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<東京怪談ノベル(シングル)>


墓前

 目に映るは、白。

「………」
 ――ざあ…っ、と、風が少女の頬を撫でていく。
 無言で、何が刻んであるかももう明確ではない塚の前に佇む1人の少女。
 その足元には、誰が置いたか分からない白い花が数本添えられている。折り口を見ればま新しく、今にも露が滲み出て来るような瑞々しさを見せ、
「……」
 毎日欠かしたことの無い墓前参りで見つけた不審な供物に、どう対処して良いのか分からないと言う様子の少女――水上操が、時が過ぎるのも構わず立ち尽くしていた。
 この塚が何のために置かれているのかなど、身内のごく限られた人間しか知る者は無い。まして、花を供えようなどと思う人間は、操にとって特に親しくしてもらっている者だけで、それなら黙って花を供えるだけで立ち去る訳は無い。
 どんなに忙しくとも、操の顔を見てから帰るだろうと思う――だからこそ、ものも言わず、花だけをこの塚…母の墓の前に置いて行った人物が分からないのだ。
 ――ふう、と溜息を付いた操が、考えていても仕方ないと花を気に留めないようにして、塚へ意識を向けた。膝を折り、『母』と目線を合わせる。
 彼女にとってはほとんど記憶の無い母と、僅かな時間ながら『会える』貴重な時。
 それを、他の事で心を煩わせたく無かったからだった。

*****

 幼い時から、どうして周りの自分を見る目が違うのか、不思議に思わない時は無かった。母とも年の離れた姉とも思いながら慕った1人の女性と、その女性に対するごく僅かな取り巻きに庇護されながら成長して行った操だったが、いくら彼女たちが隠そうとしたところで『白神』のほとんどの者から忌まわしい者と蔑まれた悪意そのものから守りきれる筈も無く。
『――あれは忌み子だ』
『長の慈悲が無ければとうの昔に処分されていたものを、まあぬくぬくと』
 ひそひそと囁かれる声は、ある時は遠く、ある時は近く、その意味するところさえ分からない幼子の心に染み込んで行く。
 …長の袖の中に匿われていなかったら、恐らく今頃こうしてここにはいなかっただろう。それは、一族から何度も上申されていた忌み子の抹殺について拒否し続けてくれた事だけでなく、本心から操を愛しいと思い、友人だった母を偲んでくれたからこそ、度重なる悪意の中でも芯を失う事無くここまで来れたのだろうと思うからだ。
 ――ただ、それでも。
 口さがない者達に真実を知らされるよりは、長の口からきちんと事実を伝えて欲しかった、と――今は、そう思う。
 彼女の口から流れるのは、在りし日の思い出と、もはや伝説にも等しい母の輝かしい功績の数々。そればかりは誰1人否定する者はいないため、今も尚母を、母の持つ力を尊敬する者も多い。
 それは操にとって、とても誇らしい事。…誇れる、数少ないもののひとつである。
 物心付いた時には既に母と言うものがいなかったため。
 思い出話や、母の身の回りの品でしか、偲ぶものがなかったため。
 操の中での『母』というものは、そうした後付けの記憶の中にしか存在していなかったからだ。

 だが、その反面。
 『父』のことについては、彼女らは口を噤んだまま、決して何も言おうとはしなかった。
 まるで、母ひとりが操に生を与えたかのように、その存在すら否定するかのように――。
 だから。
 操の中に、『父』という存在は無い。
 あるのはただ、自分が忌み子と呼ばれる理由を作った鬼、と言う生き物だけ。

 あれは鬼と契ったのだ、と。
 あれは一族の汚点だと――
 誰も真似の出来ない地点に到達していた母の功績とはまるで別人のように、『あれ』と言うモノのような扱われように、始めは母のことを、そしてその向こうにある父のことを指していると気付かなかった。

 ――母が鬼と契ったのなら、私は鬼の子ではないのか――

 ある日、膝詰めで詰問した時の、傷ついた長の顔が忘れられない。
『…あなたは、あの子の娘なのだから』
 答えにもならない答えを、珍しく感情を露にした長に言われつつ、抱きしめられた時の力強さを、震えを今でも覚えている。
 それ以来、父の事を口にするのは――あの時が初めてだったのだが――止めた。
 自分の血が忌まわしいものなのだと実感したのも、その時が最初だったのかもしれない。

*****

「……まさか」
 ふとその時思い至るのは、母の墓前に来る可能性のあったもうひとりの人物。
 ――父が、来た?
 だが、操はその考えをあっさりと振り払った。
「馬鹿馬鹿しい」
 一族の恨みを背負った鬼が、今もまだ生きているなどあり得ると思えない。
 まして、今になって現れるなんて――
「そう、あり得ない」
 呟いた操は、結局誰が置いたか分からない花をちらと見るだけ見て、再び塚に顔を向けた。そっと手を合わせ、目を閉じる。
 ――お母さん。
 色々ありますが、私は元気に暮らしています。
「…お母さん」
 口の内で声にならない言葉を呟いてから、もう一度そっと口にして、狼狽したように目を伏せる。
 何故だか、その言葉を口にするのが照れくさくて。
 再び口を結ぶと、少しばかり表情の薄い顔に戻ってすうと立ち上がった。
「また来ます」
 そう告げて、静かな、だが油断の無い足運びで立ち去って行く操の背を、風がそっと押した。


-END-