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<東京怪談・PCゲームノベル>


花は空に舞い

 風の香りが変わった。それまで歩いていた雑踏の、排気ガスや埃にまみれたそれから、いつの間にかしっとりとした花の香りに包まれていたのだ。木漏れ日も静かな桃の苑。街の中にこんな場所があると気付く人は、殆ど居ないだろう。ついさっきまで聞えていた雑踏のざわめきも車の音も聞えない。静かだった。
「ふぅ。これで終わり…か。これもつとめとは言え、面倒よのう」
 木々の向こうから聞えてきたのは、その言葉遣いには似合わぬ、少女の声だ。白い髪に真っ赤な瞳、うっすらと紅色のさした着物を着た少女は、都会の真中に現れた桃の苑と同じくらい、異質な雰囲気を持っている。少女の周りには敷き布が敷かれ、その上にはちょっと変わった品が並んでいた。静かな苑に、悲鳴が響き渡ったのはその直後の事だ。
 
「にゃ!」
「ひゃあっ」
 悲鳴を上げつつも、唯崎紅華(ゆいざき・せっか)は、即座に自分の失敗に気付いていた。
「いたたた。…ああ、やってしまいました…」
全身が何かに打ち付けられたように痛い。多分、結界か何かにぶつかったのだ。異空間転移をすると、時々こういう事が起こる。消耗も激しいし、滅多に使わないのだが…。紅華はやれやれ、と辺りを見回した。
「花が…咲いてます。綺麗…」
桜だろうか。だがそれにしては、少々色合いが濃いような気がする。仄かな甘い香りは、きっとこの花のせいだろう。不思議な感じのする場所だと思った。それにしても、やけに尻の下が…
「柔らかいですね」
 と、下を見た紅華は、はわわわ!と飛び上がった。誰かを下敷きにしている事に気付いたからだ。
「大変です!女の子を押し潰してしまいました!」
 見ればまだ小さな女の子。白い髪にうっすらと地紋が入った白い着物を着ている。転移のついでに押し潰してしまったのだろう。慌てて立ち上がると、女の子はうーん、と唸りながら起き上がった。良かった、とりあえずは無事らしい。
「ふう…酷い目に遭うた」
 女の子はそう言って、じろり、と紅華を見上げた。
「おぬし、何者じゃ?…ここにそうして入って来たのは、おぬしが初めてじゃ」
 みかけと声音には似合わぬ言葉遣いだ。紅華は首を傾げつつも、
「唯崎紅華です。よろしくお願いします」
 と名乗った。頭を下げた拍子に、緩く編んだ黒髪が、ぱさりと肩の横に垂れる。
「よろしく、とな…」
 女の子は小声で呟いてから、まあ良い、と頷いた。
「わしは天鈴(あまね・すず)と申す。この苑の主じゃ」
 彼女の言葉に、紅華はへえ、と眉を上げた。紅華自身、10代にしてとある民間組織のエージェントとして働く勤労学生ではあるが、こんな幼い少女が一家の主だと言うのだ。驚かずには居られない。
「凄い。偉いんですねえ、まだこんなに小さいのに」
 素直に褒めると、女の子…鈴は一瞬、困ったような顔をしたが、再びまあ、良い、と呟いて、立ち上がった。
「紅華殿…か。とりあえず、ようこそ、と申しておこうかの。現れ方はどうとて、客人には違いない」
「どうも」
 微笑んで、紅華は改めて周囲を見回した。ここはどうやら、屋敷の庭らしい。薄紅の花をつけた木々には、よく見ると大きな桃の実がついていた。
「花と実が一緒につくなんて」
 聞いた事が無い。紅華の疑問を察したのだろう、鈴がああ、と頷いた。
「あれは仙界より移植した桃の木じゃ。時を選ばず、花をつけ実を結ぶ」
「…仙界?ここは、仙界なんですか?」
 そんなに遠くに飛んだつもりは無かったのに、と、紅華が首を傾げると、鈴はいや、と首を振った。
「ここは寿天苑。とある仙人の作り出した、亜空間じゃ。仙界とは遠くはなれて居るものの、仙界と同じ気を持つ故、何とか桃も実を結んでくれる」
仙界に行った事は無いが、ここが東京とは違う種の気を持つ事は、紅華にも何となく分かる。しかも非常に強い結界により守られているらしいという事は、先刻、身を持って知ったばかりだ。それにしても。と、紅華が目を止めたのは、鈴の足元の敷布に並べられた、ちょっと変わった品々だった。
「それは?…虫干し、ですか?」
「ああ、まあ、そんなものじゃ」
 鈴が頷いた。
「ここはのう、古今東西の不可思議な品々を集めた場所なのじゃよ。蔵が主で、母屋に住んでおるわしらは、いわば蔵守じゃ。中には仙人の作り出した品も多い」
 ほら、これなぞ、と鈴が取り上げたのは、一本の筆だ。見ると同じような筆が何本も積み上げられている。
「弘法の筆、と申してな。この世に答えられぬ問いは無いと言うスグレモノよ。これを使う度胸があれば、どのような試験も楽々じゃ」
 そう言った鈴の手の中にあった筆は、いつの間にか少しだけ姿を変えて、彼女の手に馴染む細い筆になっていた。
「…あれ…?」
「手にした者の使い慣れた筆に姿を変えるのじゃ。試してみるか?」
 と、差し出されて、紅華は弘法の筆を手に取った。しばらくして筆が姿を変える。手の中に現れたペンは、紅華がよく、報告書を書く時に使っている物だ。鈴は紅華を母屋の縁側に座らせると、奥の部屋から紙を持って来てくれた。
「あの、これ…」
「何じゃ?」
「答えられるのは、試験とかの問題だけですか?…他にも…その…何時何分に私が何をした、とか、何が起きた、とかそういうのも…」
「まあ、場合によりけり、ではあるが。既に起きた事ならば、大概の事は答えられるじゃろうて。聞きたい事を念じながら、筆を持てば良い」
「そう…ですか。それじゃあ」
 と、紅華はペンに変わった弘法の筆を手に、紙に向かった。真剣な様子を見て、鈴がふっと微笑んで奥に消えた。と同時にペンはさらさらと紙の上を走り…。
「ああ…これでは…」
 力なく縁側に手をついた紅華に、鈴が目を丸くした。
「どうかしたのか?紅華殿。・・・10時15分、現地到着。対象を確認。少女は無事に保護し…と、これは?」
 今度は鈴が首を傾げる。
「報告書、です。…お仕事の。私、エージェントなので」
「えーじぇんと?」
「あっと、それはその」
 紅華はしまった、と思ったがもう遅い。秘密厳守とは言え、こんな小さな子に組織の仕事を説明した所でわかりはしないだろう、説明しない方が不自然だと思いなおした。
「ええ、色々と…その、ちょっと変わった事件とかを解決したり、と、まあ、そんな事をするんです」
「それは凄いのう」
 鈴が感嘆の声を上げる。
「で、ですね。そのお仕事の後で、報告書、と言うのを書くんです。それに、使えないかな〜って思ったんです。後、学校…とか。授業、寝ちゃったりするものです…から」
「なるほど。そういう事なら、使えるのではないか?」
「でも、こんな字では。私が書いたと思ってもらえないかも…」
 紅華が言うと、ああそう言えばと鈴も頷いた。
「この筆の唯一の欠点と言うても良いかのう。書く字が全て見事な達筆になりよる。そのせいもあって中々貰い手がつかぬのじゃ」
「何となく、分かるような気がします…でも」
「…でも?」
「駄目元で、頂いても良いですか?」
「構わぬが…余程困っておられるようじゃの」
 うう、と頷くと、鈴はまた笑って紅華の前に皿を置いた。大きな白い果肉が切り分けられている。
「他では食えぬ、仙界の桃じゃ。味を見て行かれぬか」
 言った傍から良い香りが漂って、紅華もぱっと顔を輝かせた。
「とても美味しそうです」
 と、一口桃を頬張ったその時。奇妙な鳴き声と羽ばたきが聞えた。振り返ると、庭の真中の小さな池に、一羽の白い鳥が降りた所だった。
「呑天!戻ったか」
 鈴が言うと、白い鳥はすうーっと水面を滑ってこちらへやって来る。紅華は大急ぎで桃をもう一口頬張ると、ぴょんと庭に飛び降りた鈴に続いた。
「この子は?真白だけど…アヒルじゃ無いし…白鳥でも…無さそう」
 池から降りてぺたぺたと歩いて来る姿は、あまり見かけないものだ。ほっそりとしていて首はすっと長く、全体的に細長く見える。
「ここいらには白い川鵜なぞ居らぬからのう。珍しかろう。名を呑天、これもここの住人じゃ」
 鈴が言うと、呑天がばさっと再び羽ばたいた。何だか得意げに見える。
「可愛いですねえ…。あの、触っても平気ですか?」
 恐る恐る聞いてみると、鈴は平気じゃ、と頷いた。
「こやつは元々、雄じゃからのう。女子には優しいし、わしの客人に悪さはせぬ故」
 なあ、と鈴が振り向くと、呑天はばさっとまた羽ばたいて、ぺったぺったと紅華の方にやって来た。その長い首にそおっと手を伸ばす。
「ふわあ、ちょっとべたっとしてるんですね。でも、柔らかい」
 ぽんぽん、と背を触ると、呑天がぷるぷると細かく羽根を振るわせた。鳥の言葉は分からないが、何やらうずうずしているように見える。
「飛びたいか、呑天」
 鈴の言葉に、呑天が首を長く伸ばして答える。鈴はそうか、と彼の頭を撫でると、紅華の方に向き直って、にやりと笑った。
「飛んで見るか?」
 え?と聞き返すより早く、呑天がぐぐうっと伸びをした。それはただの伸びに留まらず、彼の姿は瞬く間にすうっと大きくなり…。
「飛ぶって…もしかして」
 巨大化した呑天を指差すと、鈴が大きく頷いた。
「ここに住まう者故。呑天もただの鳥では無い」
 ひょい、と飛び乗った鈴に続いて、紅華も白い背中に飛び乗った。同時に呑天がばさっと羽ばたく。桃の花がふわあっと散って、二人の居る辺りまで舞い上がってきた。
「花嵐、です!」
 紅華が叫ぶと、薄桃の風の向うで鈴も楽しげに頷いた。
「呑天、好きに飛んで良いぞ」
 鈴が言うが早いか、呑天は天高く舞い上がった。途中ふっと奇妙な感覚があったが、きっと結界を抜けたのだろう。途端に濁った東京の空にぶつかったのにはちょっと閉口したが、呑天は更に高く舞い上がり、西へ向かった。この高さだと、余裕で富士の山影が見える。既に雪は消えつつあったが、やはり美しい。紅華は思わず感嘆の息を漏らした。紅華の気持ちが通じたのか、呑天はゆっくりと高度を下げながら富士山に近付いて行った。ゆっくりと霊峰の周囲を廻る。黒っぽく見える森は、多分樹海だろう。きらめく湖には、おもちゃのような遊覧船が浮かんでいる。
「富士山をこんな風に見るのは、初めてです。綺麗ですねぇ」
 紅華は心から言った。富士を一周して再び東京の空を見ると、これまで居た空の美しさが一層良くわかった。今日は梅雨の晴れ間と聞いていたのに、東京の上空は何だか濁って見える。そう言うと、鈴は、仕方ないのじゃ、と残念そうに言った。
「あれは大気の汚れだけではない。あの街の空は、邪気の吹き溜まりにもなっておるのじゃよ。街自体が、と言うべきかも知れぬがの」
「ああ、それは分かるような気がします」
 紅華の仕事も、その東京の邪気と無関係では無いだろう。好きにはなれない自分の力にしても、聖と言うよりは魔や邪に近い。
「だがな、それは決して、ただ単に悪しき事、と言う訳ではない。邪気ある所にはその反対の力もまた集まり、自然と調和を取るべく働くものであるからの。何も無いよりはずっと良い事なのじゃよ」
鈴が話すその間にも、呑天は富士を離れ、東京の上空に戻ってきていた。大きな鳥が飛んでいたら、驚かれるのではと心配する紅華に、鈴は
「飛んでいる間は、力のある者にしか見えぬから」
 と笑った。呑天が降りたのは、紅華の家の近くの公園だった。小さくなった呑天と鈴に別れを告げた後、紅華はふと思い出して、聞いた。
「鈴さんの家、また、行っても良いですか?」
「無論じゃ!」
 鈴がにっと笑い、呑天も答えるように小さく鳴いて、ふわっと再び巨大化する。待って居るぞ、と言いながら、鈴がその背に飛び乗った途端、呑天が大きく羽ばたいた。風が巻き起こり、思わず目を閉じた紅華が再びそっと目を開けたその時には、既に彼らの姿は無く、その名残と言わんばかりに、小さな薄紅の花びらが数枚、ゆうらりと風の中に舞っているだけだった。

<花は空に舞い 終 >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5381/ 唯崎 紅華(ゆいざき・せっか) / 女性 / 16歳 / 高校生兼民間組織のエージェント】

<登場NPC>
天 鈴(あまね・すず)

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■         ライター通信          ■
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唯崎 紅華様
初めまして、ライターのむささびです。この度は寿天苑初のご来訪、ありがとうございました。生まれたばかりのPC様をお預けいただき、これまたありがとうございました。紅華嬢の雰囲気を少しでもつかめていると良いのですが…。
鈴とのひと時は、お楽しみいただけたでしょうか。苑から飛び上がる際に舞い上がった花びらがひとひら、紅華嬢のみつあみに絡んだままになっていたようです。お部屋の浄化や芳香に、お持ちいただければ幸いです。また、弘法の筆もお持ちいただいていますので、お使い下さいませ。
 それでは、再びお会い出来ることを願いつつ。   むささび。