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<東京怪談ノベル(シングル)>


- 流星斗祈 -



 京の川原沿いに存在する『琳琅亭』と呼ばれる店。そこは老舗の料亭と有名なのだが……やがてゆっくりと日が暮れるにつれ、店の辺りには変化が現れる。
 そしてまだ陽も全て落ちぬ内、完全な闇が訪れる前に飛び交い始める蛍たち。否、それは条件の不一致さから見た目が蛍なだけであり、本当のところは別の何か…なのかもしれない。ただ、やや妖めいた存在にも見えながら美しく光る姿は、やはり見惚れるものである。
 その蛍達と同時――りんっ‥と、何処かからか響く微かな音。凛‥と、それは小さな鈴の音だった。それが合図かのよう、料亭としての店だったそこは、突如としてその趣を変える。あちらこちらから次々と吊るされ響く風鈴の音。風は然程出ていないはずだが、奏でられる音は途切れなく綺麗なものだった。
 そんな店の前に立つ一人の男。それはこの店の店主であるフェンドの姿だった。
 丁度夕日が沈みゆく河を眺めながら、店の前で大きく伸びをする。
「んんーっ、と……――客、今宵も来るだろうな」
 呟きながらずれ落ち駆けのサングラスを指で押し上げ、フェンドはふと横を見た。案の定というべきか、しかし予想よりも少しばかり早い客人の到着。そこに何時からか立っていた男性は、フェンドを見るなりその外見に一歩たじろいだ。やはり男から見てもスキンヘッドにサングラス姿が怖いという印象を与えるのだろう。第一、相手はフェンドとは逆で、優男にしか見えない。
 ただ、次の瞬間彼の緊張も少しは解けたようだった。それは、フェンドの外見に反した気さくなところにある。第一、今フェンドの前に居るのは招かれし客人。温かく迎え入れるのが店主として当たり前のことであった。
「ようこそ、琳琅亭へ。さ、中へどうぞ?」

 今宵も『螢の風鈴屋』の営業開始時刻。それは一番星の輝き始める頃――



「不思議な場所、だね」
 中へと導かれ椅子に座るなり、男は店内を見渡しそう言った。
「噂なんて所詮噂でしかないと思っていたけれど、それが真実だと……ますます何を信じればいいのか解らないものだよ」
 ため息混じりにそう呟いたのは、グレーのスーツを着たサラリーマン。歳はまだ二十代半ばと言ったところだろうか。穏やかな口調が落ち着いた大人に見せているが、髪は茶色掛かり見た目も確かに若い。しかしその姿でありながら手ぶらというのが、少し気になるところだった。
「まぁ、まずは茶でもどうぞ」
 ぶつぶつと未だ独り言のように言う男に、フェンドは横から茶を出す。サラリーマンにはコーヒーが似合いかとも思うが、彼は嬉しそうに「どうもありがとう」の一言と共、茶に口をつけた。それを横目で見ながらフェンドも椅子に座ると、茶を啜りもう一度男を見る。そして何か考え込んでいるような彼に一言。
「何かしらの噂を聞いてきたのなら、自分が今此処に居る……いや、居れる理由も解んだろ?」
「あぁ……まぁ、噂が本当ならばね」
 未だにこの場所と存在、そしてその意味を疑う男にフェンドは肩を竦めた。頭上では小さな風鈴の音。その音に天井を見上げた男は、暫し口を開けたまま、ポカンと一点を見つめている。そんな男の様子を見ながらフェンドは茶を啜るが、やがて男は宙を仰いだまま言った。
「息子が、いたんですよ。まだ小学校にも上がっていなかったね」
 そこで言葉を切りゆっくりと下ろされた視線は、不安そうにフェンドを見る。
「ん? 構わず続けろよ。俺はちゃんと聞いてるからよ」
 かけられたフェンドの言葉に、男は一息吐くと後を続けた。
「先日逝ってしまったのだけど……僕が殺してしまった挙句、最期を看取ってあげられなくてね。父親としての責任を何一つ果たせず、もうここ数日はどうしていいのか分からなくて彷徨ってたんだ。そうして此処に辿り着いていた」
「――あ、殺した?」
 彼の穏やかな口調ながら呟かれる言葉の意味にフェンドは疑問を投げかけると、男は苦笑いを浮かべ視線を逸らす。
「人の噂を信じ評判の良い、名医が居ると言う病院に息子を連れて行ったんです」
 しかし、人の噂とは所詮噂でしかなく――名医どころか簡単な病気一つも発見できぬまま。異変に気づき他へ当たった頃は既に時遅しだったという。次の医師は手を尽くすが、別れはある日突然のことだった。どうしても断ることの出来なかった出張の途中。息子は静かに逝ったと、外出先の携帯電話に医者から電話が掛かってきたという。
 そんな話を聞かされたフェンドは、これ又少し不思議そうに男に問う。
「でもよ、さっきから聞いてりゃ……奥さんはどうなんだ? 旦那にまかせっきりもどうかと俺は思うけどな。もっとも、好き好んでお前さんがやっているなら申しわけねぇが」
「ん、妻とは別れましたよ。息子が生まれて少しして――それからすぐのことだったかな、息子が生まれつきの病気持ちだと知ったのは。妻も知らなかったし、手遅れにすれば助からないものだなんて……考えてもいなかった」
 意外にもすんなりと言葉にし、男は再び天井を仰いだ。フォローを入れる前に話題も摩り替わり、フェンドはそのまま耳を傾ける。
「まぁ、僕ときたら息子を噂の名医に任せれば良いと……見舞いもたまにしか行かず。結局最期もたった独りで寂しく逝かせてしまって。悔やんでも悔やみきれなくて。息子は今もきっと哀しみ、苦しみ怨んでいただろうなと思うとね……」
 流石に耐えきれなくなったのか、徐々に俯き苦笑した彼にフェンドは声をかけた。
「さて、それはどうだろうな?」
 慰めの言葉ではない。ただ、徐に椅子から立ち上がり、戻ってきたフェンドの手の中には一つの風鈴があった。
 小さくも高い音を精一杯に奏で。

 リリンッ…‥

 フェンドの手の中で小さく鳴り響く。
「綺麗……だね」
 その音に惹かれるよう、男は俯いていた顔を上げた。目の前で揺れるはアクアマリンの下地に、星模様の描かれた風鈴。まるで海に浮かぶ星を描いたような物。
「……星、か」
「お前さんを此処へと導いた風鈴だ。お前さんのもんであり、言うならば息子さんのもんでもある」
 フェンドが言うと、男は風鈴を見ながら嬉しそうに声に出した。
「僕も息子も星が大好きでね。そうだな……何時かの見舞いの時は、退院したら五月雨星を見に行こう、とか言ったかな。あ、五月雨星ってのは丁度今頃輝く綺麗な星なんだけどね。牛飼座のα星に名づけられた固有名、アルクトゥールスの和名で他にも呼び方が――」
 熱くなって来た男にフェンドは新しい茶を出しながらも耳を傾けた。
 聞く限り生前の親子関係は然程悪かったわけではないし、男も今は哀しくとも楽しい思い出を多く持つ。

 ッ――リリンッ……

 しかし、気づけば鳴り響く鈴の音と、そこには幼児がパジャマ姿で立っていた。
「っ!?」
 一瞬何が起こったのかも分からず、男はそこに立つ幼児に手を伸ばすが、その姿は掴もうとしても叶わない。つまりのところ映像のようなものだった。宙を切った手の平をぼんやりと見つめ、男は取り乱すことなくただ一つの名を紡ぐ。恐らくそこに立つ幼児の……自分の息子の名。
 その声に映像が反応することは無い。しかし、瞑っていた目をそっと開け、幼児は語りかけてくる。
『ぱぱ‥まいにちおしごとおつかれさま。ぱぱはぼくがさびしいんじゃないかって、すごくきにしてたけど、ぼくはだいじょうぶだよ? ぱぱがいそがしいのはしってたし、おいしゃさんのことだってぱぱはわるくない』
「……っ!?」
 年齢に似合わず落ち着いた言葉と柔らかな表情だった。この時期の子供は無邪気で独りは寂しい筈だが、そんな様子は見せず何もかもを理解しているような台詞を言う。
『それにね、ぱぱとままのおもいではいっぱいだし、まいばんきれいなおほしさまといっしょだった。でもね、』
 言葉を切った幼児は、パジャマのズボンをギュッと握り締め、搾り出すように続きを言った。
『こんなこといったらぱぱはわがままだっておもうのかもしれないけどぼくは……ぱぱともういちどあのほしをみたかったよ――』
 その声と同時、男は突如椅子から立ち上がり、フェンドに背を向けると何も言わずに店を出た。
「っ……あ゛!? おい、お前さん?」
 風鈴を片手にしていたフェンドは、男が起こした予想外の行動に風鈴を持ったまま後を追う。しかし、耐え切れず店を飛び出したかと思われた男は、店を出てすぐの場所に立っていた。いつの間にか真っ暗になった夜空を見上げながら。そんな彼を取り巻くように蛍達は彷徨い。声を掛けるべきか否か。その判断に迷っていると、男はただ一言。
「――毎年、絶対一緒に見ような……今日、この日に。お前の、誕生日に」
 その胸に息子の写った小さな写真を抱き。流れ星に祈るよう、願うように声に出す。

『だけどぱぱ……ぼくのことはそんなにはきにしないで、いままでどおりおしごとがんばってね。ぱぱのがんばってるすがたが、ぼくはだいすきだよ』

 最後に響く声。笑う顔。男の言葉に幼児が応えはしなかったが、男は満足そうに微笑んだように思えた。
 星が流れ。不意に小さく何かが砕ける音に、男はフェンドの方を振り返る。
 見れば、フェンドが手にしていた風鈴が砕け散り、風に乗りその破片が空に舞っていた。
 砕け散った破片は、まるで星のようにキラキラと輝きながら、ゆっくり天へと昇りゆく。



 暫し星を眺め夜も更けてきたところで、男はフェンドを見て言った。その時の表情は初めの時とは全く違い、此処に来たこと、来られたことを心から喜んでいるようだ。
「どうもありがとう。キミのおかげで少し楽になったよ……あれが、息子が最後に想ってたこと、なんだよね?」
 特に手荷物も無かったため、男は店に戻ることも無く、そのままフェンドに深々と頭を下げ礼を告げる。
「そうだな。ただ、俺はお前さんを此処へと呼んだ風鈴を見つけ出し、話を聞いてただけだ。言うならば息子さんの想いに感謝するんだな。お前さんはすれ違い怨まれていたと思ってたようだが、案外物分りの良かった息子さんじゃねぇか……子供の癖に随分聡明というかよ?」
 言うと彼は少し恥ずかしそうに頭を掻き顔を上げ、フェンドをジッと見つめた。
「……僕がもうここのお世話になる必要は無いのだろうけど、キミに会えてよかった。きっと今日のことは忘れないよ」
「あぁ……」
 終わってみれば今日の『螢の風鈴屋』は今フェンド目の前にいる彼の為に開いたようなものであり、既に砕け散った風鈴ももう彼を呼ぶことは無い。彼がこの場所に再び来ることはないのだ。だからこそ、又世話になると言われても到底頷けはできなかったが、男の言葉はこの場所で何かきっかけを掴んだような言葉に聞こえた。
「それじゃあ、そろそろ有休もなくなるし……明日から会社にも戻らないといけないから」
「ん、まぁ頑張れよ」
 最後に深々と頭を下げ男は背を向ける。やがてその後姿が消えて見えなくなり、無事現世へと戻ったことを確認すると再び大きく伸びをした。
 此処はあの世とこの世の境の一つ。今日も迷える遺族を結果的に救い、元へと戻したファンドは店へと戻っていく。
「ん?」
 しかし店に戻ってすぐ、小さな音に足を止めた。見れば、自分の服にいくつか風鈴の破片が付いていたようで、それがパラパラと落ちてきている。床に転がった破片は一先ず置いておき、自分の服に付いた破片をじっと見た。
 黒い服に所々見える星模様の破片。まるで自分が夜空の一部にされてしまったようで。思わず笑みを浮かべながら、フェンドはゆっくり扉を閉めた。

 沈着であったあの二人のよう 静かに――…‥