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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


虹の架け橋


 雨期独特のじっとりとした空気が肌にまとわりつく。陶芸家にとってこの季節はあまり歓迎できない季節だ。
 作品の乾燥に時間がかかるのはあまり嬉しいことではないからだ。
 はっきりしない空模様の中、江戸崎満(えどさき・みつる)は炭屋に寄った。
「江戸崎さん、これ、どうぞ」
 古新聞で包んだ紫陽花だったを満に渡し、
「切花なら大丈夫でしょう」
と炭屋の老婦人は微笑む。
「ありがとうございます」
 そういいながらもこの口調ではこの老婦人にもすっかりこの後の満の行く先はばれているのが分かり、少し面映さを感じながら炭屋を後にした。
 満は右手に抱えた紫陽花の花束と左手に持っている紙袋へと視線をやる。
 その中にはこれから向かう白樺療養所にいる弓槻冬子(ゆづき・ふゆこ)への手土産で持って来た紫陽花を描いた小皿を持ってきていたからだ。
 ろくろではなく手捻りで作ったその皿は少しごつごつしてそれが絶妙の味となっている。
 そこに何を描くか、絵筆を持ってしばらく考え込んでいた満は庭先にあるものに気付いて迷っていた筆を走らせ始めた。
 初夏の庭に咲く紫陽花の花。
 ピンクから青みが徐々に強くなるグラデーションを丁寧に描く。
 少し深めの小皿はちょっとした小物を置くのに邪魔にならないような大きさを意識したつもりだ。
 これならベッド脇に置いておいても大丈夫だろう――と思うと紫陽花を描く筆もより慎重になっていた。
 皿の仕上がりはおかげで満足いく物になっていた。
 だが、自分が満足いっているからといって冬子が気に入ってくれなければ意味がないのだが。
 これを渡した時の冬子の顔を想像すると満の鼓動がほんの少しだけ強く胸に響いた。


■■■■■


「今日は紫陽花づくしかな?」
 そう言って満は笑顔を浮かべる。
 早速花瓶に活けられた紫陽花の側に満のお土産の小皿が並んでいる。
「あら、弓槻さん今回の貢物はその紫陽花?」
 検温に来た者や通りかかった看護士達が次々と顔を覗かせては声をかけていく。どうやら、先日のお姫様抱っこでの駆け込みの件が相当療養所内で話題になったらしい。
「仕方ないわよね、ここはそういう娯楽が少ないから」
とは看護士の中でも古株の女性にコロコロと笑いながらそういわれてしまえば満は苦笑を浮かべるしかない。
「あぁ、紫陽花といえばここのすぐ側に今は誰も住んでいない民家があるんだけど、世話をする人もいなくなったのに毎年見事な花を咲かせている紫陽花があるのよ」
 満の手土産を見て彼女はそう言って病室を出て行った。
「ねぇ、江戸崎さん。その紫陽花見に行ってみません?」
 冬子は悪戯を思いついた幼子のような瞳で満の顔を覗きこむように提案した。
 ふと、外に目をやるといつの間にかさっきまで曇っていたのだが、今はとうとうしとしとと霧のような細かい雨が降っている。
「でも、雨が――」
 冬子の体調を慮って満はあまりいい顔をしなかった。
 満とて冬子が望むのなら行くのはやぶさかではなかったが、そう強くはないといえ雨が降っている中をと考えるとすぐに了承してよいものかと少し考え込む。
 だが、
「これくらいの雨なら傘があれば大丈夫でしょう?」
 冬子の珍しい要望に押される形で、満は首を縦に振った。


■■■■■


 看護士に民家の場所を詳しく聞いて2人は傘を差しながら並んで山道を歩いていた。
 一応舗装はされているが横幅はそう広くはないためで並ぶと傘が重なり合ってしまうようなそんな道を2人はゆっくりと歩いて行く。
「最近は随分体調もいいんですよ。江戸崎さんが来るたびに外に連れ出してくれるおかげかしら」
 初めて冬子に出逢ったときにした約束を果たすという義務ではなく、冬子や病院の看護士達にとって満が療養所へたびたび訪れてくるのが日常となったように、満にとってもそれは日常となっていた。
 思えば初めて出逢ってからまだ半年も経っていないというのに今となってはそれはもう遠い昔のことのように思える。
 そんなことを考えている間にあっという間に看護士が言っていた空き家に着いた。
「失礼します」
 誰も居ないのは判っているのだがそう一言断ってから、満と冬子は垣根の脇にあった竹製の勝手口を開いて庭に入った。
 すると、そこには確かに見事なガクアジサイに良く似た山紫陽花が綺麗な花をつけていた。
 庭の一角を埋め尽くした山紫陽花は霧雨に良く生える鮮やかな青い色をしている。
「綺麗ですね」
「えぇ」
 しばらくの間そうして、紫陽花を眺めていたのだが。冬子が突然満に問いかけた。
「紫陽花の花言葉って知っていますか?」
「そう言ったことは疎くて」
そう首を横に振る満に、
「乙女の愛、切実な愛――」
と言い、少し間を置いて冬子は、
「――移り気」
と付け加えた。
「こんなに綺麗なのに不思議ですよね」
 真っ直ぐに紫陽花を見つめる冬子の目はどこか寂しげだ。
「あら、あんな所に」
 冬子が庭の縁側の側に落ちていた人形に気が付いた。
 人形の側には小さな自転車。
 この家に住んでいた子供の忘れ物だろうか。冬子は人形の側へ行き傘を差したまましゃがみこんだ。
 真っ直ぐな黒髪の長い女の子の人形。
 その人形を拾い上げて取り出したハンカチで人形の顔や髪を拭いて縁側の側に置くと冬子は躊躇いもせずに自分が差していた傘をその人形の側に差しかけてしまった。
「あなたが濡れてしまう」
 満は慌てて自分が差していた傘の中に冬子を入れる。
「ごめんなさい。馬鹿みたいですよね。でも、なんだかあの人形があの子に似ていたから―――」
「あの子?」
 冬子から差し出された定期入れのようなケースの中を満は覗き込んだ。
 そこにはあの人形のように長い髪のきれいな幼い少女が写っている。
「この子は?」
「私の娘、なんです」
 満は顔をあげた。
 それを聞いて、ときどき冬子が見せる寂しげな様子が不思議だったのだがようやく納得がいった。
 満があまり驚いている様子がないので、冬子はどこか安堵したのかポツポツと事情を話し出した。
「こんな身体から、今は知人の所に預かってもらってるんですけど」
 1つの傘の中で寄り添っているため冬子のその小さな声が直接満の胸に届く。
「隠しているつもりじゃなかったんですけど……」
 沈んだ表情の冬子は見たくなくて、
「それくらい隠し事のうちには入りません。俺に比べれば」
と言って満は冬子に自分の正体を耳打ちした。当然なのだが、冬子はとても驚いた顔をして満を見る。
 しかし、次の瞬間には、
「とても龍神様には見えませんね」
とにこりと微笑んだ。
 その顔を見て、
「あぁ、良かった。やっぱり、冬子さんはそうして微笑んでいる方が似合ってる」
と満は告げた。冬子が満の正体を信じたのか、信じていないのかは判らないが、冬子が微笑んでくれればそれで良かった。
 気付くと、いつの間にか雨は止み晴れ間が覗いている。そして、振り向いた2人の視界の先に虹が見えた。
「そろそろ戻りましょうか?」
「はい」

 山と山に架かった虹は、2人の心に架かった心の橋のようだった。