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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


父の日急行便


 藤井・蘭(ふじい らん)は大きな目をテレビ画面に向けたまま、余所見もせずにじっと動き回る画像を見ていた。蘭お気に入りのアニメ、にゃんじろーである。
「蘭、もう少し下がって見なさい」
 藤井・葛(ふじい かずら)はそう言って、テレビが面に近い蘭を諌める。蘭は「はい、なの」と返事し、しかし目線を外す事なくゆっくりと後ろに下がる。夢中になっているようだ。葛は思わず苦笑する。
 やがて、テレビ画面から「べべん!」と三味線の音が鳴り響く。番組が終わり、次回予告をするという合図の音である。
「父の面影を求めて、まだまだ旅は続く!次回、父を求めて。お楽しみに!」
 テレビ画面の声はそう締めくくり、スポンサーを紹介し始めた。そこでようやく蘭は「ほう」と息を吐いた。
「じゃあ、始めるの」
 蘭はそう言うと立ち上がり、とてとてと歩いて部屋に行き、何かを持って帰ってきた。葛がひょいと覗いて見ると、それはクレヨンとスケッチブックだった。
「絵を描くのか?」
 葛が尋ねると、蘭はにっこりと笑って大きく頷いた。
「パパさんを描くの」
「……父さんを?」
 思わず小首を傾げる葛に、蘭はにっこりと笑いながら頷く。
「パパさんの似顔絵を描くのー!」
「何で?」
「何でも、なのー!」
 蘭はそう言うと、クレヨンを選んで葛の父の顔をスケッチブックに描き始めた。12色しかない中でも、慎重に色を選んでいく。一つのパーツを描くたびに、うーんと唸りながら色を選び、また描いていく。
「何か飲む?」
 蘭の百面相を見て、葛が尋ねた。すると、蘭は曖昧に「はい、なのー」とだけ答えた。先程のアニメくらい熱中しているのだろう。
「じゃあ、ミックスジュースでも作ろうか」
 葛はそう言って、立ち上がって台所に向かった。
 冷蔵庫を開け、バナナと林檎と蜜柑の缶詰、それに牛乳と氷を取り出した。バナナと林檎は大まかに切ってから、全てをミキサーの中に入れた。スイッチを入れると、ヴヴヴ、というモーター音が鳴り響いた。
(何でいきなり、ミックスジュースを作ろうと思ったんだろう?)
 作り始めてから、葛はふと考える。最近暑い日々が続いているし、栄養のある冷たい飲み物が言いと思ったのは事実だ。だが、それだけではないような気がしてならない。
「疲れそうなときは、果物に力を分けてもらう……」
 葛はぽつりと呟く。そしてはっと気付いた。確か、その言葉を言ったのは他でもない父親ではなかっただろうか?
 同じように暑い日に、ミックスジュースを飲んでいたような気がした。ミックスジュースを元気が出る飲み物だと、そう言いながら。
(何で、いきなり父さんの事を思い出したんだ?)
 ヴヴヴ、と回りつづけるモーター音を聞きながら、葛は考える。
 蘭が突如父親の似顔絵を書くと言ったからだろうか?……いや、それだけではないような気がする。先程、ミックスジュースに違和感を覚えたように。
 何なんだろう、と考えているうちに、ふと目にカレンダーが飛び込んできた。葛は思わず「あ」と呟く。
「父の日、だ……」
 相変わらずヴヴヴと唸り続けている筈のモーター音が、一瞬聞こえなくなった。それほどまでに、葛はカレンダーに釘付けになってしまったのだ。
(そういえば、にゃんじろーも来週は父の事を放送するって言ってたっけ)
 最近のアニメは、暦まで気にするんだな……と葛は妙に感心した。と同時に、父の日という存在が妙に納得感を持っている事にも。
「だから、いきなりミックスジュースが飲みたくなったのかな?」
 ミキサーの中のミックスジュースは、大分さらさらになったようだった。そこで葛はスイッチを切り、大きなグラスを二つ出してそれぞれ注いだ。乳白色の液体が、どろりとグラスの中に入っていく。葛はそれにストローを差し、両手に持って再び蘭の元に帰った。
「蘭、ここに置くぞ」
「はい、なの」
 相変わらず蘭は真剣な眼差しでクレヨンを動かしている。そっと覗いて見ると、なかなか特徴を掴んでいる。
「上手いな」
 葛が誉めると、蘭は一瞬だけ顔を上げ、照れたように「えへへー」と笑った。そしてまたすぐに続きに取り掛かる。
(父の日か……)
 葛はグラスに注いだミックスジュースを一口飲む。とろりとした甘い液体が、口一杯に広がる。
『元気になるんだぞ』
(そうかも)
 嘗て聞いた父の言葉が、頭の中で響く。
(父の日、だもんな)
 思わず、葛はくすりと笑いをこぼした。頭の中の父が、余りにも嬉しそうに笑っていいたから。
「持ち主さん、どうしたのー?」
 ひょこ、と蘭が顔を上げて尋ねてきた。葛もそれに笑い返す。
「俺も、一緒に描こうかなって思って」
 葛が言うと、蘭はにっこりと満面の笑みをこぼす。
「描くのー!」
 蘭はそう言い、自分のスケッチブックを一枚千切り、葛に手渡した。葛は「ありがとう」と言ってそれを受け取る。意外とごわごわとした触感のある紙だ。
「一緒に使うのー」
 蘭はそう言ってクレヨンを真ん中に置いた。葛にも使えるように。葛は再び「ありがとう」と言い、そっとオレンジを手に取った。肌色と言うものが、クレヨンには無いからだ。
 すっと動かすと、クレヨン独特の匂いが鼻をくすぐった。蘭が描いている時とは違う、自分の手からのクレヨンの匂い。妙に懐かしさを覚えるから、不思議だ。
「……こう、かな?」
 葛は輪郭を取り、薄く色を塗りながら首を傾げた。時々紙から離れて見たり、遠くにしてみたりして見るのだが、なかなか思い通りにはならない。
「なかなか、難しいなぁ……」
 葛はぽつりと漏らした。
 父の顔を思い出せず、描けないというのでは無い。父の顔がしっかりと分かるからこそ、描きにくいのだ。どういう輪郭で、どういう表情をしているのかなど、小さい頃から良く知っている。
 それなのに、いざ紙に描きだそうとしたらなかなか難しかった。全てが分かっているのに、全く分かっていないかのような錯覚すら覚えるのだ。
「蘭は、もう描けたのか?」
「んー……もう少しなのー」
 そっと覗くと、既に顔の部分は完成しており、あとは胴体と周りを付け加えれば完成と言う所まで来ていた。しかも、特徴をバッチリ掴んでいて、上手い。
 勿論、画家のように上手いだとか、芸術的だとか、そういう絵ではないのだが。
 葛は小さく「よし」と呟き、再び自分の絵に取り掛かった。黒のクレヨンで目を縁取り、緑のクレヨンで目を塗る。赤のクレヨンで口を書き、そっと頬も薄く塗る。茶色のクレヨンで髪の毛を作れば、にっこりと笑う父の顔がそこにあった。
「難しいなぁ」
 葛は出来上がった自分の父親の顔を見、くすくすと笑った。はっきりといえば、父はこのような顔をしている訳ではない。しかし、このような顔はしていたと葛は思う。父はいつも笑っていたのだ。この絵のように。
「持ち主さん、できたのー?」
 既に描き終えたらしい蘭は、ミックスジュースを口にしている。葛が「もう少し」と答えて顔を上げると、蘭はにっこりと笑う。
「これ、美味しいのー」
「元気になるからな、それ」
「元気になるのー?」
 きょとんとする蘭に、葛はくすくすと笑いながら頷く。
「果物が、元気を分けてくれるんだ」
 葛の言葉に、蘭はいたく感動したようだった。「すごいのー」としきりに繰り返し、ミックスジュースをキラキラした目で見つめていた。
(父さんの受け売りだけど)
 葛は心の中で呟き、再び絵に取り掛かった。
 体を描き、エプロンをつけた。フラワーショップを営んでいるせいか、エプロン姿と言うイメージが強い。
「周りは……どうしようかな?」
 葛は一瞬蘭のを見ようかと考えたが、あえて見るのはやめた。一緒にする必要も、無理にだぶらないようにする必要もないからだ。
(やっぱ、花かな?)
 葛はそう考え、父親の周りに花を咲かせた。色とりどりの花の中で、父親がにっこりと笑っている。
 完成した絵を改めて見直すと、何となく気恥ずかしかった。
「できたのー?」
「うん」
「見せてなのー」
 蘭の出してきた手に、そっと自分の描いた絵を渡してやる。すると、蘭は「すごいのー」といってにっこりと笑い、それから「あ」と呟く。
「持ち主さん、名前がないのー」
「名前?」
「そうなのー。絵を描いたら、名前を描かないといけないのー」
 蘭はそう言って「ほら」と自分の絵を見せてきた。花や鳥、そして何故かプリンの絵の真ん中でにっこりと満面の笑みを浮かべている父親の絵の端に、確かに「ふじい らん」という名前が入っている。
「サインなのー」
「……どこで覚えてきたんだ?」
「テレビでやっていたのー」
 葛は「そうか」と答え、そっと青のクレヨンを手に取った。そして蘭の書いていたように、端のほうに「ふじい かずら」と書いた。
「これで、完璧?」
 蘭にそう言いながら見せると、蘭はにっこりと笑いながら「完璧なのー」といって大きく頷いた。葛も思わずにっこりと笑い返す。
「蘭、これを父さんに送ろうか」
「はい、なの!」
 蘭の元気な返事に「よし」といい、葛は大きめの封筒を出した。それに自宅の住所を書いていると、蘭はさらにスケッチブックを一枚千切った。
「何を描くんだ?」
「お手紙なのー」
 蘭はそう言い、クレヨンで大きく「パパさん、ありがとうなのー」と書いた。そして、書き終えると蘭は葛にクレヨンと紙を手渡した。
「はい、持ち主さんも書くのー」
「……うん」
 葛はそれを受け取り、クレヨンで「いつも有難う」と書き添えた。そして計三枚の画用紙を、封筒に入れた。綺麗に糊付けし、切手を貼った。これで準備はバッチリだ。
「パパさん、喜ぶかなー?」
 嬉しそうに封筒を見つめる蘭に、葛は「もちろん」と答える。
「もしかしたら、泣いて喜ぶかもしれないぞ」
「パパさん、泣いちゃうのー?」
「嬉しすぎてね」
 葛がそう言うと、蘭は嬉しそうにきゃっきゃっとはしゃいだ。
「蘭、膳は急げだ。早速出しに行くぞ」
「はーい、なの!」
 封筒を持って立ち上がると、蘭も勢い良く立ち上がった。葛は「よし」と答え、玄関から一緒に出かけた。
 封筒から取り出した絵を見て、父親がどのような顔をするのか楽しみにしながら。

<クレヨンの匂いがどことなく匂い・了>