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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


追憶の古時計

 螺子を、巻く。
―――キリキリ…キリキリ…キリキリキリ……
 アンティークショップで買ったその時計は、いまどき珍しい螺子巻き式だった。毎日きちんと螺子を巻かないと、それは動きを止め、挙句壊れてしまう。『放っておかれることをとても嫌う寂しがり屋の時計』なのだと、店の主人は彼に話していた。
―――キリキリ…キリキリ…キリキリキリ……
 最初にした約束通りにそれは、彼が普段過ごす部屋の中心にある。
『いつも主人のそばにいさせて欲しい』
 それが時計の望む唯一にして絶対の願いだと言われたから。
 なくした記憶を取り戻す時計。そんなふれこみで売られていたそれは、確かに不思議な力を持っていた。
 忘れていた『過去』と向き合うことにより、彼は『今』の自分のルーツを知った。それは知っているつもりで知らずにいた、大切な『事実』につながる記憶。
―――キリキリ…キリキリ…キリキリキリ……………パタン
 螺子を巻き終え文字盤の蓋をそっと閉める彼に、はしゃぐ子供達の弾んだ声が小さく聞こえてきた。
 夕暮れが近い窓の外側を、通り抜けていく小学生達。彼らの言葉を耳にして思わず、彼――クラウレス・フィアートは口元に、優しく哀しげな笑みを浮かべる。
 長針が天を指して時計から、低く重々しい鐘の音が鳴り響く。
 血のような色の夕陽が窓越しに、彼の瞳を照らし出していた。





 月明かりが部屋を照らし出していた。
 かつてはペルシャと呼ばれていた国の石造りの小さな家の一室で、年老いた騎士が家族に看取られて、今、生涯を終えようとしていた。
 部屋の片隅に掛けられた時計が、最期の時を静かに刻み続ける。
(あと………少し…)
 声に出すことなく彼は、神への祈りを胸に浮かべ願う。
(あと………少しだけ…)
 消えゆく命を引き延ばすこと。それが彼の唯一の願いだった。何年も、何ヶ月もという長さなどではなく、ほんの数時間、数日ほどでいい。
(彼がここに帰ってくる時までは……)
 共に夢を追った彼の友人は、もうずっと消息も知れずにいる。道を外れ追われるように異国へと、遠く旅立ったその男を彼は長く、長く恨み続けていた。いや、恨むというよりもむしろ怒り、哀しみ続けてきたというべきなのか。
(あと…少しなのだ……)
 約束を交わしたというわけでも、生きていると保障されているわけでもない。
 だが老騎士は確信していた。自分の命が絶える時にはきっと、家族と共に『彼』が最後の時を看取ってくれるであろうということを。
(あと…少しだ……)
 薄れゆく意識を叱咤して彼は、うっすら瞳を開いて壁を見る。秒針が刻む規則的な音が、老騎士の耳の奥で響いていた。
(あと………少し…)

「………っ!!お祖父様……」
 ソレの『影』に、最初に気付いたのは孫娘だった。窓の隙間から部屋の中へと、ジワジワと侵食する黒い闇。
「………私の…剣を……」
 もはやほとんど自由の利かない身体を引き起こし老騎士は言った。「ですが…」と制止する息子の手を振り切って彼は剣を手に取った。
「………神よ」
 祈りの言葉を唇に乗せ、手にした剣に聖なる気を込める。刀身が、うっすらと淡い光を放ち出す。
「闇から生まれし邪悪な物よ…神のご加護を受けしこの剣にて、貴様等のあるべき場所へと還れ!!」
 白銀の剣が闇を切り裂いて侵入してきた『影』を霧散させる。だがそれも、ほんの数瞬の間のことで、すぐまた新たな『影』が姿を見せる。
「…くっ……ふっ…うぅ………」
 何度斬りつけても再生する『影』に、老騎士の息は次第に荒くなる。
「はぁ……はぁ…ふぅ………どうした?このまま姿を見せぬままの気か…?」
 乱れる呼吸を気力で押さえ込み、老騎士は窓の向こうへと問いかける。
「私を殺す為来たのではないか?それともこんな『影』ごときの手で、『聖騎士』の命が奪えるとでも…?」
 老騎士のあからさまな挑発に、窓の外に凝る闇が蠢いた。カタカタと音を立てガラスが揺れる。
「……神の狗ごときが調子に乗って…」
 くつくつと低くこもる笑い声が、部屋中の空気を震わせ響く。次の瞬間、霧状に広がる『影』が収束し、いくつもの刃を形作った。
「殺すのは遊んでからと思っていたが………よかろう。そんなに死に急ぎたいと言うのなら、すぐにでも細切れにしてやろう…」
 三日月状の刃が四方から、老騎士の身体へと襲い掛かる。
「…こんな……『影』…ごとき………」
 死期の迫る老いた肉体とはとても思えないほどの俊敏な動きで、彼は降り注ぐ刃を切り伏せた。
「これで………終わりか?」
 刀身を杖代わりに身を支え、老騎士は不敵な顔で微笑んだ。
(早く……本体を…)
 内心の焦りを隠してなおも挑発的な言葉を続ける彼に、窓の外に潜む闇の『本体』が、ようやくその姿をあらわにする。
 先程までとは比較にならないくらい濃密な、深く昏い闇が部屋に満ちていた。
「貴様……は…!!」
その中心にいるモノを見つめ、老騎士は絶句して凍りついた。
「…どうした?それほど驚くことか?」
 ソレはかつて、彼と数人の仲間の手によって封印されたはずの『魔』だった。強大すぎる力ゆえ滅しきれず、幾重もの呪縛で封じ込めたモノ―――。
「なぜ……貴様が…!?」
 ようやくそれだけを口に乗せると、ソレは楽しげにくつくつと笑う。
「死人のかけた封印なんぞとうに、効力をなくしてしまっておるわ。忌々しい『枷』の代価を本人に払うことができぬは口惜しいが…」
 お前だけは直接払えそうだと、ソレは唇の端を吊り上げた。
「……………」
 殺される。そう本能的に思い老騎士は、背後にかばう孫と息子を仰ぐ。
(私は………いい。けれどこの子達はせめて…)
 そんな彼を嘲笑うように『魔』は、その触手に孫の一人を絡め取る。
「なっ…!貴様……」
 切りかかろうと身構える老騎士の身体を闇が包み込む。先程までの『影』とは異なり老騎士の剣でも切れぬその闇は、彼の身体から自由を奪い取り孫娘から生気を吸い取ってゆく。
「くっ………!!」
 老騎士は束縛を逃れようと必死の形相で身をよじったが、定まった形のない触手から自由を勝ち取ることはできなかった。
「くっ……無駄な足掻きをするものだ…」
 残忍な微笑を浮かべて『魔』は、孫娘の命を削り取ってゆく。薄紅の唇が血の気をなくし、白い肌はいっそう白く褪せる。
「お……祖父…さま………」
 震える唇からこぼれる声に老騎士は更に激しく身をもがく。だが、形なき触手はしっかりと彼の全身を包み込んでいて、ほんの数センチ程度の移動さえできないほどきつく彼を束縛する。
「―――――っ!!」
 紙のように、すっかりと白くなった孫の肌に老騎士は声なき悲鳴を上げる。
 そしてその瞬間、奇跡は起こった。

―――ボーン……ボーン……

 壁に掛けられた時計から低い定刻を告げる鐘の音が響く。と同時に、一陣の旋風が巻き起こり部屋の中に新たな『魔』が現れた。
「なっ……!?」
「……誰だ?」
 暗黒の闇を全身にまとい、漆黒の剣を携えた青年。質感のある肉体は彼が、実体をもたない『魔』そのものでなく、『闇』の力を持つ『人』であることを示していた。
「………っ!…お前は……!?」
 先程まで優越に浸っていた『魔』がなぜか僅かな怯えを見せる。同じ『魔』であるどころか肉体は『人』のものである青年にソレは、不思議と恐怖しているようだった。
「……お前………お前はまさか……」
 あとぞさりながら繰り返すソレに、青年はひたりと目線を合わす。
「………闇から生まれし邪悪な物よ……この剣に込められし力によりて、本来の住処へと還るがいい…」
「………えっ…!?」
 漆黒の剣が周囲に満ちる深く昏い闇を吸い集めていた。刀身に溶け込んでいくかのように急速に闇の濃度が薄れていく。老騎士を捕らえる闇の触手も、次第にその力を弱めていった。
「やはり…お前はあの………!!」
 その言葉が、ソレにとっては末期の声となった。
「消えろ」
 無表情な言葉と共に振るわれる漆黒の剣がソレを貫く。神の加護を持たぬはずのその剣は、騎士達の『聖なる力』以上に強力な深い『闇の魔力』でソレを粉砕した。
 サラサラと、昏い闇が夜の中へ溶けてゆく。『核』となる存在をなくした闇はいつしか宵闇の中に溶けきり、その昏さも邪悪さも失われる。
「………ここは、どこだ?」
 『魔』の消滅を確かめるように瞳を凝らし空を見つめる青年が、ふと不思議そうな声でつぶやいた。
「…そう言えば人の声がしていたな……」
 そう言って振り返った青年と、老騎士の視線がしかと交わされる。
「………まさか!?」
「そなたはもしかして…!?」
 『最後の朝』から実に半世紀、長き空白の時を経て再び会いまみえた老騎士の友人はある意味変わり果てたとも言える『以前と少しも変わらぬ』姿を、彼の前に見せて佇んでいた。


「………ここは、どこだ?」
 いつも通り自室で時計の螺子を回したところまでは記憶があった。子供のはしゃぐ声、時計の鐘の音、普段と何一つ変わらない日常――。
 差し込んできた夕日の眩しさにほんの一瞬だけまぶたを伏し、そして次の瞬間にはもうすでに、彼は見知らぬ場所に飛ばされていた。
「なっ……!?」
「……誰だ?」
 前後から同時に声が聞こえる。反射的に顔を上げてクラウレスは、自分が『魔』と対峙していると気がついた。
「………っ!…お前は……!?」
 僅かに怯む『魔』の気配にソレが、自分を見知っているのだと気がつく。だが、そんなことはどうでもいいことだ。クラウレスはいつの間にか手の中に収められていた剣を握り締める。
「………闇から生まれし邪悪な物よ……この剣に込められし力によりて、本来の住処へと還るがいい…」
 身体が青年化していることに、疑問や不審を抱くことはなかった。
 目の前に『魔』が存在している。今はただそれだけで十分だった。
 剣の一閃で『魔』を滅絶すると、クラウレスは静かに吐息を漏らす。
(それなりに、強い力を持つ奴のようだな…)
 刀身に吸いきれぬ闇のかけらが、周囲の夜へと溶け込んで消えてゆく。それらが全て無害な宵闇に変わっていくことを確かめて彼は、ようやく周囲に視線を巡らせた。
「…そう言えば人の声がしていたな……」
 振り返ったクラウレスはそこに立つ、老いた騎士の姿に言葉をなくす。
「………まさか!?」
「そなたはもしかして…!?」
 半世紀振りの再会は唐突で、相手に掛ける言葉も浮かばぬままにクラウレスはじっと立ち竦んでいた。



「ぼく絶対野球選手になるよ!ホームランいっぱい打って将来は、大リーグの四番を任されるんだ」
「オレはやっぱITきぎょうの社長かな。若いのにすげえ金とか持っててさ、メッチャカッコいいって思わねえ?」
「あたしはねえ………あたしはアイドル!!ミリオンセラーの曲いっぱい出して、最後は大物女優になるのよ」
 耳に飛び込む子供達の声に、クラウレスははっとして顔を上げる。
 瞳を照らし出す血の色の夕陽。定刻をわずかに過ぎた掛け時計。見慣れた、いつも通りの彼の部屋。
「今のは…いったい……?」
 白日夢のような一瞬の出来事。現実には決してありえないはずの、不思議な、奇跡のような邂逅―――。
「幻…いや、そんなはずはない」
 魔の存在を打ち砕いた時の、あの独特の感じは現実のものだ。なにより青年体へと変化した彼の肉体がそれを証明している。
「……………」
 静かにただ時を刻む時計を見つめ、クラウレスは眉間を軽く寄せる。
(あの…時……)
 うろたえてただ友人を見つめるクラウレスの耳に響いていた鐘の音。低く重々しい音で時を告げる、老騎士の家に飾られていた時計。
(あれは……確かに…)
 睨み付けるような視線を向けながら、クラウレスは時計を見つめ続ける。心の中の疑問をぶつけるように、彼は小さく時計につぶやいた。
「これもまた……お前の仕業か?」


 月明かりの差し込む部屋の中で、老騎士は一人、空を見つめていた。彼の死を看取る為に集まった家族達の姿は今はもうない。
 時計が鳴る。一つ、二つ―――。
 最後の鐘が鳴り終わるのを聞いて、老騎士は小さくため息をつく。
「もう……来ないのか?」
 中空に向かいポツリとつぶやいて、老騎士は抱いた麻袋を掴む。金属がこすれあう微かな音が、老騎士の耳をわずかにくすぐった。
「もう………会えぬのか?」
 視線をわずかに動かし老騎士は、壁にかかる古い時計を見上げる。時計は老人の問いかけにもなんら、変化することなく時を刻み続けていた。
「もう……………」
 つぶやいて老騎士はまぶたを伏す。終焉が、ゆっくりと彼に近づいてきていた。


 その晩、クラウレスは懐かしい夢を見た。幼い頃からの友人と共に深い森を歩いた遠い日の記憶。
 もう二度と見ることのかなわない故郷の樹々の間を歩きながら、親友と呼べる大切な友と会話を交わした『最後の朝』。
「もう、帰っては来ないつもりなのか?」
 心配そうに、かつ少し怒ったように彼はクラウレスに向かって問いかけた。
「ああ。ここに私の居場所はない」
「この剣も………置いてゆくんだな?」
「ああ、お前に譲る。私の形見だとでも思ってくれ」
 薄く微笑むクラウレスの言葉に、彼はきつく唇をかみ締めた。
「………後悔、してないな?」
「ああ。決して……な」
 頷くクラウレスの瞳を見つめ、彼はあきらめたように微笑んだ。
「わかった。ならば私達の友情も、今日を最後におしまい…だな」
「……………すまん」
 クラウレスのセリフにかぶりを振ると、彼はくるりと背を向け歩き出す。
「お前はお前の好きに生きればいいさ。私は私の意志を貫いていく」
 そう言って去ってゆく友の背中を、クラウレスは無言で見つめ続けた。揺ぎ無いまっすぐなその背中は、見る間に時を重ね歳老いてゆく。
「お前……は………」
 クラウレスの唇がゆっくり動き、老騎士の背中に向かい問いかける。
「お前はその意志を生涯通したか?自分の生き方を貫き通せたか?」
 老騎士は無言のまま振り返り、クラウレスに麻の袋を投げ言った。
「持っていろ。それはお前の手に返す」
 ガシャン、と大きな音を立て袋は、クラウレスの腕の中に落ちてきた。袋越しに感じるその感触は、かつてなによりも彼の手の中に、馴染んでいた大切な一対の剣。
「お前は今もその剣の使い手だ」
 そう言うと老騎士は森の緑に、溶け込むように姿を消していった。
「私の………剣」


 目覚めた時クラウレスはまだ夢が続いているのかと一瞬思った。
 横たわる彼の腕に抱きしめられた細くて硬い感触の麻袋。そこに収められた一対の剣。
 ゆるやかな弧を描く長剣と槍状の先端を持つ短剣。シャムシールとカルドはクラウレスが、騎士であった頃武器としていた物だ。

『持っていろ。それはお前の手に返す』

 夢の中の老騎士のセリフが、クラウレスの脳裏に甦ってくる。

『お前は今もその剣の使い手だ』

 そう言って姿を消した老騎士。今はもうどこにもいない友人。
「お前はその意志を生涯通したか…?」
 つぶやいて彼は剣をそっと掴む。
「…私は自分の生き方を貫くぞ」
 友が剣を返しに来たことの真意を、聞くことはもうかなわないけれど。

『お前はあの頃と何も変わらないな…』

 そんな彼の声がクラウレスには、聞こえてきたような気がしていた。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

★4984/クラウレス・フィアート/男/102歳/『生業』奇術師 『本業』暗黒騎士