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□甘味探求二人道□
梅雨入り宣言がなされた、とある初夏の日。
雨の隙間を縫うようにして晴れた空の下を、足取りも軽く歩く少女たちがいた。
正確には軽やかに歩いていたのは黒髪の少女の方であり、もう一人はやれやれ、という風に溜め息をつきつつ、繋いだ手を半ば引っ張られるようにして少女の後に続いている。
黒髪の少女の方はもう一人のそんな反応になど全く気付いていない様子で、ひっきりなしに首をめぐらせあちこちへと視線を飛ばしていた。
「そうきょろきょろするでないぞ、真珠。不審な者に間違われるぢゃろうが」
「だって珍しいものばかりなんですよ。あたし、ふもとまでは降りたことありますけどこうした大きい街って始めてだし……あ、あれ何だろ」
真珠と呼ばれた黒髪の少女は興奮気味に傍らの幼女の手を引っぱると、とある方を指差した。
「うわーっちょっと聞いて下さいよ嬉璃さん!! あそこのお店何かすごい音が出てますよっ、ほらちーんちーんじゃらじゃらって」
「……あれは『ぱちんこ屋』というものぢゃ。銀の玉を弾いて遊ぶ、まあ子どもの遊戯のようなものかの」
「さっすが嬉璃さん、よく知ってますねー。あ、あそこおっきい絵がどーんって飾ってありますよ?! 絵師さんがいるんでしょうか？」
「たわけ、こんな騒々しい場所に絵師なぞいるものか。……まあ中には物好きもおるようぢゃが。それはさておき、あそこは『えいがかん』という場所ぢゃ。あの絵は看板で、館の中ではその看板に沿った内容の『えいが』を流しておると聞く」
「？ 『えいが』って何ですか？」
「簡単に言えば紙芝居の超々早送りみたいなもんぢゃ。声や音も入っておるらしいがの」
「……よく分からないけど何かすごそうですね！ ね、ね、嬉璃さん。入ってみましょうよ『えいがかん』！」
「あいにく今日は『れでぃすでー』というものではないようなので少々値が張るらしいが、それでも良いのか？ 真珠よ」
チケット代と自身の財布の中身とを照らし合わせ、真珠は残念そうに首を横に振った。
「うーん、アルバイト代いっぱい持ってきた筈なんですけど『えいが』って高いんですね……。観たらそれで終わりっぽいです……」
「ぢゃろう？ おんし、わざわざわしを引っ張り出してきておいて目的を違えるなよ。今日は甘味巡りをするのぢゃろうが」
甘味。
その言葉を耳にした途端に真珠の表情が一変した。
「そうそう、あたしってば興奮しすぎててうっかり今日の目的を忘れてました！ というわけで嬉璃さん、改めまして甘味屋さんにれっつごーです!!」
やや短めのスカートから伸びた健康そうな足でコンクリートを蹴り、その勢いのまま目の前に広がるアーケード街へと飛び込んでいくと、甘い香りが二人を出迎えた。見れば、和・洋問わず菓子の専門店や甘味処が軒を連ねている。甘味好きにはたまらない場所だ。
ご多分に漏れず、真珠も甘味好きのひとりとして当然のように喉を鳴らす。少女の頭の中には甘い香りが充満しつつあった。
「今日はいっぱい食べたいものあるんですよ。お団子でしょ、おしるこ、あんみつ、くず餅に、すあまにようかん宇治金時！ よーっし、食べるぞーっ」
「ええい、はしゃぐのは構わぬがわしを引きずって走るのは止めんか!! それに年頃の娘がなんぢゃその格好は、はしたない。いつもの巫女装束はどうした？」
今の真珠の格好は、見慣れた巫女装束でも、ましてや彼女にとっての正装である天狗装束でもない。それを見咎めての嬉璃の言葉に、少女は駆ける足を止めないまま答える。
走るたびにひらひらとたなびく紺の襟と臙脂色のスカーフが、白地のセーラー服によく映えていた。
「それなんですけど、あたしがいつもの格好でお外歩いたらどうもおかしいみたいなんですよね。だから街中の学生さんの格好をまねて作ってみたんですよ、えへへ。それにほら、こういう格好ならどこにいても目立たないですし、街の中歩くにはもってこいですって！」
急ブレーキをかけて、ファッションショーのようにくるりと一回転。ついでに嬉璃も砲丸投げの如く振り回され一回転させられた。
ここらで一度、人は振り回す為にあるのではないとお説教をしておくべきか。
嬉璃がそう本気で考え始めた、その時だった。
「――――?!」
二人が同時に前方へと視線を飛ばし、足を止める。
人ならざる者たちがその鼓膜にとらえたのは、掠れた叫び声。
「……なんぢゃ？」
嬉璃の呟きを掻き消すかのようなエンジン音が、アーケードの壁にけたたましく反響した。続く声はしわがれた悲鳴。
歩行者たちが慌てふためきながら次々に飛び退り、開かれた中央をまるで当然のようにバイクが疾走していた。フルフェイスのヘルメットをかぶった乗り手の腕には、およそ似合わない和風の紙袋と肩掛け鞄がぶら下がっている。
突然の事態に目を丸くする真珠の耳に再び届いたのは、遙か後方でよろけ倒れた老婆の「泥棒……!!」という言葉だった。
「泥棒?! え、嬉璃さん、あの人って泥棒なの?!」
「むしろひったくりと言った方が正しいぢゃろうな。ふん、最近の若い者は年老いた者にさえ牙をむきよるわ。全くもって嘆かわしい。……む？」
見上げた視線の先には、盛大に眉を寄せ拳を握り締める少女の姿があった。
「真珠？」
だが呼び声に答えることなく嬉璃の手を放し、真珠という名の天狗は一足飛びに道の中心へと躍り出た。
「!!」
バイクはもう間近まで迫っていた。しかし真珠はその場に佇み正面だけをただ見つめている。
互いの距離は残り二メートル。そこまできて初めて乗り手は眼前の少女に避ける気配がないのを悟ったのか、驚愕したように身体を震わせた。反射的にブレーキに手が伸びる。だがそれは到底間に合うようなタイミングではない。
鋼鉄の鼻先が今にも少女の腹部を弾き飛ばそうとしたその刹那、けれど奇跡は必然的に起こる。
急激な停止状態になったのを抗議するかのように、タイヤが軋みをあげていた。
がこんがこん、と車体が跳ね、乗り手は掴まるという考えを失念したかのようにハンドルから手を放し、地に落ちる。
真珠の手はバイクの鼻先をしっかりと握り締めていたが、やがて鉄にめり込んだ指を引き剥がすと、地べたに転がる乗り手へとつかつかと歩み寄っていった。
「あなた、自分が何をしたか分かってる？」
相手を見据えていた金色の瞳が熱をもって輝きを放ち、屈み込んだ少女の手ががっしりと乗り手の両肩を捕まえる。
「よりによってお婆さんから物をひったくるなんて……ああもう情けないったらないわ！ 恥を知りなさいっ、恥をっ!!」
がくがくがく。
乗り手の頭がものすごい勢いで前後左右に揺さぶられ、簡単には外れない筈のフェイスのヘルメットがぼとりと落ちる。中から現れた青年はもはや白目さえむいていたが、それに気付かず真珠は続けた。
「大体ねぇ、見てみればまだ若いんだからお外に出る時は自分の足で歩かなくちゃ駄目よ!! 足腰は若いうちに鍛えても鍛えすぎるってことは全然ないって言うでしょ。いや、だからってじゃあ走ってならひったくりしてもいいってことじゃないよ？ あたしが言いたいのは若いうちから泥棒とかひったくりとかしてると癖になっちゃうからやめなさいってことで、決して、けーっしてひったくり推奨してるってわけじゃなくて……」
「馬鹿者」
ガン、という音と共に衝撃の走った頭を抑える真珠の上へ、溜め息が落ちる。
「いっ…………ったぁー……!! 何するんですか嬉璃さんっ、それに馬鹿って……！」
「馬鹿を馬鹿と言って悪いことがあるか。全く、説教するのは結構ぢゃが、とうに気絶している相手に言葉を飛ばしてもどうしようもあるまいに」
「へ？」
一瞬の沈黙。
改めて視線を嬉璃から乗り手へと戻せば、青年は素顔を現し白目をむいていた。
心なしか口から魂でも出てきているかのような気絶っぷりに、真珠の顔から血の気が引いていく。
「……あ、ああああああの嬉璃さんっ?! あたし、も、もしかして殺生しちゃったとかそういう……？」
「少し冷静にならんか真珠、止まった乗り物から落ちた程度で人は死なん。――――そら、立て。どうやらひったくられた方が来たようぢゃぞ」
「あ」
弱った足で駆け寄ってきた老婆は二人の前で立ち止まり、地面に転がった鞄を見て安堵したように「ああ」と息をついた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!! 本当に、何てお礼を言ったらいいか……」
「気にするな、こいつが勝手にしたことぢゃからの」
「そうですよーつい勝手に身体が前に……って何言わせるんですかっ。あの、それはいいとして、鞄とかに傷ついてませんか？ あたし止める事ばっかり考えてて、鞄、受け止められなくて……」
「いいえ、どうぞ気にしないでね。そう高いものではないし。それにしても本当にありがとうねえ、お嬢ちゃんがた」
「お」
お嬢ちゃんという言葉に反論しようとした嬉璃の口を塞ぎつつ、真珠は老婆へと引きつった笑いを投げかけて後ずさりする。
「そ、それじゃあたしたちはこれで……」
「ああ、ちょっと待って。まだお礼をしていないわ」
老婆は落下の衝撃で紐が千切れかけた紙袋から小さな箱を取り出すと、二人へと差し出した。
「お婆ちゃんからのせめてもの気持ちよ。良かったら受け取ってちょうだい」
「いえ、でも」
しばらく躊躇していたが、年老いた者独特の柔らかな笑みを向けられ、真珠は促されるように箱を受け取り胸に抱く。
「……ありがとうございますっ、大事にしますね!!」
「あらら、気持ちは嬉しいけれどお菓子だからできれば早めに食べてちょうだいね。とっても美味しいのよ、そこのようかん」
「ようかんっ?!」
ぱあっと表情を明るくした真珠の手の中から抜け出し、嬉璃は溜め息と共に言う。
「喜んでいる場合ではないぞ、真珠よ」
「何でですか？」
「あれだけ派手な『ぱふぉーまんす』をしたのぢゃ、きっとすぐに警察とやらが駆けつけて来るに違いない。面倒なことになる前にさっさと去ろうぞ」
「へ？」
見れば、今や真珠たちの周りには野次馬が集まりつつあった。人並みの向こうからは「ちょっと通して下さい」という声が幾つか、こちらに向かってきている。
「うわ、本当だ!! それじゃあお婆さん、帰り道に気をつけて下さいね。行きましょう嬉璃さん！」
「うむ。ではな」
脱兎の如く走り去っていく二人の少女。
その背中を見つめながら、老婆は深々と頭を下げるのだった。
「……ここまで来れば大丈夫ぢゃろう」
長いアーケード街の中央ほどまで来て足を止め、二人は壁際にしつらえられている長椅子へと腰を降ろした。看板が立てかけてあり、うまい具合に目につきにくい。
「やれやれ、真珠と行動を共にするとわしが疲れ…………、何をしておる」
「え？ いや、やっぱり中身がお菓子って聞いちゃうと気になるじゃないですかー。ではがさがさっと」
「……よもやここで食う気ではあるまいな」
嬉璃の言葉は包装紙を開く音に覆われ、真珠の耳には届かない。
「わー、見て下さいよ嬉璃さん。黄色いようかんです!!」
「ほう？ 芋ようかんぢゃな、しかもあの店のか。あの老婆、なかなかいい趣味ぢゃの」
「あの店って……嬉璃さん、知ってるんですか？」
「何を言うか、その筋では有名な店ぢゃぞ。ここの芋ようかんは絶品でな、自然な甘さがたまらんという……」
「あ、本当だ。美味しいー」
「……説明している間にもう食うか、おんしは!!」
「だってお腹空いてたところに美味しそうな芋ようかんですよ?! 食べるっきゃないですよ絶対！ あーでも本当美味しいー」
「ええい、一人で食うておらんで少しわしにも回さんか。おんしに振り回されたおかげで小腹が空いた！」
「うわ、ちょっと横からかじらないで下さいよ嬉璃さーんっ!!」
どたばたと芋ようかんをかじり合う少女たちを、道行く人々は微笑ましげに眺め、そして歩き去る。
二人の騒ぎ声も雑踏の中に溶け、アーケードの空気の一部と化していく。昼を過ぎた時間帯、ガラス張りの天井から射し込んでくる光は全てに優しく降りていた。
穏やかな雰囲気の中でようかんの半分を食べ終えた真珠は、満足げに口を拭きながら傍らへと話しかける。
「ねえねえ嬉璃さん。もしこの芋ようかん売ってるお店知ってたら案内してくれませんか？」
「……おんしは今食べたばかりぢゃろうが。まだ足りんのか」
「違いますよー、お土産に何本か買っていきたいんです。お山で待っている方たちにも食べてもらいたいなあって」
「ふむ、まあ、そういうことならば構わぬか。では行くぞ真珠、時間が勿体無い」
「はいっ!!」
先を歩く嬉璃の後に、真珠が軽い足取りで続く。
彼女たちの甘味探求は、まだまだ始まったばかりだった。
END.
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