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<東京怪談ノベル(シングル)>


古い指輪の物語


 アンティークショップ・レンの店内はいつもと違わずに暗い。だがその中で、ひとつの古びた指輪だけはかすかに光を発しているように見えた。
 古い、古い指輪である。くすんだ金のリングの上に、バランス的には大きすぎるほどのガーネットが載り、きらきらと光を放って自己主張している。反射の少ないスクエアカットでは、光源の少ない部屋の中ではこれほど輝くはずはないのに。
 とは言っても、蓮の店に置いてあるものだ。普通の指輪である訳がない。
 目を凝らして見ると、反射の合間に宝石の中に人影が見える。
 少女が一人、宝石の中からこちらを見上げているのだ。少女は誘うように細い手を伸ばし、無邪気に笑う。
「……あんたも物好きだねぇ」
 指輪の前で微動だにしない城ヶ崎由代を見ていた店主の口からは、呆れ声とともに細い紫煙が螺旋を巻いた。
「レディのお誘いを無下に断るのもどうかと思いまして……」
 由代は笑いながら、それでも思い切ったように手を伸ばすと指輪をつまみ上げた。ディスプレイにと敷かれているベルベットが指先に柔らかい。
「止めないが、あたしは責任取らないよ。命の保証はしない」
 今まさに指輪を嵌めようとしていた由代に、蓮の声が飛ぶ。いつになく厳しい顔の蓮に口元で穏やかに笑って見せ、由代は頷いた。
「僕も魔術師の端くれですよ」
 言うと同時に指をくすんだ金の輪の中に潜らせる。女性用のその指輪は、わずかな余裕を残して由代の小指に収まった。
 ――途端、視界が歪む。
 身体が引きずられていく。ねじれて、よじれて、まるで水のように収斂して一点に流れ込んでいく。
 やれやれ、と言う蓮のため息は聞こえたのか聞こえなかったのか。由代の意識も身体も宝石に融け、飾る相手を失った指輪はことんと軽い音を立ててベルベットに落ちた。


 視界一杯にきらきらと光が溢れ何も見えない。由代は眩しさに目を細めた。
 目が慣れるに従って視界が広がっていくと、すぐ目の前に少女が立っていた。真珠の粉でもはたいたような光沢のある肌に真っ白なローブをしどけなくまとって、くすくすと笑いながら由代の顔を覗き込んでいる。
「……やあ、お招きありがとう」
 由代がそう言うと、少女はプラチナブロンドの髪を翻して嬉しそうに由代の腕を取った。
「お客様は久しぶりだから嬉しいわ」
 こっち、と言って少女は歩いていく。半ば腕を組むようにして少女と歩きながら、由代は辺りを見回した。
 宝石の中と言うからてっきり箱のような部屋を想像していたが、存外に広い。
 いや、広いなどと言うものではない。空はどこまでも高く、回りも壁や仕切りなどどこにも見えない。ただ、繊細に光る樹木が生い茂っているだけだ。幻術か、それとも宝石を媒介に別の空間に飛ばされたのか。
 葉の輝きに魅かれて手を伸ばし、茂る枝から葉を毟ろうと触れると――指の間でぱりんと潰れた。雲母を結晶から剥がした時の感覚に似ている。指先を動かすと細かく光る破片がぱらぱらと零れた。
 ――鉱物で出来ているのか。
 随分と凝ったものだと感心する。どこからか照る光を受けてきらめく鉱物性の植物たちは、異様なほどの生命感を感じさせて逆に不自然だ。長い時間をかけて成長する鉱物は、観念的には何よりも強い生命力を持っているのかもしれない。
 軽い足取りの少女に連れて行かれた先は、瀟洒な四阿だった。周りの木々と同じく、鉱物で作られているのだろう柱も屋根も眩しいほどにきらめいている。
 座って、と促されるまま、ひやりとした感触の作り付けの椅子に腰掛ける。少女は由代の向かいに座って、少々低いテーブルに頬杖を付いて由代を眺めた。
 じっと見つめる大きな瞳に多少まごつきながら、由代は会話の切り口を探す。
「ええと……君の事を聞いても構わないかな?」
 少女は笑顔を答えに代え、由代に先を促した。
「君はどうしてこんなところに? ……その、宝石の中と言うのは暮らしやすくはないだろう?」
 由代は気兼ねして言葉を濁したが、彼女は別段気にしてはいないようだった。落ちてきた髪を耳にかけなおし、少し唇を尖らせる。
「判らないわ、気が付いたら一人きりでここにいたのよ。まだ全部探したわけじゃないけど、ここにはきっと私一人しかいないんだわ」
 少し寂しげな表情を滲ませて、少女は柱の間から空を見上げる。空は一面眠たげなミルク色に煙っている。
「だから外の人をお招きしてるんだけど、そうするとあの人が怒るのよ」
「蓮さん?」
 大きく頷いて、少女は不満をあらわにする。
 今までの持ち主は肌身離さず身に付けてくれたのに、蓮は自分を薄暗い宝石箱の中に追いやってちっとも出してくれない。自分を気に入ってくれるお客が来ても絶対に売ろうとしないし、何かと言うと怒ってばかりだ。
「あの人、私のことが嫌いなんだわ」
「はは……」
 由代は答えに詰まって曖昧に笑った。
 彼女は少しむくれていたが、少女らしく気持ちはすぐにころころ他のことに向く。
「ねえ、外のことを教えてくれない?お店の中にいると何も判らないから」
「ああ、いいよ。どんなことが知りたいんだい?」
「なんでも、よ」
 少女のリクエストに答えて、由代は色々な話をした。
 雨がちで肌寒い最近の天気。蓮の店の界隈の様子。由代自身の成功談や失敗談に、魔術の話。犬と猫と鳥と花と空の話。
 少女の世界は由代が思った以上に狭かったらしく、彼女はどの話も興奮に目を見開いて聞き入った。少女が特に興味を持ったのは季節に関する話。ここは年中天気も気候も変わらないらしく、少女にとっては季節と言う概念は不思議なものに思えるようだ。
 とりとめもない話を続けて、どれくらい立っただろう。
 ふと眩暈を感じて由代はこめかみを押さえた。そして妙に身体がだるいのに気が付く。
 ――命の保証はしない――
 そう言った蓮の言葉が脳裏に浮かんだ。
 急に黙り込んだ由代に怪訝そうな視線を向けて、少女は首を傾げる。
「どうしたの?」
 いや、と反射的に言いかけて、由代は口をつぐんだ。
 眩暈は治まらない、だるさには拍車がかかっていく。これ以上ここにいるのはさすがにまずいかもしれない。
「……残念だけど、僕はそろそろ帰らないと」
 そう口に出した途端、少女は目に見えて悲しげな表情をした。由代の手首を掴み、いやいやと首を振る。
「駄目よ、駄目。もっとお話して」
「ごめんよ、帰らなくちゃいけないんだ。でも、必ずまた来る。約束するよ」
「……嘘よ」
 上目遣いで由代を睨みつけ、少女は手首を掴む手に力を込める。
「今までそう言って、約束を守ってくれた人なんていないわ」
「僕は約束は守るよ。――そうだ、指輪を僕が買えばいいね。そうしたら君も外の様子が判るし、いつでも会えるよ」
「……駄目よ、あの人が売るはずないわ」
「僕が説得するから大丈夫だよ、信用してくれていい」
「……ホントに?」
 由代が頷くと、少女はようやく手首を握っていた手を離した。
 それと同時に、視界が再び覚えのある歪みを見せる。少女も、四阿も、鉱物の木々たちも全て歪みながら遠ざかって、視界から抜け落ちた。


 アンティークショップ・レンの店内はやはり、薄暗い。
 戻ってきた由代を見て、蓮は少しほっとした表情を浮かべる。
「遅かったね。まあ、無事でよかったよ」
「……ええ」
 気だるい頭を何度か振って、由代は手から抜け落ちた指輪を眺めた。少女の姿は見えない。どこか、木々の茂る奥に引っ込んでしまったのだろうか。ぼうっとした様子の由代を心配してか、蓮が横に立って肩を叩いた。
「大丈夫かい?」
「……ええ、平気です。それより蓮さん、この指輪は一体どういう……?」
 二、三度煙管をふかし、蓮は困ったように眉を寄せた。
「古い指輪だからねえ、中にいる娘は宝石の精ってとこだよ。自分では人間に近いものだと思ってるようだがね、実際は付喪神みたいなもんさ」
「…………」
「宝石にもともとあった魔力と、あとは人の思念が凝り固まって出来たようなものだから、普通にしてちゃ霧散しちまう。自覚はないだろうが、人間の生気を吸うことで生き延びてるのさ。あんたも相当体力消耗したろ?普通の人間じゃ持ってるだけで衰弱して死んじまうんだよ」
 由代は答えなかったが、疲れた顔色がそれを肯定していた。
「倉庫入りも可哀相だから店には出しちゃいるがね、中々売るわけには……」
「――僕が買いますよ」
 蓮は一瞬らしくないぽかんとした顔を見せ、何ともいえない顔で煙管を噛んだ。
「本気かい」
「本気ですよ」
「……あんたなら死にはしないだろうけどね。同情ならおすすめしないよ」
「まあ、同情かもしれませんがね」
 苦笑しつつ、由代は指輪を手に取った。少女がいないせいか、宝石の部分すらくすんだ色に見える。
「四季の変化くらい感じさせてあげたいなあ、と思いまして」
 首を傾げる由代に蓮は呆れたように煙を吹きかけた。お人よしだね、と独り言のように口にして、煙管を加えなおすとカウンターに向かい、
「おいで、包んでやるよ」
 と指で由代を招いた。
 宝石がきらりとひかる。恐る恐ると言った態でこちらを覗いている少女に優しい笑顔を向け、由代は指輪をそっと両手で包み込んでカウンターに向かった。