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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


強くありたいと願う心


 ただ生きているというそれだけのことで、憎みあい争いあうことがあるという不思議に安藤結世は人知れず胸を痛める。特にそれが身近なものであればあるほどに、できることなら争うことなく過ごせはしないかと考えてしまう。血のつながりが作り出す組織を軽視しているわけではない。血のつながりという確たるものがある者同士であるというのなら、せめてそのなかだけでも平穏に過ごすことができればいいと思うのである。組織が当然となったこの世界で争いもまた当然のものとしてのさばっている。心から望んでいる者がいなかったとしても、ささいな諍いを発端にして争いは拡大し、人の意思を凌駕して取り返しのつかない結末へと結びつけてしまう。それは世界ばかりではない。極小単位とされる家族のなかでもそれは確かに存在し、結世が過ごす安藤家の一族のなかにもまた確かに存在していた。
 もう戻ることはできないのかもしれない。
 今、過ごす状況を結世は僅かに悲観する。
 緩やかに崩壊していったささやかな平穏。密かに芽吹いた反乱の意思はごく一部の者たちを中心にして確実に総てを蝕み続けている。相容れない望みがもたらしたそれを止めるために必要なことさえも今となっては見つけることができない。ただ密やかな争いを続ける以外に何もできない。そんな無力感ばかりが明らかになる現状。止めることのできない明瞭な争いだけが密やかに広がり続けている世界平和などという大それたことは考えていないにしても、せめてささやかな平穏を守り続けたいと思いながら結世は日常を過ごしていた。しかしそれはことごとく踏みつけられていく。日々、そこかしこに息づく争いの気配は鮮明になり、ひたひたと足音を忍ばせながら結世にも近づきつつあった。
 結世が属する安藤家の一族は、斉姫を精神的支柱とし、それが大きな権限を有している一族だ。今は結世の祖母が斉姫の地位にあり、いずれ結世がそれを継ぐものとされている。当初は今は亡き結世の姉がその位置にあったが、生を奪われたその人はもういない。結世は自ずと姉の代わりとなり、いずれ与えられるであろう地位を拒むことを許されなくなっていた。姉のことは決して嫌いではない。好きだと断言できるほどだ。しかしそれと同時に相反する感情があることも確か。常に今は亡き姉と比べられることによって、自分なりにと努力を重ねるあまり結世はいつのまにか我知らず自分を見失い始めていた。本当に自分がしたいことがなんであるのか、何のために努力をし続けているのか、わからなくなって途方にくれることさえある。
 そのような日々のなかでも変わることなく斉姫の影は結世に付きまとう。一族にのなかで大きな権限を有するということは、同時に総ての責任を負うことでもある。自分の言動一つで総てがあらぬ方向へと流れることさえあるのだ。違えることなど許されるわけがない。そのためには完璧であらねばならない。そのためにも自分なりに努力をしていこうと思う結世は自覚なきまま常に追い詰められ続けている。斉姫となるその日まで、完璧な自分になろう。姉に負けることない存在になろう。誰かに認められたいと思う気持ちよりも先にそうした気持ちばかりが強くなる。
 しかしそうした結世の慎ましやかな努力を裏切るようにして、結世を取り巻く環境は日々棘をまとって変化していく。いつの間にか生じた現体制への不満。それを糧に寄り集まった人々が新たな組織を作り、新たな体制を望む建前のもとに争いの火種を絶やすまいと画策している。それはいつしか内部分裂にまで発展し、そして他の一族との折り合いも悪化させ始めていた。争いが生み出すものは争い、対立もまた対立しか生み出さず、それらからは穏やかな日常などというものの片鱗さえ見ることはできない。
 その中心に限りなく近い位置にある自分を結世は厭になるほどに自覚している。恐怖よりも成す術のない自分の無力さに泣きたくなる。命を狙われかねない立場にありながらも、それを恐れる以上に結世は自身の無力さを居た堪れないものとして感じていた。
 今はまだ祖母が斉姫として存在しているからこそ、結世に降りかかる災難は最小にとどめられている。しかし祖母とて先が長いとは云い難い。もし祖母という存在を失えば、結世は自らその空席を自ら生め、祖母の代わりに違うことなく一族を導いていかなければならなくなる。果たしてそうなる時分の安藤家の一族はどのように姿を変えていることだろうか。考え導き出される答えは常に仄暗い。冷たく、錆びた鉄の香りを放つ。日々もたらされる情報はいつも冷たい、終わりなき争いの気配がした。
 不意に鳴らされたクラクションに、ぼんやりとしていた結世ははたと我に返る。爪先が横断歩道の端を捉え、あと一歩踏み出していれば車が行きかう大通りに飛び出しているところだった。そんな危機感が不意に今朝方告げられた言葉を思い出させる。安藤家の現体制に反する者たちが「双子の姫君」と呼ばれる石を手に入れたという噂。それはいわく因縁のある石で、落ち主を主と認めれば守り石となるが、認められなければ祟り石となるものだ。認められることは難しい。「双子の姫君」の名に相応しく、誇り高き高慢なその石は持ち主を主と認めることなく多くは祟り石になるのだと結世は聞いていた。人の流す血を欲する気高き石は、自らの持つ高慢さによって人を幸福から引き剥がす。
 十分に気をつけなさいとひどく重たい響きでもって告げられた言葉が鼓膜の内側に甦る。気をつけるにしてもこの雑踏のなかでどう気をつけたなら自分を守れるのだろうか。周囲を行きかう多くの人々を思って結世は溜息をつく。この雑踏のなかで自分は限りなく無力だ。どこからともなく伸ばされる悪意を持つ手を予め覚ることさえきっとできないことだろう。目の前には歩行者用の信号が鮮やかな赤色で灯っている。できることがあるとすれば、信号のように周囲から与えられる些細な注意を見落とすことがないよう気を配ることだけだ。
 ゆっくりとまばたきをして、深く息を吸い込む。
 そしてそれを吐き出した刹那、不意に強く結世の背を押す大きな手を感じた。
 振り返ろうと思った時には既に総てが手遅れだ。結世の華奢な躰は車道に投げ出され、両膝をついた結世は動揺にすぐさま立ち上がるようなことはできない。歩行者用の信号はまだ赤色のまま、長く伸びる車道に視線を向けると大型車が座り込む結世めがけてまっすぐに突っ込んでくることだった。
 やはり無力ではないか。
 僅かに残る理性でそう思い結世が諦めるよう目蓋を下ろそうとしたその時、不意に視界が大きく揺らいだ。温かな腕が結世の躰を抱き締めるようにして包み込み、反射的に顔を向けたそこには見知った顔があった。
助けが入ったおかげで辛うじて結世を避けた車が走り去る。それを目で追いかけ、結世を助けた相手である九重蒼は小さく舌打ちした。
 結世は顔見知りである蒼の顔をすぐそばに捉えながら、きっと祖母が反・現体制と呼ぶ輩の仕業なのだろうと思った。斉姫の名が近くにある限りこうして狙われることはきっとこれから先もあるはずだ。その名を冠することになれば尚更に身に迫る危険を遠ざけることはできなくなる。
「ありがとうございました」
 もっと強くならなければと思いながら、手を差し伸べ立ち上がる手助けをしてくれる蒼に結世が云う。蒼が紡ぐ結世の身を案じる言葉はやさしい。それに頷くことで答えると、蒼はひどく心配そうな顔をした。
「誰かに背を押されたんじゃないのか?」
 その言葉に蒼は総てを見ていたのだろうと結世は気付く。確かに背を押された。雑踏のなかに立つ結世の背だけを狙った手が確かにあった。けれど敢えて頸を横に振ることで結世は蒼の言葉を否定する。
 今回、助けてもらえたのは幸い。これからは自分で自分を守ることができるようにならなければならない。そういう立場に自ずと立たされていたことを、今この瞬間に起こったことが結世に強く教える。無力であると絶望してばかりもいられない。自分なりに強くなって自分を守らなければならない。期待が確かにそこに存在する限り、一族の一人として努めなければならないことがある。
「私は大丈夫」
 云う結世を蒼はざわめく周囲から守るようにして、その場を離れる。
 嘘は見抜かれている。蒼は確かに見ていた。雑踏のなかに見つけた見知った顔。その後ろに立つ、どこか不穏な気配をまとった男。なんでもない風を装っていたがその顔は確かに結世を狙っていた。亡き者にしようとする気配が確かにそこにあり、注意していたその刹那に男は結世の背を強く押したのだった。
 けれど結世はそれを否定する。そうとなれば蒼にはもう云える言葉はなかった。汚れたスカートの裾を気にしながらも、結世は擦り傷一つ負わなかったらしい。それに蒼は我知らず安堵する。
「本当に、ありがとうございました」
 何か用事でもあるのかどこか落ち着かない結世に、こんなことはなんでもないという風に答えて、別れのタイミングを掴ませるような素振りを見せる。すると結世はそれを上手く捉え、謝意を告げる言葉を残して足早にその場を去っていった。
 その後姿を見送りながら、蒼はそっと自身の胸元を押さえる。胸騒ぎに伴う痛み。先ほどまで感じていたそれはもうない。何かがこの場に呼んだのではないかと、そんな気がしたけれど確証はない。紅色の十字架が脳裏を過ぎったような気がしたが、それさえも気のせいだったのではないかと思われるほどに先ほどまで感じていた胸騒ぎは跡形もない。
 雑踏の中に消えた結世の背の凛とした姿の残像を網膜に刻んで、蒼もまた自分の向かう先へと爪先を向ける。考えすぎだと胸の内で繰り返す。しかしそこかしこで頻発する殺人事件のニュースや蒼の妹の身に降りかかった不穏な出来事が今しがた蒼の目の前で起こった出来事を一蹴することを許さなかった。
 ふと足を止めて、結世が姿を消した先に視線を向けると、不意に生温かい血のにおいが蒼の鼻先をかすめた気がした。