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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


巻き戻し

 もしも過去へ戻れる階段があるなら、どこまで降りていくだろう。
 私立神聖都学園にはその「もしも」があった。中学校校舎の裏側にある二階建ての用具倉庫、外壁に取りつけられている金属製の回り階段を下りていくと、戻りたいと願った時間へさかのぼれるらしい。

 背中でランドセルが鳴っている。ランドセルの中で筆箱が、さらにその中で色とりどりのペンが、ぶつかりあって騒ぎ立てているのだ。だがそれよりもはやっているのは自分自身の胸で、白夜瑞貴は息が切れるのも構わず家路を駆けていた。
 これが過去の繰り返しだ、と気づいたのは学校のホームルームでだった。担任の先生がクラス全員にプリントを配り、言ったのである。
「これは、来月の遠足についての参加申込書がついています。お父さんかお母さんにサインと判子をもらってきてくださいね」
あの日、変わり果てた両親の姿を見た瑞貴は、血の海に足を浸しながらぼんやりとこう思ったものだ。
「これでもう、サインと判子がもらえない」
だから担任の言葉は、強烈な印象として残っていた。
 間違いない、今日があの日だ。家に帰ると父と母が血まみれで倒れていて、動かなくて。しばらく呆然と立ち尽したあと、不意に歩き出そうとしたら頭が強烈に痛くなって、そのまま、両親の横で意識を失った。気づいたときには病院で、若い警察官がそばについていてくれていた。
「お母さん、お母さんは」
最初に唇をついて出たのは母のことだった。警察官の青年ははっと氷つぶてをぶつけられたような表情を刻んで、それからなにも言わず瑞貴の手を強く握ってくれた。あの手の暖かさは、今も生々しく残っている。
 もしも自分がもう少し早く帰っていれば、と瑞貴は何度考えたことだろう。そして今、ついにそのチャンスが巡ってきたのだ。だから、死にそうなほど胸が辛くても走らなければならない。
 二人の死を、食い止めるために。

 最後に聞いた母の声がなんだったのか、瑞貴は思い出せない。多分いつも通りの朝、学校へ行く瑞貴へかけられた
「いってらっしゃい、気をつけてね」
だろうと思うのだけど、確信は持てない。それくらいになんでもない別れだった。今になってみると、死を予感させる人の喋りかたというのはなんとなく感じられるのだけれど、あの頃の瑞貴には知る術もなかった。
 さらに瑞貴は記憶を手繰り寄せる。普段は瑞貴より先に家を出て、夜中まで仕事をしているはずの父がなぜ、昼日中家にいたのかということを。ああ全く、数え上げればきりがないほどに矛盾の多い事件だったのだ。
 両親がなぜ心中したのか、正確な原因を挙げられる人はいなかった。幼い瑞貴は言うまでもなく瑞貴の祖父母、母の両親も困惑していた。一時は事件扱いにもされて、警察が父の会社関係の人間に話を聞いたりもしたらしいのだが、結局わからずじまい。結局数ヶ月で操作は打ち切られ、瑞貴はなにもわからないまま、ただ見ないようにと手の平で瞼をふさがれたようなものだった。
 子供のなにも知らない目で見たとは言われたくないが、瑞貴から見た両親は仲睦まじかった。仕事の忙しい父だったが、母はいつも夜遅く帰宅する父を微笑みながら待っていた。あの笑顔が作り物であったはずはない。
「それに、仲が悪かったとしても」
一番憎しみを持たれていたのはひょっとすると自分だったのではないか、と瑞貴は己を責める。
 本当に、本当に死ななければならない理由があったのだとすればなぜ自分も連れて行ってくれなかったのか。家族で自分だけが置いていかれたことが、瑞貴にとっては両親の思いやりというよりも二人が与えた苦しみに感じられてならなかった。仲間外れにされて、一生涯先立たれた二人を思わなければならないということは、どんな肉体的暴力よりも辛い罰に違いなかった。
 一時停止の標識を左へ曲がり、公園のフェンスに沿って瑞貴は走った。やがて見えてきた小さな家、瑞貴は黒々と光る鉄の門をくぐり段の低い階段を一気に飛び越える。そしてとうとう、鍵のかかっていない玄関の扉を開いた。

 二度目の光景ではあったが、瑞貴はくらりと立ちくらみがするのを抑えられなかった。家の中は玄関からすでに血塗れた状態で、並んで揃えられている父の革靴と母のサンダルには血痕が落ちていた。靴箱の脇に置かれた瑞貴のスリッパも、緑色のはずが赤く濁ってしまっている。
 瑞貴は、深呼吸をすると靴のまま家に上がった。血はすでに乾き始めているらしく、ゴム製の靴底に粘りつく。短い廊下を居間へ向かって進むと、板の上に途切れ途切れの足跡が残った。また、瑞貴の胸を新たな疑問が包んだ。
「この血は一体、誰が流したのだろう」
廊下の足跡は瑞貴のものだけ。血を避けて進むには、汚された面積が広すぎた。空でも飛ばない限り、足跡を残さず廊下を抜けることは不可能だった。
 そう思いながら目を落とすと、誰かのはいずった跡があった。歩けなかったのか、と瑞貴は理解した。この血を流した人は、父か母か、居間へたどり着く頃にはすでに歩くこともできないほど弱ってしまっていたのだ。
 瑞貴は居間へと入っていった。血液の発するむっとした匂いに吐き気がこみ上げてくる、室内の空気は澱んでいた。昼間にも関わらず蛍光灯がともっており、白い光に反射して血溜まりが光って見える。一歩踏み出そうとして、瑞貴はいきなりなにかに足先をぶつけた。
「!」
父だった。首から血を流し、すでに死亡していることは一目でわかった。しかし手を伸ばして体に触れてみるとまだ温かく、死んでからの時間はそれほど経っていないらしい。
「もっと急いだら、間に合ったのだろうか」
流れている血液の量と体温、そして身体の硬直を計って瑞貴は時間をさかのぼろうとした。だが、どんなに早くとも父が死んだのは恐らく、瑞貴が学校で担任の話を聞いている頃だった。
 父の顔を記憶に刻みつけるように見つめ、目を閉じると瑞貴は立ち上がった。視線を巡らせ、母の姿はどこにあるのかと探した。居間はそれほど広くなく、一周見回すだけで母の長いスカートと細い足が、ソファからこぼれているのを見つけられた。
 まるで眠るように、という形容が全く正しいほど安らかに母は死んでいた。もしもブラウスやスカートに血が飛び散っていなければ、眠っていると勘違いしても不思議ではなかっただろう。母は二人がけのソファに身を埋め、クッションを枕にして瞼を閉じていた。
「母さん」
無駄だと知りつつ、瑞貴は母を呼んだ。すると、どうだろうか。瑞貴の声に答えるように、母の唇がわずかながら動いたのだった。眼の錯覚ではない。なにか、言葉を綴ろうとしている。血の中に膝をつき、瑞貴は母の唇を凝視した。

「見ないで」
それが母の残した最期の、本当に最期の言葉だった。母は無残な死体となった、己の姿を恥じていたのだ。
 結婚指輪のはめられた、母の手に瑞貴は握った。白魚のような指はひどく冷たく、強張っていた。ついさっき唇が動いたはずなのに、どうして手はこんなにも冷たいのだろう。
「・・・・・・ひょっとして、記憶」
母の残した記憶を、瑞貴は見たのだろうか。
 強い想いの残る霊の姿を、瑞貴は見ることができる。この能力は両親の死が引き金となって目覚めたのだけれど、きっかけは母だったようだ。
「だって、そうだろう」
母の手は冷たい。父よりも冷たく、凍りついている。
「母さんは、父さんより先に死んだんだな」
これが瑞貴の、新たに知りえた事実であった。少なくとも母は父を殺さなかったのだと、それだけがわかっただけでも嬉しかった。
 突然、前触れもなく、頭の奥がズキリと痛みだした。柔らかな肉の部分に太い針を突き刺されるような痛みだった。過去に覚えのある痛み、これだけは二度と経験したくないと思った激しい衝撃だったが、避けられないものらしい。
 堪えきれず、瑞貴は床の上に倒れこんだ。背負っていたランドセルの蓋が開き、中から教科書やノート、筆箱がこぼれ出す。透明なプラスチック製の筆箱の中には、色とりどりの蛍光ペン。緑や青という色をぼんやりと瑞貴は見つめた。赤以外の色はそこにある、確かに見ているのに、痛む頭の中は赤い色で一杯だった。
「母さん」
死ぬときもこんなに痛いのだろうか、瑞貴は母の抜け殻に尋ねてみたかった。もし、この痛みが死に勝るのなら、いっそこのまま連れて行ってほしかった。父や母に誘われて、自分もこの血の海の中でこときれてしまいたい。そう願いながら、瑞貴は意識を失った。

 二度目の失神から覚めたとき、瑞貴は神聖都学園の芝生に倒れていた。身を起こした後、つい反射的に足の裏を見てしまったのだが、革靴の底には当然だが血液は一滴も付着してはいなかった。
「駄目だったか」
いろんな意味で瑞貴は呟いた。両親の死を食い止められなかったこともあるし、心中の理由もつきとめられなかったし、連れて行ってもらうこともできなかった。ただわかったことといえば、母が自分の前に現れないのは母の意志なのだということだけだった。
「見ないで」
と、母は言い残した。だから瑞貴は、能力で母を見ようとしないのだろう。いつか母が自分自身の言葉を翻し、自ら目の前に立ってくれるその日まで。
「・・・・・・仕方ない、仕事に戻るか」
それまで瑞貴はどれほどの想いをこの目に焼きつけていくのだろう。父と母の姿の上に、どれだけの想いを塗り重ねていくのだろう。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

5377/ 白夜瑞貴/男性/21歳/フリーライター

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
今回、プレイングの内容が短く、またプロローグ的でしたので
かなり自由度の高いノベルになったかと思います。
瑞貴さまの過去を、一体どれほど設定していいものか
緊張と不安まじりに書かせていただきました。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。