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<東京怪談・PCゲームノベル>


蝶の慟哭〜鼓動の山〜


●序

 聴こえる鼓動は、身に秘めたる躍動か。それとも隠したる慟哭か。


 秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
 しかしながら、この高校には特殊なものが多数存在していた。その中でも、通常黄色のイチョウの葉がこの高校にある一本は薄紅色をしている事や、山からの湧き水を一部の飲料水として用いている事は、それなりに有名である。
 そんな折、秋滋野高校の生徒たちは、度々不思議な音を耳にするようになっていた。否、生徒たちだけではない。教員や近くに住む地域住人の耳にも聞こえてきていたのだ。
 山から、ドゥン、という空気を震わす音が。
 教師達は「今、調査をするように求めているから、なるべく山には近付かないように」と生徒たちに指導をした。何が起こるか分からないため、危険の原因を少しでも孕んだものには触れさせないようにした方が良い、という見解である。卑しい話だが、学校の責任だと追及されると大変に困るからだ。
 しかし、その原因を突き止めようと何人かの生徒が面白半分に足を踏み入れた。好奇心旺盛な高校生というものは、何処にでもいるものである。
 そして、彼らは帰ってこなかった。たった一人を除いて。
「……ははは……はは」
 唯一の帰還者である彼は、ただただ笑っていた。目を虚ろにし、口元をだらしなく開き、何度も何度も笑いを繰り返す。
 まるで狂人のように。
 警察や彼と一緒に山に入って帰ってこなかった者の親たちは、必死になって彼に何度も尋ねた。
 他の生徒の所在と、山で何があったのかを。
 すると、彼は何度も繰り返すだけなのだ。虚ろな目をした笑いだけを。他の者の生死も分からず、山での出来事も何一つ分からない。
 警察は彼に問いただすのをやめ、すぐに山の中へと入っていった。他の者の救出と、山の中での出来事を知るために。
 そうして、誰も帰って来ることは無かった。


●動

 葉に込めし願いは、何処にか行かん。それとも全て消え尽くしたか。


 綾和泉・匡乃(あやいずみ きょうの)は、一つだけぽつんと空いてしまった机を見つめていた。既に授業の終わっている予備校の教室は、がらんとして物静かだ。
「どうしたんでしょうかね、一体」
 匡乃は呟き、小さく溜息をついた。自宅に連絡すると、先日から話題になっている行方不明事件に巻き込まれているのだという。声からも疲労が取ってわかるほど、親は疲れきっていた。
(この手の事件は、アトラスに行ってみるといいかもしれませんね)
 匡乃はそう考え、小さく「よし」と呟く。思い立ったが吉日といわんばかりに、匡乃は手早く荷物をまとめ、挨拶もそこそこに予備校を後にした。
 予備校から真っ直ぐに向かった月刊アトラス編集部は、いつも通り賑やかだった。既に時刻は夜だというのに、まだまだ就業時間のようだ。
「相変わらず、忙しそうですね」
「……あら、綾和泉君じゃない」
 忙しい最中の編集部にも怯む事なく、匡乃は編集部内に堂々と入っていった。そして、相変わらず忙しそうな碇に声をかけたのである。
「どうしたの?いきなりじゃない」
「ちょっと、気になることがありまして」
 匡乃がそう言うと、碇は少しだけ考えた後に来客用のソファを指差した。
「丁度いいから、私の話も聞いて貰おうかしら?」
「是非」
 匡乃の返事に満足したように碇は微笑み、近くにいた三下に「珈琲と資料を持って来て」と頼んでからソファに腰掛けた。
「まずは、そっちの話を聞かせて頂戴」
「……今、巷を騒がせている行方不明事件の事です」
 匡乃の言葉に、碇はにっこりと微笑んだ。
「本当に、丁度いいのね。びっくりしたわ」
「すると、碇女史の話って……」
 碇はにっこりと笑いながら頷き、丁度珈琲と資料を持ってきた三下からそれぞれを受け取り、机の上に並べた。
「これが詳細よ。今分かっている限りの、ね」
「……やはり、秋滋野高校ですね。しかも、行方不明者は秋滋野高校の生徒と、その捜索に当たった警察までも」
 明らかに異常だ、と匡乃は資料を一目見て悟る。捜索に当たった警察までもが行方不明になってしまうという事は、妙だとしか言いようが無い。
「さらにね、その山は別に行方不明になりそうな場所なんてないのよ。足場は確かに悪いけど、迷うような道なんて一つも無いらしいわ」
 碇は珈琲を啜り、そう告げた。
「今まで、同じような事はあったんですか?」
「無いわね。少なくとも、ここ50年はなかったと断言できるわ。それ以前になると、調べようは無いんだけどね」
 碇はそう言い、珈琲カップを机に置いた。
「一人だけ無事に帰ってきていますね」
 資料を捲りながら、ふと匡乃は気付く。だが、すぐに眉間に皺が寄ってしまった。
 帰ってきた生徒が狂人になってしまっている、との記述があったからだ。
「本当は、三下君に行って貰おうと思ってたんだけど、別件が入ってしまったのよ。良ければ、調べてきて貰えないかしら?」
 匡乃は資料に一通り目を通してから、碇を見て頷いた。
「僕の生徒も絡んでいますからね。調べに行きますよ」
「良かったわ。……分かる範囲の事はその資料に書いてあるわ。それでも足りないようならば、言って頂戴」
「分かりました」
 匡乃はそう告げ、資料を持って立ち上がった。
 机の上の珈琲は、手を付けられる事なく冷めていくのだった。


 匡乃がアトラスを後にして歩いていると、突如携帯電話が鳴り始めた。着信は、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ かーにんがむ)からであった。匡乃は通話ボタンを、ゆっくりと押して「もしもし」と答えた。
「匡乃さん、突然すいません。セレスティですが」
「どうしたんですか?」
 良く聞く声に、匡乃は思わず尋ねる。セレスティが突然電話してくるというのは、珍しい事だからだ。
「秋滋野高校の生徒さんを、ご存知でしょうか?」
 セレスティの問いに、匡乃は少しだけ動揺する。あまりにも出来すぎているかのような、偶然に。匡乃は暫く沈黙を続けた後、ゆっくりと「どうしましたか?」と尋ねた。
「実は、秋滋野高校から草間さんの所に依頼がありまして……」
 セレスティはそう言って切り出した。事情を聞き、思わず匡乃はくすくすと笑い出してしまった。全く同じ件を、先ほど聞いてきたばかりだったから。
「奇遇ですね。実は、僕も秋滋野高校のことをアトラス編集部の碇女史から調べる事を頼まれていまして」
 匡乃の言葉に、思わずセレスティも笑ったようだった。偶然というものは、どこで起こるか分からない。
「それでは、明日一緒に調査に行きませんか?互いに持っている情報を交換して」
「分かりました」
 セレスティの提案に、匡乃は快諾する。電話を切り、匡乃は再び笑ってしまった。運命の悪戯のようで。
「なかなか、洒落た事をしますね」
 匡乃は小さく呟き、運命というものに向かって小さく笑みを漏らすのであった。


●生

 深き所の蓋は蠢きたか。それとも水の中へと沈んで行きしか。


 次の日、約束通りセレスティと匡乃は秋滋野高校前で合流した。セレスティは草間から受け取った資料を、匡乃は碇から受け取った資料をそれぞれ持って来ていた。
「……似通っていますね」
「……ですね」
 互いに見たところ、どちらも似たような内容しか書かれていなかった。どちらも動く事もなく得られた情報なのだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
「でもまあ……書き込んだりコピーしたりする手間が省けて、良かったかもしれませんね」
 匡乃はそう言って、セレスティの持ってきた草間の資料をぱらぱらと捲った。自分の持ってきたものは既に見終えてしまっているため、交換したのである。あまり、意味はなさなかったようだが。
「壮大な間違い探しなら出来ますよ。……例えば、こちらに書かれている『50年間、似たような事件は起こっていない』というものと、私の持ってきた資料に書かれている『60年間、似たような事件は起こっていない』とか」
 些細な差である。それがどうした、と言っても仕方の無いような。
「草間さんのは学校直々に依頼してきたから、学校側の情報がありますからね」
 匡乃は苦笑し、ある一枚で手を止めた。
「狂人になった生徒……この名前なのですね」
 そこにあったのは、一人だけ生還した生徒の名前であった。東・良太(あずま りょうた)とある。
「どうされましたか?……少し、顔色が」
 心配そうなセレスティに、匡乃は苦笑を漏らす。
「僕の、受け持っている生徒の一人です。……勿論、行方不明の生徒にもいますけど」
「それは……」
 言うべき言葉が見つからず、セレスティは口を噤んだ。そして暫くしてから、そっと口を開いた。
「必ず、解決しましょう」
 力強いセレスティの言葉に、匡乃は顔を上げて頷いた。強い意思を込めて。
 秋滋野高校は、朝の授業中であった。事件があったものの、それで授業を中止する訳にはいかないらしい。
「大変ですね」
 セレスティがぽつりと漏らすと、その意を悟って匡乃は頷く。
「ですが、教育機関なんてそんなものかもしれません。一人のために開かれている訳ではないですから」
 一人いないからといって、全てを止める訳にはいかない。中々にして難しい所である。
「では、まずは挨拶からしておいた方がいいでしょうね」
 セレスティはそう言い、匡乃の方を見て少しだけ悪戯っぽく笑う。
「すぐに済ませてしまいましょうか」
 つまりは、本当に挨拶だけで済ませてしまおうと言うのである。匡乃は思わず吹き出す。
「いいんですか?セレスティさん。一応、草間さんの所から来たというのに」
「前回、しっかりと話は聞きましたからね。学校の図書館を貸して欲しい旨を伝えるだけで、いいでしょう」
 セレスティはそう言うと、言葉の通りに理事長に挨拶だけを済ませた。あまりに簡潔な挨拶だった為、理事長の方が面食らっていたほどだ。
「いいんですか?」
 理事長室を出た後、匡乃がくすくす笑いながら尋ねると、「勿論です」とセレスティはにっこりと笑って答えた。
「それじゃ、図書室に行きましょうか」
 一分一秒でも惜しいといわんばかりに、二人は図書室へと足早に向かうのだった。


 図書室に入ると、しんとした雰囲気と独特の匂いがした。
「妹が好きそうな図書室ですね」
 匡乃はそう言い、少しだけ笑う。何しろ、もの凄い本の量なのだ。
「高校の図書室とは思えない、蔵書量ですよね」
 セレスティはそう言い、前回と同じ司書のところに行った。
「前回、見せていただいた『秋滋野山録』という本と……その他の郷土文献があれば知りたいのですが」
「それと、地理が詳しいものがあれば、それもお願いします」
 セレスティと匡乃が尋ねると、司書は「ちょっと待って下さいね」と言って一旦図書館内に消え、再び戻ってきた。手には三冊の本がある。
「これが『秋滋野山録』ですね。あと、郷土文献といえるかどうかは分かりませんが、この学校史『秋滋野高校史』と、山の地図です」
 二人はそれらを司書から受け取り、机についた。丁度、秋滋野山を見ることが出来る窓際に。
 高校史は、特に目立ったものは何もなく、創立年月日や創立者、それに歴代理事長や主な出来事などが書かれているだけだった。地図はコピーだけで十分使えそうである。一番詳しい資料というものは、やはり『秋滋野山録』であった。
 中は第一章「山の歴史」、第二章「名称の由来」、第三章「戯曲的逸話」の三部に分かれている。セレスティと匡乃はまず第一章を見た。所有者を知るためである。
「……理事長じゃないですか」
 ぽつりと匡乃は呟き、思わず苦笑した。案外身近に所有者がいるものである。
「ならば、理事長に聞けば似たような事件が起こったか知ることが出来ますかね?」
 セレスティは匡乃に問い掛ける。匡乃は「そうですね」と言って頷く。
「この本に書いていない歴史が、所有者の方なら知っているかもしれませんからね」
 次に、二人は第三章を捲った。数多くある逸話の中で、人が大量に消えるという内容のものをぱらぱらと捲って探す。
「……ありました」
 匡乃が手を止めた所にあったのは「神降臨の逸話」という題名がついていた。内容は、山近くの村が飢饉に襲われた時、山に神が降りてきて村人達を神の国へと連れて行ったというものである。
「連れて行かれた村人達は、どうなったんでしょうか?」
 ぽつりとセレスティが呟くと、匡乃はゆっくりと首を振った。
「少なくとも、ここには書かれていませんね。こうなればいいのに、という飢饉に襲われた時に村人たちが願った内容とも取れますが……」
「実際に起こったことだとも、取れますね」
 セレスティの言葉に、匡乃は頷く。
「それにしても、気になる部分がありますね」
 セレスティはそう言い、逸話の中の一節を指差す。そこに書かれていたのは、以下の文章である。
 どをんといふ音、山より響きたり。村人、山に登りけり。山に神が降りたまひて、山の空気を震はすべしと。……(中略)……降りたまひし神は言ふ。汝らが辛苦、我が取り払はんと。村人ら喜びて、我も我もと山に深く抱かれるべし。皆、神の国へと行きにけり。
「山に降りたはずの神は、辛苦を取り払うと言っています。そして、村人達は山に抱かれた……」
「降りた神に助けられるのではなく、山に抱かれたんですね。……何故でしょうか」
「そこなんですよね。ただ助けるだけならば、山に抱かれる必要は、全く無いのですから」
 セレスティと匡乃は顔を見合わせる。二人の疑問は、完全に一致していた。その疑問点こそが、今回の鍵だと言わんばかりに。
「ともかく、この点は理事長に確認した方が良さそうですね」
 セレスティが言うと、匡乃は頷き「それでは」と続ける。
「では、僕は生徒さんに何か噂を知らないか聞いてみます。また後で、合流しませんか?」
「分かりました」
 セレスティと匡乃は互いに頷きあい、一旦別れるのであった。


●行

 始まる、続く、終わらない。全ての連鎖が繋がりて、全てが交差して渦巻く。


 セレスティと分かれた匡乃は校内を回り、屋上に上った。授業をサボる生徒の定石の場である。
「誰かいませんかね?」
 匡乃は呟き、辺りを見回す。そしてにっこりと笑った。男女5人くらいのグループが、校庭を見下ろしながら喋っていたからである。
「こんにちは」
 匡乃が声をかけると、生徒たちは一瞬びくりと体を震わせた後、匡乃を見て「なんだ」と言いながら笑った。教師だと思ったのであろう。
「誰?あんた。新しい先生?」
「先生じゃないですよ。……少し、教えていただきたい事があって、生徒さんを探していたんです」
 匡乃はそう言い、目を光らせる。
「あの山に関して、何らかの噂を知りませんか?」
 グループ内で、目線が交錯した。初めて見る匡乃という存在に、放して良いのかどうかを迷っているようである。そして暫くすると、グループの中の一人が口を開く。
「噂で、いいのかよ?」
「勿論です」
 匡乃が頷くと、5人は顔を見合わせて頷いた。気持ちを決めたようだ。
「あの山は、呼んでるんだ」
「呼ぶって……誰をですか?」
「分かんない。だけど、あたしはあの音を聞いた時に思ったの。ああ、行かなきゃって」
「何故、そう思うかは分からないですか?」
「うん。……でも、呼んでるんだよね」
 一人の女生徒が言うと、もう一人の女性とがこっくりと頷いた。
「俺らは全くそんなのは思わないんだけどな」
 残りの三人がこっくりと頷く。匡乃は「では」と口を開く。
「貴方達の違いとは、何ですか?」
 匡乃の問いに、5人は顔を見合わせた。ああでもない、こうでもないと何度も議論が重ねられ、そして一つの結論が出た。
「水。水だよね」
「水、ですか?」
「この学校には、山の湧き水を使った飲み水があるんだよ。そこの水を全部飲んだ事があるか、飲んだ事が無いか……だよな?」
「そうそう。五箇所あってね、全部味が違うのかな?って思いながらツアーをしたんだよね」
 匡乃は思わず苦笑した。些細な違いとは言えども、そこに至るまでの思考は面白い。
「他は、何かありませんか?」
「うちの学校に関してだと……イチョウの木がますます赤くなってきたよね」
 ほら、と言いながら女生徒が校庭の端にあるイチョウの木を指差した。確かに、イチョウとは思えぬほどの薄紅色をしていた。
「大変参考になりました。有難う御座います」
「ああ、あと一人だけ帰ってきた奴って、保健室にいるぜ?何か、学校から出たくないとか言って」
(東君)
 匡乃は再び礼をいい、その場を後にした。保健室に向かう足が、自然と速くなっているのにも気付かないままに。


●躯

 登る、上る、昇る……空を目指し、天を願い。いつしか届く事を信じ。


 保健室の前で、セレスティと匡乃は再び合流した。保健室に入る前に、互いの情報を交換しながら。
「……では、互いにここに東君がいるという情報を得てきたのですね」
 凄く偶然ですね、と匡乃は少しだけ笑う。セレスティもちょっとだけ笑い、それからすぐに真面目な顔に戻す。
「水に関して、大変興味深いですね。それに……イチョウも」
「山に関しても、気になりますね。……神とか言われちゃうと」
 互いに顔を見合わせ、小さく頷いてから匡乃は保健室のドアに手を書けた。
「失礼します。こちらに、東君がいると窺ったのですが……」
 匡乃がそう言いながら中に入るが、中に保険医はいなかった。たまたま外しているのだろうか。匡乃はセレスティの方を振り返り、互いに無言のまま頷き合って設置されているベッドに近付いた。
「東君……?」
 匡乃が尋ねながら近付くと、ベッドの向こうががさりと動いた。そっと覗きこむと、そこには布団を頭から被った東少年の姿があった。
「ははは……はは……落ちる」
「一体、何があったんですか?」
 セレスティがゆっくりと尋ねる。しかし、相変わらず渇いた笑いだけを漏らすだけで、答えは無い。ならば、とそっと手に触れてみるが、やはり何も分からなかった。東少年の意志というものが、全く感じられないのである。
「東君……」
 匡乃は東少年を見つめ、溜息をつく。勉強が優れて出来るという訳ではなかったが、明るく元気な少年だった。だが、目の前にいる東少年は以前の様子の欠片も無い。
「……好奇心、猫を殺す」
 ぽつり、と匡乃は呟く。そしてセレスティに向かって苦笑を交えながら口を開く。
「どうやら、山に行くしかないようですね」
「そうですね。……上るしか、ないでしょうね」
「何があるかは面白いような気もしますが……生きて帰りましょうね」
 匡乃の言葉に、セレスティはこっくりと頷く。
「出来れば、未だ行方不明の人々も無事に連れて帰りたいですね。……一応、手配だけはしておきますが」
 セレスティはそう言い、携帯電話で指示を出す。万が一、山で行方不明になっている人たちが見つかった場合にすぐに救急車や搬送車を出す事が出来るように。
「生きていても……」
 匡乃はそう言いかけ、口を噤む。万が一という可能性を、全く持って否定する訳ではない。だが、そうとしか思えぬ現実が、東少年にある。
「……行きましょう」
 あえて匡乃に言葉の続きを尋ねる事なく、セレスティはそう言った。
 共に、山へと向かう為に。


 秋滋野山は、驚くほど静かだった。理事長の采配で、もう誰もいれないようにしているのかもしれない。それでも、警察が何人かで捜索を続けているようだった。
 セレスティと匡乃は、そんな警察の目をくぐって山に侵入した。前もって調べていたのと、動きやすい格好で来た為に、すんなりと入る事が出来た。
「何処を目指しますか?」
 図書室でコピーした地図を広げ、匡乃が尋ねた。セレスティはしばらく考えてから、ある一点を指差した。
 前回訪れた、山小屋のある場所である。意味深の言葉を残して消えた、少年に出会った場所でもある。
「水源地です。……学校にもひかれている、湧き水の」
 セレスティがそう言うと、匡乃は「分かりました」と言って地図を片手に歩いた。
 学校から歩いて10分くらいの位置にあるその場所は、すぐに辿り着く事が出来た。セレスティが以前訪れた時と、何ら変わってはいない。前と全く同じ、様相である。
「ここで、以前不思議な事を聞いたんです。……蓋が開くのだと」
「蓋、ですか?」
「ええ。どういう蓋なのかは、結局は分からなかったのですが……」
 セレスティはそう言い、言葉を切った。湧き水の貯まっているところから、ゆっくりと少年が姿を現したのである。その姿は前回と異なり、少年というよりも青年に近い。そして、目の色は真っ赤だった。
「既に蓋は開いた。何故、ここに来たのか」
「その蓋について、教えて頂きたいのですが」
「……登るが良い。既に蓋は開き、後は出てくるのみだ」
 青年はそう言い、一方向を指差した。そこには獣道があり、どうやら山の頂上に繋がっているようだった。
「……行くしかないようですね」
 匡乃がぽつりと呟いた。セレスティも既に姿が消えてしまった青年の姿を追いかけ、溜息をつきながら頷く。
「そのようですね」
「結構、不本意なんですよね。まるで、後手に回っているようで」
 匡乃は呟き、それに対しセレスティは頷く。後手に回っているのは、事実である。何が起こるか分からない為、起こってから行動を起こしているのだ。
「……神、ですか」
 ぽつり、とセレスティが呟く。その言葉に、匡乃は「え?」とセレスティに聞き返した。
「山の神です。村人を抱き、そして帰ってきた村人が見たという神」
「……東君も、神を見たのでしょうか?」
「その可能性は、高いと思います。理事長の話と、あわせてみても」
 匡乃は「そうですね」と呟きながら頷く。見た人を狂わせる、神という存在。それは本当に、神なのだろうか?
 その時、ドオン、という大きな地響きが聞こえてきた。セレスティと匡乃は咄嗟に顔を見合わせ、その後音のしてきた方を目で追った。
 音は、確かに山頂から響いてきていたのである。
「……何なんでしょう、この音は」
「この音が、生徒たちを山に登らせ……狂わせたのですね」
 匡乃は呟き、それから溜息をついた。
「山に、神が降りてきた音……と文献では言ってましたね」
「神というものは、こんな不思議な音をさせながら降りてくるものなのでしょうか?」
 匡乃は苦笑を交えながらそう言った。セレスティもそれに全く同感である。
「ともかく、行きましょう。もしかすると、神に会えるかもしれませんから」
 セレスティはそう言い、匡乃と共に山頂に向かい始めた。
 二人が上っていると、あのドオン、という大きな地響きは何度も聞こえてきていた。それはあまりにも規則正しく聞こえてくるので、時計代わりなのではないかと思わせられるくらいであった。
 20分ほど歩いただろうか。二人は山頂らしき場所に辿り着く事が出来た。獣道といえども、割合歩きやすい道であった。
「……セレスティさん」
 ぽつり、と匡乃が問いかけ、一方向を指差した。そこにあったのは、空洞。山頂に突如として存在する、ぽっかりと空いている穴であった。
「空間自体が歪んでいるようですね」
 即座にセレスティは分析し、匡乃に伝えた。そこに入るのは簡単だが、帰ってくる事が困難だろうという事は、容易に想像できた。
「……何をしに来た」
 呆然とする二人の前に、一人の少女が現れた。セレスティは彼女を見て思わず「あなたは」と言葉を紡ぐ。
 それは、イチョウの木の化身だと思われる少女だったのである。
「何故、このようなところに……?」
「人の思いを受容した。審判は下った。……汚れた心は、浄化せねばならない」
「審判……」
 セレスティは呟く。薄紅色の葉からは、しきりに審判を求める声が聞こえてきていた。それが下ったというのか。それも、最悪の審判が。
「汚れたというのは、どうしてあなたが判断するんです?」
 匡乃が言い放つと、少女は小さく笑った。赤い目が血を思い起こすかのように、光っていた。
「葉は、人の心を知らせてくれた。赤く染まった葉は、人の心が汚れたという何よりの証拠」
 セレスティは眉間に皺を寄せる。浄化し、正の感情を孕んだ願いをして貰えるように頼んだというのに、負の感情に押されて赤くなってしまったらしい。
「……そう言えば、生徒さんが最近またイチョウの葉が赤くなったと言っていましたね」
 匡乃は生徒たちとの会話を思い出し、呟く。
「だから、呼び起こしたのだ。清められし力を得、全てを清める為の力を」
「一体、何を呼び起こしたというのです?……奥にあるという蓋の中に、何がいたというのですか?」
 セレスティが尋ねると、いつの間にか少女の隣にいた青年が小さく笑った。やはり、目の赤い青年が。
「抱く為の腕を持ちし山の化身」
 青年がそう言った瞬間、ドオン、という音が最高長に響き渡った。そして空洞の中から何かがゆっくりと飛び出してきたのである。
 出てきたのは、大きな蝶であった。蛹から出たばかりらしい羽を震わせ、きらきらと光る。体長は2メートルくらいであろうか。七色に光る蝶の鱗粉が、そっと風に乗っている。
「セレスティさん……!」
 匡乃が指差した先には、抜殻があった。中から手が見えた。生気の欠片も感じられない、ぐったりとした手である。
「……まさか……」
 セレスティが絶句しながら言うと、青年と少女が赤の目を細めながら笑った。
「浄化されし力の源と、先に腕に抱かれしものだ」
「……何という事を……!」
 匡乃はぐっと拳を握る。セレスティも同様に拳を握り締める。
「……すいませんが、消えていただきますよ」
 セレスティはそう言い、山に存在する水を支配下においた。最初は山の神とも思われる存在が目の前にいる為に、支配下から逃れようとする水霊たちも数多くいたのだが、セレスティの絶対的な力によってねじ伏せられた。
 水は一本の太い縄となり、羽を震わせたままの蝶を縛り上げた。蝶は縛られた事に構う事なく、動く事もなく、じっとそのままの状態になった。
 蝶は動く事もなく、再びドオン、という音を響かせた。
「……鼓動、ですか」
 ぽつりと呟いたのは、セレスティであった。縛り上げた水縄から、地響きと同じタイミングで振動が伝わってくるのである。
「あの音は、この蝶の心音だったのですね」
「何を……!」
 咄嗟に動こうとした青年を制したのは、匡乃だった。青年の前に立ちはだかり、にっこりと笑う。
「悪いですけど、動かないでもらえますか?」
「貴様……!」
 青年がちっと舌打ちをし、少女に目配せする。少女は頷き、青年に代わって蝶を縛るセレスティの所に走った。
 だが、匡乃は少女を制しようとはしなかった。青年がそんな匡乃を見て、鼻で笑う。
「仲間を捨てたか」
「捨てませんよ」
「あいつは、お前の仲間を腕に抱かせる」
「しませんよ」
 青年の言葉を真正面から否定し、匡乃は静かに微笑む。
 少女は一直線にセレスティの元に走り、懐に手を突っ込んで小刀を取り出した。そして水縄を操るセレスティに振りかざす。セレスティもそれに気付き、思わず目を閉じたが……少女は寸前で刀を止めた。
「なっ……!」
 青年が思わず叫ぶ。匡乃はそれを見て、再び微笑む。「ほらね」と言って。
「あの少女からは、危険は全く感じませんでしたから」
 セレスティは震えながら刀を振り下ろせぬ少女に向かい、顔を覗き込む。
「……審判は、それでも五分五分だったのだ」
 少女が刀を握り締めたまま、ぽつりと呟く。
「人の悪意しか孕まなかった訳じゃなかった。それでも正の感情を孕んでいるものも、たくさんあって……!」
 セレスティは叫ぶ少女の頭を、そっと撫でた。その途端、少女の手から小刀が落ち、少女は大声で泣き始めた。
 少女の目は、赤ではなく金色の目になっていた。


●結

 残されたのは小さき思い。全てを失い、最後に残りし一片の葉。


 巨大な蝶を縛る水縄は、ゆっくりとその締め付けを強めていっていた。
「セレスティさん、どうする気ですか?」
「あの穴に、還します」
 匡乃の問いにそう答え、セレスティはぐっと足に力を入れて踏み込み、水霊たちをめいっぱい使役した。そしてほぼ強制的に、空洞へと蝶を押し込めたのである。
「このまま封印します!」
 セレスティがそう言うと、少女がゆっくりと前に一歩歩き出した。青年の手を、そっと握り締めながら。
「私達が、封じ込める。……神は、今一度眠るべきかもしれないから」
 少女の言葉に、匡乃とセレスティは頷いて青年を見た。異を唱えるものと思っていた青年は、何もいう事もなくただ少女に手をひかれていた。
 青年の目も、赤ではなく透明な青になっていた。
 その透明な青の目で、青年はセレスティと匡乃を睨みつけた。異は唱えないものの、唱えたい意志はあるらしかった。それを感じ取り、少女はそっと懐から一枚の葉を取り出した。
 セレスティが清めたばかりの頃の、黄色に近い色をしたイチョウの葉であった。
「……有難う」
 少女はそう言うと、青年の手を引いて既に蝶が入っている空洞の中へと身を投じた。その瞬間に光があたり一杯に広がった。そうして、光が収まった頃には何もなくなってしまっていた。空洞も、蝶も、少女も、青年も。何もかも。
「……終わったのですね」
 ぽつり、と匡乃が呟いた。結局、行方不明となった者達と再び合間見えることは出来なかったが、全てが終わったのである。
「そうですね」
 セレスティも、そう呟いた。暫く、セレスティと匡乃はその場を離れる事が出来なかった。何故だかは分からない。だが、すぐに動いてはならないような気がしてならなかったのである。
「セレスティさん、あの神は……意志があったのでしょうか?」
 突如、匡乃がそう漏らした。匡乃が見る限り、あの蝶に意志というものが感じられなかったからである。
「なかったようでしたね。……ただあの蝶は、受容していただけなのかもしれません」
 イチョウの葉によって下された審判の結果を。
 清められた水によって開けられた深き所の蓋を開けられ。
 結果だけを受容しつづけ、そのように動くように作られた存在であったのかもしれない。
「あの逸話でも……飢饉によって楽になりたい村人達の願いを、叶えようとした結果とも取れますしね」
 セレスティはそう言い、苦笑を交える。恐らく、あの蝶自身にはそのような方法を取る以外の能力はないのだ。それを踏まえた上で、少女と青年は蝶の能力を使って人々の思いを具現化しようとしたのだ。
 つまりは、あの少女と青年こそが、山の神を作り上げたのかもしれない。
「何百年かに一度の、定期検査みたいなものだったのかもしれませんね」
 匡乃はそう言って、溜息をつく。あの二人による、人々の意識調査。いつしかは飢饉から逃れたいという思いを知り、今回は負の感情が蔓延しているという状況を知ってしまった。
「難しいものですね」
 セレスティはそう言い、少しだけ笑った。匡乃も一緒になって、笑みをこぼす。
 そうして二人は山頂を後にした。
 微かに耳の奥に響く、ドオン、という音を心の中に刻みつけながら。


●付


 全てが終わったその時から一週間後、東少年は再び匡乃の勤める予備校に姿を見せたらしい。彼はその時のことを全く覚えていなかった。神と呼ばれた蝶の事も、一緒に山に足を踏み入れたはずの友人達がどうなったかという事も。
 平穏を取り戻した秋滋野高校は、それでも未だに事件前と変わることは無かった。
 イチョウの葉は相変わらず薄紅色をし、山の湧き水を飲料水の一部として用いている。
 そうして、時々生徒たちの間でされていた鼓動の噂は、ゆっくりと平穏という闇の中へと沈んでいくのであった。

<鼓動が耳の奥に残り・了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1537 / 綾和泉・匡乃 / 男 / 27 / 予備校講師 】
【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜鼓動の山〜」にご参加いただき、有難う御座いました。
 今回、セレスティさんと一緒の調査という事で。「蝶の慟哭」の世界はいかがだったでしょうか?
 また、今回の話の途中にあります古文の部分について。一応調べつつ書いたのですが、何分自分の頭だけで書いた古文なのでおかしい部分も多々あると思います。あまり詳しく分析しないでいただけると助かります。
 「蝶の慟哭」への参加、本当に有難う御座いました。少しでも楽しんでいただけましたら、嬉しいです。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。