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<東京怪談・PCゲームノベル>


花は空に舞い

 風の香りが変わった。それまで歩いていた雑踏の、排気ガスや埃にまみれたそれから、いつの間にかしっとりとした花の香りに包まれていたのだ。木漏れ日も静かな桃の苑。街の中にこんな場所があると気付く人は、殆ど居ないだろう。ついさっきまで聞えていた雑踏のざわめきも車の音も聞えない。静かだった。
「ふぅ。これで終わり…か。これもつとめとは言え、面倒よのう」
 木々の向こうから聞えてきたのは、その言葉遣いには似合わぬ、少女の声だ。白い髪に真っ赤な瞳、うっすらと紅色のさした着物を着た少女は、都会の真中に現れた桃の苑と同じくらい、異質な雰囲気を持っている。少女の周りには敷き布が敷かれ、その上にはちょっと変わった品が並んでいた。

「…こん…にち…は…」
 かさり、と木陰から歩み出ると、白髪の少女、天鈴(あまね・すず)は顔を上げてにっこりと笑った。
「桜どの!よう来て下さった。迷わなんだか?」
 気遣う鈴に、緋井路桜(ひいろ・さくら)はこくりと頷く。玲一郎の結界に守られた寿天苑に続く道は、普通の人間には見出せないように出来ているらしい。通り方を教えてくれたのは、他ならぬ鈴だった。それに、木々を使って結ばれた結界は、彼らと心を通わせる桜には、とても優しかった。木々の門を潜り、辿りついたのは、どうやら天家の中庭だったらしい。正面玄関を使う事はあまりないのだと、鈴が言っていたのを思い出した。
「…これ…」
風呂敷包みにしてきた土産を差し出すと、鈴がまた嬉しそうな声を上げた。中身はオレンジのゼリーだ。
「わざわざすまなんだなぁ。かたじけない」
 礼を言う鈴の足元を見て、桜は少し、目を細めた。小さな植木鉢の中でほんのりと白く輝いて見える小さな樹。以前見たのとは随分と姿かたちを変えてはいたが、間違いない。 じっとそれを見詰める桜を見て、鈴が感心したように頷いた。
「そうじゃ。これは天逢樹よ。以前桜どのが見つけて下さった時は、大きゅう育って居ったがの。今は玲一郎の結界術で、力を十分の一まで抑えておる」
 桜は盆栽のようにちんまりとした天逢樹の傍にかがみこむと、小さな声で挨拶をした。結界に封じられてはいるが、樹は微かに気配を揺らして、答えてくれた。あの時は封じ込めた人々の想いに翻弄されて、悲しげですらあった樹は、全てを解き放ってしまったからだろうか。今はただ静かに、きらきらと輝いて見えた。じっと樹を眺めていると、ふいに背後から何かが擦り寄ってきて、桜は驚いて振り向いた。途端に白い羽根が視界を塞ぐ。
「こら、呑天!」
 ばささ、と羽根をばたつかせる白い鳥を、鈴が慌ててどけてくれた。以前、巨大な鳥に変化して桜たちを乗せてくれた鳥は、今は元の白い川鵜の姿に戻っている。
「すまぬのう。どうやら、桜どのの事を覚えていたようじゃ。許してやってくだされ」
 鈴の言葉に、桜はううん、と首を振った。許してもらいたいと思ったのは、桜の方だ。
「…怒って…ない…の?」
 鈴の腕の中でじたばたしている呑天を覗き込んで言うと、白い鳥は奇妙な声で鳴いて首をかしげ、桜の手に擦り寄ってきた。
「桜どのが気に入っているのであろ。これは雄じゃからかも知れぬが、女子には元々優しゅうてな。案じる事は無い、怒ってなぞおらぬから」
「乗せて…くれて…ありがとう…」
 こちらの伸ばされた長い首に触れて、言った。あんなに長い距離を飛んでくれて、すぐに礼を言わねばならないと思っていたのに言い損ねていたのだ。遅くなってゴメンね、と心の中で呼びかけると、呑天もじっと桜の瞳を見つめ返してきた。
「己を気遣うてくれる相手を、嫌う者はおらぬよ」
 鈴がにっこりと笑って、呑天をそっと下に降ろした。途端に桜の足元に纏わりつきだした呑天に苦笑しつつ、鈴はふと家の中に目をやる。庭に面した廊下の突き当たりには、一幅の掛け軸が揺れていた。大きな竜が描かれた、ちょっと不思議な掛け軸だ。
「莫竜もああして呼んでおる故、そこにかけては如何かな」
 鈴の薦めに、桜は素直に頷いた。天逢樹や呑天との再会も嬉しかったが、莫竜には約束もしていたからだ。桜が縁側に腰を下ろすと、呑天もくっついて足元に座った。鈴が天逢樹の鉢を持ち上げ、
「お前ももうしばらく共に居たいか」
 と、桜の隣に置いてくれた。空は少し曇り気味で、桃の花もしっとりと湿った感じがする。ゆらゆらと揺れる獏竜の掛け軸からは、微かな風が漂ってきて、肩上で揃えた桜の髪をほんの少し、なびかせた。東京中の鯉幟を攫って逃げた莫竜を掛け軸に封印しなおしたのは、ひと月以上前の事だ。樹海の木々の助けもあったのだろうか、桜は一瞬、莫竜の心を垣間見る事が出来たと思う。あの時感じた竜の寂しさや嘆きは、今も桜の心に残っている。かつての自分の姿を思い出し、集めてきた鯉幟の中でも満たされなかった寂しさ。鈴が茶を淹れに行っている間、桜は一人、莫竜と向かいあう事が出来た。
「…待た…せて…。ごめん…なさ…い」
 掛け軸から流れてくる空気は、ここ寿天苑を満たすそれよりもさらに清浄だ。僅かな風と共に流れ出てくる莫竜の心は、桜が想像していたよりも満たされているように思えた。
「莫竜の奴、喜んでいるようじゃなあ」
 盆を持った鈴が、くすっと笑って、桜の隣に腰を下ろした。並んで掛け軸を見上げる。
「何か、話してやって下さらぬか」
 と言われて、桜は小首を傾げた。話す、と言っても何を話してやれば良いのか。考えた時、脳裏に浮かんだのは祖父の家の紫陽花の色だった。
「…おじいさまの…家…。紫陽花が…咲いて…た。もうすぐ…梅雨が…くる、ね」
 雨の続くこの季節を、良く言う人はあまり居ない。だが、桜は全てを潤してくれる梅雨の雨が好きだった。ぬかるみを歩くのは少し大変だけれど、草木にも、多分人にとっても大切な季節なのだと思う。
「梅雨…か。ここには紫陽花も咲かぬが」
 鈴がぽつりと呟く。
「鈴…は…嫌い…?」
 と聞くと、彼女はいいや、と首を振った。
「季節が流れ行くのは、良い事じゃ。わしの居った仙界は、ここと同じで季節も時の流れすらも関わりのうてな、それはそれで面白きものではあるが…時には…な」
 最後は言葉を濁したものの、鈴はそれ以上こだわらずに、顔を上げた。
「桜どのは、学校と言う場所に行っておられるのでしたなあ」
 ふいに話題を変えられて、桜は少し戸惑ったが、すぐに頷いた
「日々、楽しゅうしておられるのか」
 難しい質問ではあったが、今の所学校は嫌いではない。
「勉強は…嫌いじゃ…ない…」
「そうか。桜どのは楽しゅう学んでおられるのじゃなあ。それは何よりじゃ」
 鈴が笑う。
「鈴や…みんなは…何…が…好きな…の?」
 逆に聞き返すと、すぐに呑天が鳴いてばさばさと羽ばたいて天を仰いだ。その頭を、鈴がいとおしげに撫でる。
「空を舞うのが何よりも好きじゃからのう、お前は」
「鈴…は…この子の…事…分かる…の?」
「何とはなしに、ではあるがのう」
 長く共にあれば、自然と心は通じるようになるものなのだと、鈴は言った。
「莫竜にしても、こうして毎日顔を合わせておると、僅かずつでも心が通うてくるような気がする。…ほれ、あやつは桜どのにあれを見せたがっておったのじゃ」
見ると、今はこちらを向いている竜の足元に、鈴たちの知り合いだと言う画家が描き加えた小さな竜が、跳ねるようにして居る。掛け軸と言う亜空間の中だけのものではあるが、描き加えられた竜にも、滝の周囲を彩る花々にも、命が与えられているのだと前に聞いた。莫竜は今、その小さな命を育てているようだ。莫竜は小さな竜を誇らしげに見せると、ふわりと揺れた。彼の孤独は、少しずつ癒されつつあるらしいと分かり、桜は少し安堵した。と、その時。何かが呼んだ。両手で囲うようにして持っていた鶯色の湯のみを盆に戻し、辺りを見回した桜は、ああ、と息を吐いた。桜の様子に気付いた鈴が、立ち上がって、言った。
「あれの声を、聞いてやって下さるか」
 桜は小さく頷くと、小さな池の縁を通って桃の木に近付いた。
「仙界より移植して、無事根付いてはおるが…」
 鈴がぽつりと呟く。
「元は仙界のもの。故郷を懐かしんで哀しんでおるやも知れぬ」
 桜は答えず、つと手を伸ばして幹に触れた。途端に光にも似た何かが、桜の体に、心に流れ込んで来る。花びらの向こうに見えたのは、鈴たちの住む屋敷だ。玲一郎がこちらを向いているのはきっと、手入れをしてやっているのだ。縁側に座った鈴が彼に何やら声をかけ、二人とも穏やかな様子で笑っていた。彼らを見詰める桃の視線は、とても優しい。桃たちにとって、鈴や玲一郎は我が子のような存在なのだと、桜は思った。
「とても…大切…な…」
 大切な人たち。いつも見守っている。幸せならば、自分たちも、幸せ。目まぐるしく遡り移ろっていく記憶を垣間見て、桜はゆっくりと手を離した。どうじゃ?と心配そうに見守る鈴に、ただ一言、
「大丈…夫…。皆…幸せ…だ…から…」
と言って頷いた。そうか、と微笑んで、鈴は嬉しそうに桃の木を見上げた。
「寂しゅうて泣いて居やると言われたら、どうしたものかと思うておった。良かった。桜どののお陰で、わしも一つ心配が減ったわ」
 穏やかな日差しの中、桃の花びらが待って二人の頬や髪に落ちる。花びらを髪につけた桜を見て、桃の精のようじゃ、と鈴が言った。
「鈴…は…好き…?」
 はらはらと舞い落ちる花びらの中で、桜はふと、聞いてみた。何が、とは特に言わなかったが、鈴はすぐに察して、無論、と頷いた。
「玲一郎が来て、桜どのや皆と知りおうて、ここも段々と賑やかになった。わしは皆、大好きじゃ。…永久に変わらぬ桃の苑が、疎ましゅうてならなんだ頃もあったと言うに」
 そう言った鈴の顔に、一瞬、哀しげな影が過ぎったように見えたのは、桜の思い過ごしでは無いだろう。だが、桜は何も言わず、並んで桃を見上げた。誰もがどこかに、深い悲しみを抱えている。鈴のそれを、実は先刻、桃の木からほんの少しだけ聞いてしまったが、口にはすまいと決めた。どこからか風が吹いて、薄紅の花びらがまた、天に舞った。
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1233/ 緋井路 桜(ひいろ さくら)/ 女性 / 11歳 / 学生&気まぐれ情報屋&たまに探偵かも 】

NPC 天鈴(あまね・すず)

■■ ライターより ■■
緋井路桜様
ご発注、ありがとうございました。そして、オレンジゼリーと言うお土産つきでのご来訪、鈴ともどもお礼申し上げます。ゼリーはその後帰って来た玲一郎も交えて、しっかり頂いたようです。桃の花びらの舞う中、しばらく話をしていたからでしょうか。桜さんの髪に、花びらが一枚、ついたままお持ち帰りいただいたようです。
 『花は空に舞い』、お楽しみいただけたなら光栄です。そして、またお会い出来る事を願いつつ。
むささび