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<東京怪談ノベル(シングル)>


炎と月
●追う者、追われる者
 高層ビル立ち並ぶ夜のビジネス街を、1台のバイクが駆け抜けていた。時刻はそろそろ21時、人通りなどめっきり少ない時間帯であった。
 この時間にバイクが駆け抜けているというのは、場所柄としてはちょっと珍しいかもしれない。が、もしこの場に誰か居合わせたのなら、頭上へ視線をずらしてみれば面白かったかもしれない。もっと珍しい物を見ることが出来たのだから。
 夜のビジネス街の空に、人が飛んでいた。正確には、翼を持った者だ。普通の人間が翼を持っているはずがない。となれば、そこに居るのは普通ではない人間だということになる。いや、そもそも人間であるのか?
(逃がさないわよ……!)
 バイクを操っているのは、フルフェイスのヘルメットを被り、黒のバイクスーツに身を包む女性。バイクスーツの構造上、身体のラインがぴちっと出ているから女性だと一目で分かる。
 バイクの女性は、上空の翼を持つ影を追いかけていた。何故ならば、上空の影が方向を変えるたびにバイクの女性も即反応していたからだ。
 やがて上空の影は、この近辺でもっとも高いビルの屋上に消えた。バイクの女性はそのビルの真下で停車すると、フルフェイスのヘルメットを慌ただしく外した。
 ばさっ……と緑の長い髪が背中に落ちる。ヘルメットの中から現れた女性の顔は、クールさを感じさせるものであった。
「……動きがないわ」
 しばしその場に留まりビルの屋上を見つめていたが、女性は動きがないと分かるとまたがっていたバイクを降りて、ビルの入口へとゆっくり歩き出した。
 女性の名は火宮翔子。職業――魔の者を屠るハンターである。

●台詞の応酬
 翔子は最上階でエレベーターを降りると、その足で屋上へ繋がる階段へ向かった。手には愛用の拳銃が握られている。いつでも撃てる準備は出来ていた。
 カツコツと自分の足音だけが響く中、翔子は階段を昇ってゆく。気配は感じられない。
(待ち伏せはない。……そうすると、居るのは屋上かしら)
 そんなことを考えながら、やがて翔子は屋上へ出る扉の前に立っていた。翔子は扉のノブに手をかけると、一気に開いて弾丸のように飛び出していった。
(右!!)
 邪悪な気配を右方に感じ、翔子は地面を蹴って方向転換すると、気配のした方に銃口を向けた。
「もう……逃げられないわよ」
 翔子は目の前に居る相手に対して、しっかりと言い放った。そこには黒き翼を持つ妖艶な女性が、くすくすと笑いながら立っていた。
「ふふ、それはどっちの台詞かしら」
 黒き翼持つ妖艶な女性が、翔子を馬鹿にするかのように言う。その時に口元に見えた、2本の鋭い牙。魔の者に対する知識を持つ者であれば、この女性をきっとこう呼ぶことだろう――ヴァンパイア、と。
「それは負け惜しみ?」
 翔子も負けてはいない。挑発的な台詞には、同じく挑発的な台詞で返していた。が、ヴァンパイアはくすくすと笑うばかり。
「はん、何を馬鹿げたこと言ってるんだか。だから人間は愚かなのよ。……自分の墓場に誘われたとも知らずに、ね」
 ヴァンパイアの口元が、とても楽し気だというように歪んだ。その時、翔子も気が付いた。ヴァンパイアは観念したのではない、ここで自分と決着をつける気なのだと。逃げるように見せかけて、自分を倒すつもりでここへ誘い込んだのだと――。
「……愚かなのはどっちかしらね? すぐに分かる……わ……よ!」
 言い終えるか終えぬかの瞬間、翔子の拳銃が火を吹いた。2発目、3発目……立て続けにヴァンパイアを狙う。拳銃に限らず翔子の持つ武器には退魔の術が施されているため、当たれば魔の者に対して傷を負わせることは可能だった。
 だが、誘い込もうと考えただけあって、ヴァンパイアも素早いもの。完全にかわすことは出来なかったが、最初の2発を腕にかすらせただけで逃れていた。
(やってくれるじゃない……)
 翔子は直感的に、この戦いが長引くだろうと感じていた。

●油断
 始まってから5分近くは経っただろうか。戦いは翔子優勢で進んでいた。というのも、ヴァンパイアがまるで攻撃を仕掛けてこないからだ。翔子から一定以上の距離を置き、ひたすら逃げ回るばかり。腕や足に、翔子の拳銃から発射される弾丸によるかすり傷が少しずつ増えてゆくだけであった。
(このままじゃらちが空かないわ)
 業を煮やした翔子は武器をコンバットナイフに持ち替えると、一気にヴァンパイアの懐に飛び込もうとした。胸元にコンバットナイフの一撃を叩き込む――それで終わるはずだった。しかし……。
「愚かな人間よ! かかったわね!!」
 ヴァンパイアの歓喜の声。次の瞬間、翔子に向かって突風が襲いかかってきた。ヴァンパイアが自らの翼で突風を生み出したのだ。
 吹き飛ばされる翔子。安全のため設置されている手すりの一部が吹き飛ばされた衝撃で破壊された。そしてそのまま勢い余って、翔子の身体はビルの外へ投げ出された。
「くっ!」
 落下する瞬間、翔子はコンバットナイフをビルの縁に思いきり突き立てた。悪運が強いとでも言うのだろうか、ちょうどそこに割れ目があり、コンバットナイフは見事突き刺さったのである。
 辛うじて落下を免れた翔子。だが片手でぶら下がっているという不安定な状態であり、いつまでもこのままという訳にはゆかなかった。
 もう一方の手をビルの縁にかけ、翔子はよじ登ろうと考えた。しかし、その直前にコンバットナイフをつかむ手に体重がかかってきた。
「……ぁ……っ!!」
 苦痛に歪む翔子の表情。頭上にはあのヴァンパイアの姿があった。コンバットナイフをつかむ翔子の手を踏みにじりながら。
「ふ……ふふっ……いい姿だわ。ぞくぞくしちゃうくらい……さあ、いい声で鳴いてごらんなさい」
 ヴァンパイアは妖し気な笑みを浮かべながらそう言うと、ぎゅぎゅっと翔子の手を踏み付けている足を動かした。
「……ぅ……ぁっ……!!」
 耐える翔子。声こそ出さないが、苦悶の表情を浮かべている。少しして、ヴァンパイアはつまらなさそうに言った。
「あら、鳴かないのね。苦痛に耐える表情は保管したいくらいよかったけど……鳴かないんじゃどうでもいい……わっ!」
 軽く足を上げてから、勢いよく手の上に降ろすヴァンパイア。一瞬翔子の意識が飛び、コンバットナイフを握っていた手の力が弛んだ。そしてヴァンパイアは、翔子の手を蹴り飛ばした。
「さよなら、愚かなハンターさん。このビルがあなたの墓標よ。……嬉しいでしょう?」
 翔子に向かってつぶやくヴァンパイア。けれども、それが翔子に届いていたかは分からない。翔子は今まさに、真っ逆さまに落下していたのだから。
 ヴァンパイアは満足げな笑みを浮かべると、静かにその場を離れた。

●死の淵からの帰還
(……死ぬの……私……?)
 落下する翔子の心を、じわじわと恐怖が支配しようとしていた。死が間近に来ているのだから、それも当然であろう。
 だが、人間というのは不思議なもので、最後の最後まで何とかしようと思うものである。例え無意識であっても。
 今の翔子がそうだった。翔子は無意識のうちに、咄嗟に術符に手が伸びていた。これで出来ることといえば、符から実体のある炎を出すくらいなのに――。
(……炎?)
 はっとする翔子。もしかして、ひょっとして、こうすれば窮地を脱することが出来るのでは……と閃いたのだ。
「炎よ!」
 考えている余裕などなかった。可能性にかけ、翔子は術を発動させる。符から伸びた炎はまっすぐに屋上へ向かい――無事な手すりに絡み付いた。その瞬間、がくんと翔子の落下が止まる。
 翔子は手すりに炎を絡めたまま、今度は伸ばした炎をまるで糸のように手繰り寄せていった。するとどうなるか。答えは簡単、翔子の身体は屋上へ引っ張られてゆくということだ。
 瞬く間に屋上近辺まで戻る翔子。そして屋上に差しかかった瞬間、翔子はビルの縁を大きく蹴って手すりに絡めた炎を消した。
 ビルの縁を蹴ったのと、ロープ代わりになっていた炎が消えたことによる反動で、翔子の身体が空高く飛ぶ。そこに至ってようやく、ヴァンパイアは翔子が死の淵から戻ってきたことに気が付いた。
「なっ……!」
 予想外の展開に、油断し切っていたヴァンパイアは呆然と翔子の姿を見つめる。翔子はその機会を逃さなかった。手にしたままの術符を発動させ、ヴァンパイアを炎で絡め取ったのだ。
「魔の者よ! 焼き尽くされるがいいわ!!」
 翔子は炎の温度をコントロール出来る最高威力にした。瞬く間に深紅の炎に包まれるヴァンパイア。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 断末魔の声が辺りに響き渡る中、翔子は無事屋上に着地した。振り返ると、ヴァンパイアは炎の中でその存在が消されようとしていた。
(あの時、咄嗟に閃かなかったら……)
 炎を見つめながら、ぞくりとする翔子。ああなったのも、自らの未熟さが招いたことであると言えよう。だがしかし、機転を利かせて窮地を脱したのも事実。これは自らの可能性の証拠であると言えるだろう。
 翔子は大きく息を吐き出すと、無言で空を見上げた。頭上には銀色の月が翔子を癒すかのように輝いていた……。

【了】