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洗車小僧と冷凍野菜
さんさんと降り注ぐ陽光。
高い空で雲雀が遊ぶ。
良い天気だ。
ホースを握った守崎北斗が、左手で額の汗を拭った。
季節は、晩春から初夏へと移り変わろうとしている。
「あっついなぁっ」
学校五日制が導入されてからずいぶん経ち、土曜と日曜が休みなのが当然になってくると、休日の使い方に頭を悩ませてしまう。
最初の頃は、単に休みが増えることを喜んでいたものだが。
ホースから勢いよく水があふれている。
ちなみに北斗の休日の過ごし方は、愛車のFTRの洗車とメンテナンスだ。
ひとよんで洗車小僧。
「だれも呼んでねーだろうがっ!」
振り返って怒鳴る北斗。
「大丈夫。俺が広めるから」
視線の先、草間興信所が入っているオンボロビルの玄関口に座った森崎啓斗が親指を立てて見せた。
強い日差しを避けて日陰に陣取っているあたり、けっこう小憎らしい。
「ひろめんなよ‥‥」
「しかしあれだな。お前は休日ごとにFTRを磨いているな」
「おうよ。愛車だからな」
「お前のじゃないんだぞ? 念のために言っておくと」
その通りだ。
FTRは草間興信所の社用車である。この他に、大型バイクのシャドウスラッシャーと四輪のシルビア。ワゴン車のハイエースがある。
北斗も啓斗も中型免許しか持っていないため、FTRしか運転することはできない。
以前はカタナというバイクもあったのだが、いろいろあって壊してしまった。しかも、壊したなら直せばいいというレベルの可愛らしい壊し方ではない。
じっと北斗が双子の兄を見つめる。
つまり、カタナを爆弾として使用した犯人を。
「なんだよ?」
「いや‥‥いろいろと納得がいった」
「なにが?」
「なんつーか、万物の真理?」
「なにいってんだお前は」
謎の会話だ。
ちなみに啓斗が爆弾にしたのはカタナだけではない。セダン車も同様の使い方をしている。どちらもヴァンパイアロードとの戦いのときである。
普段の大人く冷静な性格からは想像できないが、この啓斗という少年はキレたら怖い。
どのくらい怖いかは、北斗が身をもって知っている。
「カタナの方はまずかったよなぁ‥‥」
内心で呟く北斗。
なにしろあの機体は、草間興信所で最大の実力者のお気に入りだった。
いまはシャドウスラッシャーかハイエースを主に使っているが、
「だからいつまでたってもFTRが俺のものにならないんだな」
勝手なことを考えてみる。
購入費用を一円でも負担したわけでもないくせに。
「なあ。こいつ(FTR)って改造しないのか?」
唐突に、啓斗が変なことを言った。
「はあ?」
「なにか武器を積むとか」
「や、ふつーに無理だって」
ぷるぷると手を振る弟。
この国では個人が兵器を持つことは禁止されている。刃物だって基本的にはダメなのだ。
啓斗の雌雄一対の剣や北斗の秘剣グラムなどは、刃を潰されているので美術品扱いなのである。
「ロケット砲を積めっていってるわけじゃないぞ?」
当たり前だ。
そんなもんが簡単に手に入るようなら、すくなくともそこは日本ではない。
「たとえば、まきびしとか」
かきかき。
アスファルトの上に小石で絵を描く啓斗。
なんだか小学生みたいだ。
「こうやって、後ろが開いて、まきびしがばらばら、と」
「‥‥‥‥」
げっそりする北斗。
公道でそんなもの使ったら大事故に繋がってしまう。
そもそも、なんのためにまきびしなどをまくというのか。
「そりゃ、尾行を振り切るためとか?」
「探偵が尾行されてどーすんだよ‥‥俺らは尾行する方だろうが‥‥」
まったくもってその通りだ。
「じゃあ、パンチが飛び出すとか?」
「そのネタはもうやったよ‥‥」
実りのない会話である。
暇なのだろう。きっと。
「俺は暇じゃないぞっ」
とは、弟の魂の叫びだ。
一生懸命に愛車を整備しているのだ。啓斗は邪魔をしているだけである。
「さて、俺は行くぞ。ここは暑いからな」
言いたいことを言って立ち上がる兄。
なかなかひどいヤツだ。
「はいはい。いけいけ」
しっしっ、と、北斗が手を振った。
だが、啓斗はすぐに去ろうとはせず、なぜか弟の方へと歩み寄る。
「なした?」
首をかしげる北斗に小さな袋を手渡し、ビルの中へと消えてゆく。
「なんなんだよ‥‥」
包みを開ける。
交通安全、と書かれたお守りが、少年の掌のなかで恥ずかしそうに鎮座していた。
「へぇ‥‥」
感心したりして。
バイクを爆弾代わりに使うような過激な兄なのに、けっこう気遣ってくれるものだ。
ぽりぽりと頬を掻く。
「まったくよぉ」
なんとなく怒ったように呟いて、水道の蛇口をひねる北斗。
古ぼけたビルを見上げる。
薄暗い階段を登って四階に辿り着くと、正面に草間興信所が見える。
両側は空室である。
もともとは会計事務所だの、なんとかいうNPO法人だのが入っていたのだが、転居してしまった。
まあ、ハンターと呼ばれる狂信者たちや、ネズミの大群が押し寄せるような場所だから、引っ越したくなる気持ちはよく判る。
「終わったのか?」
北斗が扉を開けると、煙草をくわえた男が片手を上げた。
興信所のヌシ、草間武彦である。
「まあな。ところで‥‥」
「啓斗なら」
親指で上を指す怪奇探偵。
屋上にいる、と、いうことだ。
「どうして探しているとわかったんだ?」
ふと心づいて訊ねてみる。
草間の推理力はかなりの高水準にあることを北斗は知っていた。
何度も実例をみているから。
だから、ちょっと聞いてみたくなったのである。
「さっき啓斗が上がってきた」
「知ってるよ」
「柄にも照れていた。そしてすぐにお前がきた」
「ふんふん‥‥」
「ふたつを繋げれば、すぐに判るだろう? だいたいお前だったら、こっちから訊く前に洗車が終わったって言うだろうしな」
「なるほど、な」
言われてみればその通りかもしれない。
本当に、見ていないようでよく見ている。この男は。
「いくんだろ? 飲み物でも持っていってやれ。上も暑いからな」
「わかったよ」
「あ、それからな」
「なんだ?」
「散らかすなよ? 怒られるぞ」
言って、にやりと笑う草間。
北斗もまた、悪戯小僧の笑みを浮かべた。
重い鉄製の扉。
これを開くと、守崎ツインズのお気に入りの場所だ。
屋上からは、この街がよく見える。
雑多で、汚れていて、だが活気だけはある街。
「兄貴。いんのか?」
「ああ」
給水塔の上から降りかかる声。
見上げた北斗の瞳に、人影と空が映る。
今日の青空は、やけに眩しかった。
暑い五月が、じわりと過ぎてゆく。
おわり
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