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Calling 〜小噺・暇〜
腹部に手を置き、草薙秋水は溜息を深く深く…………吐く。
空腹だ。かなり。いや、ものっすごく。
(今日の食費も切り詰めないとな……)
水だけだ。水でいい。というか、水しか……。
「ふぅ……」
情けない。どうしてこんなに生活費がピンチなんだろう。
空腹でぐらりと視界が回転する。
(ぐはぁ……そんなにダメなのか、俺……)
とにかく目を泳がせて気分を紛らわせよう。
と、そこで気づく。
「あ」
月乃だ。
瞬間、秋水の脳裏に鮮明にあの時の記憶が蘇る。
バレンタインの時。そうだ。あの時。
(確か……)
「つ、月乃!」
声をかけると月乃はこちらを見る。相変わらず美人だなあと頭のどこかで思いつつ、片手を挙げた秋水はそのまま斜めにぐらりと倒れた。
*
ぺちぺちと頬を叩かれる。
「う……」
瞼を開けた秋水は目の前の、自分を覗き込む月乃にぎょっとした。
「つ、月乃!?」
「はい?」
「あ……すまない」
起き上がる秋水は、自分が気を失ったことを思い出して恥じる。
「いいですよ、べつに」
寝かされていたベンチを見遣り、それから立つ秋水。
「珍しいな、普段着」
「え? そうですかね」
「…………買い物か?」
「そうですよ。今晩の夕飯の買出しです。ちょっと材料が少なくなってましたから」
笑顔で言う月乃を見て、さてどうしたものかと秋水は悩む。
バレンタインの時のことを彼女は憶えているだろうか? 夕飯、ご馳走になりたいなんて言ったらどういう反応をするだろう?
(ど……どうしよう……。それに)
この間のことも謝りたかった。
(月乃の側にいたら……迷惑がかかるかもしれないな……)
暴走した時の記憶はないが、それでも……彼女に迷惑をかけたのはどんなに鈍くてもわかる。
だが。
ぐきゅるるるるるる……。
小さな音が秋水のお腹から洩れる。
(せ、せっかく人が真剣に……)
自分自身に腹が立って、こめかみに青筋が浮かんだ。なんで俺はこうなんだ。
「……おなかがすいてるんですか?」
「…………」
月乃の言葉に無言になる秋水の頬は、微かに赤い。そうだ、とはっきり言えない。見栄をはってしまう。
「よかったら、何かご馳走しましょうか?」
「えっ」
月乃を見遣ると、彼女は微笑んでいた。
「だ、だけど……」
「前にご馳走すると言いましたし。今度いつ、秋水さんにご飯をご馳走できるかわからないですしね」
「え? あ、ああ……その、じゃあ…………お言葉に甘えさせてもらおうか……な」
後頭部を申し訳なさそうに掻く秋水である。さらりと言われた中に、聞き捨てならないものがあった。
(いつか、わからないって……)
まるで、別れがすぐそこまで迫っているような言い方だ……。
買い物をする月乃の横を、カゴを持って一緒に歩く秋水。これではまるで――。
(…………恋人みたいだ)
ぼんやり思ってから、月乃の横顔を見遣る。
「すみません……私、そんなに上手ではないですよ?」
月乃の言葉にハッとして秋水は「へ?」と訊き返した。
「え? なんだって? 聞いてなかった」
「ですから、料理がです」
「は?」
「自分が食べる分は気にしないんですけど……。口に合わなかったら言ってください」
頬を染めて、顔をこちらに向けない月乃。
「い、いやっ、そんなことないって。ご馳走になるこっちこそ……」
「…………」
月乃は少し考え込むように視線を上にあげ、くすりと微笑した。
「なんだか……照れ臭いですね」
「え?」
「なんでもないですよ」
くすくす笑う月乃は、カゴに野菜を入れていく。
「粗末なところなんですけど」
そう言って月乃の荷物係を引き受けていた秋水は、彼女の家を見上げて呆然とした。
ボロい。なんてボロいアパートだ。
外付けの階段なんて、明らかに錆びているし、いつ壊れてもおかしくない。
しんと静まり返ったそこには住民すらいないように見えた。
(い、いいのかな……月乃だって、その……)
女性だ。それとも意識されていないのか?
そこまで考えて秋水は苦笑した。
(まあ心配ないか。あいつなら、こっちを一撃、殴れば済む話だしな」
というか。
(そんな心配するだけムダだよな。だいたい、飯をご馳走になるだけだし)
カンカンと外付け階段をあがっていく月乃に、秋水は慌てて続く。買い物袋ががさがさと鳴った。
月乃の部屋は奥から二番目だ。鍵を開けて中に入ると、そこはかなりの狭さであった。
(うお……!)
心の中で衝撃を洩らす秋水。
折り畳まれた布団。小さなちゃぶ台。それ以外に荷物らしいものがほとんど見られない。
こんなところで暮らしているのだろうか……? いくらなんでも飾り気がなさすぎる。
「では、しばしこちらで待っていてください」
割烹着を着ている月乃にハッとして、秋水は座った。ちゃぶ台がいつの間にか用意されている。
包丁を片手にしている月乃を、どことなく心配そうに秋水は見つめた。
なんだか様になるというよりは、うっかり凶器を手にしたような感じに見える。
だん! と強い音がしてびくっと秋水は反応した。それは月乃が大根を切る音だったのだが。
「おっと……少し力みましたか」
そんな小さな呟きが、耳に入る。
(ひいぃぃぃ! 実は月乃の包丁捌きって、ヤバイんじゃあ……)
頭を抱える秋水に気づかず、月乃の振るう包丁の音だけが……静かに、だが激しく響いた。
「どうぞ」
ちゃぶ台に並べられた食事を見てから、秋水は月乃を見つめる。あの音からどうやったらこれができるんだ?
揚げ出し豆腐に、茶碗蒸。ご飯。すまし汁。鰤大根。まあ……普通の食事だ。漬け物もある。
「いただきます」
両手を合わせて箸を持つ。
食べてから不思議そうに秋水は首を傾げた。
(美味い……ていうか、薄味だな)
こってり味がついているのではない。素材の旨みを出す最低限の味付けしかしていない。
とりわけ「すごく」美味いわけではない。普通に誰が食べても嫌いだとは思わない味付けだ。
「どうでしょう?」
「ん。美味いよ。いつでも嫁に行ける。保証するぞ」
笑顔で言う秋水に、月乃は嬉しそうに顔を輝かせる。
「ありがとうございます。まあ、お嫁の貰い手なんてないとは思いますけどね」
「なんでだ?」
「え?」
きょとんとしてから、月乃は闇を深く反映させた瞳になった。こういう瞳の月乃を、秋水は好きではない。これは月のない夜の道を歩く者の目だ。
「そうですね……だって、私は遠逆の者ですから」
さらりと……けれども嘲笑の混じった言葉だった。この間まで呪いが解けるかどうか、思案していた少女のものではない。
「? 遠逆だって……」
「ふふっ……。草薙の家とは、性質が違うんですよ」
笑顔で言われたが、秋水は箸を止める。だって……『笑っていない』顔だ。今のは。
「澱んだ水です。沈殿した汚物です……。暗く、深く、闇の一族なんですよ」
「そ、そこまで言うこと……」
「この東京に来て。秋水さんに出会って。色んなことを体験して」
月乃は視線を伏せる。
「私の、ココが痛むんです」
胸元に手を置く月乃は、自嘲気味に笑った。
「おかしいって……思ってしまうんです、あの一族を。狂っているのでは、と疑ってしまいそうになる」
「月乃……」
「太陽の下が……痛い」
苦悶する月乃は、ゆっくりと視線をあげる。
「私は、しょせんは闇夜を歩き、魔を狩るだけの女……。ですが、秋水さんと出会えたことは忘れません」
「つ……」
「お料理が冷めますので、とっととお食べください」
いつもの表情に戻った月乃に驚き、秋水は「ああ」と曖昧に返事をして料理を口に運ぶ。
「ありがとう。美味かったよ、本当に」
「お粗末様でした」
ドアの前での会話だ。秋水は食事を終えて、今から帰るのである。
「送りましょう」
月乃はドアから外に出た。
「いいって。それに、ふつうは逆だろ」
「お話があるんでしょう?」
そう言われて、秋水は言葉に詰まった。
二人は歩き出す。月の出る夜道を。
「あの、さ」
「はい?」
「この間……その、俺」
「いいんです」
「え?」
「いいんです。あなたが無事なら」
「月乃」
「あなたが……死んでいたら、私は……私が、壊れていたかもしれません」
ぽつりと呟く月乃は、微笑した。穏やかで、安堵の。
「謝罪なんてしないでください。あの時、欠けていたものを手に入れたような気がしました。私は、この年になって、ほとんど恐怖を感じなくなっていましたからね」
「?」
「幼い頃」
月乃が秋水を見上げた。
「私は、この右眼の能力を試すために……何度も何度も……それはもう、恐ろしい体験をしたんですよ」
それは、笑顔で言うことではない。
「情けないんですが、私は自身にそれほど技量がなかったのでこの能力に頼ってまして」
「月乃……」
「見ただけで攻撃しちゃうので、ちょっと困ったんです。まあ……敵だけ目前に用意すれば良かったのでそれほど手間はかかってないんですけどね」
「攻撃って?」
「ああ、こうします」
月乃が前を向いて目を細めた。刹那、その瞳に力が込められる。
地面がどがっと抉られた。しかし穴は小さい。
「便利なものでしょう? コツを掴めばなんてことはないんですが」
「便利って……」
秋水は絶句した。月乃の唇からは血が流れていたのだ。
「ああ。口の中を切ったみたいですね」
苦笑する月乃は、手の甲で血を拭う。不自然な成り行きだ。
「お、おまえ……それを使うのって、やばいんじゃ……」
「なに。それほど負担はかかりませんよ」
「バカッ! あのなあ! そういう問題じゃないだろ!」
「怒られると、覚悟してました」
また、困ったように苦笑する月乃は秋水の頬に手を伸ばす。
「この事を他人に話したのはあなたが初めてなんですよ? 光栄に思ってくださいね」
触れた手がひやりと冷たかった。まるで生気を感じない。それは単に秋水の勘違いだとは、わかっていた。
だって。
この夜がこんなにも静かで、冷たいから。
悲しそうに、切なく微笑む月乃の、その手を秋水は掴む。
「一人だなんて、思うな。俺もいる。絶対に、おまえを裏切らない――!」
「ふふ……嬉しいです」
照れたように笑う月乃を、秋水は泣きそうな顔で見つめた。その手が温もりを取り戻すまで……。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【3576/草薙・秋水(くさなぎ・しゅうすい)/男/22/壊し屋】
NPC
【遠逆・月乃(とおさか・つきの)/女/17/高校生+退魔士】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、草薙様。ライターのともやいずみです。
自身の秘密を少し明かした月乃。今回も恋愛色を出して書かせていただきました。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ嬉しいです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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