為かしら」と再び目を丸くする。
こうして自室で紅茶を飲む事もないのなら保温する必要もないのだから彼女には不要のものであろう。
「小さいものですし簡単ですのよ。カスミ様もお作りになりますか? 布ならまだクローゼットの中にいくつか……」
立ち上がったデルフェスがカーテンの揺れる窓の横のドアを開けるとそこはウォークインクローゼットだった。六畳程の広さだろうか、かなり広い。
一面に伸ばされたパイプに服がずらりと並んでいる。
「服がこんなに沢山」
「私、洋服を集めるのが趣味ですの」
照れたように笑ったデルフェスは右の壁の棚からソーイングボックスを取り出す。
「ひろーい」
ドアから遠慮がちに首だけを覗かせてカスミは感嘆の声を上げている。その瞳は宝物を見付けた子供のように輝いていた。
「ねえ、鹿沼さん。さっきクローゼットの中にもたくさん石像があったでしょ。この像も……あちらのもだけどとても精巧で美しいわよね。どなたの作品なのかしら?」
部屋に点々と置かれた石像は女性を象った等身大のもの。
もし「女の子の部屋にあるもの」とクイズを出されて「等身大の女性石像」と答える人など居ないと思われる事を考えても、ミスマッチな組合わせである。
暗にそんな意味も含んでか、カスミはティーカップを手に瞳を瞬く。
「色々ですわ。……中には、その、女性を石化したものもありますけれど」
「えっ?!」
カスミの動きが止まる。
「……あっ」
思わず紅茶を零してしまったカスミの口から小さな声が上がる。
「まあ、カスミ様! 大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫……ごめんなさい」
濡れた服をハンカチで拭いながら謝るカスミの耳元でデルフェスが囁く。
「カスミ様……お洋服を脱いでください。さあ……」
「えっ……鹿沼さん……」
「そのままではいけませんわ。すぐに洗いませんとシミになってしまいますし」
私の服で宜しかったらお着替えください。
「このままじゃ帰れないし……そうね、そうさせて貰うわ。ありがとう」
*
「カスミ様、火傷はなさってませんか? 濡れタオルを用意して参りましたの。少し冷やした方が宜しいかもしれませんわ……あら? カスミ様?!」
着替えるカスミを一人残し、彼女の服を洗うため席を外していたデルフェスが部屋へ戻ると――。
「デルフェス、遅いではありませんか。一人で寂しかったわ。さあ、こちらに早く。お話の続きをしましょう♪」
ドレスに身を包んだカスミがデルフェスの手を引く。
「まあ、カスミ様……魔法服を着てしまいましたのね」
デルフェスのクローゼットの中は“洋服集めが趣味”というだけはあって、様々な衣装がある。
その中には『着用者の性格を服装の種類に変えてしまう魔法の服』なんて変り種もあったりするのが、どうやらカスミはその魔法服を着てしまったようだ。
大変な事になってしまった。
と普通なら慌てる場面なのかもしれないのだが、
「カスミ様、とってもお似合いですわ〜」
うっとりと頬を染めたデルフェスが矢庭にカメラを取り出す。
「私、カスミ様ならどのような衣装もお似合いになるとずっと思っていましたのよ。本当に素敵ですわ〜。そうですわ、記念撮影致しましょう♪」
――慌てるどころか、何やら撮影会になってますが。
「カスミ様、次はメイド服ですわ♪」
デルフェスさんの勢いは止まらない。
「ご主人様、お次は何を致しましょうか」
「本当に本当にお綺麗ですわ、カスミ様! 次はベッドに横にお座りくださいませ」
「畏まりました、ご主人様」
もっと顔の角度をお上げになって――従順なメイドになったカスミに様々なポーズをとらせてデルフェスの撮影は絶好調。もう誰も止められない。
「次はこれにお召し替えを」
頬を染めたデルフェスが差し出したのは紺色の小さな布地。
「水着で御座いますか? ご主人様が申されるのでしたら……」
「やーん、素敵ですわ! カスミ様、なんて愛らしいのでしょう」
染めた頬を更に上気させてデルフェスは歓喜の声を上げる。
「おねえちゃん、そんなにじろじろ見たら恥ずかしいよぅ」
スクール水着に身を包んだカスミはもじもじと身を捩って上目遣いにデルフェスに視線を向けている。
「怖がる事はありませんわ。カスミ様の愛らしさを記録として残したいだけですもの。もちろん私の目にも心にもしかと焼きつけますけれど」
――デルフェスさん、それは俗に言う視か……ごふごふん。
「スクール水着と言えば、体操座りなのです。さあ、カスミ様」
「うん、おねえちゃん」
「で? あたしに何させようってんだ?」
本日のお着替え三度目。お次の衣装は肌も露な真っ赤なビキニアーマー。戦う女の標準服(嘘)
「スタイルの宜しいカスミ様ですから絶対お似合いだと思っておりましたの」
きゃv デルフェスの黄色い声が部屋に響く。
「ふん。嬉しい事言ってくれるじゃないの。よし、分かった。あんたの為にひと肌脱ぐよ」
いや、それ以上脱いだら危険が危ないのですが……なんてツッコミを入れてくれる人など此処には居ないから、さあ大変。
その後も、ボンテージ、十二単(ぇ)、新妻エプロン、セーラー服、巫女服、アイドル衣装、……どっぷりと夜が更けるまで二人の着せ替えファッションショー(&撮影会)は続いた。
って言うか、魔法服のバリエーションも多すぎですデルフェスさん。
「とうとう最後のフィルムですわね……カスミ様、お次はとっておきの衣装、女教師ですわ!」
ぐぐぐ、と拳を握るデルフェスの瞳が苛烈に光る。
「あら? 鹿沼さん? ……今日は鹿沼さんのお家にピアノを弾きにきて……私一体何を?」
ダークグレーのミニタイトスーツ姿のカスミはきょとんと瞳を瞬いて小首を傾げる。
「そうでしたわ……カスミ様は元々教師でいらっしゃいましたわ……」
そう、君と僕の記憶が確かならばカスミは紛う事無き『女教師』である。
つまり、魔法服を着用し女教師になったカスミは正真正銘のカスミ――素の響カスミである。
「あー! やだ、もう真っ暗じゃない。こんな時間までお邪魔してしまってごめんなさいね。今日はもう失礼するわ」
「いえ、お引止めしたのは私ですのでお気になさらないでください。今日は(心の底から)楽しかったですわ、カスミ様」
慌ててバッグを掴んだカスミの背にデルフェスの声が届く。
「私も楽しかったわ(途中から記憶がないんだけど……)今度はぜひ私の部屋に遊びに来てね」
「ええ、ありがとうございます。ぜひお伺い致しますわ」
デルフェスの持参したアルバムを見てカスミの顔から血の気が引いたのは、この数日後のお話。
=了=
■■□□
ライターより
鹿沼・デルフェス様、こんにちは。幸護です。
二度目ましてのご指名、有難う御座います。
長らくお待たせしてしまいまして本当に申し訳御座いませんでした。
カスミ先生の初めての訪問(でしょうか?)楽しんで頂けると幸いです。
デルフェスさんとカスミ先生の二人のやり取りが大好きで
書いていてとても楽しかったです♪
少しでもお気に召して頂ければ嬉しく思います。
またお逢いできる事を祈りまして……この度は有難う御座いました。
幸護。
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