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花は空に舞い
風の香りが変わった。それまで歩いていた雑踏の、排気ガスや埃にまみれたそれから、いつの間にかしっとりとした花の香りに包まれていたのだ。木漏れ日も静かな桃の苑。街の中にこんな場所があると気付く人は、殆ど居ないだろう。ついさっきまで聞えていた雑踏のざわめきも車の音も聞えない。静かだった。
「ふぅ。これで終わり…か。これもつとめとは言え、面倒よのう」
木々の向こうから聞えてきたのは、その言葉遣いには似合わぬ、少女の声だ。白い髪に真っ赤な瞳、うっすらと紅色のさした着物を着た少女は、都会の真中に現れた桃の苑と同じくらい、異質な雰囲気を持っている。少女の周りには敷き布が敷かれ、その上にはちょっと変わった品が並んでいた。
「お久しぶり〜」
のんびりとした調子で声をかけると、熱心に品を並べていた少女が顔を上げた。
「冬夜どの！」
ぱたぱたと駆け寄る少女に、玖珂冬夜（くが・とうや）はにっこりと笑ってみせた。白髪の少女、天鈴（あまね・すず）は最近出来た、ちょっと珍しい友人の一人だ。最初に知り合ったのは、彼女の弟の方ではあったが、彼女とも何度か会ううちにすっかり打ち解けたのだ。冬夜にとって彼らは、何だか安心できる、不思議な人々だった。
「よう来てくださった。結界の中で迷わなんだか？」
小首を傾げる鈴に、冬夜は実は、と打ち明けた。迷ったも迷わないも、どこまでも続く緑の回廊の中で、冬夜は何度も寝こけてしまい、苑に来るのを断念していたのだ。
「何だかさあ、気持ち良いんだもん、この結果の中って」
と言うと、鈴はそれは珍しい、と眉をあげて見せてから、冬夜どのらしいがと笑った。
「今は生憎、玲一郎は居らぬのじゃが…。ゆっくりして行けるのであろ？」
期待に瞳をきらきらさせて言われては、断る訳には行かなかった。もっとも、冬夜にしても他に用がある訳でもなく、それにここは何だかとても良い気が満ちていて居心地が良かった。に、しても。
「これ、みんなここのモノなんだ？」
冬夜が指差したのは、鈴がさっきまで熱心に運んでは並べていた品々だ。天姉弟が暮らすここ、寿天苑には、かつて彼らの先祖に当たる仙人が集めたり作ったりした不可思議な品々が収められているのだと、以前、鈴の弟、玲一郎に聞いた事があった。なるほど、小さな鉢植えにはほんのりと光を放つ変わった木が植わっているし、奇妙な卵の山に筆の山、そしてその隣には…。
「鈴さん。彼は？」
筆の山の向こう、敷布の上にでんと構え、こちらを窺うようにしているのは、少々首の長めな白い鳥だった。生き物だ。見た目はどうも、水鳥らしい。
「ああ、あれは呑天と申してな、ここにずっと住んでおる。元々雄じゃから、同性にはちときつう当たる事もあるのじゃが…」
と、鈴が言い終えるより早く、冬夜はずずい、とその白い鳥に近付いていた。彼と同じ目線で、じっと見詰め返す。しばしの間見詰め合った後、冬夜はにこおっと彼…呑天に笑いかけた。と同時に、緊張が解け、呑天がくいっと首を傾げる。初めて見る冬夜を値踏みするように左右に首を揺らして見回してから奇妙な声で一声鳴くと、すっくと立ち上がり、ばささ、と飛び上がった。着地したのは、冬夜の頭の上だ。白い鳥は意外と重く、一瞬ぐらりと揺らいだものの、冬夜は何とかバランスを取って立ち直った。途端に鈴が声を上げて笑い出す。
「鈴さーん…彼…」
「許してやってくだされ。こやつなりに親愛の情を表しておるようじゃ。ほれ、嬉しそうな顔をしておる」
「…って、見えないけどね」
少々憮然として言う冬夜に、鈴がまた笑い転げる。ひとしきり笑い終えた鈴は、ふと思いついたようにぽん、と一つ手を叩くと、
「そうじゃ。茶を淹れて来よう」
と言って何故か楽しげに屋敷の中に駆け込んで行った。
「お茶淹れるの、そんなに楽しいもんだったっけ…？」
不思議に思いつつも、冬夜は呑天を乗せたまま縁側に腰掛けた。桃の花は静かに香り、花びらを落として居る。いくつか実もついていて、清浄な気をふうわりと発していた。空の色だけは外界と変わらないが、空気はしっとりとして、ずっと気持ちが良い。
「いい所だよねぇ」
ぽつりと呟くと、頭の上の呑天が誇らしげに一声、鳴いた。梅雨に入りつつある東京の空模様は安定しておらず、雲行きもあまり良くは無い。この所、夕方にはよく雨が降った。
「あれ、雨降っても平気なのかなあ…」
それとも、この寿天苑には雨は降らないのだろうか。敷布の上に広げられたままの品々を眺めつつ、うーん、と首を傾げた所に鈴がぱたぱたと戻ってきた。
「お待たせしたのぅ」
「別に？」
ゆっくりで良いのに、と言おうとした冬夜は、戻ってきた鈴を見上げて、あ、と小さく声を上げた。
「それ、まだ持っててくれたんだ？」
「無論！」
胸を張って答えた鈴の頭の上には、ちょこんととんがり帽子が乗っかっている。以前、花見に招かれた時に冬夜が鈴にあげたものだ。着物姿とは見事にミスマッチだったが、やけに似合って彼女も気に入っている様子だったのだが。
「ここへ来て初めて貰うた贈り物じゃ。わしにとってはここの何より大切な宝ぞ」
と言って冬夜の隣に座ると、鈴は湯のみを載せた盆を二人の間に置いた。が、盆の上には何故か三つの湯のみが乗っている。
「あれ、何か多くない？もしかして、彼の分？」
頭の上の呑天を指差すと、鈴はいや、と首を振ってにんまりと笑った。
「選択肢は多い方が面白いからの。…好きな茶を選んでくだされ」
「…なるほど」
これと似たような事を、以前花見の席でやった事がある。その時は確か大福で、鈴がハズレを引いたのだ。目を白黒させつつも楽しそうに笑っていたのを、冬夜は思い出した。
「ロシアン茶って言っても、ロシアンティーじゃあ無い訳ね」
ぼそっと呟きつつ、盆の上の湯のみを一つ、取り上げる。鈴の目がきらりと光った。
「…どうじゃ？ハズレか？当たりか？」
分かっているだろうに、うきうきした表情で見上げる鈴に、冬夜はうーん、と唸ってから、言った。
「ちょっと辛すぎじゃない？コレ」
「…そ、それだけか？」
あまりにもいつもと変わらない表情と声色に、鈴がそわそわするのを見ながら、冬夜はあっさりと頷いた。
「本当に？」
「うん」
「じゃあこれならどうじゃ？」
鈴が差し出した湯のみの茶を、冬夜は一口飲んで、またうーん、と唸った。
「…甘すぎな気がする」
「じゃあこれは？」
と、もう一つ。だがそれもまた、冬夜をして鈴の期待通りの反応をさせる事は出来なかった。またも考えてから、
「すっぱ過ぎるんじゃない？」
とのほほんと返されて、鈴はがっくりと膝をついた。
「…ま…負けた…っ」
「って、鈴さん、全部に何か入れたらロシアン茶にならない気がするけど…」
「やも知れぬな…」
しまった、と難しい顔になった鈴に、冬夜はにぱっと笑ってみせる。
「でもいーよ、別に。帽子大切にしてくれてて嬉しかったし。色んな味のお茶飲めたし」
「そうか」
鈴も微笑む。
「うん」
頷くと、頭の上の呑天も小さく鳴いた。二人の会話が分かっているのだろうか。そう聞いてみると、鈴はそうじゃ、と頷いた。
「人語を話せずとも、言う事は分かっておる。こやつも力を与えられて随分経つし、わしらと暮らすようになってからも長いからのう。家族のようなものじゃ」
鈴はそう言って冬夜の頭の上を見上げると、
「これ、呑天、いい加減降りぬか」
と呼んだ。別に平気だよと冬夜が言うより早く、呑天がぴょん、と鈴の膝の上に飛び降りる。長い首を鈴の身に寄せた彼を間近でよく見ると、少々変わった姿形をしていた。白かったからアヒルかと思いきや、そうでは無さそうだ。アヒルにしては、首と胴体のバランスが違う。何だろうと思っていると、冬夜の疑問を察した鈴が教えてくれた。
「こやつは川鵜よ。真白のものは珍しいが…。変わり者と仲間に嫌われ群れにおれなくなったのを、とある仙が拾うて少々術を施した」
「術？」
「力を与えたのじゃよ。お蔭でこやつは二度と元の川鵜には戻れぬが、こうして我らと共に暮らす事が出来るようになったのじゃ。…まあ、どちらが幸せかは、知らぬ事ではあるがのう」
鈴はそう言って、呑天の首を撫でた。うっとりと目を閉じる彼は、鈴が案ずるまでもなく幸せそうに見える。
「楽しそうだよ、彼」
そっと頭に触れると、呑天がくるりと冬夜を見上げた。赤みがかった瞳がこちらを見詰め、やがて何か言いたげにばさっばさっと羽ばたいたのを見て、鈴がそれも良かろう、と立ち上がった。
「どうじゃ？冬夜どの。少々空の散歩をして見ぬかな？」
鈴が言い終わるが早いか、庭に飛び降りた呑天は巨大な鳥に変化して、冬夜を見下ろしていた。
「これが、呑天の得た力よ」
鈴が言った。それから30分程だろうか。呑天の背に乗って東京上空を飛んだ時の気分は忘れられない。彼の背に腹ばいになって見下ろした東京の街は既に灯りが灯り始めており、ベイブリッジやレインボーブリッジをはるか下に見ながら海へ抜ければ、夕暮れの海上を、フェリーや貨物船がゆうゆうと行くのがおもちゃのように見えた。呑天の翼は思ったよりずっと速く、海を越え伊豆の島々まで巡る事が出来たのには、流石の冬夜も驚いた。戻る途中、降り出していた雨に濡れたが、呑天の羽毛と鈴の術で寒さは感じなかった。
「あれが寿天苑？」
東京の、それも繁華街の真中に一つ清浄な光の苑を見つけて冬夜が言うと、鈴もそうじゃ、と頷いた。
「冬夜どのは、気を見る力をお持ち故、結界そのものが見えるのであろうな。普通は空からでも見えはせぬが」
「ふうん…」
呑天が光の苑に向けて高度を落としていく。やがて光が形を成し、桃の苑が見えたと思った瞬間、冬夜は元居た庭に立っていた。呑天の巻き起こした風のせいだろう、桃の花がばっと散り、花吹雪が巻き起こる。ついさっきまで居た空を見上げれば、黄昏時の空に薄桃の花びらが楽しげに舞い踊り、冬夜の髪や肩先に降り積もった。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【4680 ／ 玖珂 冬夜（くが・とうや） ／ 男性 ／ 17歳 ／ 学生・武道家・偶に何でも屋】
＜登場NPC＞
天 鈴（あまね・すず）
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■ ライター通信 ■
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玖珂 冬夜様
お花見ノベルに続いてのご発注、ありがとうございました。ライターのむささびです。今回は寿天苑初来訪、鈴と呑天とのほほんとしたひと時を過ごしていただきました。いかがでしたでしょうか？
呑天も打ち解けたようで、自ら冬夜さんと飛びたいと言い出したようです。最後の花吹雪のせいで、仙界の桃の花びらが、冬夜さんの髪に纏わりついたままになったようです。芳香と弱い浄化能力しかございませんが、ご来訪記念（？）にお持ち帰りいただけましたら、光栄です。それでは、またお会い出来る事を願いつつ。
むささび。
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