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<東京怪談ノベル(シングル)>


知心


 夏が近付いている。
 陽射しは日に日に強くなってきており、電車やバスに乗ったりデパートや喫茶店に入ったりすればればクーラーが入っていた。
「暑い」
 ぽつり、と藤井・葛(ふじい かずら)は呟いた。夏が近いのだから、暑いのは至極当然の事である。だが、だからといってそれが我慢できるかどうかはまた別問題だ。
「どこかで涼もうかな?」
 葛はそう呟き、辺りを見回した。
(あ……)
 辺りを見回している時、葛はふと目に飛び込んできた風景に動きを止めた。
 それは、幸せそうなカップルだった。手を繋ぎ、にこにこと談笑しながら歩いている。ショウウインドウを指差し、何かを言い合い、そして笑う。
 葛が何だろうと思って見てみると、ショウウインドウに飾られていたのはペンギンのぬいぐるみだった。ぬいぐるみは浮き輪を腰に巻き、水着を着せられた男女のマネキンの下で誇らしげに笑っていた。なんとも愛らしいショウウインドウである。
 だが、だからといってあんな風に笑うほどのものではなかった。
(あの二人にとっては、楽しいのかな?)
 葛は楽しそうなカップルの背中を見つめ、それから視線をペンギンに戻して考える。ペンギンは誇らしげに笑っている。マネキンは作られた笑みを浮かべている。これを見て、カップル達はにこにこと笑っていた。
 何でも無い出来事が、カップルにとっては違う風景に見えるのだろうか。
(そんなの、分からない)
 葛はきゅっと手を握り締める。
(幸せそうなカップルだったら、見えている風景が違うだなんて……俺には分からない)
 葛はショウウインドウに背を向け、歩き出した。カップル達には、思わず笑ってしまうほどの風景なのかもしれないが、葛にとってはちょっと可愛いな、と思うくらいのものでしかなかったから。
(でも……意識すると、結構カップルっているんだな)
 葛は歩きながら実感する。今まで、そこまで気にして歩いてなかったが、案外沢山のカップルが歩いていた。手を繋いで、腕を組んで、肩を抱き合って。
(暑くないのかな?)
 葛はそう思い、だが首をそっと振った。きっとカップル達にとっては暑さなど関係なくて、手を繋いだり、腕を組んだり、肩を抱き合っていたりするのが大事なのだ。暑いからそれをしない、というわけではない。暑くてもそれらをしたい、と思っているのだ。
(やっぱり、俺には分からないな)
 葛は思わず苦笑する。こんな暑い日なのに、手を繋いだり腕を組んだりするなんて暑くて敵わないと思うのだ。肩を抱き合うなんて、とんでもない。そんな事をしたら、汗まみれになってしまう。
(気にならないのかな)
 葛は思い、そっと手を見つめた。何もない、見慣れた手がそこにある。この手を繋ぐ事に、何の意味があるのだろうか。
 一緒に住んでいる同居人となら、よく手を繋ぐ。小さい手をきゅっと握り、一緒に歩く。別に暑いとかそういう事は思わない。それと同じなのだろうか。
(……違う……と思う)
 葛は同居人とは違う、と漠然ながらに結論を出した。きっと、違うのだと思うのだ。暑い暑くないが関係ないという事は同じかもしれない。だけど、それだけではない何かがそこにはあるのだと思う。
 それが何なのかは、分からない。
(分からない……?)
 葛はそこで初めて、疑問を投げかけた。
(俺は、本当に分からないのかな?)
 ずっと、そのような感情は分からないと思ってきた。手を繋いで幸せそうにしていたり、他愛のない事で談笑していたりするカップルを見て、自分には全く分からない感情だと葛は思ってきたのだ。
 だが、それは本当に分からないのだろうか。
 以前、友達が携帯電話の待ちうけ画面を、彼氏の写真にしていたのを見つけた。見つけられた友達は少しだけ照れて、それからふわりと笑った。その表情が綺麗だと思ったのを、葛は何となく覚えている。
(俺は、そんな事はしないだろうな)
 それは漠然とした予感だったが、おそらくそうだろうなと思っている。あんな風に自分はする事は無いだろうと、何となく思ってしまうのだ。
 また、別の友達は彼氏の事が頭から離れないのだと言っていた。毎晩、ついつい電話してしまうのだと。その表情が可愛らしいと思ったのを、葛は何となく覚えている。
(そんな事はないだろうな)
 それも漠然とした予感として葛の中にあった。毎晩電話だとか、頭の中から離れないだとか、そんな事はきっと無いだろうなと思えて仕方が無いのだ。これは持って生まれた性格なのだから仕方が無いのだろうと、苦笑気味に考えてしまう。
「何か食べようかな」
 葛はお腹がすいていた事に気付き、近くに会ったレストランに足を踏み入れた。パスタ専門店のそこは、メニューも豊富でボリュームもあり、尚且つ安い。お気に入りの店の一つである。
 座って注文をし、パスタを待つ間に葛はふと気付く。一組のカップルが、丁度自分の視界に入っている事に。
 緊張気味に女性に話し掛ける男性と、頬を赤らめながらそれに頷く女性。
(男の方から、誘ったのかな?)
 葛はそう思いながら、水に口をつける。すう、と冷たい感覚が喉の中に入っていく。
(きっと、互いに好き合っているんだろうな)
 葛は確信する。男性の女性を見つめる目は優しく、暖かい。逆に女性が男性を見つめる目は輝き、柔らかい。互いが互いを思い合い、同じ時を過ごす事を幸せに感じているようだった。
「……なんか、いいな」
 ぽつり、と葛は呟いた。そこまで相手の事を真剣に思えるというのは、素敵な事だと思えたのだ。そして、その思いが相手に伝わったとしたら、もっと素敵だと思える。
 パスタがやってきて、葛は小さく「いただきます」と言ってから食べ始めた。いつも通りに美味しく、いい匂いのするパスタ。そんなパスタを、幸せそうなカップルたちも食べているのだろうか。
(俺は……分からない……かな?)
 いつしか、分からないと断定していた思いは疑問に変わっていた。パスタを食べながら、葛は妙に様々な事が疑問として浮かんでくる事に気付いたのだ。
 本当に分からないのだろうか。
 どうしても分からないのだろうか。
 実は分かっているのではないだろうか。
(よく、分からないけど)
 自分の気持ちが、葛にはいまいち分かり辛かった。好きとか嫌いとか言う感情は勿論、どうして相手の事を真剣に考え、受け止める事が出来るのだろうかと。素敵だと思うが、それが自分に出来るかどうかも見当がつかなかった。
 むしろ、自分がどうしたいのかも見当がつかないのだ。
(でも……それは、逃げているだけなんじゃないか?)
 パスタを食べ終わり、カタン、と音をさせてフォークとスプーンを置きながら、葛は考える。
(そうだ、俺は逃げているだけなんじゃないか?目を逸らして、分からないと繰り返して)
 友達が彼氏に対して抱く思いが、自分に当てはまらないからといって、それがわからないという事に繋がるのだろうか。世の中にいる沢山の人の中で、誰一人として同じ人間はいないというのに。
(俺は、分かろうとしていないだけだ)
 恋愛に対して鈍い、と言われても何が鈍いのかと不思議に思っていた。だが、それも鈍いのだと言われて受け入れ、どういう意味なのかをちゃんと考えなかったからではないだろうか。
 自分には恋愛感情が分からないのだ、という逃げ道を作って。そこに逃げ込んでいただけではないのだろうか。
(俺は……)
 分からない、という言葉が便利だと葛は思う。本当に分からないのか、それとも逃げるために分からないと言っているだけなのか、区別がつかないから。
 葛は勘定を済ませ、レストランを出た。胸の中で、ぐるぐると疑問ばかりが渦巻いているようだ。
「……傍に、いたいわ」
 葛ははっとして、振り返った。見れば、カップルの後姿がそこにあった。すれ違い様に聞こえた彼女の台詞だ。
「傍に、いたい……?」
 ぐるぐると渦巻く感情の中、その言葉は妙な威力を発揮した。喉が渇いた時に飲む、冷水のように体の中に染み込んでいく。
(傍にいたい……)
 分からないと思っていたカップル達の行動が、葛の中で一つの線となって結ばれる。
 傍にいたいから、手を繋いだり腕を組んだり肩を組んだりする。携帯電話の待ちうけを彼氏の写真にしている。毎日電話をかけてしまう。
 そのどれもが、根源に「傍にいたい」という思いを孕んでいるのだ。
「俺は……」
 葛は呟き、そっと携帯電話を取り出した。じっと見つめ、一つの電話帳のメモリを呼び出す。ネットゲーム内での相棒、いつも一緒に行動する相棒。その名前が、携帯電話のディスプレイ画面で光っている。
「……俺は、確かめたい」
 葛は通話ボタンを押す。電話番号が流れ、相棒の電話にかかる。何度目かのコールで、相棒が出た。葛は会いたい、と相棒に伝えた。相棒は快くそれを承諾してくれた。何処に行こうかと、尋ねてもくれて。
 葛は場所を相手に伝え、電話を切った。何故だか、葛の心臓がドッドッと鼓動を響かせている。
(俺は、確かめるんだ)
 葛はぎゅっと携帯電話を握り締める。これで、分からないと思っている自分の気持ちが分かるのかもしれないという、思いで胸が一杯だった。
「俺は……」
 葛はぽつりと呟き、そっと歩き始めた。
 相棒と待ち合わせた場所に、辿り着く為に。

<心を知るために歩き出し・了>