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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


安らぎの香りは危険な誘い(後編)

「報告をまとめるわね」
 敏腕編集長の碇麗香は、ホワイトボードにいくつかの項目を箇条書きにすると、みそのたちの方を振り向いた。
 近頃女子中高生の間で流行しているという、過去を夢に見られる香を使って目覚めなくなってしまった少女の一件の調査に出た海原みそのたちは、それぞれの結果をすりあわせるため、一度アトラス編集部へと戻ってきていた。
 とはいえ、みそのと、別行動していたセレスティ・カーニンガム、モーリス・ラジアルとの間では、編集部に帰るまでの車の中で互いの結果の交換は済ませている。それと承知している碇も、細々したところまで念押ししたりはせず、要点の確認に留めている。
 話題はすぐに、問題の少女と、調査途中のアクシデントで少女と同じ目に遭ってしまった三下の救出方法へと移っていった。
「問題の子は生まれる前の世界に迷い込んでしまっているというわけね。考えるとややこしいけれど、自分が存在しない世界に行ってしまったから、自分が誰かもわからない、自力では戻ってこられない……ということかしら」
 何分、言葉にすればする程こんがらがってくる世界の話だ。碇の言葉も珍しく曖昧なものになる。
「ということは、迎えにいってあげなくちゃいけないんでしょうけど、うかつに踏み込めば、三下くんの二の舞になってしまうわね……。何か、良い方法はないかしら」
 鋭さを増す視線とは裏腹に、碇の口調には若干のためらいが滲んでいた。自分の部下ならまだしも、外部の協力者に危険を強いることにいくばくかの後ろめたさを感じているのだろう。
「始源の混沌だなんておもしろそうですわ」
 ある種の緊張感が漂う中、みそのはにっこりと微笑んだ。
「深淵との違いがいいお土産話になりそうですし」
 心の底から感じるときめきを隠すことなく、そう続ける。
「我々が彼女たちのいる世界へ行くには香を使えばいいとして……」
 みそのの言葉を受けるように、セレスティが口を開いた。モーリスは黙っているが、主人の意向はそのまま彼の意向となる。混沌の世界に出向くのは、3人の間では既に決定事項となっていた。
「彼女に自分を取り戻してもらうには、名前を呼ぶ必要がありそうです。それも、こちら側から親御さんに呼んでもらうのがいいでしょう」
 過去の夢に入り込んでも、母親の呼ぶ声で戻ってこられたという少女の話に触れながら、セレスティは続けた。
「親御さんとの打ち合わせも含めて準備もありますし、決行は明日にしましょうか」
 もう一人、声をかけたい人もいますし、とみそのに水を向ける。
「わたくしはいつでも構いませんわ」
 みそのは大人びた笑みでそれに答えた。

 セレスティの連絡を受けてシュライン・エマが加わり、4人となった一行は、依頼人宅へと移動した。セレスティが、調査の結果を本質を損なわない程度にぼかして少女の母親に説明をする。明らかに憔悴している母親をこれ以上追いつめないようにとの配慮だろう。
 事情の説明はセレスティに任せることにし、みそのは出されたお茶をありがたく頂いた。茶の「流れ」を読むような無粋なことはせず、ただ純粋に味わう。人の家でいただくお茶というのは本当にいいものだ。
「……ですから、その間、ずっと側で名前を呼んで差し上げて頂きたいのです。それと、我々がお嬢さんをお探しする手がかりにするために、お嬢さんの小さい頃から最近のお話を聞かせていただけないでしょうか」
「あと、お嬢さんがお腹の中にいらした時に、お母様が聞いてらした曲や音、子守唄などあればそれも教えて下さい」
 セレスティの言葉の後に、シュラインが補足を加えた。
「え、ええ……」
 なかば呆然としながら話を聞いていた母親は、いまだ戸惑い覚めやらず、といった風情ながら、その言葉に応えようとうなずいた。
「あの子は……」
 記憶をたどるように呟いて、しかし、母親の言葉はそこで途切れた。ほんのわずかの沈黙の後に、その唇が細かく震え、母親はわっと声を上げて泣き伏せた。
「こんな……、こんなに思い出せないなんて……。私は……!」
「大丈夫ですよ。気が動転していらっしゃるだけです」
 両手で頭を抱え、首を振る母親に、シュラインが優しく声をかけた。
「まだまだ間に合います。母子手帳とか、昔のアルバムとかは、ありませんか? ゆっくり思い出しましょう」
 しばらく泣きじゃくっていた母親がゆっくりと顔を上げる。涙で濡れた顔に、ほんのわずかながら泣き笑いの表情が浮かんだ。
 みそのはわずかに目を細めると、「ごちそうさまでした」と静かに呟いて、湯のみを置いた。

 翌日、みそのたちはセレスティが提供してくれたホテルの一室に集まった。セレスティ、モーリス、シュラインに加えて、問題の少女と母親、そして三下と碇。これだけの人数になると、さすがに編集部で眠るわけにはいかないというセレスティのはからいだ。
 下手な一戸建てよりも広いのではないかと思われるその部屋には、人数分の豪華なベッドが並んでいた。同室にしているのは、「向こう」で何かあったときに、「こちら」でも誰かが対処できるように、という配慮があってのことだろう。
 ちなみに、三下が戻って来れるよう呼びかけてくれるようにセレスティに頼まれた碇は、多忙な中、編集部を離れることに難色を示したが、1時間経っても起きない時には自分たちを起こして欲しい、とシュラインが頼めば、快諾してくれた。碇の中で、三下と仕事と友人の優先順位はかなりはっきりしているらしい。
 深淵の巫女であるみそのには、このような洋風で、豪華な部屋で眠る機会などめったにない。よくなじんだ雰囲気とは全く違うが、こういう経験も悪くはない。土産話をまた1つ増やそうと、みそのはじっくりと注意深く部屋を見回しながら、上着を脱いだ。今日は眠る予定ということで、「あだるとたっち」に迫るべく、シースルーのネグリジェを着て来ている。そのまま家を出ようとしたところ、どうしても上着だけは着ていってくれ、と妹に懇願されてこの出で立ちとなったのだ。
 傍らで思わず苦笑を浮かべたらしいシュラインに、みそのは「今度シュラインさまもご一緒にいかがですか?」と笑顔を向けた。この大人の女性には、さぞかし似合うことだろう。シュラインからは「考えておくわ」と大人の返事が返ってくる。
「さて、そろそろ始めましょうか」
 セレスティは、眠らずに「こちら」に残る少女の母親と碇に、これからのことを最終確認してたが、それも終わったらしい。穏やかながらも適度に張りつめた声がかかる。
「ええ、わたくしはいつでも」
「準備はできているわ」
 みそのはゆったりと返事をし、シュラインも締まった顔で頷いた。
「では」
 とモーリスが各人に小さな香炉に入った香を配る。
 みそのはそれを受け取り、火を点けて枕元へと置いた。次いで、モーリスの能力が発動し、みそのの周りに見えない檻が現れる。
 みそのは自分のベッドへと潜り込むと、そっと目を閉じた。

 薄暗く、長い廊下にみそのは立っていた。両側にはいくつもの扉が並んでいる。あれを開けたら、その向こうにいるのは御方か、それとも「家族」か。みそのはわずかに目を細めただけで、奥へと足を進めた。足下はさして硬くもないのに、足音が幾重にも渦巻くように響く。あたかも、深い深い海の底へと下って行っているかのように。
 やがて突き当たりへと行き着いた。そこには話に聞いていたとおり、黒くて重い扉が立ちはだかっている。みそのは唇の端に薄い笑みを浮かべると、その扉を押した。
 途端、ふっと先ほどの廊下も、扉も、かき消すようになくなった。あるのは深淵にも似たどこまでも深い闇。まるで水面に落ちた墨のように、みそのの意識が、記憶が、さあっと周囲に溶け広がっていく。と同時に、周りからもさまざまな感情や記憶が流れ込んでくる。
 軽いめまいと、体中を愛撫されているような、しびれにも似た恍惚と、深海の中をたゆたうような浮遊感と。
 それはちょうど、御方と夢を共にする感覚にも似ていたかもしれない。ただ違うのは、それが際限なく広まり、強まり、いつまでも続くことだろうか。
 始源の闇。混沌。生まれる前の世界。そこには何も存在せず、そして全てが存在する。ただ、名前が、つまり他との「区別」が与えられていないだけ。ここから人やものは、名付けられ、他と区別されて生まれてくる。
 だから、混沌の中にいようとも、みそのはみそのであり、存在が消えてしまうわけではない。たとえ、「海原みその」という名を与えられていなくても。
 逆に言えば、名付けて区別してしまえば良いのだ。ここには人も、ものも、全てが存在するのだから。
 幸いにも、名付けるべき2人のうち、1人は直接知っている。ほぼ間違いなく名付けられるはずだ。もう1人は直接は知らないが、名付けてしまえばそういう「もの」だったということになるはず。どちらにせよ、問題はないだろう。
 どこまでも流れ行く意識の中で、ただここに来た目的だけは他に紛れ込まむことなく、手元に残っている。
 いつもよれよれのスーツを着て、うだつの上がらない男。
 いつも上司に叱られ、みそのや周囲の人間に泣きつく、情けない男。
 そして、いつも何かしらの災難に巻き込まれる「流れ」をまとった男。
 その名は。
「……三下忠雄様」
 闇を漂いながら、みそのが――正確には溶けきらずに残ったみそのの一部が――そう名付けると、全てが混じりあった闇の中がうごめき、そこから吐き出されるように一人の男が現れた。よれよれのスーツに眼鏡、足は軽く内股。アトラス編集部の平社員、三下忠雄その人である。
「あれ? あれ? ここは?」
 三下は天敵の気配を察しておびえる小動物のように、周囲を見回した。が、不意に何かに怒鳴られたように、ぴん、と背筋を伸ばす。
「は、はい、すぐに戻りますです! 取材にも行きますです! だから、給料没収だけは、勘弁してぇ〜。お願いします、へんしゅうちょお〜」
 泣きの入った情けない声をあげると、三下はそのまま闇の中へと走り去ってしまった。

「みそのさん?」
 不意に名前を呼ばれ、その名を核にして引き寄せられるように、拡散していたみそのの意識や記憶がすぅっと凝集を始めた。みそのは再び「海原みその」という名を持つ、1人の少女としての存在に戻る。
 セレスティ、モーリス、シュライン、それに例の少女の4人が、闇の中に立っていた。その輪郭はうすぼんやりと光り、ほんのわずかながら、拡散しかけてはまた凝集するかのように、細かな光の粉がその周囲を舞っている。
 ああ、もう終わりですのね、もう少し混沌を楽しんでいてもよかったのですけれど、とみそのは少し名残惜しく微笑んだ。
「三下くんが見つからないんだけど」
 そんなみそのとは裏腹に、シュラインが焦りの混じった口調でそう告げた。
「三下様なら」
 みそのはゆったりと笑みを浮かべた。
「先に戻られました。碇様がお呼びとのことで」
「……三下くんらしい、んでしょうね……」
「ではここには長居は無用ですね。戻りましょう」
 どこか悔しげにぼそりと漏らしたモーリスの隣でセレスティがそう言い、いたわるような視線を少女に向けた。
 
 扉の隙間から漏れてくるような細い光に向かって、みそのたちは歩き始めた。進んでいるという感覚はなかったが、光は、みるみるうちに太く、強くなってくる。
 途中、みそのは奇妙な「流れ」を感じて、ふと足を止めて振り向いた。この混沌の中で、「形」をとっている存在の気配がする。混ざりきらない思いや感情の澱が集まり、何かの偶然で形になってしまったのだろう。ちょうど、宇宙を漂うチリが集まって星を形作るように。
 大樹のような気配を感じさせるその影も、やはり名付けを切望しているのだろうか。ざわざわと、葉擦れにもざわめきにも似た音がする。
 ――でも。
 みそのはほんのわずか、唇の端を持ち上げる。
 ――わたくし、あなたを存じませんもの。
 ざわり、と再びそれはざわめいた。
 みそのは、くるりと背を向けると、セレスティたちの後を追った。誰かが扉を開いたのだろう、やがて強い光がみそのの視界を真っ白に染めた。

「無事、目覚めたようね」
 碇の安堵したような声が耳に飛び込んできて、みそのはゆっくりと身体を起こした。他の調査員たちも、時を同じくして各々のベッドから起き上がる。少し向こうの方では、少女の母親が目覚めた娘を抱きしめてすすり泣いていた。
「三下くんは?」
 三下の姿がないことに気づいたモーリスの問いに、碇はこともなげに答えた。
「さっき目を覚ましたから、たまってる仕事やらせに編集部に帰したわ」
 さすが敏腕編集長、やっと帰って来たばかりの三下にも容赦はない。
 調査員たちが起き上がったことに気づいた母親がやってきて、涙ながらに何度も何度も礼の言葉を繰り返した。
 そんな光景に、みそのは満足げに笑みを浮かべ、部屋を辞した。そろそろ深淵に戻って務めを果たさなければならない。よい土産話もたくさんできたし、さぞかし御方も喜んで下さるだろう。

 数日後。アトラス編集部。
「ダメ。ボツ。書き直し。却下」
 女編集長の非情な言葉が冷徹に響く。
「そ、そんなぁ〜。徹夜した原稿がぁ〜」
 へなへなと崩れ落ちる三下。が、碇の鋭い一瞥に、慌てて立ち上がると自分のデスクに引き返そうとした。その途中。
「痛あああっ」
 どうやら自分の机の足にむこうずねを思い切りぶつけたらしい。しばしうずくまった三下は、それでも再び立ち上がり、バックアップデータを取り出すべく、自分の鞄を開けた。が。
「ああっ。鞄に穴があっ。フロッピーがっ。ああああっっっ。財布もないいっっっっ」
 絶叫する三下に、ほんの一瞬だけ編集部中の視線が集まり、すぐに散る。
「そういえば三下くん、こないだの香の件、誰が何の目的で配っていたかの追加取材はもう終わってるわよね」
 折からかかってきた電話の対応を追えた碇が、厳しい声を投げた。
「ええっと、そのう……」
 もぞもぞと身体を揺する三下に、碇のまなじりがみるみるうちに吊り上がる。
「だ、だ、だって……。また戻って来れなく……、それにどうやったら……。いえ、何でもありません、行ってきますぅ!」
 一瞬言い訳を試みたらしい三下だったが、やはり碇の迫力には勝てないらしい。脱兎のごく編集部から出て行った。
「……なぁ、三下の不幸下僕属性、何だか強くなったような気がしないか?」
 その様子を見ていた一人の編集員が、隣の同僚に耳打ちする。
「そうかも。ああ、でもどうかなぁ、前からこんなんだった気もするし……」
 その同僚も軽く首をひねった。ま、三下だしな、と最後はそこに決着をつけ、2人は再び自分の仕事へと戻った。
 
<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1388/海原・みその/女性/13歳/深淵の巫女】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2318/モーリス・ラジアル/男性/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、前編から大幅に時間を開けてしまったこと、改めてお詫び申し上げますとともに、前編から引き続きご参加下さったPC様、後編から新たにご参加下さったPC様に心からお礼を申し上げます。

皆様のおかげで、問題の少女と三下くんは無事(三下くんは「三下くん属性?」がより強化されたようですが……)戻ってくることができました。ありがとうございます。そして、おつかれさまでした。
今回、解けない謎も残ってしまいましたが、当初の目的は達成されたということで、ひとまず筆を置かせていただきます。
続編を企画するかどうかは未定……です。

今回、みそのさんのプレイングには、なるほど、こっち方向の行動もありか、と唸ってしまいました。「なにも存在していない以上、全てが存在している」、おっしゃる通りです。
今回のみそのさんはかなりマイペースな感じになったような気がします。せっかくのネグリジェ、三下くんが目覚めていたならきっといい反応をしてくれていたと思うのですが……。ちょっと残念です。

なお、今回、各PC様ごとに、おまけ程度ですが、違いがございます。お気が向かれれば、他の方の分にも目を通してみて下されば幸いです。
ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。
それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。