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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


紅椿 

 ふと、空いた時間ができた。さて何をしようかと思う間もなく、雨柳凪砂はほとんど無意識に出かける準備を始めていた。自称好事家雨柳凪砂、少し暇な時間ができれば古物珍品を探しに行くのが習慣となっていたらしい。
 思わず軽い苦笑を浮かべながらも、それを取りやめる理由もない。良い出物を探すなら、やっぱり曰く付きのモノを扱うあの店か。凪砂はすっかりなじみとなったアンティークショップ・レンへと向かった。
 店の前まで来た時、凪砂はその扉の前に見知った人物が立っているのに気づいた。今までに何度か不思議な事件の調査を共にしたことのあるシュライン・エマだった。シュラインは先に凪砂に気づいていたらしく、にっこりと大人びた微笑みを寄越してくれた。凪砂もそれに応えて会釈を返す。
 軽い挨拶などを交わしながら、2人してレンの扉をくぐろうとしたところで、入れ違いになるように、中から男が出てきた。そろそろ初老の域に入ろうかという年格好だが、どことなく疲れて見える。とても買い物を楽しみに来た帰りとは思えない。もっとも、レンで買い物を楽しむという凪砂のような人間は実に少数派なのだろうが。
 何となくその背中が気になって、凪砂は店の扉をくぐりながらも、男の後ろ姿を目で追っていた。
「何か調査が入ったのかしら?」
 そのシュラインの声に視線を戻せば、店主の蓮の隣には、銀髪の麗人、セレスティ・カーニンガムの姿があった。こちらも凪砂には見知った顔だ。やはり、何度か調査を共にしたことがある。
 セレスティが図星です、と言わんばかりに苦笑を浮かべているのを見る限り、どうやら先ほどの男が何か依頼を持ち込んだのだろう。
「ええ、これを先ほどの方が持っていらして」
「簪……ですか?」
 セレスティが差し出したものに興味を惹かれて、凪砂はそれを覗き込んだ。
 そこにあったのは、小さな扇形の簪(かんざし)だった。丁寧に塗られた漆の黒が艶やかな地に、白と紅の二輪の椿が鮮やかに映える。黒髪に差したなら、それは鮮やかな椿がそこに咲いているように見えることだろう。 漆の塗りからして、100年ちょっとくらい前のものだろうか。控えめながらも品の良さとそこそこの年月を感じさせる品だ。ただ、その割には椿の紅が妖艶すぎて浮いているかもしれない。とはいえ、やはり鮮やかな紅はぱっと人目を惹く。
 軽く首をひねりながら、自分の見立てもまだまだかな、と凪砂は胸の中だけで溜息をついた。
「何でも、この簪の今までの持ち主はほとんど不慮の死を遂げているそうなのですが、先ほどの方はそれをわかっていらしてこれを買われたそうです。が、知らないうちに返しに来てしまわれ、また買い戻すというのを既に5回繰り返しておられます」
 セレスティが先ほどの経緯を話し始める。凪砂はあわててそちらに注意を向けた。
「幼くして亡くなった娘さんに似合うだろうと思って買われたもので、今までは買い戻していらしたのですが、この簪がご自分の元にあるべきものでないのなら、娘さんへの未練を断ち切ると同時に手放そうと思われたそうです。ただ、それならこの簪がどういったものせめてそれだけでも知りたい。そして、しかるべき持ち主がいるのなら、その人の元に行かせてやりたい、とおっしゃっておられました」
 それでも、娘さんとこの簪への未練は大きそうですけどね、とセレスティは溜息まじりに加えた。
「あとは、この簪を返しに来てしまう晩に、この簪を差した武家の娘さんのような女性の後姿を必ず夢に見るそうです。声をかけようとすると、ほんの少しだけ振り向いてただ別れの言葉を口にしているように見えるそうですが」
 話はこれで終わりらしく、セレスティは確認するかのように、シュラインと凪砂の顔を見遣った。凪砂はそれに頷きながら、頭の中に考えを巡らせた。
 この店には持ち主を選ぶ装飾品は結構多い。時には自分にふさわしくない持ち主を殺してしまうことだって珍しくはない。けれど、先ほどの男はなぜか5回も「助かって」いる。
「簪が自分から離れていこうだなんて、ある意味気に入られてたのかしら?」
 真っ先にそう口にするあたり、シュラインも同じことが気にかかったらしい。
「それか別の存在が守っているのか……ですね」
 簪に「何か」が憑いていて、それが持ち主を死に追いやり、依頼人を守っているのが亡くなった娘……ということもあり得る。単純に事故で亡くなった人たちの執着が重なっただけのような気もするが。
 凪砂はシュラインの言葉に応えながら、自分の「中」に潜む「影」へと話しかけた。
 ――さっきの人や、この簪に、何か憑いていたりしないかしら?
 少し耳を澄ませれば、低いうなり声が返ってくる。
 ――さあな。先ほどの男には何も憑いてはおらぬよ。して、あの簪の方は……。
 くくく、と「影」はくぐもった笑みを漏らした。
 ――浅ましいな。嫉妬、羨望、憎悪。それも独りではおられぬか、寄せ集まってまだ次を呼び込もうとしておるわ。ほう、我を威嚇するか。まるごと喰ろうてやろうか。
 ――待って。今はあの簪の素性を調べなきゃ。
「影」の言い方からすると、簪については凪砂が考えたうちの後者の方が近いようだ。けれど、そこに渦巻く執着の中にも、何か手がかりがあるかもしれない。
「蓮さん、不慮の死を遂げたという今までの持ち主の具体的な死因や、この簪の仕入れ先、わかるかしら? 亡くなった方の性別に偏りとかは?」
 すっかり調査にする気になっているらしいシュラインが、蓮へと矢継ぎ早に尋ねる。それはちょうど凪砂自身が尋ねたいことでもあった。そのまま便乗することにして、耳を傾ける。
「そう一度に聞かれてもねぇ……」
 蓮は軽く苦笑してキセルをぷかりとやった。
「そいつは、ある古道具屋が持って来たのさ。ここ数年で何度か返品が重なったんだが、その理由がことごとく持ち主の死でね、だんだんその間隔が短くなってきて怖くなったんだとさ」
 ぶっきらぼうにそう告げると、再びキセルを口元に運び、紫煙を吐き出す。
「死因については……、雷に打たれた、飲酒運転の車にはねられた、といった不幸な事故、そして、殺人、といったところかねぇ……。性別は、何も言ってなかったね。多分、偏りはないだろ」
「殺人……」
 ざわり、と胸騒ぎのような感覚を覚えて、凪砂はその不穏な言葉を思わず繰り返した。
 が、蓮が知っているのはどうやらこれくらいのようだ。凪砂は自然とセレスティに視線を移していた。彼ならこの簪に関する情報を読み取れるはずだ。ちょうどシュラインも同じことを考えていたらしい。2人の視線がセレスティの上で交わった。
 言わずとも凪砂たちの意図を汲み取ったらしいセレスティは、軽く目を閉じて精神を集中させる。しばしの後に能力を解いたセレスティによると、簪には形をなくして渦巻くような憎悪、嫉妬、羨望、といった感情が黒い霧のように絡み付いており、それはどうやら今まで犠牲になった持ち主たちの怨念らしかった。
 その合間に垣間見える所有者の属性はてんでばらばら。簪というものの性質から女性が多いとはいえ、誰かを選んでいるようには見えなかった。彼らの辿った末路にしても、おそらくこの簪に絡み付く黒い怨念が、より不運な巡り合わせを呼んだ結果だと思って良いだろう。
 ただ、その中でも比較的はっきりとした光景があったという。
 1人の娘が、艶やかな黒髪に差された簪へと手を伸ばす。その顔に浮かぶのは、人のものを奪い取ってやろうという、欲望と悪意。簪そのものが欲しいというよりは、持ち主を困らせ、傷つけてやりたいというような顔だった。
 その手が椿をつかみ、引き抜いた時、簪の主がそれに気づいたらしい。取り戻そうとした主と激しいもみあいになり、娘は思い切り相手を突き飛ばす。と、相手の身体が大きく揺らぎ、その気配が消える。次いで、井戸を思わせる深い、大きな水音。
 簪を固く握りしめた娘は、その場に立ち尽くし、大きく肩で息をしていた。その顔に、自分のしたことに対する怯えと恐怖と、そして歪んだ満足の笑みが混じり合った、複雑な表情を貼り付けたままで。
 不意に、場面が変わる。
 今度は、先ほどの娘が床に伏していた。重い病に冒されているのか、その顔色は悪く、こけて、さらにはひどい怯えにこわばっている。その苦しみたるや、いかなるものだろう。一見して末期だというのがわかる。
 ――渡さない。
 ふ、とこの娘のものではない、怨念にも似た強い意志がこの場面を見ているセレスティの頭をかすめた。先ほど、簪を奪われて井戸に落とされた持ち主のものだろうか。それはじわじわと娘にとりつき、締め上げているかのようだった。
 ――この簪だけは、渡さない。だって……。

「この簪から読み取れたのはここまでですね」
 セレスティは語り終えて小さく息をついた。
「それじゃあ、それがこの『呪い』の始まり、というわけなのかしら」
 シュラインが軽く小首を傾げて呟いた。
「『渡さない』という最初の持ち主の強い思いが、奪った相手を死なせ、そこに事故死した持ち主たちの執着が重なっていった……ということでしょうか」
 凪砂も頷き、言葉を続けた。セレスティの話に、先ほどの「影」の言葉を考え合わせれば、そう結論づけるのが妥当なようだ。
「おそらく、そうだと思います」
 セレスティも小さく頷く。
「自分を殺した相手を『許さない』んじゃなくて、簪を『渡さない』なのね……。その最初の持ち主がどういう経緯でそういう感情を抱くようになったのか……、どちらにせよ、簪の出所を調べる必要はあるわね」
 シュラインのその言葉に同意を示し、凪砂は簪を手に取った。何か手がかりはないかと改めて入念に見直す。
「銘は……ありませんね。知り合いの簪職人さんや、古民具を専門に扱う骨董商さんに聞いてみれば何かわかるかもしれません」
「では私は、簪の仕入れ先に当たるのと、武家の娘さんに関しての逸話も含めて、歴史民俗学の学者さんに聞き込んでみるわ。……ちょっといいかしら」
 言ってシュラインはデジカメを取り出した。様々な角度から簪を念入りに撮影する。
「私は、とりあえず、工芸作家の作品リストを当たってみます。結構細工自体は良いもののようですし、名のある作家の初期の作品かもしれませんから。この簪が作られた時期等の手がかりがわかれば連絡をいただけますか?」
 互いの調査方法と連絡先を確認し、3人はレンを後にした。

「こんにちは」
 凪砂が声をかけると、50代半ばと思われるその男は、ただ視線をちらりと寄越しただけだった。けれど、凪砂が歓迎されていないというわけではない。作務衣に身を包み、精悍な顔立ちをしたこの簪職人は、普段はただ無口なだけだということを凪砂は知っている。
「この簪、見て欲しいんですけれど……」
 実物を取り出せば、すぐに職人は興味を示し、それを手に取った。まるでほんのわずかのものでも見落とすまいとするかのように、しげしげとその全体を眺め回す。
「おそらく、幕末から明治初期くらいのものだな。あまり上物の漆を使っていないところからすると庶民向けか。それでも、細工自体は上々だな。柄からすると未婚の若い娘さんが使うようなものなんだろうが、それにしては紅がちょっと妖艶すぎるな……」
 職人というものはえてしてそういうもんだろうか。話が簪のことになると、男は途端に饒舌になった。
「この塗り……。京仏具の塗りに似てるような気がする。まあ、仏具は蒔絵が多いんだが、これは螺鈿だし、あまり確証は持てないがな。そして、やっぱりこの紅……」
 それまで、聞いている方が記憶するのが大変なくらいの勢いでしゃべり続けていた職人は、ふとそこで考え込むように言葉を止めた。
「紅が、何か……?」
 その様子に凪砂は軽く首を傾げる。
「いや……、どうやって彩色したのか不思議でな。白のところと同じ貝を使っているように見えるんだが……。何を使って紅く染めたのか……」
 なおも首をひねる男は、この簪を預かりたいと申し出たが、さすがに今渡してしまうわけにはいなかい。凪砂は丁寧に礼を述べて、その場を辞した。
 他にも心当たりを何件か回ってみたものの、返ってくる答えはだいたい似たようなものだった。庶民向けの作品となれば、資料や記録に残っている可能性は低いかもしれない。凪砂は溜息をつきながら、セレスティに連絡をとった。

「まず、仕入れ先に聞いてみたところ、元々はどこかの豪商の倉から出て来たということになっているらしいわ。もっとも、そこに来る前の所有者も死んでいるから、確証はとれなかったのだけれど」
 とりあえずセレスティ邸に集まって互いの調査経過を報告することになった。出された紅茶の香りにほんのわずか目を細め、シュラインが口火を切る。
「ただ、時期的には幕末から明治の初期のもの……だと言われたのだけれど」
 言って、シュラインは凪砂にちらりと視線を寄越した。実物を持って聞き込んだ凪砂への確認だろう。凪砂はシュラインを見つめ返し、大きく頷く。
「その頃に、跡継ぎがいなくなって潰れた呉服屋がある、という話も聞いたわ。確証はないけれど、関連があるんじゃないかしら」
「作られた時期については、シュラインさんの言った通りです。使われている漆や貝はそれほど高級じゃないみたいなので、庶民向け、それも未婚の若い娘さんが使うようなものじゃないかと言われました。それと、京仏具の漆細工に似ていると言われたのですが……。あと……、その赤の方の椿、どうやって色をつけたのか不思議だって言われましたね……」
 シュラインの後を引き取るように、凪砂が続けた。
「では制作者が仏師だった可能性がありますね。一応、もう一度リストを当たってみましょう……」
 2人の報告に、セレスティは小さく息を吐く。シュラインもまた、軽く眉を寄せた。
 資料から制作者や所有者を当たることは厳しくなることに2人ともすぐに思い当たったのだろう。若干の望みはあるにせよ、壁に行き当たったようなものだ。自然と、場の雰囲気は重たくなってくる。まだ湯気を上げている紅茶だけが、柔らかい香りを部屋に漂わせていた。
「せめて、この簪に絡み付く、怨念だとか執着の部分は消してしまってもよろしいでしょうか」
 視線を簪に据えたままで、凪砂はおずおずと切り出した。長いことお預けを喰らっている「中の子」が、ずっとうずうずしているのだ。それに、代々の所有者たちの恨みや無念を取り込んでいる今、この簪は相手を選ばず所有者に危害を与える可能性が高い。このまま放っておくわけにもいかないだろう。
 だが、誰の答えを待つこともなく、凪砂の言葉を不穏と聞いたか、簪から黒い霧のようなものが立ち上り、凪砂へと襲いかかる。
 反射的にわずかに身を引きながら、凪砂は「中の子」を解放する。「影」は愉悦にも似た小さな笑みを残し、一息に霧を喰らい尽くして凪砂の元へと戻ってくる。
 ――まあ、多少の退屈しのぎにはなったかな。
 そううそぶき、「影」はくぐもった低い笑みを漏らす。
「この椿……」
 シュラインが息を呑んだのに気づき、凪砂も簪へと目をやった。
「両方とも、白……」
 紅白だったはずの椿の意匠が、2輪の白椿となっていた。簪職人が首をひねっていたわけだ。もともと、この椿は両方とも白だったのだから。
「亡くなった人の怨念が片方を赤く染めていたのですね……」
 あたかも犠牲者の血を吸っていたかのように。セレスティは小さく溜息をついた。
「もう一度、簪の出所を調べ直す必要がありそうですね」
 長年の恨みや憎しみから解放された簪は、まるで安堵したかのように、本来の質素で清楚な雰囲気を取り戻していた。あの妖艶ともとれる「紅」の魅惑が失われ、いくばくかの物足りなさを感じないでもないが、これでもう、持ち主に死をもたらすようなことはないだろう。

「これが『白椿』ですか」
 3人を出迎えた寺の住職は、簪を前にほほう、と溜息を漏らした。
 候補に仏師も加えて再びリストを洗い直せば、問題の簪と思われる作品に行き当たった。やはり作者は明治初期の仏師であり、自らも僧籍に入った人物だった。人物名がわかれば、そのゆかりの寺もすぐに調べはついた。
「確かに、彼が縁のある人物に頼まれて簪を作ったという話は残っています。何でも、元は名のある士族だったのが、維新で没落し、自らも病に倒れ、娘を奉公に出さざるを得なくなった。金子は大して用意できないが、その娘にせめて簪の一本でも持たせたい、と懇願されたそうです」
 住職はあたかもそこに当時の映像が映っているかのように、宙に視線を泳がせた。
 その奉公先というのが、例の呉服屋だろうか。奉公とはいっても、実際は妾だったのかもしれない。だとしたら「奉公先」の娘と折り合いが悪かったとしても腑に落ちる。
「彼は妻子を捨てて仏門に入ったそうですが……、この一件を記録に残したくらいですから、やはりよっぽど思うところがあったんでしょうね……。娘を想うその気持ちに応えたといいます」
 だから、その父親が買えるように、値の張らない、質を落とした漆を使ったのだろう。ただ、細工にだけは十分に心を込めて。
 そして、それを贈られた娘も、父の想いを十分に知っていたからこそ、あんなにこだわったのだ。その招いた結果は悲劇的なものだったけれど。
「さて、その簪なのですが、当方で引き取らせて頂いてもよろしいのでしょうか?」
 しばしの余韻の後に、住職がそう切り出した。
「あの、あたしがこういうこと言う資格はないかもしれませんが……」
 ほとんど反射的に、凪砂は口を開いていた。住職とセレスティ、シュラインの視線が凪砂に向けられる。一瞬気後れした凪砂だが、それでも胸の中に湧いてくる気持ちは止められず、静かに言葉を続けた。
「……この簪のあるべき場所はここじゃないような気がするんです」

「……そう、でしたか。何とも悲しい話ですね。父親の想いを汲もうという心が人に死をもたらすようになっただなんて」
 話を聞き終えて、依頼人の男は静かに溜息をつき、目を閉じた。
「実は、昨晩も夢を見たのです。例の娘さんが、初めて顔を見せてくれましてね……。凛とした、でもまだあどけないお嬢さんでした……。私の側にいるのが心地よかった、と。でも心ある人がちが積年の恨みから解放してくれた今、もう行くべきところに行かなければならないから、今度こそ本当にお別れします、と。……私を傷つけずに済んで、本当に良かったと……。そう言ってくれました」
 レンの店内に、しっとりとした沈黙が舞い降りる。誰もが男の語りに耳を傾けていた。
「きっとその女性は、あなたの娘さんを想う気持ちに心癒されたのでしょうね」
 シュラインが静かに答えた。
 それはきっと、紅く染まりきらなかった、椿の一輪の部分。男の想いが妄執とも呼べる狂おしいものであったとしても、簪の主の心には懐かしく届いていたのだろう。
「……ところで、あの簪は……」
 しばし俯いて押し黙った後、男はふと顔を上げた。
「あたしの知り合いの古民具屋さんに引き取ってもらいました。その……、今度こそどこかのお父さんが娘さんに愛情込めて贈れるように、と……」
 作者や最初の持ち主の縁者の元にあるよりも、たとえ何の縁もない人の元にあっても、その方がこの簪も、最初の持ち主の想いも活きる、凪砂にはそんな気がしてならなかった。
「そして、今度こそ、娘さんの成長を見守る喜びをお父様と一緒に分け合えるようにと」
 その言葉をシュラインが引き継ぎ、セレスティはゆったりと頷いた。
「……そう、ですか……。それは良い……。次は……、私のような愚を犯さぬ父親に……」
 男は再び俯き、声を詰まらせた。
「本当に、突拍子もない願いを聞いて下さってありがとうございました。皆様には感謝してもしきれません」
 立ち上がって深々と頭を下げるその姿は、とても老け込んで見えた。

「……あの方、娘さんを亡くされたことで、きっと自分を責め続けているのね」
 すっかり小さくなった後ろ姿を見送ってシュラインが呟く。
 娘への想いのよりどころを失い、精魂の枯れたような依頼人の姿を見ると、本人の望んだこととはいえこれで良かったのか、という想いがそれぞれの胸に飛来する。
「でも、娘さんを想う気持ちはきっと、本物だったんですよね……」
 凪砂は祈るような思いでそう口にした。優しかった両親の記憶が、ふ、と胸をよぎる。
「お疲れ様だったね、あんたたち。茶が入ったから飲んできな」
 重苦しくなりがちだった空気を、蓮のぶっきらぼうな口調と茶の香りがよそへと追いやった。
「まあ、本人が言い出したことだったし、しばらくは落ち込んでるだろうけど、これで良かったんだろうさ」
 誰よりも早く、自ら湯のみに手を付けて蓮は言う。
「そう……ですね」
 セレスティも頷いて、湯のみに手を伸ばした。
「うちとしちゃ、何度も同じものに金出してくれる良い客を逃しちまったけどね」
 どこかおどけたように、けれども半分くらいは本音を込めているような蓮の言葉に、ようやく3人の間に苦笑が漏れた。

<了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1847/雨柳・凪砂/女性/24歳/好事家(自称)】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ライターの沙月亜衣と申します。
この度は、『紅椿』へのご参加、まことにありがとうございます。
今回は、多少意地悪な設定になっておりましたが、おかげさまで無事簪の出所は判明、行き先も決定しました。依頼人にはやや心の整理のつかないところが残ったようですが、これも時間が解決してくれるでしょう。

雨柳凪砂さま

初めまして。この度はご発注をありがとうございます。
雨柳さまのプロフィールを拝見して、この話と大変シンパシーの合いそうな方だと思いました。
字数の関係でそこまで書き込めなかったのですが、優しい方ですし、きっと思うところはたくさんあったのだろうなぁと考えながら書かせて頂きました。

ご意見等ありましたら、遠慮なくお申し付け下さい。できるだけ真摯に受け止め、次回からの参考にさせて頂きたいと思います。

それでは、またどこかでお会いできることを祈りつつ、失礼致します。本当にありがとうございました。