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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


パン屋のお弁当


 その道を通る時、遠夜がいつも最初に見るのは雨のバイト先のパン屋だった。
ひょんな事がきっかけで知り合った雨は、会うたびにあれやこれやと遠夜を気遣ってくれる不思議な人だ。
 からら、ころん
「いらっしゃいませー」
 子供連れの婦人がドアを開くと、元気な声が聞こえた。
今日は店内に客が多くいる。店に寄るのは明日にする事にした。
店の前を通る遠夜の手元でコンビニの袋がかさりと鳴った――こんなものを食べていたら、また叱られるかもしれない。


「榊くんってさ、ちゃんと食べてないよね」
「……食べてるよ」
「ウソ! 絶対栄養足りてないよ」
 どうしてそう決め付けられるのか、遠夜にはさっぱり判らなかった。黙って僅かに肩を竦めると、雨は呆れたようにため息を付いた。
「野菜、ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
 店長が奥に引っ込んでいるのを良い事に雨はびしばしと指導する。
「食べてるって何種類? 惣菜パンかサンドウィッチを食べた方がいいよ」
「……判った」
 カレーパンを一つ追加して、レジに向かうと雨は満足そうに頷いて、ついでとばかりにレジの横に置かれたピロシキに目をやった。
「小石川さん」
「判ってるよ。……仕事が終った後に貰った分なら」
 どうかと尋ねる前に遠夜が首を振った。
「小石川さんに食べて欲しくて渡すものだろう?」
 真っ当な指摘に雨はうーっと唸る。
「でも本当に栄養足りてないよ!」
 袋の口を閉めながら、雨は頑固にそう繰り返した。


 店の前を横切る遠夜の姿を見つけて、雨はあ、と小さな声をあげた。店を見回すが、お客がそれに気がついた様子はない。ほっとしてまた視線を戻すと、遠夜がこちらを見ていた。笑って手を小さく振ると、遠夜もまた僅かに笑顔を浮かべて会釈する。
そのまま通り過ぎる姿を見送って、雨はそれに気が付いた。コンビニの袋のあの独特な形はお弁当を買った時の物だ――あれが夕食だろうか。
 ああいうのって添加物とかたくさん入ってるんだろうな。
 雨は段々心配になってきた。ただでさえ栄養が足りてなさそうなのに、コンビニ弁当はよくない。もしかして、ああいうものばかり食べているのだろうか。
 成長期なのにそんなの絶対良くないよね。
 気になるけれど、コンビニの買い物まではいくら雨だって、口出し出来ない。
「ままー、ミートボールがたべたーい」
「はいはい。じゃあ明日のお弁当はミートボールにしましょうね」
 にこにこと笑顔を交す母子の言葉に閃いた。
 お弁当、作ってみようかな。食べてくれるだろうか。
 でも戦うんなら余計にしっかりと食べなきゃ駄目だよね――雨はこの間見た光景を思い出して一つ頷いた。


 公園の池のほとりに何かがいるのに気が付いたのは一週間前の事だ。
雨には人に見えないものが見えたが、見えるだけで何も出来ない。だからその何かに対してもどうにか出来るわけではなかったけれど、それでも気になる事に変わりはなかった。
良くない気配を放っているとなれば尚更だ。
心配になって何事も起こっていないか確かめる為にその公園を通るのが日課になっていた。
 いつものように公園に向かう最後の曲がり角を曲がろうとした時の事だった。
 どぉんっ……!
「な、何!?」
 爆ぜるような音に驚いて角を曲がって公園を見る――そこにいたのは。
「榊くん……?」
 平安時代のようなデザインの真っ白な服を着た少年は彼女がよく知っている人だった。鷲が少年と対峙する大きな黒い何かに向かって舞い降りる。その隙に遠夜は何かと距離を取るように下がった。
 助けなきゃ!
 思わず駆け寄ろうとした雨の足元に暖かな何かが擦り寄ってきた。
「きゃ……ね、猫?」
 黒い猫が足元にまとわりついて雨を見上げていた。にゃあ、と鳴く声に可愛いと思いかけて、目の前の光景を思い出す。行かなくては。
 にゃあ。
 もう一度黒猫が鳴いた。行くなと止められた気がした。
「汕吏、目だ!」
 遠夜の声が凛として響く。そこで漸く気が付いた。彼なら大丈夫だ。むしろ私が行けば足手まといになる。
雨は黒猫を撫でて踵を返した。
「怪我、しないでね」
 呟く声だけがその場に残った――。


 雨は台所のテーブルにペンを置いた。メモ帳に書き込んだメニューを見て、大きく頷く。
「男の子だからこれ位食べなくちゃね」
 メインはピーマンの肉詰めとブリの照り焼き。定番の卵焼きは外さずにネギ入りに。
 がんもどきとしいたけ、サトイモの煮物に、ひじきの煮付け。ほうれん草の胡麻和えに大根の人参の浅漬けサラダ。余った隙間に置くのはちくわの穴ににキュウリやチーズを差し込んだもの。
 それらを弁当箱のどこに詰めるかまで書き込んだお弁当作成図が出来上がっていた。朝からどれを作るか悩むよりこうしておいた方が圧倒的に手間がかからない。
 量がかなり多めになるが、しっかり食べてくれるだろうか?
 それ以前に受け取ってもらえるのだろうか?
 ふと不安がよぎる。あのメロンパンの騒動を思い出すとさらに不安が増した。
「大丈夫よね。うん、別に理由もなく頑なな訳じゃないし」
 自分に言い聞かせるように呟く。断られるかもしれないと思いながら作るのも変だが、どうにも遠夜を見ているとあれこれ世話をやきたくなってしまうのだ。
「何だか不思議だよね」
 手のかかる弟みたいと言えなくもないけれど、決してそれだけじゃないのだ。でも言葉では上手く表現出来なくて、結局不思議だなに落ち着いてしまう。でもそれが心地良かった。
「あれ? 雨姉ちゃん弁当作んの? カレシに?」
 本物の弟がひょいと台所に顔を突っ込んで呟く。にやりと笑って言い足すのも忘れない辺りが小憎らしい。違うと首を振って見せると弟はさもありなんと頷く。
「だよなあ、雨姉ちゃん、色気ねーし」
 弟の頭をぽかんと叩くと雨は心の中で遠夜に謝った。
 こいつと一緒にしてる訳じゃないからね。他にも弟がいるし、可愛いのもいるから。
「私は下ごしらえで忙しいんだから、あんたは出てく!」
「味見は?」
「仕方ない。後で少し持って行ってあげるよ」
 よっしゃと呟いて出て行く弟がふと窓を見上げた。
「満月」
「ほんと、綺麗だね」
 遠夜も今頃この月を見ているのだろうか――。


 開け放した窓から満月が良く見える。今宵の月は綺麗だ。
 テーブルの位置をずらして、月が見える場所に遠夜は夕飯を置いた。
 コンビニ弁当とペットボトルのお茶。そっけない食事を前に遠夜は手を合わせる。
「いただきます」
 弁当の蓋を開ける。今夜も一人きりの夕食だ。否、一人ではない。いつも一緒にいる汕吏と響がいるのだから。
 けれど、彼らと話して食べる訳ではないから、遠夜の食事はいつも静かだ。
 今頃は雨も食事をしているのだろうか。
「……不思議な人だな」
 会うたびに、きちんと食べろとか、栄養が足りてないとか心配してくれる雨は遠夜にとって不思議な存在だった。僕なんて気にかけても仕方ないだろうに、と思う。
だからと言ってあれこれ細かく言われても煩わしく感じない自分がいる。普段だったら、他人に関わるなんて苦手なのに。どうしてだろう。雨が相手だと他人と関わる煩わしさや面倒さはどこかに行ってしまう。雨が自分を気遣ってくれるたびに、こそばゆい嬉しささえも湧き上がる。
 本当に不思議な人だ。惜しむらくは――。
「あの心配性だけは困りものだよな」
 いつも一生懸命な雨の小言を思い出して遠夜は頬をほころばせた。見る者のいない優しい笑みに響がにゃあと鳴き声をあげた。
「そういえば、響のおかげだね」
 結界を張った筈の公園に雨が迷い込んだのはこの間の事だ。危険な目にあわせずにすんだ事に遠夜はほっとしている。
しかし、響の促しで立ち去った事に安堵はしていたが、次に会うのが少し怖かったのも本当だ。
 東京にいる能力者の数は決して少なくない。しかし、それでも怖がられて避けられても仕方ないと思っていた。
 翌日会った雨がいつも通りの笑顔だった事が遠夜にはとても嬉しかった。しかし、会って最初に出て来る言葉がちゃんと食事をしているかというものだったのはどうだろう。
「小石川さんらしいけどね」
 呟いた言葉に響が律儀な相槌を返した。


 今日のパン屋は比較的暇だった。時計を確認して雨は首筋を軽く叩いた。
「あと10分か……榊くん、来るかな?」
 弁当を持って来たのは良いが肝心の渡す相手が来ないのでは、ちょっと間抜けな事になる。さて、どうしたものか、と密かに雨は悩んでいた。
 からら、ころん
「いらっしゃいませー。……あ、榊くん」
「こんにちは」
 噂をすればなんとやら。控えめな笑顔を浮かべた遠夜に雨は笑顔になった。
 よかった。これで渡せる。
 幾つかのパンをトレイに乗せて、遠夜はレジにやってきた。その手にコンビニの袋がない事に雨は密かに安堵した。もう買っていたら無駄になるところだった。
「はい。こちら商品になります。……ね、榊くん」
「何?」
「後少しで終るから、ちょっと待ってて」
「それは構わないけど、どうして?」
 理由は後でね、と雨が言うと店長が奥から顔を出した。
「雨ちゃん、時間だよー。おや、いらっしゃい」
「あ、はーい」
 軽く頭を下げた遠夜を置いて雨は慌ててエプロンを外して荷物を取ってくる。
「じゃ行こうか。店長、お疲れ様でしたー!」
「ほい。お疲れさん」
 店長に手を振って店を出ると雨は袋から小さな袋を取り出した。テント地の飾り気のない袋に遠夜は軽く首を傾げる。
「お弁当。雨さん特製だよ」
 雨はそう言って遠夜にお弁当袋を差し出した。
「ちゃんと、ありがたく食べなさいよね?」
「有難う」
 袋を受け取ると遠夜は笑顔になる。雨は素直な態度に照れてわざと胸を張る。
「量は多目だけど、残さず食べるように」
「夕飯で食べるよ。明日お弁当箱は返しに行く」
遠夜はそう言って頷いた。


 ――遠夜の夕飯となったお弁当はとても美味しくて、雨の期待通り残さず食べるまであっという間だった。


fin.