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<東京怪談・PCゲームノベル>


月は水にたゆとう

ほんの僅かだが、陽射しが変わった気がした。空の色も心なしか澄んで見える。車の音も通りを行く人々の声も遠くなり、それまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。風は甘い花の香りに満ちており、しっとりと湿って心地よかった。都会の真中にこんな場所がある事に気付く者は、きっと殆ど居ないだろう。
「…姉さん、また桃を勝手に…」
 木々の向こうから聞えてきたのは、青年の声だ。銀の髪に金の瞳、白いシャツのよく似合う、穏やかな顔立ちをした青年は、竹箒を手に傍らの樹を見上げて溜息を吐いていた。彼の向こうには平屋建ての大きな屋敷が見え、手前には桃の木が数本、満開に花をつけて居た。季節外れ。それ以前に、桃の花と実が同時について居るのだから、ただの木では無い事はすぐに分かる。庭の真中には小さな池があり、青年と、花の色を映して揺れていた。

「おやおや、これはまた…」
 不思議な場所を見つけたものだと、セレスティ・カーニンガムは心の中で呟いた。急な暑さの中、凌ぎやすい場所を求めて迷い込んだのが幸いしたのか、それとも。
「ごめんください。…と、言うべきなのでしょうね」
 声をかけると、青年が振り向いて、少し驚いたように目を細めたのが分かった。
「まあ、一応。貴方は?姉の知り合いの方でしょうか」
 姉、と言うのは多分、さっき彼が呟いていた『桃を勝手に』持っていたのだか何だかした人の事だろう。セレスティは、残念ながら、と首を振った。
「何時の間にやら、迷い込んでしまったようです。…失礼、私はセレスティ・カーニンガムと申します」
 まず名乗ると、青年はああ、こちらこそ、と軽く頭を下げ、
「天玲一郎(あまね・れいいちろう)と言います。珍しいですね。案内無しにここに来られる方があるとは」
 天玲一郎と名乗った青年は、そう言って微笑んだ。何らかの力を持っているようではあるが、彼から邪気は感じない。むしろ、清廉な気が溢れているように思えた。どうやら、迷い込んだのはちょっとした僥倖となりそうだ。
「案内無しに…」
 セレスティが繰り返すと、青年が頷いた。
「ここは結界に護られた異空間。寿天苑と呼ばれています」
 多分、結界の抜け方と言うものがあるのだ。レンの店に行く時と同じような感じがしたのを思い出した。面白い。それにしても、聞かぬ名だ。にわかに興味が涌いて、
「少し、休ませて貰っても良いでしょうか」
 と頼んでみると、青年は快く承知してくれた。
「どうぞ。姉も出かけてしまったようですし。大したおもてなしも出来ませんが、蔵でもご案内致しましょう」
「ありがとう」
 玲一郎について奥に進む。桃の香りと清浄な気に満ちた空間だ。桃の花がはらはらと舞い落ちる中庭を抜けて通されたのは、大きな蔵だった。そこまでセレスティの車椅子を押してくれた玲一郎が
「ちょっと、待っていて下さい」
 と言って、持ってきたのは、冷たい麦茶だった。
「今日は、暑いですから」
「ありがとう」
 暑さのせいだろうか、よく冷えた麦茶はとても美味しくて、すぐに飲み干してしまった。
「とても美味しかったですよ。ありがとう」
 青い瞳を細めて言うと、玲一郎も嬉しそうに微笑んだ。
「後で、桃でもご馳走しましょう」
 玲一郎が開けてくれた蔵の扉は、想像していたような閂では無く、少し驚いたが、中に入っているものを見て納得した。
「これは…」
 顔を上げたセレスティに、玲一郎が頷く。
「ええ。皆普通の品とは、言えませんね。ここはそう言う場所なのですよ。古今東西の不思議な品々を集めた、そんな場所です」
「古今東西…と言うには少々数が少なめでは?」
 見たところ、まだ数種の品しか無いようだ。玲一郎はええ、と困ったように頷いて、
「ずっと昔、火事がありまして。その時殆どの品は、流出してしまったそうです。それからずっと、代々の管理人は、流出した品を探し出し、再びここに納める事をつとめとしてきたのです」
 ほの暗い蔵の中に、玲一郎の声が静かに響いた。
「今は、キミが?」
「姉と。ここを作ったのは、僕らの遠い先祖に当たる人なのです。仙人としても優秀だったそうですが、ちょっと変わった方だったらしく、色々なものを発明したりもしたのだそうです。ここには彼の作ったものも幾つかある筈ですよ。…ああ、ほら、これとか」
 と、玲一郎が指し示したのは、一見何の変哲も無い筆だった。が、彼が手に取った途端、それはするすると姿を替え、ボールペンに変わった。
「弘法の筆、と言うんですが。…持った人が使い慣れた筆記具に変わるんです。僕の場合は店で使っているボールペンになってしまいました」
 玲一郎は照れたように言うと、きょろきょろと辺りを見回し、書き損じの半紙らしきものを見つけてその場に広げた。
「例えば、そう…『桃を勝手に持って行った者は誰か』」
 唱えるように言いながら、さらさらとボールペンを走らせると、『鈴』と言う文字が書けた。なんとも流麗な筆跡だ。
「なるほど。知りたい事を答えてくれるのですね、この筆は」
「限界はありますけどね。未来や人の気持ち、不安定なものに関しては答えません。でも、それ以外ならば大抵の事は答えます」
 玲一郎が頷く。
「別に声に出さずとも、心に念じれば良いのです。試験問題や何かなら、ほぼ十割正解してくれますよ。元々は、息子を科挙に受からせたい親からの依頼で作ったらしいのですが…あまりに達筆で答えてくれるので、替え玉受験と言われて失格になったそうです」
 それが果たして仙人のすべき事なのかどうかはさておき、少々興味を引かれたセレスティは、自分も筆に手を伸ばした。触れた途端、筆がその姿を変える。
「いつもは、万年筆をお使いなのですね」
 玲一郎が言った。
「ほう、意外と手に馴染むものですね」
 と言うと、玲一郎が半紙を渡してくれた。
「半紙では、少々書きにくいかも知れませんが」
「ありがとう。さて、何を書いてみるか」 
持っていた本を台にして、ふうむと考え込んだところで、思い出した。少々気になっていた事があったのだ。
「念じれば、良いのでしたね」
「はい」
 セレスティは目を閉じると、心の中で繰り返し念じた。この間会った少女と、彼が可愛がっている青年のその後を…。手の中に、不思議な感触があった。弘法の筆が答えようとしている。すらすらとペンが走った。
「どうでしたか?」
 と玲一郎に聞かれて、セレスティは黙って半紙を差し出した。
「…ペンパル…?文通相手の事ですよね、確か。これで正解なんでしょうか」
 首を捻る玲一郎に、セレスティは多分、と頷いた。
「…まあ、大雑把な答えではありますが、私の問いに対する答えとしては、正しいものでしょう。それにしても…」
 文通、とは…。
「どう言う訳かは知りませんが…彼らしいと言えば彼らしい」
堪えきれずにくすくすと笑いだしたセレスティに、玲一郎が不思議そうな顔をしている。
「いや、失礼。少々面白い答えでしてね、私には」
 セレスティの言葉に、なるほど、と玲一郎が頷いた。セレスティが何を聞いたのかを、聞く気は無いようだ。弘法の筆は差し上げる、と言う彼の厚意を受ける事にして懐に仕舞った。ちょっとした悪戯にでも使えそうだ。まだ他にも所蔵品はあるようだったが、二人は蔵を出て母屋に向かった。玲一郎が桃を振舞ってくれると言ったからだ。
「ここに座っていて下さいね」
 セレスティを縁側に座らせると、玲一郎は家の中に消えた。梅雨の晴れ間だと天気予報で聞いた通り、見上げた空は明るい。雲ひとつ無い、とは行かないものの、雨は期待できないようだ。桃の花びらが数枚、ひらひらと舞い落ちて、玲一郎が掃き清めたばかりの地面に桃色の模様を描く。庭の真中にある小さな池の水面にも花びらは落ちており、その向こうに空が見えた。
「おや」
 水面が揺れた。風ではない。動くモノが、水を揺らしたのだ。顔を上げたセレスティは、愛らしい闖入者を見つけて思わず微笑んだ。川鵜だ。真白な種は、少なくとも日本には居ない筈だった。
「珍しいですね。キミも、ここの住人かな」
 興味をそそられて、おいで、と手を伸ばしたその時、背後で引きつった声がした。
「…ど、呑天っ…!!」
 振り向くと、玲一郎が盆を抱きしめるように抱えて、顔を強張らせている。
「呑天…と、言うのですか、彼は」
「…ええ…まあ…」
 と言った玲一郎の目は、窺うように白い川鵜に向けられている。
「姉が居ない時は、あまり庭にも出てこないんですけど…」
「綺麗ですね、白い川鵜なんて初めて見ました。馴れているのかな」
「…姉には」
 どうやらこの川鵜、呑天は、玲一郎には全く懐いていないらしい。力関係も逆転しているようだと、セレスティは見て取った。明らかに怯えている玲一郎に対して、呑天はふん、と胸を張るように睨みつけたまま、少しも引いていない。変な力関係だと思った。確かに、水鳥だって噛み付かれればそれなりに痛いだろう。だが、それでも玲一郎の方が川鵜よりもずっと大きいのだ。何を恐れる事があるのか。セレスティが首を傾げたその時だった。わっと声を上げた玲一郎の姿が、一瞬にして目の前から消えたのだ。
「…玲一郎…さん?」
 さすがに驚いて辺りを見回したセレスティは、さっきまで白い川鵜がちんまりと座っていたその場所に、長い首をした巨鳥が出現しているのに気付いた。
「呑天くん…?」
 そうさ、といわんばかりにこちらを見下ろした巨鳥の首が、奇妙に膨らんでいるのに気付いたセレスティは、その瞬間全てを悟った。玲一郎は居ない。鳥は大きくなっている。喉には何かが詰まっているらしい。セレスティは多分呑天と思われる巨鳥を見上げて、言った。
「悪いけど、返してもらえないかな。彼が居ないと困るんですよ。帰り方も、聞かなきゃなりませんし」
 じろり、と呑天が睨む。巨大化して睨まれるとそこそこに迫力があったが、セレスティは引かずにもう一度、頼みますよと微笑んで見せる。しばらくの沈黙の後、呑天はぶるぶるっと身体をふるわすと、横を向いて何かを吐き出した。どさ、と玲一郎が落ちて来る。
「…やれやれ」
 酷い目にあった、と立ち上がった玲一郎に少し安堵はしたものの、念の為
「大丈夫ですか?」
 と聞いてみると、玲一郎は決まり悪そうに頷いた。
「別に、かじられる訳じゃあ、ありませんし。姉は、一種の愛情表現だと言うんですけど」
「…いつもこんな事を?」
「まあ…そうです。今日はセレスティさんがいらしたから、すぐに出て来られましたけど」
 答えた玲一郎の表情は、心なしかげっそりしているようだ。彼が呑天を恐れる理由が何となくわかった。ふう、と息を吐いて隣に座った玲一郎が、あ、と小さく声を上げる。
「どうしましたか?」
「すみません。桃、呑天に取られてしまったようです」
 飲み込まれた時、落としてしまったのだろう。セレスティは笑って、
「構いませんよ。また次の機会に」
 と言い、そうですね、と玲一郎が微笑んだ。再び庭に目をやると、呑天は既に元の大きさに戻っていて、水辺でのんびりと羽の手入れをしていた。池の水面にはいつの間にか沢山の桃の花びらが落ちており、ふっくらとした白い月が、薄紅の雲間から顔を出そうとしていた。もうすぐ、陽が落ちる。

<月は水にたゆとう 終わり>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


登場NPC 天玲一郎(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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セレスティ・カーニンガム様
発注ありがとうございました。ライターのむささびです。寿天苑は初のご来訪になりますね。今回は、玲一郎と静かなひと時をお過ごしいただきました。お楽しみいただけましたでしょうか。『弘法の筆』をお土産としてお持ち帰り頂いたのですが、もう1つ、『桃の花びら』が、氏の髪に絡まったままになっていたようです。寿天苑来訪記念として、お持ちいただければ幸いです。玲一郎の事は主とも人とも思っていないような呑天ですが、セレスティ氏には一目置いたようです。今回は救出(?)ありがとうございました。
 それでは、再びお目にかかれる事を願いつつ。

むささび