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さよならの儀式
警察病院に収容されていた護り手たちのうち、最後まで入院生活を満喫したのは不動修羅である。
なんといっても左腕切断の大怪我を負ったのだ。
この他に骨折が一四カ所。打撲と擦過傷はダース単位でないと数えられない。
生きているのが不思議なほどだった。
もちろん理由がある。
彼が最後に降ろした神霊「玉藻の前」は回復術に長けており、致命傷を負っていた怪奇探偵と北の魔女を治療するのと同時に、不動の傷も癒してくれたのだ。
とはいえ、完治にはほど遠い。
控えめに表現して、かろうじて生きてる、という状態だった。
というわけで、めでたく強制入院となったのである。
「べつにめでたくねぇよ」
仏頂面で不動が言う。
草間興信所。
退院した彼がここを訪れたのは、五月も終わろうという時期だ。
護り手たちが榎本武揚を送ってから、すでに半月以上が経過している。
「まったく。ひでぇじゃねぇか」
愚痴のひとつだってこぼれてしまう。
不動だって榎本武揚を敬愛していた。他の護り手たちと同じように。
あるいは、五稜郭で散った勇士たちと同じように。
その榎本の歓送会に参加できなかったことは、少年にとって痛恨の極みだった。まだまだ話したいことはたくさんあったのに。
「仲間はずれにしやがって」
「まあまあ。ちゃんと函館の土産は買ってきてやったから」
言って菓子箱を出す草間。
函館の修道院で作られているクッキーだ。
有名な土産物なのだが、
「誠意が感じられないっ」
ずばっと斬り捨てられる。
まあ、あまりにも有名すぎて、どこだって買えるから。
生チョコレートとかだったら喜んでもらえたかもしれない。
「喜ぶかっ!」
なかなかに難儀な少年である。
「俺が悪いのかっ! そんなに俺が悪いのかっ!」
判ってくれとはいわないが、というやつだ。
「ったく‥‥俺はもう帰るからなっ」
ぷんぷんと怒って出て行ってしまう。
ちゃっかりとクッキーの箱を抱えて。
「あ‥‥」
怪奇探偵の義妹が引き留めようとするが、
「ほっとけよ。不動には不動なりのやり方ってもんがあるんだから」
苦笑した怪奇探偵の口から煙と言葉がこぼれる。
「やりかた、ですか?」
「とむらいの、な」
たゆたう紫煙。
黒い瞳が、少年の消えた扉を見つめていた。
優しげに。
墨田区に、梅若公園という公園がある。
高層マンションに囲まれた、小さく寂れた公園だ。
ここに、榎本武揚の銅像がたたずんでいる。
どうしてこの場所なのかというと、晩年の榎本がこよなく愛した隅田川が見える場所だったからだ。
だが、時代の流れとともに故人の想いは忘れ去られ、現在の梅若公園から隅田川を望むことはできない。
夜の帳。
銅像の前の地面に座る少年。
誰もいない公園。
「榎本さん‥‥」
語りかける。
だいたいの場面において不遜で横柄な不動が、ちゃんと敬称を付けて名を呼ぶのは珍しい。
それだけ評価し、尊敬していたというひとつの証明だろうか。
「本当にこれで良かったんですか? どうしてそこまでして俺たちを助けてくれたんですか?」
問えなかった言葉。
聞きたかった答え。
だが、本当は不動も判っている。
織田信長が現代社会において必要ないのと同様に、榎本武揚もまた必要ないのだ。もし榎本の軍才や識見が必要な場面があるとすれは、それは先の一件のような非常事態だけだ。そんな事態には、ならない方が良い。
日本の歴史に、もう天才は必要ないのだから。
一人の天才がその才能で思いついたことより、一〇〇人の凡才たちが試行錯誤を繰り返しながらたどり着いた答えの方が、ずっと価値がある。
榎本武揚の存在価値。それは、IO2‥‥信長の思想に対するアンチテーゼだ。
護り手たちの活躍によって信長軍団が消滅した以上、榎本が存在し続ける理由もない。
「でも、それじゃ寂しいじゃないですか‥‥」
呟き。
もっとたくさん話をしたかった。
もっとたくさんの事を学びたかった。
「あんまりにも寂しいじゃないですか‥‥なにもいわずにいってしまうなんて」
自らを消すために敵を滅ぼす。
哀しすぎる生き方だ。むろん榎本武揚は反魂者のひとりであり、すでにこの世の人ではないのだが。
「ノウマク サマンダ ヴァザラダン センダマハロシャダ ソハタヤ ウム タラタ カンマーン」
少年の口が意味不明の言葉を紡いでゆく。
真言だ。
死者を弔い、その眠りを安らかなものにするための。
周囲に現れては消えてゆく光球。
彼が死闘を演じた剣豪、英傑たちの魂。
なかには不動の身体に触れる光もある。霊感のあるものならば、少年が肩を叩かれているのを見ることができたかもしれない。
「あんた強かったな‥‥俺もあっちに行くまでに追いつきたいなぁ」
「斬られた傷、まだ痛いだぜ」
「兼定、たしかに預かったから‥‥」
夜の風に言葉が流れてゆく。
それは餞。
彼なりの。
やがて、ひときわ大きな霊体が少年の前に立ち、
「もう、あんたの時代は終わったんだ。永久に瞑れ。第六天魔王‥‥」
ゆらりと消える。
沈黙。
考え込むようにしていた少年。
現在の日本の礎は、たしかに彼らが作ってくれたのかもしれない。野心のために命を燃やし、時代そのものをリードし。
だが、
「けどな、未来は俺たちが作るんだ」
決然とした声。
たいして良い国というわけではない。官僚や政治家の不正は毎日のように報道されているし、景気だっていっこうに良くならないし、犯罪は増加傾向にあるし、不動が老人になる頃には年金だって支給されるかあやしいところだ。
あるいは信長であれば、抜本的にこの国を変えることができたかもしれない。ドラスティックな政治改革によって
しかし、それは赦されないのだ。
「未来は、俺たちが作る」
繰り返す。
たとえ時間がかかったとしても、どんなに遠い道でも。
それが今を生きる人々が背負う義務だから。
「そうだろ? 榎本さん‥‥」
見上げる黒い瞳。
銅像はなにも応えず。
ただ、たまってたたずんている。
きかぬ気の息子を見守るように。
さよならを告げるように。
ざわざわと、木立がざわめいていた。
おわり
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