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<東京怪談ノベル(シングル)>


過去を誘い、眠りを楽しむ


 俺は頬が濡れていた、という事実に小さく舌打ちした。
(俺とした事が)
 門屋・将太郎(かどや しょうたろう)のシャドウである、この俺が。何ともくだらねぇことで泣いてしまった事か。
 それが何となく悔しく思い、俺はごし、と少々乱暴に頬を拭った。
(情けねぇ)
 俺は俺自身を情けなく思い、またその情けない気持ちをさせた原因に対して怒りを覚えた。いや、怒りと言う単純な言葉では表現しきれない、どろりとした感情だ。
 俺の中に止め処なく溢れる感情は、全てが門屋に向けられているものだ。俺が門屋のシャドウだから仕方が無い、というだけではない。ただそれだけで理由は簡単には片付けられない。
 俺が抱く苦しみも、辛さも、憎しみも。どれもこれも、全てが門屋に向けられている。それはつまり、ただ一つの事実を示しているに違いなかった。
 つまりは、全てが門屋の所為なのだ。
 だからこそ、俺はこんなにも苦しみ、辛く、そして憎しみを抱くようになってしまったのだ。他ならぬ門屋の所為で、俺はこんな思いをしているのだ……!
(どれもこれも、皆、門屋の所為だ!)
 俺ははっきりと断言できる。この悪夢の根源が、門屋にあるのだと。揺るぎようの無い事実として、存在しているのだと。
(……奴が、思い通りになればよかったんだ)
 どうすればよかったのか、と尋ねられたならば、俺は間違いなくこう答えるだろう。
(奴が俺の思い通りになれば、こんな事には……!)
 それこそが、最大の失敗と言えるのだから。俺の思い通りに動いていれば、今あるこの感情も生まれてはいなかっただろう。俺がこうして気に病むことも無かっただろう。……俺が頬を濡らす事も無かった筈だ。
 全て、思い通りにならなかった、門屋の所為なのだ。
(だが……)
 俺はぐっと噛み締めていた奥歯を、やんわりと開放する。
(……だが、それでも)
 力を込めていた拳も、ゆっくりと開かれる。
 結局俺は、門屋をどれだけ憎んだとしても、憎みきれないのだ。
 確かに、この体を蝕み、どろりと渦巻いていた感情は一つの形に帰結した。門屋への憎しみ、そして溢れかえる憎悪という形に。
 門屋が簡単に手にしてきたものたちが、俺の掌から零れ落ちていったものたちが、そのどろどろした渦の中に滑り込んでいった。
 そのどれもは全て事実ではあるのだが、同時に俺は気付いてしまったのだ。
 憎悪の渦に沈んだものは、また再び浮かび上がってくる事もできるのだと。そしてそれをすくい上げる事もできるのだと。
 それをするのは、門屋じゃなく俺の方かもしれない。それはまだ、決まっても無い事なのだ。まだ、俺にもすくい上げる権利が存在しているのだ……!
(憎みきれないのは、そこにあるのかもしれねぇな)
 俺は、口の端を歪めて笑った。いささか自嘲めいた笑みだったかもしれない。
 門屋が俺に与えてくれた機会を思うと、俺はどうしても奴を憎みきれなかった。俺は奴を憎むが、同時に妬んでもいた。
 その妬みの根源となるものを放棄するというのならば、俺には奴を妬む理由が無くなる。すると、妬みと同時にあった筈の憎しみすら薄れていってしまうのだ。
(門屋……俺は、お前を憎み切れねぇ)
 それが分かってしまった、事実だ。
(それは、お前を完全に支配したいからだろうな)
 それも分かってしまった、事実だった。
 これから支配しようとする存在の事を、完全に憎みきれるとは到底思えない。憎しみだけしか持っていないのならば、こうまでも門屋に執着する事も無いのだから。
 結局、俺は門屋を支配したいからこそ、憎みもするし妬みもしたのだ。
 それが憎んでも憎みきれぬ理由であり、また俺がこうして支配を求めてしまうという現実となっている。
(……まぁ、いい)
 俺はくつくつと笑った。
 何度考えてみても、どれだけ踏み入ってみても、直面する事実には変わりは無いのだ。つまりは、俺が門屋を支配したいと言う事実だけは。
(その内、俺が門屋と入れ替わる時が来る)
 予感ではなく、確信だった。
 実際、その時のために門屋の行動を窺うのも悪くはなかった。門屋の行動はワンパターンではなく、俺が予期せぬ出来事が起こるのも少なくは無かったから。
 見物するには全く飽きない、良い見世物だ。
 そんな見世物を、しっかりと見ておくのも重要な事だ。何しろ、近い内に俺と門屋は入れ替わってしまうのだから。備えをしておいて、何が悪いと言うのだろう。
(俺はなぁ、門屋)
 俺はそっと門屋に話し掛ける。奴が聞いているかどうかは分からない。俺の存在をきちんと理解しているかどうかも分からない。
 だが、俺は分かっている。俺が奴に話し掛けているという事を、俺という存在が確かにここにいるという事を。
(俺は、お前を完全に俺のものにしたいんだよ)
 熱烈なラヴ・コールのように、俺はくつくつと笑いながら門屋に話し続ける。
(心、身体……お前の持っている全てのものを!)
 全てを手に入れた暁には、俺は門屋となる。門屋という存在全てを手に入れることが出来たならば、俺はシャドウではなく門屋そのものとなるのだ。
 もし手に入れるものが一つでも欠けてしまったならば、俺は門屋になれない。門屋となる為には、欠如するものが一つでもあってはいけないのだ。
(今度は、俺の番だ)
 今までずっと、俺は虐げられてきた。
(俺が手にする番だ)
 お前が手にし、俺の手から零れ落ちて行ったものたち。
(俺がお前の大切なもの全てを、手に入れる番だ!)
 俺は確信していた。それこそがこの23年間、ここに閉じ込めた代償となる事を。正直に言えば、それでも足りねぇくらいだと思っている。だが、俺はそれでもいいと思ってやっているんだ。
 23年間の代償を、それで補ってやってもいい、と。
 俺の孤独な23年間を、俺の辛かった23年間を、俺の苦しかった23年間を。
 俺はお前と完全に入れ替わる事で、お前が大切にしていたもの全てを手に入れる。それを虐げられた23年間の代償としてやるのだから、逆に感謝して欲しいくらいだ。
 俺は完全にお前を支配し、お前と成り代わる。俺が門屋そのものとなるのだ。
(安心しろ、門屋。お前が大事にしているもの全てを、今度は俺が大事にしてやるから)
 くつくつと、俺は笑う。沈んでいったもの全ては再び浮かんでくる。それをすくい上げるのは、この俺なのだ。
 俺は、ふぅ、と小さく息を吐く。あれこれ思い出していたせいか、多少疲れてしまったのだ。
(少し眠るとするか……)
 俺は思い、それから再び門屋に向かって話し掛ける。
(なぁ、門屋?)
 聞いていようが聞いていまいが、俺には関係のない事だ。俺は俺自身のために、こうして呟き、話し掛け続けるだけだ。
 門屋という存在は、既に俺自身といっても過言ではないのかもしれないから。
 俺が門屋となる。
 何と素晴らしい響きなのだろうか……!
(次に目覚めるのは俺とお前、どっちなんだろうな?)
 俺は眠る。それは疲労を覚えたから。
 お前も眠っている。全ての心を閉ざしているから。
 しかし、眠っている以上はいつか目覚める時が来る。それは絶対であり、逃れられないものなのだ。
(楽しみだぜ)
 俺は呟き、くつくつと笑った。
 次に目覚めるのが俺なのか、門屋なのか。今はそれが分からない。だが、俺は妙な確信があった。
 押さえ込まれた23年間と言う年月が、今のこの状況が、確信の根拠となっているのかもしれないが。
 俺はゆっくりと、目を閉じた。
 耳の奥で、始まりのような鐘の音が鳴り響くのを、確かに感じながら。

<次に目にする風景を楽しみにしつつ・了>