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伝説の部屋と謎の住人
「霊芝草の間」。
千年に一度花を咲かせるという伝説の花の名を冠したその部屋の存在が明らかになったのは、つい最近のことである。
「……にしても、わしすら知らなかった部屋をわざわざ指定してくるとはの」
不思議そうに、嬉璃がぽつりとそう口にした。
数百年ずっとここに住んでいるはずの彼女にとって、「知らない部屋があった」ということがどれほどの驚きであるかは想像に難くない。
「それに、あの部屋ってどこにあるのか、いまだによくわからないんだよね」
柚葉がそう続けると、嬉璃は小さく頷いて、もう一度首をかしげた。
「んむ。探しても探しても見つからん時は見つからんのに、見つかる時は気がつくと部屋の前だったりするからの」
「不思議だよね。静佳さん、そんなに変わった人には見えないのに」
「静佳さん」というのは、「霊芝草の間」を借りにきた女性のことである。
名前は板垣静佳(いたがき・しずか)。見た限りでは二十代前半と言ったところだが、実年齢、職業、素性など、そういったことはほとんどが謎のままであった。
「そうとも言えんぞ。普通の人間は『何度も払うのが面倒だから』というだけの理由で、家賃を十年分も前払いしたりせんぢゃろう」
嬉璃が呆れたように言う。
管理人室に住んでいる彼女は、静佳が部屋を借りにきた時も一部始終を見ていたのだろう。
「そんなことあったんだ」
二人がそんな話をしていると、ちょうど部屋に入ってきた綾が、怪訝そうに口を開いた。
「そない気になるんやったら、本人に聞いてみたらええんとちゃうの?
それくらいのことで気ぃ悪くするような性格には見えへんけど」
確かに、見た限りでは、静佳は比較的おっとりした性格のようにも見える。
けれども、そういった相手は、時として気の短い相手よりもさらに扱いづらいこともある。
「気は悪くしなさそうだけど、はぐらかされそうな気はするなあ」
「部屋と同様、つかみ所のなさそうな感じぢゃからの」
二人がそう答えると、綾は少し考えてから、楽しそうにこう言った。
「それやったら、うちらでこっそり調べてみよか」
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「霊芝草、ねえ。確か、漢方で使われる茸にもそんな名前のなかった?」
柚葉たちの話を聞いて、シュライン・エマはふとそんなことを考えた。
「そういえば、そんなんもあったなあ」
なるほどというように頷く綾に、柚葉が不思議そうに尋ねる。
「でも、茸なのに霊芝『草』ってヘンじゃない?」
「まあ、厳密には植物やないけどな。冬虫夏草なんかも、本当は茸の仲間やし」
「ふーん。で、その霊芝草が何か関係あるの?」
「ひょっとしたら、それがその部屋の正体かも、と思ってね。
あやかし荘なら、どこかに生えた茸が何かの拍子に意識を持って、人の姿を取れるようになった、というのも、ありえない話じゃないでしょ」
普通に考えてみれば、わりと突拍子もない推理ではある。
だが、これと同じくらい、あるいはこれよりもっと信じがたいことが、あやかし荘では当たり前のように起きていることも事実であった。
「ふむ。言われてみればそうぢゃな」
「確かに、あり得る話だよねー」
嬉璃たちも当然そのことは知っているから、納得こそすれ、否定的な意見など出るはずもない。
「とりあえずは、その方向で調べてみるのもよさそうやな」
いつの間にかリーダー的存在になっている綾のその一言で、当面、その方向で調べてみることとなったのであった。
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そして、その翌日。
柚葉たちが熱心に聞き込みを行ったおかげもあって、シュラインのもとには、予想を上回る数の目撃報告が集まってきていた。
「どう? 何かわかった?」
データを集計しているシュラインに、柚葉が興味津々と言った様子で問いかけてくる。
「そうね。多少の規則性は見つかったわ」
シュラインはそう答えると、ノートパソコンの画面を指さしながら説明を始めた。
「発見回数が多いのは主に昼から夕方にかけて。
逆に、朝や夜に発見されたことはほとんどないみたいね」
正確には、最も早い発見時刻が午前十時前後で、最も遅い発見時刻は午後六時前後である。
それより早く、あるいは遅くに出歩く人も決して少なくないことを考えれば、やはり、朝と夜には見つからない理由がある、としか考えられない。
「発見場所にはほとんど法則性なし。
本館でも旧館でも目撃情報がある上に、誰もその前後のことをはっきりとは覚えてないみたい」
本館や旧館はもとより、無限回廊を歩いていたはずなのにいつの間にか、という報告さえある。
しかも、そのどれもが「あれっ、と思ったら、いつの間にか部屋の前にいた」というのだから、これではほとんど参考にならない。
強いてあげるとすれば、やはりこの部屋は普通の部屋ではない、ということが改めて確認されたことくらいである。
「ただ、同時刻に静佳さんが目撃されている場合は、だいたいそのすぐ近くで見つかっているようね。
逆に、『たまたま出てきた静佳さんとばったり会って、一緒にお茶を飲んだ』って人も何人かいたけど、これは逆に奥まったところで見つけた場合がほとんどね」
後者の例はともかく、前者の例からは、ある一つの仮説が導き出せる。
「霊芝草の間は、常に静佳にとって便利な位置に移動している」のではないか、というのがそれであった。
また、もしそうなら、それは「静佳と部屋とは一心同体」である可能性にもつながり、シュラインの最初の推理を裏づける証拠ともなり得る。
シュラインがそこまで説明した時、管理人室で名簿を調べていた嬉璃がやってきた。
「おぬしの言うように、昔の名簿も調べてみたが、やはり霊芝草の間なんぞないようぢゃ。
誰かが勝手に建て増したきり一度も借りられていない、ということはあり得るかもしれんが、それだと静佳が知っていたことの説明がつかん」
この証言で、「本当は大昔からあった」という可能性も消え、いよいよシュラインの仮説の信憑性が高まってきた。
とはいえ、全てはあくまで状況証拠であって、決定的な証拠がない以上、現時点ではただの仮説に過ぎない。
しかし、その「決定的な証拠」を掴むことは、今のままの調査方法ではほぼ不可能に近い。
「聞き込みだけでわかりそうなんは、このくらいみたいやな」
綾の言葉に、シュラインは少し考えてこう応えた。
「これは、やっぱり本人に聞いてみるしかなさそうね」
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静佳を見つけるのは、部屋の謎を探るよりもずっと簡単だった。
晴れた日の昼間。
よく日の当たる、中庭に面した廊下に、彼女はいた。
短い黒髪に、少し日焼けした肌。
動きやすそうな服装をしているところまで、柚葉たちに聞いた話とぴったり合っている。
「あなたが静佳さん?」
シュラインが呼びかけると、彼女は少しきょとんとした顔で振り向いた。
「ん、そうだよ。そういうあなたは?」
「私はシュライン・エマ。ぜひあなたに会いたいと思っていたの」
「そうなの?」
不思議そうに首をかしげながらも、顔には人なつこい笑みが浮かんでいる。
「ええ。いろいろと噂になってるから」
シュラインがそう言うと、静佳は驚いたように目を丸くした。
「噂? なんで?」
自覚がないのならかなりずれていると言わざるを得ないし、とぼけているだけだとしたらかなりの役者だ。
いずれにしても、一筋縄ではいかない相手だろう。
ともあれ、そんなことで二の足を踏んでいても始まらない。
「あの『霊芝草の間』のこと。どうしてあなたがあの部屋のことを知っていたのか、皆不思議がってるわ」
シュラインがそう説明すると、静佳は軽く苦笑しながらこう答えた。
「知り合いに紹介されただけだよ。
気が合うってわけでもないし、面倒ばっかり起こすから、普段はどっちかというと鬱陶しいんだけど、たまーに頼りになるような、そんなヤツに」
「そんな知り合いなら、私にもいっぱいいるわね」
何人かの知り合いの顔を思い浮かべながら、シュラインが相づちを打つ。
すると、静佳はいったん視線を空の方に向けて、ぽつりとこう呟いた。
「あたしは、ただ平和に日々を過ごしたいだけ。
波瀾万丈でもなく、退屈過ぎもしない。それが理想なんだけどな」
「それなら、どうしてあやかし荘に来たの?
私の見る限り、ここは平和とはほど遠いところだと思うけど」
シュラインが正直な感想を口にすると、静佳は小さくため息をついた。
「そうなんだけどさ。
あたしも普通の人間じゃないから、時々つい、ね。
ここなら、あんまり目立たないと思ったんだけど」
「普通の人間じゃない」。
彼女がなんでもないことのようにそう口にしたのには、さすがにシュラインの想定外だった。
けれども、これは考えようによってはチャンスでもある。
もしかしたら、彼女は自分の正体を隠すことにそう熱心ではないのではないだろうか。
「じゃあ、あなたは一体?」
シュラインがそう尋ねてみると、静佳は困ったように笑った。
「ノーコメント、じゃダメかな。
いちいち説明すると、ややこしくなるし、面倒なんだよね」
やはり正体までは知られたくないのか、それとも本当に面倒くさいだけなのか。
普通に考えれば前者なのだろうが、ひょっとしたら後者なのかも知れない。
そう思いつつ、シュラインは続けてこう提案する。
「それなら、私の推理を聞いてくれる?
それで、もし当たっていたら、当たってるって言ってくれれば嬉しいんだけど」
すると、静佳は今度はあっさりと快諾した。
「いいよ、それくらいなら」
シュラインの推理を聞き終えると、静佳は真っ先にこう指摘した。
「ん〜……それ、マンネンタケの話だよね?
あれも霊芝草って呼ばれることはあるけど、あれはまた別物だよ?」
どうやら、彼女の部屋の名前になっている霊芝草は、茸の方ではないらしい。
「霊芝草っていうのは……ほら、これ」
静佳が取り出したのは、一輪の鮮やかな紅色の花だった。
「初めて見たわ」
「だろうね。そうあちこちに咲いてるものじゃないらしいし」
シュラインの感想に、静佳は何度か小さく頷くと、何かを思いついたようにこう続けた。
「でも、これ、いろいろ面白い使い方があってさ」
それだけ言い終わると、霊芝草の花をそっと自分の髪にさす。
すると、突然静佳の姿が見えなくなった。
辺りを見回してみたが、どこにも見あたらない。
と。
不意に、後ろから誰かに肩を叩かれた。
振り返ってみるが、そこには誰もいない。
「静佳さん?」
返事のかわりに、また後ろから肩を叩かれる。
もう一度振り返ろうとすると、頬に指の触れる感触があった。
次の瞬間、楽しそうな笑い声とともに、静佳が姿を現した。
霊芝草の花は、彼女の髪を離れて、再び右手に戻っている。
どうやら、花を髪にさしている間だけ、姿が見えなくなるらしい。
「とまあ、こんな感じなんだけどね」
満面の笑みを浮かべたまま、静佳は霊芝草を懐にしまい込む。
「ひょっとして、そっちの霊芝草の?」
シュラインは改めて尋ねてみたが、静佳の返事はこの一言だけだった。
「さあね。ノーコメント、ってことで」
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次の日。
「で、どうやったん?」
綾に首尾を尋ねられて、シュラインは少し考えてからこう答えた。
「なんだか、うまくはぐらかされたような気もするけど……ひょっとしたら、やっぱり霊芝草の精霊か何かなんじゃないかしら」
静佳の説明を考えれば若干無理のある解釈のような気もするが、「知り合いから紹介された」のは、「霊芝草の間」のことではなく、あやかし荘そのもののことかもしれないし、そう考えれば何とか最低限の辻褄は合う。
だが、こんな説明では柚葉を満足させることはできなかったようだ。
「じゃ、次はボクが聞いてくる!」
そう言うなり、さっさと駆けだしていってしまう柚葉。
その上、嬉璃までもがそれに続いた。
「では、わしもそれとなく聞いてくるとするかの」
口ではそう言っているものの、とても「それとなく」といった雰囲気ではない。
そんな二人を見送りながら、綾は首を横に振った。
「あの二人で、うまいこといく……わけないな。
やれやれ、結局、はっきりしたことはわからずじまいか」
戻ってきた柚葉と嬉璃が「雪女説(そばにいるとなぜか涼しかったから)」「メデューサの子孫説(うっかり怒らせてしまった時に、ちょっと睨まれただけで動けなくなったから)」などの珍妙きわまりない説を主張し始めたのは、それからしばらく後のことであった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
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■ ライター通信 ■
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撓場秀武です。
この度は私の依頼にご参加下さいまして誠にありがとうございました。
さて、板垣静佳の正体ですが、結局今回のところはわからずじまい、ということにさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
彼女は今後もまたちょくちょく出てくる予定ですので、正体の方もそのうち明らかになっていくかと思います。
実を言うと、茸の方の霊芝を霊芝草とも呼ぶとは知りませんでした。
本文中に出てくる柚葉の疑問は、そのことを知った時の私の正直な感想でもあります。
ともあれ。
もし何かございましたら、ご遠慮なくお知らせ頂ければ幸いです。
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