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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


偽りの水泳大会(AWAY・草間興信所編) 〜空箱より〜




「……どうやら、生徒会に協力を頼んだみたいなんだ」

 今日も誰も訪れる者のない草間興信所。
 一見のどかな昼下がり、草間武彦は今日もまた押しかけてきた布施啓太と、もはや年代物の応接セットにて額をつき合わせていた。
「生徒会?」
「ああ。うちのガッコ、ってオレが通ってるの神聖都学園高等部だぜ……生徒会長が繭神陽一郎ってヤツなんだけどさ。そいつ、ただ者じゃねぇんだ。取れる限りの段は持ってるし、模試は全国一番だし。あんなのが同級生なんて言われても、あんなの同い年とは思えねぇよ」
「分かった分かった、ひがみはいい」
「ひがみじゃねぇよ!」
「いいから話を続けろ。……それで? なんでまた、あいつはそんなとこに協力を仰いだんだ」

 草間のもっともな問いに、うーん、と啓太は頭を抱える。
「やっぱ……オレたちに警戒して、なのかな」
「あほか」
 啓太の深刻すぎる表情と重々しい口調に、草間は思わずソファからずり落ちそうになる。
「水泳大会に乗じてこっちから箱奪っちまおうなんてバカバカしい計画、お前の他に誰が思いつくか」
「オレは真面目に考えたんだよ、なんだよ名案だろ!」
「分かった分かった」

 一歩も引かない啓太に草間は一つため息をつくと、やれやれ、と首を回す。
「人間ってのは、完全に忘れることなんか出来ないのかね……」
「え?」
「とにかく。今あの『箱』を持ってるのは早乙女美だ。そしてあいつは水泳大会で『箱』を取られるのを恐れ、生徒会に助けを求めた。……そういうことだな」
「うん。だからもしかしたら、当日は他の誰かに預けてるかも……」
「あんな大層なシロモノ、そうそう普通のヤツが持てるとは思えんな。他に心当たりはないのか、その、すさまじい生徒会長の他に」
「……そういえば、生徒会に出入りしてるやつで月神詠子ってのがいた。なんで役員でもないのにこんなとこにいるのかって取材の時は思ったんだけど、とにかくなんかただもんじゃない感じで……」
「別に疑いなんかしないさ。お前がそう思ったんならそうなんだろ」

 そして、草間は傍らの電話を取り上げた。
「そうと決まれば早速だ。今から手伝ってくれそうなヤツ収集するから、お前も誰か当たって来い」



     ■□■



「ヒマだ……」
 青い空には雲ひとつなく、じりじりと暑い夏の日差しを投げかけてくる太陽。
 足元の短い影を見つめながら、羽角悠宇は一人とぼとぼと道を歩いていた。アスファルトの照り返しに顔までもが熱い。汗をぬぐおうと額に当てた腕もが熱くて、ふう、と一つ息をつく。
 試験も終わり、夏休みも間近なこの時期。海に山にプールに、と心浮き立つ計画は頭の中に溢れんばかりだ――だが、それについて共に語らいたい相手が、ここにいない。
 それだけで、全く胸躍らなくなるのが不思議だ。
 その相手――たぶん『カレシとカノジョ』の間柄だと言ってもあいつは怒らないと思う――はしばらくの期間練習の打ち合わせとかで違う学校へと出向かなければならないらしい。一流の演奏者でもある彼女の、自分は一番のファンであるという自負はあるが、言い換えれば自分はそれだけだ。
「早く帰ってこないかな……」
 再び呟き、そして悠宇ははたと足を止める。
 気がつけば見知った建物の前に立っていた。――古びたビル、その階段脇にかかっている表札に書かれているのは、『草間興信所 セールスお断り』という消えかかった文字。
「……なんか、おもしろい事件でもやってるかな」
 ふあーあ、と大きなあくびと伸びを同時にしながら、悠宇は興信所のドアに手をかけた。


 と、悠宇が来たのはちょうどいいタイミングだったらしい。
 クーラーも満足に効いていない暑い部屋。扉を開いた時額を突き合わせていた者たちはなにやら算段を進めていて、気がつけば悠宇もいつのまにかその一員にされていた。
「悠宇くんいらっしゃい。タイミングいいわね?」
 シュライン・エマが手渡してくれた麦茶を一息で飲み干してから、悠宇は肩をすくめる。
「別に。草間さんが呼ぶからしょうがなく来てやったの」
「あら、てっきり構ってもらえないからヒマだったんだと思ったわ」
「なんだ悠宇、お前捨てられたのか?」
「うるせぇ啓太!」
 ソファの向こうで振り向きニヤリと笑った布施啓太に、物を投げる振りをする。
 他にソファに座っていたのは桐生暁と唯崎紅華だ。そして草間。
 シュラインと啓太を交えた六人が狭く散らかった室内にひしめき合っていた。 



「……いいわね、若いって」
「なに悟ってんだ、シュライン」
 草間の隣に腰掛けながらシュラインがため息をつく。その口調に笑い飛ばせない要素を汲み取ったのか、草間までもが難しい顔をした。
「そうそう。オレ、シュラインさんみたいな姉さんがいたら絶対自慢しちゃうけどな!」
「ま、ありがとう。私も啓太君みたいな弟がいたら毎日掃除の手伝いしてもらうんだけどな」
「……それは可愛がるってことなのか、シュライン?」
「だってねぇ、それというのもどこかの甲斐性なしさんが仕事を取ってきてくれないから毎日毎日することがなくて」
「あーごほん、それでだ皆の衆。今回集まってもらった意図だが」
 かなり強引な口調で草間が話題を変える。――今度はシュラインと啓太が顔を見合わせ笑ったのは言うまでもない。
「近々、神聖都学園の方で水泳大会があるらしい。それに乗じて、敵さんの獲物を奪っちまおうってのが今回の狙いだ。まあ、いつもと毛色が違うが深く考えるな、うん」
「……そういや、確かにあったなぁ水泳大会」
 俺サボって久々に劇団の方に顔出すつもりだったんだけどな、と正真正銘、神聖都学園生徒の暁。
「2日間連続で幼等部から大学部、はてはOB・OGまで参加して行う、夏休み前の大イベントなんだ。だから草間さんとかがいても全然変じゃないし、他のみんなも安心してくれよ」
「……なんでそこに俺の名前を出すんだ、啓太」
「例は極端な方がいいっていうだろ、草間のおっさん」

「とは言っても、傍からはただの盗みだし、事が明るみに出たら危ないのはこちらねぇ」
 そう言ってシュラインが再びため息をつく。
「武彦さんも、時々びっくりする様なこと言い出すわよね?」
「うるさい。攻撃は最大の攻撃……ん? あれ? 攻撃は最高の襲撃だったか……?」
「『最大の防御』でしょ?」
 心得たように、草間の言葉をさらり補足するシュライン。その阿吽の呼吸は、確かに他の者の入る隙間はないようだ。
「……っていうか、ほとんどツッコミだったけどな」
「なんか言ったか、悠宇?」
「まあまあ、それより。
私はOGというより、顔見知りが多いから知人の応援に来た、って言った方が無難ね。他のみんなは学園生徒で通じるんじゃないかしら」
 シュラインの言葉にうなずく一同。
 と、彼女が僅かに首を傾げた。
「それにしても……」
「どうかしましたか? シュラインさん」
 紅華の言葉に、ううん、と一度首を振りつつも、大したことじゃないんだけどね、とシュラインは再度口を開く。
「何故繭神さんが生徒なのかしら? 眠りについてるんじゃなかったの?」
「……そういえば」
 同意し、同じように考え込んだのは悠宇だ。
「悪企みするやつはおちおち眠ってもくれないってことかもな。
ははっ、あいつ偉そうだったなぁ。……まあ、いろいろ噂も聞いた今となっては、ちょっとだけ同情しないでもないけどさ」
「繭神か……あいつに俺目をつけられてたんだよな。おかげでこの硬派な俺がシガレットチョコなんて始終くわえてる羽目になったんだ、くそぅ」
 過去がよみがえったのか、握り締めた拳を震わせている草間。
と。
「みなさん?」
「どうしたんだ、お前たち? 何のことだ、それ?」
 紅華の呼びかけにハッと我に返る三人。
「……って、そんな連想する自分が謎だわ」
「あれ? そうだよな、俺神聖都学園に通った事ないんだけどな」


「まあいい」
 気を取り直したように、再び草間が一同をぐるり見回す。
「今回の目的はさっき話した通りだ。一応学園の行事ってことだし、俺はハデに動けないと思う。せっかく歳相応のメンバーを集めたんだ、みんなキリキリ働いてくれ」
「はいはい、よく言うぜ」
 啓太の悪態も草間はどこ吹く風だ。
「それからシュライン」
「何?」
「あー……その、なんだ」
 ごほん、と一つ咳払いをし、充分もったいぶってから草間は言った。
「お前は水泳大会に出るなよ?」
「え?」
「……はっはーん。草間さん、シュラインさんの水着姿、他のヤツに見せたくないんだろ?」
「ッ! ば、バカ悠宇!!」
 悠宇のからかいに煙草を吹き出した草間は、とっさに彼の身体を押さえつけようとして――するり腕から抜け出した悠宇によりいっそう焦りだす。
「なんだよ、いい歳して赤くなってんぜ〜? 草間さん!」
「あ、ホントだ、こりゃ面白いもんみたな!」
「草間さん、仕事のと違って素直な方なんですね」
「! 暁に紅華! お前たちまで!! ……ッこのヤロー、悠宇、そこに座れ!」
「はっはっは! 捕まえてみろよ、草間さん!」


 小さなソファの回りでどたどたと追走劇を始める草間と悠宇。
 紅華と暁はその横でやんやとはやし立てていて――そして、そんなにぎやかな様子とは裏腹に、ソファで一人啓太は難しい顔のまま俯いていた。
 そんな彼に気づき、そっと肩に手を置くシュライン。
「どうしたの?」
「……あ、うん。あのさ。……なんというか、その。今回の依頼って俺が草間さんにお願いしたことなんだけどさ」
 ――どうも、不安で胸がもやもやするんだ。そう啓太は言った。
「上手く説明できないんだけど。……何かが、不安でたまんない」
「何か?」
「なぁシュラインさん、シュラインさんが今疑問に思ってることってなに?」
 突然話を振られ、シュラインはまばたきをぱちぱちと繰り返した。が、すぐに思考に沈み、ゆっくりゆっくり言葉を紡いでいく。
「そうね。早乙女くんは、なぜこの大会に対して警戒してるのかしら? 休学中なら学園に居る必要はないのに。何か重要な意味があるのかしら、でもたかが『水泳大会』よね」
「……そう、だよね」
「案外、この大会自体が何かの夢と箱の力が混ざり出来た空間だったりして」
 ――そう言ってしまってから、案外悪い考えではないかも、とシュラインは思っていた。

 だが、シュラインの言葉を聞いているのかいないのか、啓太は難しい顔で何かを考え続けている――。





●A場面-1

 ――水泳大会、2日目。
 1日目は競泳中心で部外者が立ち入りにくかったため、勝負は2日目に絞る事になった。
 それを天が見越してというわけでもあるまいが、今日も太陽がじりじりと肌を焼いてくる、ある意味絶好のプール日和だ。
 膨大な生徒数を抱える神聖都学園は、またその設備もそれなりのものを備えていた。
 10レーンまである50メートルプールに、まるで国体かはたまた何かの全国大会かと思われるほどの人数が埋め尽くすスタンド席。水着に着替え、そのまま生徒たちに紛れプールサイドに立ち、わああ、という歓声に囲まれていると、自然と気分まで高揚してくる。
 学校のプールといえば25メートルのしょぼいやつで、プールサイドのコンクリートはひび割れていて――などと想像していた悠宇はただただ驚くばかりだった。
「……すごいな、コレ」
 思わず呟くと、傍らの紅華がくす、と笑う。

 ひとまず今回は悠宇と紅華がペア行動を取ることになった。他のメンバーはまたそれぞれに動いているはずだ。また草間もこの大勢の観客の中に紛れている……はず。
 ――まさか草間さん、どさくさに紛れて帰ってたりしない……よな。
 プールサイドでは、校長の挨拶とやらが延々と続いている。
「悠宇さん」
 マイク割れしている挨拶に紛れ、悠宇にささやきかけながら改めて紅華は首をかしげる。
「今回は箱の奪取ということですけど、どなたが持っていると思います?」
 ――早乙女美さんか、繭神陽一郎さんか、月神詠子さん、でしたよね?
 紅華が言うと、悠宇はたぶん月神じゃないかな、と答える。
「早乙女の奴根性悪そうだから、強引に奪えないような相手に箱を持たせてるような気がするんだよな」
「だから月神さんじゃないか、と?」
「そうそう。女だし。……あいつ、そういうとこ容赦なく利用するやつだからさ」
 ホント嫌なやつなんだぜ! と悠宇が力説する。早乙女美のことをよく知らない紅華は、ただうなずくばかりだ。
 校長の話はいまだ続いている。炎天下の中、周囲の生徒たちはすでにうんざり顔だ。
「でももし月神が持ってるんだとしたら、彼女の興味を引きそうな違うものを提示してやる事で箱から興味をそらして取り上げる、とかできるかもしれないな。でも、ああそうか、売ってる物なんかには興味を示さなそうだから、自作してくりゃよかったな。どうせならそういう物はあいつに作ってやりたいけど……」
 ぶつぶつと何事かを呟きつづけている悠宇。
 ふふ、と笑ってから紅華は彼の肩を叩き、再びその顔をのぞきこんだ。
「さっきですね、詠子さんのロッカーをさりげなく覗いてみたんです。泳ぐのには邪魔ですから持ってる振りして更衣室に置いてるかもしれない、と思って」
 紅華の言葉に、ヒュウ、と小さく悠宇が口笛を吹く。
「やるね」
「それほどでもありませんけど」
 すまし顔で答えてから、再び紅華は真面目な顔をする。
「でも、ロッカーにはなかったんです。だから……もちろん、月神さんが持っているという前提ですけど、ここは水泳大会だけに泳ぎで勝負ってのはどうでしょう?」
「……え?」
 可愛らしい顔の大胆な提案に、悠宇は一瞬あっけに取られたらしい。思わず言葉を飲んで、まじまじと紅華を見つめる。
「折り返し50メートルで勝ったほうが相手のいうことを一つ聞くって内容で。これなら『箱』を持っていなくても誰が持っているかの情報聞けますし」
 そう言って紅華は、「断られたらどうしようもないですが」と笑った。
 
 
 壇上では、ちょうど校長の挨拶が終わり、高等部生徒会長でありこの水泳大会実行委員長でもある繭神陽一郎の挨拶が始まったところだった。
 その後ろでは、「ちゃっかり」という形容詞そのままに、セーラー服の詠子がすました顔で周囲を見回している。
 


     ■□■



「さあ、飛び入り大歓迎! OB、OGも交えた体力自慢たちの競泳大会はもう間もなくです! エントリーももうすぐ締め切りますのでお早めに!」
 わんわんとエコーを響かせながら何本も立つスピーカーが一斉にがなりたてている。
 思わず顔をしかめ、そして傍らを見て――パートナーも同じ顔をしているのに同時に笑い出しながら、そしてふと悠宇と紅華は飛び込み台の上へと同時に視線をめぐらせた。
 そこには、スクール水着と共に張り切った動作で準備運動をしている詠子がいる。
「……じゃ、俺もエントリーと行きますか」
 肩をぐるぐる回しながら悠宇が歩き出す。と、その後ろを紅華が続く。
「ん?」
「私も、実は泳ぎには自信があるんですよ、悠宇さん」
「ふーん? 悪いけど、俺体育は『5』だぜ?」
 悠宇の軽口にも紅華は笑顔のままだ。

 そのままエントリーを済ませ、悠宇は紅華と別れ号砲を待つ列へと紛れ込んだ。自分の泳力に自信がある者ばかりなのだろう、均整の取れた筋肉を身にまとった男子ばかりだ。女子で競泳水着を着た者はともかく、ちらほらと見かけるスクール水着の女子たちはもしかしたら『記念参加』なのかもしれない。
 その中の一人――月神詠子の傍へと、悠宇は一人静かに近づいていく。静かに静かに彼女の後ろに立ち、そして悠宇は詠子の白い二の腕を取った! 
 ――と思いきや。
「失礼である」
 振り向いたのは詠子ではなく、小柄な少女だった。表情を変えるでもなく自分の腕をつかんでいる悠宇の手をチラリと見ただけで黙り込んでいる。
 詠子と自分との間に、彼女が突然割り込んだのだろうか? 事態が把握できなくて悠宇は慌てる。
「あ、あれ?」
「手を離すである」
 その言葉にハッと我に返り悠宇は慌てて手を離した――が、時既に遅かった。
 
 その大きな目をみるみる潤ませ、わーん! と火のついたように泣き出す少女。なんだなんだ、と非難の目で周囲に一斉に振り向かれ、悠宇はたじろいだ。
「い、いや、俺は……!」
「この人が、この人がいじめたであるー!!!」
「……おい兄ちゃん、こんな小さい女の子泣かすなんて何やってんだ?」
「いじめか? おい」
「水着の女の子いじめるたぁ、男の風上にもおけねぇなあ?」
「い、いや……俺は違うって!」
 泳力に自信のある男子とは、言い換えれば体格のいい野郎ばかりということだ。多くのごつい男たちに囲まれ、足元では自分を非難するように女の子が泣き続けているとあっては、悠宇でなくても泣きたくなるものだろう。
「勘弁してくれよ……」

 と。
「その人は違います」
 穏やかながらも凛とした声がした。人垣を割って悠宇に駆け寄ってきたのは――いや、声を聞いた時点で悠宇には誰だかすぐ分かっていたのだが、すぐには信じられなかった――驚いたことに、悠宇の一番大事な人だった。
「悠宇くん、大丈夫?」
「お、お前……なんでここに?」
「話はあと、ね? ……それから、ごめんね」
 彼女がそう笑いかけると、今までけたたましく泣きじゃくっていた少女がぴたりと泣き止む。
「そう言われては、しょうがないのである」
「……詐欺だ……」
 がっくりと肩を落としながら、悠宇は手を引かれて人垣を脱出する。
 
 二人の頭上では、スピーカーが紅華の一位を高らかに告げていた。




●B場面

 プール観客席への北ゲート前。
 今ここに人影は今はない。喧騒も遠い分だけ、辺りの静けさを増していくばかりのものと化している。

 そこに一人の少年がやってきた。彼――布施啓太は、だがそのまま転ぶように地面に倒れ、地にうずくまる。
 必死に身体を起こそうとするも視線はずれ、腰は引けている。滴るようにふきだす汗。かきむしるように土をかく指。――その様子は、まるで何かに怯える犬のようだ。
 と。
「啓太」
 彼の前に新たな人影が立つ。啓太が必死の思いで顔を上げると、早乙女美がそこに立っていた。
 以前見た時とは違う穏やかな瞳だった。哀れみとは違う、静かな感情をたたえて啓太に手を差し出す。
「……帰ろう、啓太」
 ――ああ、この声。どこかで聞いたことがある。
 啓太の心の声を聞いたかのように、美はかすかな笑みを浮かべ、啓太の前に膝をつく。
「この場所はまだ、啓太には辛すぎるだろう? ……無理はしなくていいんだよ」
「……だけど、オレは、報道部、で」
 必死の啓太の反論は切れ切れだ。
 美は啓太の頬に手を伸ばし、ゆっくりと彼の顔の前に己のそれを寄せて行く。
「いいんだ。辛い思い出を避けることも、忘れたいと思うことも……『逃げ』じゃないよ」
 ――啓太。
 もう一度名を呼び、そして美は啓太と間近で視線を合わせ微笑んだ。
 

 
「啓太!」
 新たな声が聞こえてきたのはその時だ。
 さっと美が立ち上がる。反応が遅れた啓太は共に立ち上がれず――まるで彼を引き止めるかのように宙に浮いた手だけが彼をむなしく追いかけた。
「また会おう、啓太」
 そうして美は身をひるがえす。地に膝をついたままの啓太が見送るうちにその姿はどんどん小さくなっていき――そして消え失せた時、まるで彼と入れ替わりのように現れたのは草間武彦だった。
「……いま、ここにいたのは美か?」
 息を弾ませながらの問いに、啓太はうなずくのがやっとだ。
「あいつ……まさか、お前に触れるために箱を手放したんじゃないだろうな」
 呟きは啓太に向けられたものではなかったらしい。思わず彼を仰ぐと、ち、と小さく草間が舌打ちをした。
「……何のこと? 草間さん」
「お前は知らなくていいことだ」
「草間さん!」
 叫び、彼に取りすがると――草間は視線をずらしたまま、言った。
「お前は箱には触れないらしい。……だから、箱を持ったままではお前に触れることが出来ない。そういうことだろう。それ以上は俺も知らない」
「どういうこと?」
「……お前がよっぽど心配だったってことだ。場所が場所だったからな。
啓太、それだけ分かってればいい。無理に思い出そうとするな」
 ――あいつも、同じことを言っていた……?
 
 
 呆然とする意識の裏で、暑さに浮かされた歓声が小さく沸いては消えていく。
 やっぱりここは静かだ、と啓太は思った。



     ■□■



「『箱』はさ、紅華が勝負に勝って獲ったんだってさ。くっそー、俺もその勝負参加したかったなぁ!」
「悠宇くん、泳ぐの早いもんね」
「おうよ、俺のクロール、お前に見せてやりたいぜ!」
 桜並木を手をつなぎ歩いていた二人。
 狭い道とあって、二人の他に誰も通らない。頭上をアーチのように覆う葉は真緑で、その隙間からは眩しいほどの夏の光がこぼれ落ちている。
 まだらな光に照らされて、二人は顔を見合わせ、そして笑った。
「夏休み、楽しみだね」
「そうだな、楽しみだな」


 後日。
 『箱』争奪戦も一区切りつき、見事こちらの手に渡ってきたそれは今現在、草間武彦が預かっている。何だかんだ言って怪奇探偵の異名をとる彼のことだ、半分は揶揄だとしても、奪われるかもしれない等の心配はしなくて済むだろう。
 いや彼のこと、灰皿と間違えてあの箱に焼け焦げをつける心配はあるかもしれないが――その辺りはシュラインが上手くやってくれるに違いない。
 そんな風に二人は――いろんなことをひとまず脇に置いておいて、間近に迫った二人の夏休みの事をしゃべり合うことで頭がいっぱいだった。
  
「お前さ、合同練習ってどのぐらいの期間があるんだ?」
「うーん……10日ぐらいかな、他にも個人レッスンとかあるから、夏休みの半分くらいは会えないかも」
「そっかー……ま、しょうがないか。俺、お前のチェロ好きだからさ。邪魔したくないもんな」
 と。
 彼女がその場に立ち止まる。手をつないだままの悠宇は軽く引っ張られる形で同じように立ち止まり、そして振り返った。
「どうした?」 
「あのね、悠宇くん。……私ね、悠宇くんに会えないと、やっぱり寂しいわ」
「……ん」
「悠宇くんは?」
 じっと見上げられて、悠宇は一瞬言葉を失い――そしてすぐに笑った。
「俺も、寂しいな」
 その答えに、彼女は嬉しそうに微笑む。
 
 
「お前と会えない日は電話するな」
「うん、待ってるね」
「俺からかかってくるだけじゃなくて、いつでもかけてきていいからな」
「うん、そんな時は私からかけるね」
「それから……会える日は、二人で出来るだけいろんなとこ行こうな」
「……うん、楽しみだね」
「そうだな、楽しみだな」

 


 木漏れ日はきらめくばかりで、もうすっかり夏の日差しだ。
 こちらに戻ってきた『箱』の今後も、そして再び姿を消した美のことも――今だけは置いておいて、この陽光と熱に浮かされ無邪気にはしゃぐのも、そう悪くないかもしれない。
 
 







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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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<草間興信所編>

【0086 / シュライン・エマ / しゅらいん・えま / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3525 / 羽角悠宇 / はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4782 / 桐生暁 / きりゅう・あき / 男 / 17歳 / 高校生アルバイター、トランスのギター担当】
【5381 / 唯崎紅華 / ゆいざき・せっか / 女 / 16歳 / 高校生兼民間組織のエージェント】

(受注順)


NPC
早乙女美(さおとめ・よしみ)
布施啓太(ふせ・けいた)


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          ライター通信           
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こんにちは、つなみです。
この度は遅延いたしまして大変申し訳ありませんでした。随分とお待ちいただくことになってしまい、身の縮む思いです……すみませんでした。


さて。
今回のお話ですが、「神聖都学園」で募集しました「HOME編」と同時進行になっています。同じ場面でも視点がそれぞれ切り替わっていたり、こちらではぼかしている謎があちらでは解明されていたり、といったお遊びもいくつかありますので、もし興味がありましたら合わせて読んでみてくださいませ。
それと、今回「箱は誰が持っているか?(誰に持たせるか?)」という質問で3択を設定したのですが、草間「詠子」3票、そして学園「詠子」2票……ということで、詠子という読みが数の上で多かった草間側を「勝ち」とさせていただきました。
そんなわけで箱も草間さんの手に戻り、次回からは新展開……というところでしょうか。
もし興味がありましたら、次回以降も参加していただけるとうれしいです。


悠宇さん、いつもありがとうございます!
相変わらずの活躍の舞台を用意させていただいたつもりでしたが……今回はコメディっぽい立ち回りが多かったかもしれません。お気に召していただければよいのですが。
日和さんのことばかり考えているのは、もちろん頼っているわけではなく……お二人の仲のよさゆえ、ということが伝えられていればと願うばかりです。




反省ばかりのこの身ですが、この後も細々と活動していく予定ですのでまた興味がありましたらぜひぜひ参加してくださるとうれしいです。
ご意見、ご感想などありましたら遠慮なくお寄せ下さいませ。

それでは、つなみでした。